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桜月夜-花弁の記憶-  作者: 琴水さやは
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女の家は里から随分と離れた場所にあった。

一軒の古びた小屋。

窓から覗く天然の泉が庭のかわりのようだった。


女は自分の名を嘉紫(かし)と名乗った。

嘉紫は俺に色々な事を尋ねて来たが、俺が何も答えずにいると、今度は自分のことを語りだした。


「私はね、実の親を幼い時にこの手で(あや)めたの」


その切り出しに少しだけ興味を抱いた俺が嘉紫の方へと目を向けると、嘉紫は哀しげに微笑んで続けた。


「私は望まれて生まれた子ではなかったのよ。母は幼い私につらくあたり、父は毎日のように私を犯したわ」


貧しい家に生まれた望まれぬ子。

何事も上手くいかない日ごろの鬱憤を母は娘を殴ることで晴らし、もともと異常なほどに幼女好きだった父はまだ性のなんたるかも知らぬ幼い娘を犯し続けた。

恐ろしい日々だったと嘉紫は呟く。


ある日嘉紫は森で拾った苦無で、眠る父と母の咽喉元を切り裂いた。

吹き出した鮮血を見つめながら、私は微笑んでいたらしいわと嘉紫は他人事のようにころころと笑った。


引き取られたのは叔父の家。

だが、叔父の家でもまた、今までとなんら変わらぬ日々が待ち受けていた。


逃げ出した少女を拾ったのは遊郭の女将。

そこでの何年間かは幸せだったという。

遊女達はまるで妹のように嘉紫に優しく接してくれた。


だが、ある時知ってしまった。

彼女達の仕事を。

夜中に目が覚め、手洗いから戻ってきた嘉紫は部屋を間違えて客室を開けてしまった。

姉と慕う優しい娘の上に、小太りの裸の男がのしかかっていた。


開かれた脚・・・

異様な水音と、泣いているかのような娘の声。


嘉紫の脳裏に過去の記憶がよみがえり、嘉紫はそれから一週間寝込んだという。

熱が下がり、回復した嘉紫は、すぐさま女将に申し出た。


「私をお使いください」


微笑んで言う少女に、女将は恐怖の表情を浮かべた。

嘉紫はすぐに里でも有名な人気の遊女になったという。

次々と訪れる男達。


彼らはさまざまな悩みや苦しみを抱え、遊郭へと訪れる。

男達の話を聞き、ひと時の(なぐさ)めを与えてやる。


数多の男が嘉紫に感謝し、嘉紫を愛した。

嘉紫はその仕事を次第に生きがいと感じるようになっていった。


だがつい先日のことだ。

それを嫉んだ他の遊女達が徒党を組んで嘉紫を(おとしい)れた。


嘉紫は死に至る伝染病を患っていると嘘の噂を流した。

その噂はすぐに広まり、誰も嘉紫に寄り付かなくなってしまった。


遊郭を追われた嘉紫は、今はもう誰に会うこともなくこの小屋でひっそりと暮らしている。


「人間なんてそんなものよ。私を愛していると連日のように囁いた男も、それから二度と私の前に姿を現さなくなったわ」


ふふふと笑う嘉紫に、俺は何も言わなかった。

哀れな女だ・・・

この女が俺に声をかけた理由が分かった。

嘉紫は俺に自分と同じものを感じ取ったのだ。


世の無常・・・絶望と孤独を。


「随分長い間話をしてしまったわね。いつの間にか外も真っ暗・・・・・・帰らなくても平気なのかしら?」

「俺をいくつだと思っている・・・・・・くだらぬ質問をするな」

「まぁ・・・」


くすくすと笑う嘉紫が俺の元へと歩み寄ってくる。

妖艶な微笑を浮かべ、開いた胸元の谷間を強調するように俺にしな垂れかかってくる。


「それなら、ここへ泊まってお行きなさいな。大人の時間を楽しみましょう・・・」


嘉紫の唇が俺の唇を捉え、その白い指先が俺の胸元をまさぐる。

絡まってくる舌の動きは、艶めかしく、俺はされるがままにそれを受け入れた。

零れ落ちる大きな胸に手を添えると、嘉紫が嬉しそうに俺の首筋に口付ける。

そのまま、俺は嘉紫をその場に組み敷いた。




朝日が昇ると、俺は脱ぎ捨てていた服を身につけ、自分の屋敷へと戻った。

そこに待ち構えていたのは怒りに震えた父上だった。


「矢禅、御主、小雪を私の許可もなくふったそうではないか」


俺は冷ややかに父を見て、そのまま自室へと向かおうとした。

その手を掴み、父が俺に怒鳴りつけてくる。


「勝手なことをするな!御主はただ素直に私に従っていればよい!

 必ず小雪を(めと)れ!分かったか!」


鬱陶しい・・・


俺はその手を払いのけ、一言も返すことなく自室へと戻った。

大き目の鞄の中に着替えを詰め込み、必要なものを()り分けていく。


大体のものをつめ終えた俺は、最後に机の引き出し引いた。

そこに入っている小箱を取り出し、その蓋を開ける。


中に入っているのは金のペンダント。

イリーから受け取った、薔薇の紋章・・・


それをそっと(ふところ)にしまい、俺はその屋敷を出た。

置手紙一つ残さず出てきたので、小夜はきっと心配するだろう。

朝出てきたばかりの小屋の玄関をもう一度潜ると、嘉紫は縁側でぼんやりと外を見ていた。


「あら矢禅・・・?どうかなさって?忘れ物でもあったのかしら?」

「しばらくここに置いて欲しい」


そう言うと、嘉紫は驚いた表情で目をむいていた。

だが、ふっと微笑んで頷いた。


「好きなだけ泊まっておいで」


俺は嘉紫の家の居候となった。




家を出た理由は色々あるが、一番は父の傍にいるのが鬱陶しいからだ。

何かと俺に命令してくるあの父。

それでも忍として言ってくる内容ならばまだ良い。


だが、小雪の事まで言い成りになるわけにはいかぬ。

仮に父の言うとおりに小雪を娶ったとしても、俺の気持ちがこのままである限り小雪が苦しむのは目に見えている。

そんな安易に伴侶を決めてしまうことなど出来ないのだ。




嘉紫の家に入り浸るようになった俺の噂は、またもこの里に広まっていく。

噂では小雪をふった理由は、俺がこの嘉紫にのめり込んだからという事になっているらしい。


遊び女などに(うつつ)を抜かす愚かな男・・・

病のため価値のなくなった無様な遊び女・・・


似合いだとあざ笑う里の者共。


家を出てから、何故だかくだらない仕事ばかりが俺の元へと来るようになった。

きっと父が細工を(ほどこ)したのだろう。

何事もこうして父の権力に左右される。


もううんざりだった。


仕事をしなくなった俺を人はますます悪く言った。

嘉紫の家の縁側で無意味な時を過ごす。

何気なく吹き続けていた横笛の腕だけが意味もなく上達した。

嘉紫は何も言わなかった。

ここに来て半年が過ぎても、嘉紫は家に戻れとも仕事をしろとも言わなかった。


ただ、夜になると俺を求めてくる。

乞われるがままにその身体を抱く。

教え込まれた性戯の数は数知れず。

最初は翻弄されていたはずが、気が付けばここ最近、嘉紫はただ喘ぐばかりになっていた。


そんな怠惰(たいだ)な日々が当たり前になりかけていた頃・・・

とある噂がこの里へと舞い込んできた。

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