兄の帰省
大変お待たせしました。
半年もの間待ってくださっていた方々ありがとうございます。また、感想をいただけてとても嬉しかったです。
そして、ようやく門番さん出せます!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日は、王都の騎士学校に通う兄が返ってくる日。
半年ぶりの帰還に屋敷では何日も前から準備に忙しかった。主に母と執事やメイドたちが。
昨日、あとは本人が返ってくるのを待つだけと執事とメイド長が話しているのを聞いていたのに、なぜか何人もの使用人たちが朝食の時間から慌ただしく廊下を行き来していた。不思議に思って近くを通ったメイドに話を聞くと、朝方届いた速達で急遽兄の友人も一緒にやってくることになったのだと。
急なお客様の来訪情報にその準備を大慌てで行っているのだと教えてくれた。
「お兄様がご友人を我が家に招くなんて初めてよね?」
「お母様、そのご友人についてお兄様はどんな方だとおっしゃられているのですか?」
「ほら、ローランドがいつもお話してる寮の同室の方よ。スターランド男爵の弟さんのジャック卿よ」
「お兄様がとても真面目な方とおっしゃっていた方ですね」
朝食後のティータイムで手紙を確認した母に急なお客様について話を振るとそんな答えが返ってきた。
既に騎士学校三年目を迎えた兄は長期休暇の度に帰省するし、普段も月に一度は近状報告の手紙を送ってくる。その際によく友人として名が上がっているのが『ジャック・スターランド』という同じ騎士学校に通う、兄と同室の人。
兄曰くとても真面目で、心根の優しい人らしく、まさに騎士らしい人柄の人物だと評していた記憶がある。
「なんでこんな急にご友人を連れてこられるように決めたの?」
「ああ、それはね、ジャック卿がご実家に帰られない事を帰省直前に知ったみたいで、それなら将来の就職先候補の見学を兼ねて我が家に来てはどうかと誘ったそうよ」
「ま!お兄様が我儘を言ったのね」
「ふふふスターランド様には申し訳ないですけど、お兄様にもそんな気の許せる方ができて良かったですね」
「そうねぇ。でも、それが女性だったら、何も言うことはないのだけどねぇ。あの子の好みがいまいちわからないのよねぇ」
悩まし気にため息をついた母の悩みに兄は気が付いているのだろうか。まぁ、わかっていて先延ばしにしているんだろうなと、なんとなくそんな事を思いながら今日の紅茶を一口飲んだ。
食後に我が家で飲む紅茶は、レモングラスのハーブティー。消化を助けてくれるレモングラスティーは、すっきりとした風味と味わいが特徴的で食後にぴったりだと思う。
でも、今の母にはカモミールティーやラベンダーティーなどのリラックス効果のある紅茶の方がいい気がする。カモミールティーなら消化促進効果もあったから、昼食後はカモミールティーにしてみないか聞いてみようかな。カモミールティーも美味しいし。
**********
なんてのんびり思っていた午前中の私よ。リラックス効果が必要だったのは、母ではなく私だったぞ。
バクバクとうるさく鼓動する己の心臓の音を感じながら、めの前にいる人を目に焼き付けていた。
「急な来訪となり、誠に申し訳ございません。ジャック・スターランドと申します。しばらくの間滞在させていただきます」
目の前で屋敷の女主人である母や丁寧に腰を折って、頭を下げる背の高い少年。いや既に騎士としてしっかりとした体つきに少年と呼ぶには少し幼さが見えない。加えて白いシャツにベージュのパンツ(この世界ではトラウザーズという名前で呼ばれている)にこげ茶色のブーツといったとてもシンプルな装いが、引き締まったスタイルと相まってより大人っぽい。
耳より下を刈り上げた短髪はすっきりとしていて清潔感があり、何よりも特徴的なエメラルドのような深い緑色の瞳が優しい。
ああ、嘘でしょ。信じられる?目の前に、ずっと夢見てた、大好きな門番さんがいる…!!
知っている姿より六歳若いはずなのにもうほとんどスチル通りの外見だ…!しいて言うなら、今の方が髪が少し短い、というくらいかな?でも、むしろ今の刈り上げの短い髪形の方がイイ!!断然こっちの方が格好いい!!推しの顔をより見せてくれてる!!!
「こちらこそローランドが無理を言ったのではないかしら?せっかくの休暇ですもの、我が家と思って寛いで頂戴ね。ローランドの母でルティナです」
「いいえ、ローランドの言葉に甘えたのは僕です。実は、実家の兄が新婚で気を使ったものの休暇の過ごし方に悩んでおりましたので……」
え!?待って、嘘。格好いいって思ったけど、それ以上にはにかんだ笑顔が可愛い…!大人っぽく見える外見とは裏腹に年相応に見えてめちゃくちゃ可愛い…!しかも、右手で耳の後ろをかく仕草、癖なの?さらに門番さんの照れからのぎこちなさを増長させて可愛い…!
外見は、めちゃくちゃ男前な精悍な顔立ちで格好いいのに、可愛いなんて反則すぎる。待ってこんな最高のスチル保存できないの?嘘でしょ?せめて写真を!誰かカメラを頂戴!!
「母上、俺は1か月以上もある休暇を王都の寮で自主鍛錬して過ごすつもりだった可哀想な友人に手を差し伸べただけですよ」
「お兄様が家に呼ぶご友人なんてスターランド様が初めてなんです。どうぞごゆっくりして行かれてくださいまし。妹のラタエナと申します」
「……え!あ、あの、同じく妹の、リリシュナと申します」
私は、きゅと目の前の兄のパンツを握りしめて挨拶を返した。兄の後ろから顔だけ出して。
どうしても無理だった。推しを目の前にして前世三十年間喪女で生き、死んだ女に堂々と挨拶なんてできなかった。誰だ結婚したいなんて夢言ってたの。門番さん目の前に挨拶すらできない子供誰が好ましい女に見るんだよ。
いや、でも、だってこんな簡単に門番さんと会えると思ってなかったし、あああ私の意気地なし…。
「まあ、リリシュナ?いつもの素敵なご挨拶はどうしたの?」
「ふふふ、きっとスターランド様が素敵な殿方だから照れているのですわ」
「は!?」
「お!お姉様!そんな直接言わなくても!あ!いえ、あの…それはそうなんですけど…」
あああああなんでこんな時に墓穴を掘るような言葉しか言えないのっ!
いつもの私は、人見知りしない、というか物おじしない子どもだと思う。それこそ我が家にたまに訪れるお客様にも堂々と完璧と合格をもらっている令嬢の挨拶を披露して挨拶をしているくらいだ。
でも、普段我が家にやってこられるお客様なんて両親のご友人の子爵、男爵だったり、平民の商人だったりで、身構えるようなすごく高い身分の方とかに会うことなんてないかったし、高くてポラーノ辺境伯一家なのよ?もはや数年の付き合いがあって、将来は親戚予定の人たちに今更緊張することも少ないのよ。
その中で私が最も好きで、会いたくてたまらなかった門番さん前にしてまともな反応なんてできる訳ないでしょ!
「リリシュナ嬢には嫌われたかな?」
ああああ違うの!違います!その逆なんです!!悲しそうな顔をさせたかったわけじゃない。でも、私の珍しく発動したコミュ障というか人見知りというか、羞恥心というか、とくかく門番さんの嫌ったりなんてありえないという事をどうにか伝えなくてはと思った。
「ジャ、ジャック様とお呼びしてもいいですか?」
「え?ああ、僕は大丈夫だけど…」
「私の事はリリーって呼んでください」
私は、貴方の事嫌っているわけではない、ただ推しを前にどうしたらいいのかわからなくて逃げてしまっただけなのだと、そんな言い訳を頭の中でぐるぐると回しながら、そっと顔を覗かせた。
「すみません…その、お姉様の言う通りなだけなのです…ジャ、ジャック様が素敵すぎてただ恥ずかしいだけなので、あの…慣れるまで寛大に見ていただけると嬉しいです…」
ううう顔から火が出そうなほどに恥ずかしい思いをするなんて思わなかった…!推しを前にしたら、こんなにダメダメに自分がなるなんて!恥ずかしすぎて涙出てきそう…いや、初対面で泣いたりしたらとんだ地雷女じゃない!?
もはや自分の醜態が酷すぎる気持ちになってしまった私は、兄に隠れるように顔をひっこめた。
「よし!ジャック!お前いますぐ帰れ!」
「え?」「な!?」「お兄様!?」「ローランド!?」
「何を言っているの!?」
「リリーに近づく男は友人だろうが何だろうが、俺の目が黒い内は何人たりとも近づけさせるか!」
がばっと兄が振り向いたかと思えば、目の前が真っ暗になった。きつく体全体にかかる負荷で兄に覆われるように抱き込まれたのだとわかる。圧迫はされていないため苦しくはないが、先ほどの兄の発言はいただけない。
ブラコンだとは思っていたが、そんな風に言われたら、私は一生結婚できないではないか!いや、ジャック様としか結婚するつもりないけど!
「ローランド、貴方がリリシュナを大切に思っているのは十分にわかってるわ。私も同じだもの。リリシュナにも素敵な人と出会って一生を添い遂げたいと思う方と幸せになって欲しいと思っているわ。それを貴方の身勝手な気持ちでリリシュナの幸せを制限するの?」
まさにその一生を添い遂げたいほど好きな方がジャック様よ!お母様!説得頑張って!
「母上、もちろん俺だってリリーの幸せを何より祈ってる。リリーは俺の大切な可愛い妹だ。だからこそ生半可な男には任せられない。俺も認める最高の男でなくては」
「だから、それを貴方が決めるの?違うでしょう?選ぶのも決めるのもリリシュナよ」
母の言葉に兄が動揺したのが分かった。表情は見えずとも、息を詰まらせ私を抱きしめる体が一瞬硬直したからだ。
そういえば、いつも隙のない、なんでもそつなくこなす兄が窘められて動揺するところなど初めてみるかもしれない。兄が選択を間違えることもあるのだと思った。
「そもそもリリシュナがいつもと違うからってそう暴走しないで頂戴。…いきないこんな醜態に巻き込んでしまってごめんなさいね」
「いえ、こんな可愛らしいリリシュナ嬢ですから、ローランドの兄心も納得しています。初めて会う僕にリリシュナ嬢も緊張してしまって恥ずかしくなってしまったのかもしれませんね。僕のような武骨者ではレディの憧れにもなれませんから」
「違います!!そんな、ジャック様は素敵な方です!」
私は、咄嗟に拘束の緩んでいた兄の腕から動いていた。掴んだ手はとても大きかった。
「確かにジャック様が格好良くて、びっくりして恥ずかしくて、私とても失礼な態度をとってしまいました…でも確かにジャック様は私の憧れの方となりました!ひ、一目惚れです!それくらいジャック様は十分格好良いです!とっても素敵な方です!」
咄嗟の勢いに任せて彼の手にしがみついてどうにか言葉を発しながら、自分のしている事に恥ずかしさが込み上げていた。再び火が出そうなほどの羞恥心を抱えながら、真っ赤になってあるであろう顔を隠すように俯いた。
ジャック様は、ずっと焦がれてきた推しだ。本人ですら知らない未来のジャック様への気持ちだけど、やっぱり一目見て好きだと思うくらいジャック様の容姿は好みだし、人への気遣いは心優しいからだとわかる。
だって、私の態度に怒るわけでもなく、嫌われてしまったかと困ったように笑ったのだ、ジャック様は。その表情に嘘偽りはなかった。推しへの欲目かもしれない。でも、きっと違うと思うから、だって好きな人のこと否定して欲しくない。
だから、私はジャック様への思いを紡ぐ。伝わるまで。
「だから、だから、私と結婚してください…!」
勢いに任せて本音も添えて。




