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桜月夜-花弁の記憶-  作者: 琴水さやは
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17・其は、夢か現か幻か

(7.其は、夢か現か幻か)



この里に大公家の者が訪れる。


嘉紫(かし)の家に入り浸っていた俺の元にその情報が届いたのは、その期日が明日に迫ってからだった。


里の中心地に食料を調達しに行った嘉紫が、小耳に挟んだ噂だった。

里では今その話題で持ちきりで、皆その歓迎に向けて大童(おおわらわ)だという。


「大公家の誰が来るのだ?」


珍しくその噂に興味を示す俺を、嘉紫は不思議そうにしながらも答えてくれた。


「確か・・・三人だったかしら。大公の息子達。第一公子のアレイシス?とエルなんとかと・・・あと・・・姫が一人」


興味がないからよく憶えていないわと言って台所へと消えていく。


姫・・・

姫とはまさか・・・


俺の心臓が異様なほどに早鐘を打つ。

口元を押さえ、火照る頬が冷めるまで俺は縁側から外を向き続けた。


イルティーユが来る・・・

もう目にする事はないかと思っていた愛しい娘が向こうからこの里へとやってくる。


思えば随分長い間彼女の姿を見ていない。

彼女はまた美しく成長したのだろうか。


会いたい・・・

一目見るだけでも構わない・・・


だが、会ってしまえばまたこの思いは募るばかりに違いない。

見ない方がいいに決まっている。


どうすれば良い・・・

里へと行ってみたい・・・

だが、彼女を見るのが怖い・・・


その日は早めに布団の中へと入ったが、到底眠れるものではなかった。




陽が高くなるにつれ、俺はますますイルティーユの事ばかり考えていた。


そろそろ里に着いただろうか。

今頃は俺の屋敷で父に会っているのだろうか。

家を出ていなければ、俺もその場に同席できたのだろうか。

イルティーユは俺に・・・微笑みかけてくれただろうか・・・


いや、会わずに済んだのだ。

こうしてこの場所にいれば彼女に会うことも無い。

これ以上彼女を愛さずにすむのならば、それが一番良いことなのだ。

苛立つこの心を(しず)めるために、俺はいつもの桜の樹へと向かった。


辺りはいつの間にか春の装いに変わっていた。

知らぬ間に桜の花がほころび、見ごろを迎えていた。

イルティーユに初めてであったのも桜の咲き誇る春の日だったと懐かしく思いながら、辿り着いたその桜の樹の枝に・・・


俺は目を疑った。

幻を見ているのだろうか。


風になびく長い薄金の髪。

ふわりと揺れる桜色のスカート。

遠くを見つめる翠の瞳・・・


ずっと思い描いていた少女が・・・また少し成長した姿でそこにいた。


俺が教えた秘密の場所に一人腰掛けて・・・


驚きのあまり呆然と見上げていた俺に、彼女が気づいて俺を見た。


ふっと赤く染まった滑らかな頬。

小さな赤い口が開いて、その愛らしい声が漏れる。


「あ・・・」


挿絵(By みてみん)



俺はじっと彼女を見つめた。

彼女が微笑んで、俺の名を呼んでくれる事を願って。


思い出の場所で、一人で腰掛ける彼女の姿。

期待してしまったのも無理はないだろう?

まるで・・・まるで俺を待っていたかのようで・・・


イルティーユ・・・心の中で、何度その名を呼ぼうとも、俺の心は彼女に届きはしなかった。


「あ、あの、これは・・・その・・・」


突然慌てた様子でイルティーユが無闇に手を振って、何かを弁解しようとする。

その間もただじっとイルティーユを見つめていると、イルティーユはますます顔を真っ赤に染めていい訳の言葉を探した。


そのイルティーユの体が突然不自然に傾いだ。


危ない・・・!


そう思い、手を伸ばしかけたが、俺はあえて彼女を助けなかった。

そう高い枝ではない。

落ちたところで死にはしない・・・


派手な音を立てて地面に落ちた彼女は、しばし何が起こったのか分からない様子で茫然としていた。


「・・・・いったぁ・・・・」


顔をしかめた彼女の目尻に涙が滲む。

その様子をまた俺は無表情でただ見ていた。

俺の視線に気づいた彼女が、またも顔中を真っ赤に染めて恥ずかしそうに口をパクパクしている。


ただ、それだけだった。


それは見知らぬ他人に恥ずかしい所を見られたというだけの態度だった。


俺はふいっと踵を返した。

これで満足だろう・・・?

そう自分に言い聞かせながら。


「ちょっ、待ちなさいよ!!」


後ろからかけられた意外な制止の言葉。

微かな期待と共に振り返った俺に、彼女はヒステリックに怒鳴りつけた。


「普通そのまま行っちゃう!?手ぐらい貸しなさいよ!レディに対して失礼じゃない!」


分かっていた・・・初めから・・・

彼女が俺のことなど覚えているわけがないと・・・


約束を交わしたあの時に、既に俺はわかっていたではないか。


俺はもう十二になっていた。

俺は彼女を助けたゆえに色々な苦しみを味わった。


だが、彼女はまだ八歳だったではないか。

それも、彼女にとってはたった一日半だけの些細な出来事・・・

憶えてなどいるわけがない・・・

憶えているわけなど・・・・・・いないに決まっていたというのに・・・


唇を噛み締め、俺は(あざけ)るような笑みを浮かべ、彼女にこう言った。


「レディ・・・?山猿の間違いだろう・・・」


その時の彼女の愕然とした表情。


(きびす)を返し、その場を去った背後で、遠くから憤りのあまり叫ぶ彼女の声が微かに聞こえた。


嫌うがいい。

俺のことなど・・・嫌ってしまえばいい・・・


どうせ実ることのないこの想い。

嫌われることによって、忘れてしまいたい・・・


忘れてしまいたい・・・

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