知らぬ間に転生した
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私、リリシュナは、生まれた時から不思議な記憶を持っていた。
それは、リリシュナではない、違う人間の記憶───前世と呼ばれるもの。
前世の『私』は、二十一世紀、地球の日本の中でもまあまあ田舎町の一般家庭で生まれ、高校を卒業し、就職のため都会へと出て行った人間だった。小さい頃から漫画やアニメが好きだった『私』は、社会人になっても変わらず、いつしか自分とは違う人間になって物語を体感する事ができるシュミレーションゲームにハマっていた。特に男性と付き合いのなかった『私』は、疑似恋愛を体感できる恋愛ゲームを多くプレイしていた。そして、月日が経てばたつほど、乙女の理想を詰めたゲームのキャラクターたちと全く違う現実の男への嫌悪感に似た拒否感情は強くなってしまい、気がつけばまともなお付き合いもできないまま三十路を迎えた、と思う。
こう振り返ると波乱も何もない平凡な人生だったと思う。でも、なんで平凡に生きていた『私』が生まれる変わる事態に陥ったのか、それだけはわからない。
正直に言うと『私』としての最後が曖昧だ。『私』が三十路の誕生日を憎々しく思いながらもカウントダウンしていたのは覚えている。でも、実際に誕生日を迎えた記憶がない。
気が付けば何か温かいものに包まれて眠っていた。目を開ける事も体を大きく動かす事もできない事に少しの苦痛は感じながらも、そこはとても心地が良かった。目を開ける事ができるようになってから、あれが母親のお腹の中での事だと気がついた。
久しぶりの空気に慣れた頃、私の目に映ったのは、整った可愛らしい顔立ちの幼い少年の顔だった。私と目が合うとその大きな瞳を目一杯広げて嬉しそうに笑った。
それが兄との出会いだ。
その後兄の呼び声で集まって来たのが家族なのだと理解できたのは、言葉を理解できるはずがない赤子に説明する様に自己紹介をしてくれたからだ。
兄が大人になった美丈夫が父で、これまた兄と似た顔立ちの美少女が姉だという。そして、当たり前だが三人と顔立ちの違う可愛らしい女性が母だという。自分の知らない人たちに家族だと言われて戸惑っていた私だったが、美男美女だと思う彼らが本当に私の家族なら自分はどんなに可愛い子になっているのだろうと少しワクワクした。
しかし、そのワクワクを削られる程赤子の体は大変だった。
精神がいくら成熟していようと生まれたばかりの私の体は、神経伝達も上手に出来ず、喋る事も動く事をままならない。とにかくお腹が空いても、排泄したくなっても、それを自分だけで実行できないし伝える手段が限られていた。言葉を発しようとしてもまだ体の発達が追いついていないせいで舌が回らない。その上、とにかく感情の制御が難しく、ちょっとしたことで泣きたくなるのだ。
前世の記憶から赤子は泣くものと理解していたが、いざ自分の立場がそうなるとなんとも歯痒かった。精神が成熟しているからこそできるはずの事ができないというのには堪えた。しかし、日がな何もせずにただ育つため食べて寝てを繰り返す赤子の生活は時間を持て余していたので、その間に自分の事を整理する事ができたのも事実。
自分は、何かあって死んだのだろう。
だから、生まれ変わった。
そして、何の因果なのか記憶を持ったまま生まれた。
夢とは思えなかった。確かにあまりにも非現実的すぎるが、これを夢だと思い込むには目に映る世界ができすぎていた。
現状とにかく生きるしかないと腹を括った私は、とにかく生まれ変わったこの世界の事を知ろうとした。そのためにはまず自分の力で立ち、歩き、文字を読めるようにならなければと思った。
父たちの話す言葉は理解できたが、読み聞かせられた絵本の文字は読めなかったのだ。英語っぽかったが、『私』は英語がとことん苦手だった。
とにかく私は、毎日よく動いた。寝返りから、立ち上がり、そして歩く。とにかく早く成長する事を自分に課した。あまりの成長スピードに私の検診をしてくれるお医者様も驚いていた。
生まれてから一年を過ぎたあたりから、言葉を喋れるようになった。ようやく舌の発達が追いついてきたようだ。
「にーあま!」
初めて口にできた単語は兄を呼ぶものだった。
言葉というにはお粗末なものだったが、1歳になったばかりの赤子が発したものと考えれば上出来だったのではないだろうか。その結果、単にたまたまその場にいたのが兄で、前を歩く兄を呼び止めたかっただけなのだが、初めて私が発した言葉に酷く兄は感激した。
兄から私がそれらしい言葉を発した事を聞きつけた父や母、姉がそれぞれ自分の事を読んで欲しいと囲んできた時は、面倒と思いつつ愛されているなと嬉しく思ったものだ。
どうやら可愛らしい母親に似ている私に、家族は砂糖菓子を固めるように溺愛した。
前世で食べていたモンブランの様な淡い栗色の髪に、蕩けるような琥珀色の瞳はまんま母親の色だった。白い肌に大きな瞳、小さい鼻と口は赤子ながら可愛いと将来が期待できそうだった。母方の祖父母が遊びに来た際母の幼い頃にそっくりだと零していた。
兄や姉は父に似て整った顔立ちではあったが、どちらかというと凛とした美人。だから、二人と違って可愛らしいという言葉が似合うリリシュナの容姿は、庇護欲をそそるのに十分だったのかもしれない。
歳の離れた可愛らしい末娘に家族はメロメロだった。
両親の溺愛振りに始めは兄や姉が妬み、家族間で亀裂が起きるのではないか不安になったが、両親は兄や姉たちにもきちんと愛情を持って接していたし、その兄や姉が私の事を目に入れても痛くないという程可愛がってくれたのだ。
私は、自分より随分年下の兄や姉に甘えるのに始めは抵抗感を覚えたが、私が甘えないと二人がとても寂しそうにするのだ。それに私が庇護欲をそそられてしまい、年相応に甘える事に自分が慣れるしかないと折れた。
しょうがない。今の私はリリシュナ。庇護対象真っ盛りの幼女なのだ。
開き直った私は、自分の幼く、ソレイユ家にいる者には可愛くて仕方ないらしい顔を存分に使って甘やかしてもらった。
「おにいさま、とってもかっこういいです!」
甘やかしてもらうといっても、可愛がってもらうために子供らしく可愛い言動で懐に入るためだ。そのおかげか家族を筆頭に家に出入りする使用人たちにも幼い末娘である私は大変可愛がってもらっている。
その中でも特に私にメロメロなのは父と兄だろう。
「本当か?お兄様は格好いいかい?」
目の前の兄は、私の言葉が余程嬉しかったのか整った顔を綻ばせながら、私を抱き上げてくるくると回る。十歳になる兄とあと三ヶ月で三歳になる私で体格差が出るとはいえ、兄は私を人形の様に軽々と抱き上げてしまう。スキンシップの多い兄だが、それが兄なりの愛情表現なのだろう。それに昔『私』の時代にあったような大きな遊具がない今、兄のこういう体を使ったスキンシップはワクワクして楽しい。
「えほんでみたおうじさまみたいでかっこいいです!」
兄の着ている服は、光沢のある刺繍たっぷりの藍色のコートにグレーのベスト、コートと同じ布のキュロットといった中世ヨーロッパ時代に似た洋装だ。ベルベットのような艶やかな光沢と肌触りの布は品の良さを際立てており、先日読んだシンデレラのような話の絵本に出ていた王子を彷彿させる。あと、黒髪の兄の凛々しい顔立ちにこの服は『私』時代の日本のアイドルっぽい。うちわとペンライトを振るので、是非とも歌って踊って欲しいものである。
「リリーに言ってもらえるならこういう服も悪くないな。ダンスの相手もお姫様の様に可愛いリリーなら楽しいのにな」
そういって兄は、私を抱えたままステップを踏み出した。兄は、来年に入ったらすぐこの国の首都で行われるパーティーへ両親と一緒に行く事が決まっているという。今着ている服もそのパーティー様に繕った物で出来上がった物を試着していたのだ。
「ローランド。確かにリリーは可愛い子だけど、それではファーストダンスを務めてくれるリュシカ嬢に失礼よ」
「母上、リュシカ嬢だってリリーを見れば納得してくれると思います」
「お母さま!来年のなつはグランナルルドのおじいさまたちと会えるのでしょ!?」
「ええ、リリシュナの誕生祝い以来私とリリシュナの体調を気遣って見舞いの品だけ送ってくださったけど、来年はぜひ来てくださいってお伝えしてるわ」
「おじいさま?」
姉の口から出た『グランナルルドのおじいさま』でリュシカ嬢というのが母の兄の子供───従姉だという事を思い出した。
私がまだ生まれて初めての夏を迎えた時に一家総出で顔を見に来てくれた母方の伯父一家の一人だ。あの時は確か強面の祖父と母似の祖母、祖父似の伯父、美人だがふっくらした叔母、伯父似の従兄、リュシカ、祖母似の従弟の構成だった。
私は生前から意識がはっきりしてるわけだから彼らの事を覚えているが、普通の幼女は生後半年の事など覚えている訳がない。
なので私は、初めて聞く、と言った体で首を傾げた。
「グランナルルドのおじい様は、お母様のお父様のことよ」
「リリーはまだ生まれてすぐだったから覚えてないかもな」
「リリーはかしこいからきっとお顔を見たらわかると思いますわ」
「確かに!リリーは世界一可愛くて、賢い俺の妹だもんな~!」
「おにいさまずるいです!リリーはラーナの妹でもあります!」
ぷくっと頬を膨らませて兄に抗議する姉は七歳の幼女らしく大変可愛かった。兄は私が世界一というけれど、身内の贔屓目にしても可愛いのは姉である。父に似た凛としたおすまし顔に紅をのせて駄々を言う姿はとても可愛い。兄からも姉からもシスコン的愛情を貰っているが、貰っている分私も兄や姉への愛情は深いと思う。
慣れない幼女生活は大変だけど、愛ある家族の元だからか幸せには違いない。
「もちろんラーナも可愛い俺の大事な妹だぞ」
しかし、この兄の妹たちへの変質的な愛情はどこからきているんだろう。
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