悪役令嬢は整形を隠して王家へ嫁入りしたい
300年前戦場で敵国の猛将を撃ち、国を勝利に導いたとされ公爵位まで上り詰めたアルバンス家。その英雄の末裔であるシャーロット・アルバンス公爵令嬢はこの1ヶ月で実に36回目の塩入り紅茶を飲まされて猛烈に苛立っていた。
「エマ!!またエマなんでしょう!?あなた自分が何をやってるのか分かってるわけ!?」
「申し訳ございません」
エマと呼ばれたメイドはぺこりと頭を下げたが、怒る雇用主の愛娘を目の前にしても鉄仮面のごとき無表情を崩していない。
「あんた私の紅茶をなんだと思ってるの!?大体私は紅茶に砂糖もミルクも入れないのよ!?なんだってそんなに間違えられるわけ!?」
「申し訳ございません」
シャーロットは海より深いため息をつくと、傍に控えていたメイドに紅茶を入れるように指示した。エマもそのメイドに続いてキッチンに向かおうとするのをほぼ悲鳴のような声で制し、今日もぐずぐずと説教を始める。
「普通紅茶もまともに運べないのなら貴族のメイドなんか諦めるべきよ?お父様が帰ってきたら田舎に送り返してあげるから今のうちに荷物の準備でもしてらっしゃい」
「申し訳ございません」
いつもの顔でそう言い残すと、踵を返して使用人部屋に戻って行った。
「ああ腹が立つ!」
エマは父が領地へ視察に出かける直前に雇ったメイドだ。ほぼ没落したも同然と言われる名前だけ貴族のワトソニア男爵家三女で、それなりに身元は確かなのでシャーロットのメイドとして雇った。しかし、仕事をさせてみればとんでもないポンコツで、掃除はやる前より汚れ、髪を結わせればぐちゃぐちゃ。やらせることもないので紅茶を給仕させてみてもこの有様だ。
その後何回も領地へクビにして欲しいと手紙を書くも、父が帰るまで少し待つように言われ続けている。
さらにシャーロットにとっては腹が立つことに、仕事の出来ないエマだが外見は非常に整っている。
ピンクブロンドのつやつやな髪はメイド風に結われているが、かなり目立つ。透き通るような白い肌に目はこぼれ落ちそうなほど大きくエメラルドブルーに輝いている。
この前身内だけを呼んで行った小さな茶会でも、男たちはエマに釘付けだった。あの分では紅茶に塩が入ってようとスコーンが武器になりそうなほど固かろうと、エマに渡されれば気づかないに違いない。
「さっさと物好きで成金のじじいに売り飛ばされちゃえばいいんだわ…」
あれほどの外見だったらきっと良い値がつくに違いない。うちに来たのはどうせ美人好きの成金貴族へ嫁がせる前に行儀を学ばせるくらいの意味なんだろう。全くいい迷惑だ。
実はシャーロットがここまでエマに辛く当たるのはわりと悲しい理由がある。
今でこそエマと同じピンクブロンドに碧眼を持つそこそこ美人なシャーロットだが、実は社交界デビュー前にものすごい金をつぎ込んで整形している。
この世界の整形は外科手術ではなく、もっと気の遠くなるような話だ。
土を成形する魔法でものすごい力をかけて鼻筋を通したり顔の輪郭を変え、緻密な風魔法で目頭を切開。水魔法で全身のむくみをとって血液循環をよくして肌の状態をコントロールし、火の魔法でムダ毛を焼き切るなど、そのいちいちに激痛が伴う。しかも、わざわざ専門の魔法使いを雇ったセルフ拷問みたいな状態を1年間は続けなくてはならない。
それでも整形する貴族令嬢が後を絶たないのは、王家に嫁入りという夢をあきらめられないからだ。シャーロットももちろんその1人てある。
後悔していないとはいえ、幼い頃に受けた拷問のごとき整形魔法は今でもシャーロットの脳裏に焼き付いている。あの激痛などエマは知らず、生まれた時から美人なのかと思うと、天を仰がずにはいられない。別のメイドを捕まえると、エマについてあれこれと聞かせるのがすっかり日課になってしまった。
「ねえ、エマって本当に天然であの外見なんだと思う?」
「そうですね、エマのご実家のワトソニア男爵家はほぼ平民と似たような生活水準だそうですよ。お嬢様のように魔法を受けるのは難しいかと。」
「あれほどの美人なら、うちとまでいかなくても侯爵家くらいに生まれれば王家に嫁ぐ事もあったでしょうに…」
その瞬間シャーロットは思い立ってしまった。もし自分がエマなのであれば、使用人でもなんでもいいからお偉い貴族の元でシンデレラよろしく大逆転を狙うのではないか……と。
「エマ!エマはどこなの!」
またミスか、と呆れ顔のメイドたちに連れられ、エマがのこのことやって来た。非常に鈍臭く見える所作は優雅といえなくもないし、美しい顔はシャーロットをも目を奪われてしまう。
我が家は一応王家からの遣いが来ない事もない。遣いにエマを見られ王子に報告でもされてしまったら興味を持たれてしまうかもしれないことを考えると、エマを屋敷で自由にしておくわけにはいかない。
「エマ、あなたには屋根裏部屋の警護を任せます。」
「屋根裏部屋、ですか?」
「ええ、紅茶に塩を入れカップとソーサーを持ったそばから割るようなあなたにぴったりの仕事よ。しばらく私たち家族が出入りする場所には来ないでちょうだい。」
「警護と言われましても、何から警護すればよろしいのでしょうか?」
「そんなことあなたが考えなさいよ、泥棒とか亡霊とか色々いるんじゃないかしら?」
ピンとこない様子のエマを無理やり寒々としてだだっ広い屋根裏部屋に押し込めると不思議と心が痛んだが、こうするより他王家の目に止まらない保証がない。
「そうね、お父様があなたをクビにするか、私が王子様と婚姻したら出してあげるわ。」
「かしこまりました。」
いつもと大して変わらない一礼を見ると、かわいそうと思ったことより憎たらしいという感情が先に立った。メイドに屋根裏部屋のはしごの前に三食置いておくことを言いつけると、シャーロットはエマのことをすっかり忘れてしまった。
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それから1ヶ月ほど経ったあるお茶会でのこと。シャーロットは仲の良い令嬢たちとまだ人前に出てこない王子の噂話に花を咲かせていた。
「それでね、お父様が言うには王子はあのお美しい王妃様に似ていらっしゃるようなの!」
「まあ!ではかなりの美少年なのではなくて?」
「ぜひお会いしたいわ、ダンスに誘ってくださらないかしら!」
この国の王子は齢17歳。婚約者がいないとなると、高位の貴族子女たちはどうしても未来の王妃を夢見てしまう。そして、年齢や身分を加味すると一番婚約者に近いと思われるのが、シャーロットである。
「シャーロット様、そろそろ教えてくださってもいいのではなくて?」
「なんの話かしら?」
「それはもちろん、王家から王子との婚約について打診が来ていないかよ!」
きゃーっと令嬢たちが黄色い声をあげると、シャーロットも悪い気はしなくてムズムズしてしまう。
「婚約なんて話はまだないけれど……」
「ということは、何かあるんですの!?」
「ちょっとお父様と国王陛下からご招待がありまして……エドワード様にお会いできたらいいなとは思っているのだけれど。」
再度令嬢たちは黄色い声を上げると、名目やら着ていく予定のドレスやらと大騒ぎし始めた。
「そういえば、エドワード王子は王妃様となられる方は自分で見初めたいと仰ってるそうですの」
「まあ!シャーロット様などまさにお似合いですわ!」
「シャーロット様は非の打ち所のない美貌ですものね!何かあったらぜひ教えてくださいまし!」
実のところ、シャーロットはこの顔や肌や髪を褒められる度に少し微妙な気持ちになっていた。鼻がすこしムズムズするだけで、土魔法で無理やり歪めた鼻が元通りの形に戻ろうしているように感じる。でももし、王子に見初められたとしたなら…きっと今までのありとあらゆる努力が全て報われる。そう思って今日もなんの憂いもない、という顔で令嬢たちに微笑みかけている。
この子達だって、元の私の顔と比べたら比較にならないほど整っている。私は自分の鼻も運命も、父親の───肖像画でしか知らないご先祖様の金で歪めてしまったのだ。
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三日後に迫った王への拝謁のため、領地へ行っていた父親が帰ってきた。父は、かなり前に先立ってしまった奥方の忘れ形見であるシャーロットに甘い。
「私の可愛いシャーロット!元気にしていたかな?」
「もちろんよお父様!」
再会の抱擁を済ませてサロンに行く最中、シャーロットはふと屋根裏部屋へ閉じ込めたエマのことを思い出した。
「お父様、お手紙に書いたメイドなのだけど…」
「ああ、そうそう面接を執事に任せてしまったから、一応辞めてもらう前に直接お話ししてみないとと思ってね。誰か、後で彼女を連れてきてくれるかい?」
ほぼ思った通りの展開になってシャーロットはほくそ笑んだ。父は気性が穏やかなため、どんなに小さなことでも角を立てることを好まない。恐らく、エマに何か諭して代わりの働き口を紹介することになるだろう。
しばらくするとサロンの入り口にやや埃で煤けたエマが立っていた。
「お初にお目にかかります、旦那様。」
「ああ、シャーロットから話は聞いているよ。君がエマだね?」
「はい、あ………申し訳ありません。」
エマがぺこりとお辞儀をすると、なんだか不自然な角度で何かを落としたようだった。大きめのメダルのようなそれは、シャーロットと父の真ん中に落ちる。
(あら、とても綺麗ね。百合のような紋章……?)
ふと父の方に目を向けると、顔色が真っ青になっていた。
「レディ、この紋章は……ご実家のものですか?」
「はい、間違いありません。」
「あらそうですの?ワトソニア男爵家の紋章とは違うような……」
「シャーロット!口を慎め!王女様の御前だぞ!」
早くも頭を垂れた父がシャーロットをものすごい声量で叱り飛ばした。まだ事情の飲み込めないシャーロットの頭を腕で無理やり下げさせ、2人はほぼ這いつくばったくらいの姿勢となる。
「お、お父様?どういうことですの?」
「お前は家庭教師から何を学んでいる!あれは歴代の王女全員に持たされている王家の紋章だ!」
それを聞いてシャーロットも遅ればせながら背筋が凍った。しかし、この国に王女がいることをシャーロットは今の今まで知らなかった。この目の前の美しいがみすぼらしいメイドがもし本当に王女だとしたら、不敬罪どころの話ではない。
今までエマにさせていた嫌がらせに近い雑事───使用人が使うだけのバケツを延々磨かせたり、時にはドブさらいみたいなことをさせたりした───がシャーロットの頭を駆け巡る。
「それよりは、シャーロット様のお友達のおぼっちゃまたちから山ほどプレゼントが届いたせいで同期の使用人たちから本気で妬まれて、下男をけしかけられた時の方が危なかったですわ。雇うメイドの質はもう少しお考えになったらいかが?」
「「ははっ!」」
とにかく今は這いつくばるしかない。行き着く先が処刑台なのか修道院なのかは、今の親子にとってかなり大事な分岐点だ。
「申し訳なかったですわ。ちょっと身分を明かすわけにはいきませんでしたの。身分を明かすまでの不敬は不問にするようにと、兄にも言われておりますのでご安心くださいな。」
にっこりと笑うとエマは床に這いつくばった親子に近づいた。
「すみません、私足が疲れてしまったのですけど…。」
「直ちに椅子を用意しろお!」
執事がすごい勢いでシャーロットが座っていた椅子を引き剥がし、王女の後ろへ持って行った。
「まあありがとう、何せ今日は屋根裏部屋の荷物の整理をお昼抜きでやっていたもので……足が疲れてしまいましたわ。」
「シャーロット……!お前は王女様になんてことを……!」
「すみません許してください知らなかったんです許して……」
真っ青な顔で這いつくばりながらブツブツと言い訳じみたことを呟き続ける2人を尻目に、王女はゆったりと椅子に座って紅茶を飲み始めた。
「もちろん!別に私は公爵様に嫌がらせをするためにわざわざ身分を偽ったわけではありませんわ。」
親子はすっかり気が動転していて思いつかなかったが、そもそも存在が明かされていない王女がメイドとして自分の家に侵入するなどとんでもない異常事態だ。ただ、親子には一つだけ心当たりがあった。第一王子、つまり王女の兄の嫁探しである。
「お兄様は身内以外を全く信じませんの。だから、色々な角度からシャーロット様の調査が行われているのですけど…今回は通常の調査とは別に、家族の私が素のシャーロット様を調査してこいとのことで、少々工作をしてお邪魔させていただきましたわ。」
「「な、なるほど……」」
「ええと、シャーロット様の振る舞いに関してはそれほど問題はありませんでした。」
「「本当ですか!!」」
地獄で天使を見たような心地になり、親子は思わず顔を上げた。
「礼儀作法に関しては文句なしでしたし、気位は少しお高いですが、それに見合う教養を身につけて努力を忘れないご令嬢ですわ。まあ、下々の者に対する態度は少しだけ改めていただければ問題ないかと思ったのですけど…屋根裏部屋でこれを見つけてしまいましたの」
エマはメイド服のポケットから、古びた写真を取り出した。
「ご幼少の頃のお写真は、屋根裏に隠すのではなく庭で焼いてしまうことをお勧めします。」
その写真はシャーロットの整形直前の写真だった。写真の中のシャーロットは12歳前後になっており、いくら子供の顔は変わると言っても今のシャーロットとは似ても似つかない。
「いやあああああああああああああああ!」
シャーロット令嬢は卒倒し、そのまま三日間目覚めなかった。
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「あーあ、美貌で知られるシャーロット嬢は整形だったなんてね。僕が国王になったら整形魔法禁止にしようかなあ」
「まあお兄様、それではすべての属性魔法を禁止にしろと言っているようなものではないでしょうか。」
お兄様と呼ばれた男の前には大量の写真が乱雑に置いてある。その写真の過半数にはバツ印がつけられており、どうやら何かの理由で落とされた令嬢たちのようだった。
「それにしても、こんなブスが王妃になろうだなんて笑っちゃうよね」
男はエマが拝借した古びた写真を指で弾くと、汚いものを捨てるかのようにゴミ箱へ落とす。エマはゴミ箱に落とされたシャーロットの写真を少し見つめると、目の前のゴミのような性格をした男に視線を戻した。
「次は誰にしようかな〜。他国の姫もアリ!エマはどう思う?」
「兄上の仰せのままに」
シャーロットはエマのことを散々いびってしまったと真っ青になっていたが、エマからしたらあんな可愛らしい嫌がらせを受けたのは生まれて初めてだ。
最初に紅茶へ塩を入れたのにハンカチに吐き出してから不器用に微笑んで見せた時、本当にこの令嬢は貴族教育を受けているのだろうかと目を疑った。この兄に嫁がせるには気性が真っ直ぐすぎる。
幸い気が短くて気位が高かったので、あれからネチネチと致命的なミスを繰り返して状況証拠はなんとかなった。もし、シャーロットに弱みが見つからなかったら、整形魔法と似たような弱みを捏造しようとしていたところである。
「やだなあ、兄上だなんて他人行儀な……僕たちは2人きりの仲の良い兄妹じゃない?そうだよね?」
男はわざわざ席を立つと、エマの腰に手を回した。その瞬間、エマの背筋にはぞくりと悪寒が走る。身じろぎしてしまわなかったかとエマは男の顔色を伺ったが、幸いバレてはいないようだった。
「ええ、もちろんですお兄様」
「じゃ、次もよろしくね」
わざとエマの耳元で呟くと、男は上機嫌で部屋を出た。たっぷり10秒待ってドアを確認すると、エマはたもとから出したハンカチでまず耳を、それから肩を真っ赤になってしまうまですり続けた。