辺境伯家の災難
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あの人。で思い浮かべたのは、清潔に短く切りそろえられた黒髪にエメラルドの瞳を持つ男の人。
『ライラック』シリーズは、恋愛対象だけでなく、二人の仲を取り持つサポートキャラや二人の仲を邪魔する令嬢キャラなど複数のキャラクターが出てくる。それらのキャラクターにもストーリー上の詳細な設定やスチルがあり、フルボイス対応であるが故、端役のモブでも声が当てられていた。その中で本当にサポート役でも悪役でもないキャラクターが一人いた。
私は、彼───名もなき門番が大好きだった。
そう、名もないモブだ。
彼は、門番。出てくるのは、学園入学時のオープニングストーリー、一年毎にあるパーティーの入場ストーリー、恋愛対象たちと出かける際に発生する寮出入口でのストーリー。それだけだ。
たったこれだけ。それでも、彼にはきちんと顔が描かれ、私への問いかけにも返答してくれる。
その顔が、声が、私どストライクだったのだ。
確かに恋愛対象たちは顔がいい。
神絵師の描く美男子たちが格好良くない訳がない。レジェンド声優さんたちの声がイケボでない訳がない。
それでもだ!それを差し置く程門番の彼が最高に私好みだった。
門番として厳格にしている様子は格好よく、ドレスアップした主人公の綺麗さを褒めてくれる素直さや、顔を赤らめて照れる奥手さ、出かける主人公を優しい瞳で見送るその暖かさが大好きだった。
彼を見るために、彼とのひと時を楽しむために私が全キャラ何周した事か…
例え名もないモブだったとしても彼の顔も声も、その目にその耳に焼き付けてきた。
今だって目を閉じれば、彼の精悍な顔や優しげな瞳、柔らかな声、全て思い出せる。
『ライラック』の詳細を思い出した事でこの世界共通する事がわかった。
先日あったクラディスはもちろん、教えてもらったこの国の名前は一緒だし、王都にある学園の名前も一緒な事を確認した。
つまり、私が転生したこの世界は『ライラック』の世界という事になる。神様の悪戯にも程があるとは思うが、だからといってどうにもできないのだから私なりにこの世界での人生を満喫するしかないと思っている。
むしろ、大好きな『ライラック』の世界に生まれて、あの人と同じ世界に生きてると考えたら、神に感謝しなくてはと思った程だ。
前世では恋愛などとうに諦めていたし、生まれ変わっても恋愛できるか不安だった。しかし、前世で好きになったキャラクターの中でもあの人は特に好きなキャラクターだった。彼ならちゃんと好きになる事ができる気がした。
彼に会いたい。
そんな気持ちばかり大きくなっていった。
しかし、名もないモブ門番だった彼を探す手がかりが少なすぎた。
恋愛対象であるクラディスの年齢からいってゲーム時期は、十二年後。その頃門番になっているであろうあの人が一体いくつでどこの誰だかわからないのだ。スチルの見た目を考えれば、二十代だろうと思っている。つまり今十代なのではと思うが、いかんせん私が四歳と幼すぎて家以外に出る事がままならない。もやもやしながら、とにかく自分が外へ出れるように早く成長する他ないと、日々を過ごしていった。
一方、私の転機ともなったエドバルドと我が姉ラタエナは、月に一度行なっているお茶会で着実に仲を深めている様だった。
姉は、婚約をそういうものだと理解しているし、婚約者として良い男へなろうと成長するエドバルドへ友愛は持ったのではないかと思う。エドバルドとしては残念だが、そこに特別な気持ちは生まれてはいないと思う。
代わりにお茶会の日は決まって我が家に来るものだから、エドバルドと兄の方が仲良くなっていた。二人とも騎士を目指すだけあって話があったのかもしれない。
一年の月日が流れると、記憶通りにポラーノ辺境伯家でクラディスの魔力の高さが問題になった事がエドバルドを通じて知る事ができた。
『ライラック』の舞台であるシュテルン王国では、五歳の誕生日を迎える子どもは皆教会で魔力が使えるようにするための儀式を受ける事になっている。この儀式で魔力が高い事がわかった者は、悪用されたり、その身を傷つけないように国が保護したり、魔力をちゃんと扱える様にサポートしたりする。
クラディスは、その儀式で魔力が高い事が知れ、王都の教会に身を置くのが良いのではないかと話が持ち上がったらしい。
しかし、それを聞いたクラディスが家族のもとを離れるのを嫌がり、昂った感情のまま魔力を暴発させてしまった。その際、クラディスを止めようとした母親である夫人を傷つけてしまった。大事には至らなかったが、自分のせいで母親を傷つけてしまった事に幼いクラディスは傷つき塞ぎ込んでしまったと言う。
どうしたらいいのか不安になってしまったエドバルドは姉や兄に相談し、その話をたまたま一緒にいる私も聞いたという訳だ。
「父さんや母さんはクラディスを手離す気はないらしいんだが、母さんの怪我を理由に教会がクラディスを預けろと煩いらしい。それがクラディスの為だと…」
落ち込んだ様子のエドバルドは、クラディスのことが心配なのだろう。ここまでの流れは私の知っているクラディスルートと似ている。このままでいけば、教会がポラーノ辺境伯を説き伏せてクラディスを連れ去ってしまうのも時間の問題な気がする。
しかし、それがそもそもクラディスを孤独に苛ませる事になる。
家族から離され、教会の施設に預けられたクラディスは衣食住は保証されるものの、その魔力が国の為に使える様にする為徹底的に厳しく教育される。それは幼いクラディスに愛を飢えさせる事となる。
なんたって家族と会えるのはそれっきりとなるのだから。
無理矢理教会へ預けられ二度と会うことのなかったグラディスは、教会の人間から家族に疎まれ捨てられたと言われて育つ。幼いクラディスが厳しい環境の中で一人で育つにはその言葉はクラディスを孤独の闇へと突き落とすのだ。
そして、クラディスのルート中、彼が家族と再会できたという話はなかった。主人公と結ばれて幸せを感じてクラディスが自分は孤独じゃないと言ってハッピーエンドだった。
確かに主人公とクラディスが結ばれればクラディスは救われる。
でも、残されたポラーノ辺境伯家の三人はどうなる?
家族を奪われ会えないまま、クラディスには捨てたと誤認されたまま、奪った国や教会を守れと?
今のエドバルドや夫人を見れば、クラディスを愛してるのは間違いない。
それなのに、教会が家族からクラディスを奪って、クラディスから家族を奪って、そこに本当にハッピーエンドがあるのかと。
「エドバルドさまはそれでいいの?」
「え?」
言葉に困っていた兄や姉の代わりに私がエドバルドに問いかけた。五歳の、普段あまり関わりのない幼い私からの言葉にエドバルドは目を丸くして戸惑った。
「エドバルドさまは、クラディスさまと一緒じゃなくなってもいいの?」
「そ、れは…」
シュテルン王国は、聖女信仰がある。
それを支えている教会がいう事に不満があれど、逆らってはいけないという気持ちが根本にあるのだろう。宗教の絡んだ国というのは厄介だなと私は思う。これは宗教国家ではない世界で長い間生きていた『私』だから思うのかもしれない。
弟と離れたくない。
でも、教会がいう事に逆らっていいのか自信がない。
言い淀むエドバルドにそういう気持ちを感じていた。
「リリー貴女にはわからない大人の都合というのがあるのよ…」
「教会がクラディスのためを思ってくれてるんだよ?」
兄と姉の言葉にやはり二人もそれがクラディスのためなのだとなんとく思っているのだ。でも、それではダメだと思う。
「わたしがクラディスなら悲しいよ?お兄さまやお姉さまたちと離れるなんていや。さみしくて、きっとずっと泣いてるもの」
姉と兄の手をギュッと握ってうついて見せれば、二人が息を飲むのがわかった。二人は歳の離れた私をとても可愛がっている。それをわかって甘えてみせれば、私の言葉がちゃんと届くだろうというのはこれまでの経験上わかっていた。家族をたらし込む技術ばかり上がっていくのがなんとも悲しいが。
「きっとね、クラディスさまも一緒だと思うの。家族とはなれるのはとてもさみしいもの」
そろりと顔を上げてエドバルドを見上げると、私の気持ちは伝わったらしく、先ほどの様に迷う目はしていなかった。九歳の言葉がどれほど両親を説得できるのか、大司教の言葉に逆らえさせるのか不安ではあったが、私にはそこまで口を出すことはできない。本当にクラディスを思っているなら、エドバルドの様に考えを改めてくれるだろう。
決意した顔で帰るエドバルドを見送った後、さきほどの甘えた私の言葉に感銘を受けた兄や姉からの甘やかしに胸焼けを起こしそうになった。その上二人から話を聞いた父や母を感激し、私を構うものだから我が家は何があっても離れる事はなさそうだなと一人思った。
その後エドバルドからの手紙で両親の説得が成功し、ポラーノ辺境伯が王に内々に話をして、クラディスを教会へ預ける話は断れたそうだ。もちろん代わりに魔力をちゃんと制御するための教師役が派遣され、勉強する事にはなったそうだ。
だが、家族から離れずにすみ、きちんと怪我を負わせてしまった母親とも話せた事でクラディスにも笑顔が戻ったらしい。
よかったよかったと思っていた数ヶ月後、エドバルドと姉のお茶会にクラディスもくっついてきたのに驚くこととなる。
「リリシュナ嬢のおかげでクラディスと離れずにすんだ。ありがとうな」
「えっと、兄上からきいた。ほんとうにありがとう」
五人で囲んだお茶会のはじめ、エドバルドとクラディスは兄の膝の上にいる私に頭を下げた。
何故この状態かというと、今日は兄の妹を甘やかしたい日らしい。時たま勃発する兄の我儘だ。
これを断ると世界の終わりのように落ち込むのがわかっているので、私は早々に羞恥心と言うものを捨てた。それを知っているエドバルドと姉は何とも思わないのだが、初めて見るクラディスは戸惑いが隠せないらしい。
私と兄の顔を交互に見ていた。
文句は兄にぜひ。
そもそも本来婚約者同士二人のお茶会なのだが、毎回私と兄までお茶会に参加している事自体おかしいんだけどね。
エドバルドは、姉と二人っきりだと何も話せなくなるらしいので、誰か一緒にいる方がいいらしい。姉も姉で可愛い妹が一緒にいる方が楽しいらしい。
エドバルドが本当の意味で婚約者になれる日は来るのだろうか?
「それと、できたら今度からは僕とも仲良くしてくれたらうれしい…です」
「クラディスから俺がお前たち兄妹と仲良くするのが羨ましかったと聞いたんだ」
「ラタエナさまは兄上を僕の好きな兄上にしてくれた人だけど、兄上を取られたみたいで、僕なかま外れにされたみたいに感じていたんだ」
五歳のクラディスにとって唯一の兄弟がエドバルドだ。
人見知りで内気なクラディスに気の良い友人が現時点でいるとは思えない。そうなると優しくなったエドバルドに懐くのは当然だし、そのエドバルドが他の人とばかり仲良くしていたら寂しく思うのは自然な事だろう。
そんな時に教会の出来事があり、自分一人切り離されそうになったら、感情が暴走するのは仕方ない。不憫だねとおばちゃん心に内心ホロリとしてしまう。一番年下なのは私なんだが。
「もちろんいいよ」
「ええ、こちらこそ仲良くしてね」
「俺もいいぜ。遊ぶなら一緒が良いもんな」
私たち三人の返答にクラディスの笑顔が返ってくる。大好きな家族と離れ離れにならず、家族との関係が良くなったクラディスが孤独に苛まれる事はないだろう。
なんだかゲームのストーリーを変えてしまったかもしれないが、傷つく人が少ないのはいい事と思う事にした。
こうして、ポラーノ辺境伯家に留まるクラディスは、私の幼馴染みにあたる友人になった。
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