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Aimer.  作者: 蒼原悠
5/9

ご。




 男の子の表情は、日が経つごとに明るさを取り戻してゆきます。今日はあれが叶った、今日はこれが手に入った。そんな報告が聞かれるようになりました。

 恐ろしいことに、少女の捧げた助言は確かに役に立っていたのです。それもことごとく、口にした提案の片っ端から。

「言った通りになった! 昨日、初めて何も悪口を言われなかったよ」

「言う通りにしてみたら、久しぶりに父さんが口をきいてくれたんだ。奇跡みたいだ!」

 気味が悪いやら、嬉しいやらで、少女はいつも曖昧にうなずき返すばかりでした。いったいどうなっているんだろうと思いました。自分の人間関係の維持すらままならない子の言葉が、こんなに誰かの役に立つはずはないのに。──とはいえ、信用ならないはずの自分の言葉で、男の子の境遇が改善していっているのは、疑うことのできない事実でした。

 男の子は着々と“不幸”の素を克服していきました。それまで隠してきた自分の不安を、考えをきちんと整頓してさらけ出して、家族との仲を改善させました。無理解な言葉に苦しめられることがなくなり、家という居場所が生まれました。

 同じことをクラスメートにもすることで、孤独だった教室の中に理解者が生まれました。そんなに苦しんでたなんて知らなかった、力になりたい。いつかの少女と似たようなことを叫んだ彼は、以降、決して揺るぎのない男の子の味方になってくれたといいます。

 みんな敵に回ってしまう前に、まずは絶対に自分の側についてくれる人を作ろうよ──。

 それが少女の添えたアドバイス。自分がいくら自信を持てなくても、男の子は勇気を出して少女の振り絞ったアイデアを飲み込み、叶え、こうして結果を出してみせたのです。


 男の子の嬉しい報告を受けた日は、少女の夜を支える枕もふんわりと柔らかくなります。じわり、心に染み渡る熱の感覚を胸に抱え、少女はベッドに潜り込みました。この熱を人は“達成感”と呼ぶのでしょうか。

(よかった)

 布団の中で膝を抱きしめ、少女は叫びたくてたまらない声を懸命に圧し殺します。

(あの人が今日も笑ってくれた。明日も、明後日も、また笑ってくれるかな)

 笑顔は幸せのもとで本物になる。少女の目に、男の子の浮かべる笑みは間違いなく本物のように映っていて、だからこそ少女には分かるのです。男の子が着実に、真に望む幸せへと手を伸ばしつつあること。そして、どうやら自分の存在は、その幸せの一助になれているらしいことが。

 男の子はまっすぐな子です。きっと、本当は男の子を苦しめていたのは男の子自身ではなくて、彼を取り巻く悪い環境だったのです。環境は努力で変えられるし、黙って待っていても少しずつ変わってゆきます。

(私がいつまでたっても足踏みしてるのとは、大違い)

 そこまで考えたところで、いつも少女は思考を自発的に断ち切って、浅くも深くもない眠りへとあっという間に沈んでしまいます。


 少女は男の子とは対照的でした。知り合っていくらか経った今でも、不安の種はちっとも減る気配を見せません。そればかりか、その間に一人、また一人と、知り合って仲良くなった存在を失いました。親との関係だって少しも改善してはいません。

 また絶交された、今日も無視された、私はいない方がよかったのかな──。その日の出来事を涙ながらに訴えれば、男の子は相変わらず少女に共感して涙ぐんでくれます。そんなのあんまりだ、きっと次はいいことがあるよ、って。少女も苦く濁った心のうちを明かすことで、多少は苦痛から逃れることができます。

 けれども、それだけ。

 少女は男の子を得ました。そして、それ以上のものは今のところ何一つ、得られていないのです。

 理由を考えたことはありません。だいたい見当もつきません。考える必要なんてない、男の子を盲目的に信じてさえいればいい。男の子がそうであったように、きっとそのうち、結果はついてくる。無意識のうちに少女は警戒をほどいて、いつも男の子の前で微笑みます。そうして公園の前で別れを告げるのです。

 何の疑問も、持ち合わせていないつもりでした。


 考えてみると、男の子は少女の言葉に支えられ、少女の提案で未来の裾を掴みつつあります。ならば少女が同じことをしても、同じ結果を導くことができないでしょうか。

 “みんな敵に回ってしまう前に、まずは自分の側についてくれる人を作ろう──”。いつか、少女が男の子に捧げたアドバイス。少女の周りは敵ばかりです。関心を持ってくれない両親、次々に離れていく友達、もとから味方になってくれる意思を感じたことのない年上や、年下や、先生や、家の近所の人たち。

 もしも男の子と同じことをしたなら、彼らは少女に振り向いてくれるのか。この鬱屈した日常を、脱却することは叶うのでしょうか。

 そのとき、胸にわずかな希望が生まれました。しかしそれは本当にわずかな大きさで、やがて時間の流れにしたがって打ち砕かれ、どこか虚空へ消え去ってしまいました。

 少女にはできなかったのです。近しい人々を味方につける、たったそれだけのことが、ちっとも上手くいかないのです。

 距離を詰めようとして声をかけるほど、両親からは煙たがられました。クラスメートたちの遠巻き度は高まりました。彼らは口を揃えて、少女の存在を突っぱねました。

『気味が悪い』と。

『仲良しのふりをしないでほしい』と。

 少女が途方に暮れたのは言うに及びませんでした。なぜ。どうして。気味が悪いだなんて、仲良しのふりをしているだなんて、そんなつもりには自分には微塵もありません。どうしてこんなに理不尽な言われ方をしなければならないのかも分からないまま、ただ、やっぱり笑って、『そっか』と返すばかりでした。

 いったい男の子はどれほどの努力を払って、周囲の人の信頼を勝ち取ったのでしょうか。

(あの人にできたことが、私にはこんなに難しいだなんて)

 うつむきながら歩く帰り道は、今にも眼下を過ぎ去るアスファルトの波に自尊心のすべてが流れ落ちそうで、少女は次第に早歩きで公園を目指すようになりました。……あるいは、涙がこぼれてしまう前に、公園に着きたかったからかもしれません。




→ ろく。

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