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桜月夜-花弁の記憶-  作者: 琴水さやは
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任務は何の弊害もなく終わった。

最初は俺と組むことを嫌がっていた二人も、終わった頃にはさほど鬱陶しそうにはしていなかった。

屋敷に戻ると、小夜が真っ先に俺の元へと駆け寄ってきた。


「兄上、お帰りなさい!」


部屋に荷物を下ろし、父に無事任務を遂行できたことを伝えると、父は満足げに頷いた。

初仕事を終えてから、仕事が少しずつ俺に与えられるようになった。

何度も外界を訪れるうち、外界の現状が少しずつ分かってくる。

エスベリーエン公国という国の実情が。


公国を統べるは大公家。

その城があるのは公都エルヴェス。

人々は国に税を納めているが、どうやらその税が高く、その割には国民への見返りが少ないため、民は大公に不満があるようだ。

公国は元々隣国であるゼクス帝国領で、独立したは良いが、軍事力が低く、金を払うことで平定を保っている。

すなわち、国民の税は他国へと流れていってしまっているわけである。

エスベリーエン公国を取り巻くのは三ヵ国。


一つ目は言わずと知れたゼクス帝国。

公国の西側に位置する。

帝国は領土・経済力・軍事力・・・全てにおいてこの大陸で随一の大国である。

帝国を統べる、現皇帝ガスティルは傲慢で自己中心的だが、皇帝としては威厳があり、国民からこれといって目立った不満はないようだ。


二つ目は北に位置する神聖カイズアース法皇国。

軍事力には欠けるが、帝国や公国に広まっている宗教の中心地であるため、聖地への殉教者が多く、財力は安定しているようだ。

カイズアースは教皇が統べている。


最後の一つが南のイエリア。

イエリアの領土は他の三国に比べ、比較にならぬほど小さいが、海に面しているため商業が発達し、帝国を除けば最も経済力がある。

最近は金に物を言わせ、軍備も整えていると噂の、危険な国だ。




月華から出て、外を見てみれば、世界とはなんと広いのだろうかと衝撃を受ける。

自分という存在の小ささを思い知り、俺などがイリーというたった一人の少女の存在を見つけ出すことが出来るのだろうかと不安にならずにはいられない。


幾度も外界を訪れ、幾度も今度こそはイリーを探してみようと誓った。

だが、いざ誰かに聞いてみようと思っても、口は頑なにイリーの名を紡ごうとはしなかった。


俺は恐れていた。

もしも・・・もしもこの世界で奇跡的にイリーを見つけ出せたとしても、既に死んでいると告げられたら・・・


この背中に受けた傷。

恐ろしい罠の数々。


幼いあの少女が全てをくぐり抜け、外へと辿り着けるなど・・・1%の確率にも満たないのではないか。

もしイリーが死んでいたとすれば、あの時イリーを庇った俺は愚か者でしかない。

この傷のために受けた苦しみの数々。

それが全て無駄だったという現実を知るのが、怖かった。


探したい・・・結果を知るのが恐ろしい・・・


そんなジレンマに挟まれ、俺はいつも苦しんでいる。

またもうすぐ新しい任務が入ってくるだろう。

きっと俺はまた、彼女を探す事が出来ない・・・



だが、そんな俺の考えとは関係なく、俺は時期に彼女の生死を知ることとなった。


それは十八の時。

俺は中忍になっていた。


与えられた任務は貴族の護衛。

シェルン伯爵を公都の城でパーティが開かれている間、護衛するという任務だった。

護衛は伯爵家から始まり、公都の城、そしてまた伯爵家へと戻るまでだ。


それは片道一日、パーティが一日の計三日間。

行きは何の問題も起こらなかった。


馬車が公都の中へと入る。

俺も公都へ来たのは初めてで、その城下町の大きさに驚いた。


もう日が沈んで久しいというのに、街の明かりは未だ煌々(こうこう)(とも)り、通りを歩く人の数も少なくはない。

石畳で舗装された広い広い大通りを進むと、やがて城が現れる。

背面は断崖、その下の湖に浮かんでいるような美しい城だった。


巨大な門を潜り抜けると、湖を渡る長い橋があり、そこを抜けると、美しく整備された広大な庭が広がっていた。

その広い庭を進み続けるとやっと城の入り口が見えてくる。

大公家の城は背面の断崖から落ちてくる水を城を流れて落ちるよう、見事に設計された幻想的な城だった。

馬車を下り、中に入ると、そこは天井の高い美しい玄関が広がっていた。


「・・・」


声も出ない美しさだった。


通された部屋でほっと息をつく。俺へとあてがわれた部屋は伯爵に比べれば狭い部屋だったが、十分広く、調度品もそろっている。

部屋においてある品々がいちいち高価そうだったので、思わず一つぐらい盗んでやろうかと考えずにはいられない。

休みたい衝動に駆られたが、ぐっと耐えて俺はすぐに伯爵の様子を見に行った。




陽が昇ると、軽い食事会が始まった。

パーティーの本番は夜。

それまでの間に、集まった貴族達が食事会をして他愛無い世間話をするのだ。


じっとその様子を息を潜めて陰から見てはいるが、正直、その話の内容のくだらなさに閉口する。

この宝石はいくらだの、うちの子がどうしただの、よくもまあそのような話で笑みを顔に貼り付けていられるものだ。


げっそりとしながら迎えた夕方。

やっと始まった本番に、俺は無理やり気を引き締め、人々にまぎれて辺りの様子を探った。


大公らしき人物の挨拶が終わり、舞踏会が幕を開ける。

思い思いにワインや料理を手に取り、楽しそうに笑いあう貴族達。

流れ出した音楽に合わせて、何組もの男女が踊りだした。


舞踏会も半分がすぎ、これは何も起こらずに終わるのだろうかを考えたその時、壁際(かべぎわ)でつまらなさそうに会場を見ている一人の少女が目に入った。

後ろに赤いリボンをつけた薄金の長い髪・・・

抜けるような白い肌・・・

少しつった気の強そうな(みどり)の瞳と、赤く瑞々しい唇。

高価そうな桜色の美しいドレスが良く似合う、誰もが息を呑むほどの美少女だった。

まだ膨らみかけたばかりの小さな胸元。

くびれだした細い腰。

細くて長いすらっとした足。


見たところ、十四歳くらいだろう。

まだまだあどけなさがぬけていない。


似ている・・・

イリーにあまりにもよく似た少女だった。

イリーの成長した姿がそこにあるかのようだった。


その少女のもとに十七歳位の青年が話しかけ、手を差し伸べる。

少女は不愉快そうに首を横にふり、彼をあしらった。

するとまたそこに別の男が現れる。

ますます眉間にしわを寄せ、少女はそっぽを向いて何かを呟く。

男は残念そうに肩を落とし去っていった。

少女の名を知りたくて、少しだけ近寄ろうとすると、少女はふいと歩き出し、扉を警護している衛兵に一言告げてこの広間を出て行ってしまった。


その時の声が、少しだけ俺の耳にも届いた。


「もう疲れたから部屋に戻るわ」


それだけだったが・・・とてもよく通る高くて可愛らしい声だった。


その直後、伯爵を狙っていたのかどうかは分からないが、怪しい間者を見つけたので、縛り上げておいた。

捕まえた間者を舞踏会が終わった後で伯爵の前に突き出すと、伯爵はひどく喜んで俺を褒め称えてくれた。


その仕事を無事に終え、月華に戻った俺は自分の布団の中であの時に見つけた少女の姿を思い描いた。


イリー・・・

あの娘はきっとイリーに違いない・・・


何故だか強い確信が俺の中にあった。

あの少女を見た時の衝撃が、イリーを初めて見た時の衝撃と同じだったからだ。


胸が熱い・・・

心臓がわけもなく早鐘を打つ。


その夜はなかなか寝付くことが出来なかった。




次に外界を訪れた時、請け負った任務はまたとある人物の護衛だった。

それは十二、三歳の気品溢れる美しい少年を公都まで送り届けることだった。

少年は俺を見ると、聡明そうな瞳を笑みの形にかたどって手を差し出した。


「よろしくお願いします。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


食えない少年だと感じた。

これは相当頭がきれるに違いない。


「申し訳ないが、名を教えてもくれぬ相手においそれと名乗ることなど出来ぬ」


少年はこれはこれはと微笑んで言った。


「そうですね。失礼しました。では、僕が無事に公都へ辿り着けたなら、その時に僕の名を教えましょう。

 その時なら貴方も名乗ってくださいますか?」


頷くと、交渉成立ですねと俺の手をとって無理に握手を求めてくる。




この任務の報奨は異様なほどに高額だった。

その割には少年を送り届ける距離は大して遠くもない。

その上、途中襲い掛かってきた者たちを、俺が手を下さずとも彼は魔法で鮮やかに追い払ってしまった。

護衛など必要ないのではないかと思うほど、その魔法は見事なものだった。

公都に辿り着いた時、少年の名を聞くことによって、その報奨金の金額の謎はすぐに解けた。


「僕の名前はエルノイン・フィア・リールイ・エスベリーエン。公国の第三公子です」


にっこりと微笑んだ少年がそう名乗った。

約束だったので俺も名を名乗ると、


「神薙・・・里長の家系ですか?」


よくそのような事まで知っているものだ。

頷くとエルノインは貴方の名前、覚えておきましょうと微笑んだ。

その胸元のブローチが、ふと目に入った俺は、その形に目を見張った。

薔薇をかたどった高価そうなその紋章・・・


「エルノイン殿・・・その紋章は・・・?」


ブローチを指差しながら問うと、エルノインは不思議そうにしながらも教えてくれた。


「ああ、これ・・・ご存知ありませんか?これは大公家の紋章・・・薔薇の紋章です」


その言葉に俺は息を止めた。

大公家・・・大公家の紋章だと・・・?


そのブローチを食い入るように見つめる。

何度見ても同じだ。

あの時イリーが俺に預けたペンダントの薔薇と・・・


「少しお尋ねしたいことがあるのだが・・・」

「なんです?」


俺は震える唇で、その名を口にした。


「イルティーユという名をご存知か?」


すると、エルノインは答えた。


「イルティーユですか?イルティーユは僕の姉です。

 イルティーユ・フィア・ルーティス・エスベリーエン。

 この国の第一公女ですよ」


不思議そうにしながらも、エルノインはそう教えてくれた。


「お元気で・・・いらっしゃるか?」


エルノインはとたんに破顔(はがん)してこう言った。


「そりゃあもう、周りが迷惑なほどに元気ですよ」


深く(こうべ)を下げて礼を述べ、エルノインが城の中へと入っていくのを見届けると、俺は走ってその場を離れた。

彼女の無事が嬉しくて嬉しくてたまらないというのに、心になぜかわだかまるものがあった。

イルティーユ・フィア・ルーティス・エスベリーエン・・・


そうだ・・・他の貴族の名は三節なのに対し、大公家だけは四節ある。

今まで何故その事に気づかなかったのだろう。


イリーは名前の全てを名乗らず、途中で切っていたのだ。

最後まで名乗ってしまっては、あの時点で俺に自分の身分がばれるから。


イリーは生きていた・・・

あの時見た少女はやはりイリーだったのだ。


生きている事が分かった。

身元も分かった。


なのに、俺の心は苦しかった。


あまりにも遠すぎる・・・

あまりにも身分が高すぎる。


この広い国を統べる大公家の第一公女。

そのままの足で少し大公家について調べてみると、大公家には公女は一人しかいなかった。

イリーしかいなかったのだ。

そんな大切な大公の愛娘・・・


彼女と俺とでは・・・到底、つりあわない・・・


熱い・・・


成長した彼女を思い出すとこんなにも胸の奥が熱くなるというのに・・・

そんな自分に驚き、戸惑った。


俺は・・・俺は一目見ただけで・・・

いつの間にかあの美しい少女に恋をしていたのだと知った。

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