その魔女、人気作家
「ミレイア様、また机で寝て……そろそろ起きてください」
優しく、少し呆れた声にミレイアはふっと目を覚ました。のろのろと頭を上げると、机に積まれた本の向こうに執事服が見える。
「あれ……ネル? え、朝だわ」
ミレイアが眠い目をこすりながら首を巡らすと、そこは四方を本棚で囲まれた作業部屋で、机の上には書きかけの紙があり、インクの染みができていた。側に力尽きるまで握っていたペンが転がっている。昨日は夜遅くまで原稿を書いていて、途中で寝てしまったらしい。
「あぁ、もう。頬に皺の跡がついているじゃないですか」
目つきを鋭くしたネルはミレイアの身の回りの世話をしてくれる内弟子で、腰まである黒髪を束ねて後ろに流し、かっちりとした執事服を身にまとっている。朝食を乗せたトレーを持っており、おいしそうなパンとスープの香りにミレイアのお腹が鳴った。
「すぐ治るわよ」
口うるさいんだからと思いながら、ミレイアがぐっと伸びをすれば、ゆったりとみつあみにされた紅く長い髪が背中を滑る。この国の王宮魔法使いの服を着ており、胸元の勲章は筆頭魔法使いであることを示していた。ミレイアが指に魔力を込めて頬に触れれば、一瞬で皺の跡は消える。
「私は天才なんだもの」
数百年に一度と言われる天賦の才を持つミレイアは、5歳の時には魔法使いとして一人立ちをした。各地を巡る研究の末滅んだとされる古代魔法を復活させ、その功績が認められ最年少王宮魔法使いとして王宮に招かれたのだ。だが、今はその羨望を集める服も腕枕をして寝たせいで袖に皺ができ、インクの染みもついている。
「あ~、首が痛いわ。そろそろベッドで寝ないと体にひびく年になったわね」
固まった首と肩を回してほぐしてから、魔法で水を作りだして顔を洗い、風をおこして乾かす。顔を洗えばすっきりし、薄緑の目はぱっちりと開いた。部屋の隅には手洗い場があり、必要なものは揃っているのに、ものぐさなミレイアは椅子から立とうとしなかった。椅子の周りには本棚に戻すのが面倒になった本が、半円を描くように散らばっており、朝食を机に置いたネルが無言で拾っていた。
「そう思われるなら、ちゃんとご飯を食べて寝てください」
「別に魔法で簡単に食べられるのに……」
ミレイアは面倒くさそうに具がたくさん挟まれたパンに手を伸ばす。面倒くさがりな彼女の性格を分かり切っているネルは、片手で持てる大きさのパンを焼き、その中に肉やら野菜やら卵をこれでもかと詰めていた。師匠の健康を考えるのも弟子の役目だ。ミレイアが具を零さないように頬張っているのを一目見て、ネルはコーヒーを入れる。
「魔法で食べ物を圧縮して一口にしたものを食事とは言いません」
ネルが来る前のミレイアの食事は、買ってきた野菜や果物、パン、焼いた肉を魔法で潰して圧縮し、一口で食べるという悲惨なものだった。部屋も足の踏み場が無いほど本が散乱し、隅にたまったほこりからは、何かが生まれそうなほど。初めてネルがミレイアの書斎に足を踏み入れた時は、卒倒しそうになったのだ。
「え~、あれ、高度な魔法なんだけど」
物の水分を抜きながら押し固める魔法は、その年の魔法論文で優秀賞を取ったほどなのにとミレイアは不満げだ。パンを食べ終わり、コーヒーを飲めばやっと頭が起きてくる。
「あれは薬や武器づくりに生かされる魔法であって、ミレイア様のものぐさに使われるものではありません。……それで、原稿はどこまで進んだんですか?」
「えっと……」
食器を下げるネルにそう問いかけられたミレイアは、すっと視線を逸らす。ミレイアは王国一の魔法使いでありながら、人気作家でもあった。恋愛物語が得意で、市井の女性から貴族のご令嬢までそのファンは多い。
「締め切りまで、二週間ですよ?」
「まぁ、大丈夫、大丈夫。今しっかり構想を練っているというか、決まればパパっと書けるから、ね?」
あははと乾いた声で笑うミレイアからは、全く大丈夫という様子が伝わってこない。ネルはわざとらしくため息をついて、机を拭き、ミレイアが執筆できるように整えていった。今日も朝からミレイアは缶詰である。
本来なら王の側に仕え、朝から晩まで魔法研究に打ち込んでいるはずなのだが、原稿の進捗が悪く、特別に三週間の休みをもらっていた。融通を利かせてもらえるのは、今までの貢献と王妃が小説の大ファンであることが大きい。
「今日も朝いちばんに、出版組合から進捗はどうかとつつかれました」
「も~。さらに書く気が失せるわ~」
ミレイアはうんざりした顔になって、飲み干したコーヒーカップをネルに向けると、ネルは心得ましたと、おかわりを注いだ。周りから書け書けとせっつかれるのだが、一番書きたいのはミレイアだ。なのに、ペンは動かない。これまでにも何度か話につまることはあったのだが、今回は少し長い。
「今回は何につまっていらっしゃるんですか? 私にできることがあれば、お手伝いするのですが」
ネルはミレイアが不調であることは分かっているので、なるべくそっとはしているのだが、この一週間であまり進まなかったため心配になっていた。ネルは内弟子でもあり、小説のファンでもあった。
ミレイアが魔法学園の特別教授をしていた時に教えていた学生の一人だったのだが、ある時原稿に追われ睡眠時間を削っていたミレイアが倒れたのだ。その際、ネルがミレイアを部屋まで運び、部屋の汚さに卒倒しそうになりつつも、ベッドに寝かせ、ふと机の上に置かれた原稿に目を留めた。そして、彼女が愛読書の作家だと知るや、身の回りの世話を買ってでたのである。そして卒業後、正式に内弟子となり、すでに5年が過ぎていた。
ミレイアは「ん~」と腕を組むと、難しい顔をして「実は」と口を開く。
「今回の題材が、ご令嬢と家庭教師の恋愛ものなのよ。でも、私あまりものを人に教わったことがないから、ちょっと先生に対するときめきが想像しにくくて……何を書いてもこれじゃないって感じがするのよね」
ミレイアは息をするように魔法を使うことができ、魔法書を読んだだけでその術を理解することができたため、ほとんど人から教わらなかった。薬学や武器への魔法付与は教わったこともあるが、短期間であとは独学だったのだ。学生という立場をあまり経験していないため、今一つ想像が働かないのだ。
「先生と学生の恋愛ですか、たしかに今まで書かれていませんよね」
「今一つよさが分かんないのよ。お姫様や王子様との恋愛ならいくらでも出てくるんだけど」
ミレイアの作品は高貴な身分同士の恋愛や、町娘と王子といった身分差恋愛、時にはおとぎ話の存在である魔王や竜王といった異種族間恋愛もあり、甘酸っぱい恋やひたむきな愛が定評だ。
ネルは眉間に皺をよせ、一緒に悩む。一読者として、作家であるミレイアには早く原稿を書いて欲しいが、自分が口を出すことで話に影響も与えたくない。そのため、あまりミレイアの執筆内容については聞かなかったのだが、今回ばかりはそうは言っていられなかった。
「でしたら、取材をしてみてはいかがですか?」
「……取材?」
出された提案に、ミレイアは顔を向けて目を瞬かせる。
「はい、実際に教師と学生の恋愛を見たら、いい話が浮かぶかもしれませんよ」
「まぁ、それはいいかもしれないわね」
ミレイアが一理あると頷けば、ネルは笑みを深くして片付けた食器を乗せたトレーを持ち上げた。
「では、身支度をしていきましょうか」
「あら、当てがあるの?」
「だてに内弟子兼便利屋として王都を回っていませんよ」
にこりと口角をあげたネルを見て、頼もしいわねとミレイアは一日ぶりに部屋から外に出るのだった。
三話で終わります。短いですがおきつあいお願いします(*´ω`*)