那智くんという隊士のお話。
静かな天文台に、隊士達の楽しそうなひそひそ話が響きわたっている。
仕事の手を休めて、隊士達の声の方に体を向ける。
「どうしたんだ?お前達…騒がしいなぁ」
「あ、桐嶋伍長…すみません」
「最近平和だからってちょっと弛んでるぞ?こんな中でも忙しい隊は忙しいんだからな」
「はぁ……申し訳ないです」
年下の僕に怒鳴られて少し傷ついた顔をする隊士達。
天空隊の隊士達は、学があってプライドも高い人間が多いのだ。
でもまぁ…階級ってそんなもんだし、仕方ないだろう。
「で…何話してたの?」
「あの…あれです……定例会の相談をですね……」
「…定例会?」
「あの、ご存知ありませんか?ファンクラブ…」
はぁ?
「ファンクラブって…一体誰の?」
「もー決まってるじゃないですか!三日月さんですよ!」
「…ああ」
そうか。
そういやそんなもんがあるって聞いたことあるな。
でも…三日月さんって…
思わず顔がにやけてしまって、彼らは怪訝そうに僕を見る。
「どうか…されました?桐嶋伍長…」
「お前ら……知らないの?」
不景気な顔で固まる彼ら以外の隊士達の話声も止み、辺りはしんと静まり返る。
「……本当に…知らないの?」
「な………」
「何を………ですか?」
「いや…別に…対したことじゃないんだけど」
彼らのリアクションの大きさにちょっと怯んでつぶやくが。
「教えてください!桐嶋伍長!!!」
「いやその……」
「教えてもらえないと俺達、気になって仕事になりませんから!!!」
「あの………」
「那智!!!」
騰蛇隊舎の入り口から隊士の一人を呼んでいるのは、天空隊伍長隊、天文台詰めの隊士だ。
那智が何か?と聞くと、彼らは手招きして隊舎の外へといざなう。
何だろう?
たまたま来ていた右京と顔を見合わせる。
「いやでも…中の方がいいのかな…」
「皆さん仕事の話じゃないんですか?」
那智が怪訝そうに聞くと、いやそうじゃなくて…と彼らの一人がつぶやく。
「構わねえぞ、那智。ここで話せば?」
「あ、すいません草薙伍長…」
で、何か?と微笑む那智に、隊士の一人が意を決したように耳打ちする。
那智の表情が…一瞬で凍りつく。
「やっぱり…本当なのか?」
「それ…誰から?」
「ああ…桐嶋伍長がさっき…でも相手教えてくれなくてさぁ」
相手?
右京が何か勘付いたように、俺の耳元で言う。
「…藍さんのことじゃないですか?」
「………ああ。そっかそっか」
こないだの深夜の大騒ぎ。
幸いあの場にいたのは騰蛇隊士の一部と、剣護と風牙だけだったのだが。
「意外と…情報回ってないんですね」
「…みたいだな」
それは多分…
那智を始めとする、騰蛇隊士達の涙ぐましい隠蔽工作の賜物だろう。
騰蛇隊士の数人も彼らに近づく。
「お前らそれ…他には誰にも言ってないよな?」
「いや…さっきそこで会った勾陣の奴に聞いてみたんだけど…初耳だっつってさ」
「だああもう!!!何でそうやって触れ回んだよお前ら!!??」
きょとんとした目で騰蛇隊士達を見る、天空隊のエリートくん達。
「………何でそんなに隠したがるんだよ、お前らは」
「だぁから!そんなこと触れ回ったらショックが大きいだろうがよ!?」
「徐々に…と思ってせっかく水面下で画策してたのに…」
頭を抱える騰蛇隊士。
「…で」
「相手は…誰なんだ?」
周平のやつ…こいつらの勢いに恐れをなして口に出せなかったものと見える。
「なあ、那智!?」
話の中心にいた那智。
うなだれたまま、か細い声でつぶやく。
「それ………」
「な…なんだ!?」
「…何で僕に聞くんですか?」
しん、と静まり返る騰蛇隊舎。
「え…えーと……」
右京が困った顔で笑って俺を見る。
那智は強張った顔で笑う。
「だから…何で皆さん僕に聞けば分かるって思うんです?」
「だ…だってお前…」
その時、沈黙を破って中に入ってきたのは…
最大当事者、三日月藍。
「あら?天空隊の…田上さんと紀野さんじゃないですか。どうなさったんですか?」
背後には用事があって訪れたらしい、剣護と風牙が続いている。
「あ…いえ」
「その…」
躊躇う様子の隊士達。
仕方ねえなぁ。
出来るだけ何気ない口調で言ってみる。
「お前のことだよ、三日月」
「え?」
硬直する三日月。
「だから…お前のお相手は誰なんですかーって、そういう話」
「………えええっ!!??」
彼女の顔はみるみる真っ赤になり、素っ頓狂な声を上げる。
…まただよ。
「や…やっぱり三日月さん……彼氏出来たんですね!?」
「ええ!!??いや…いやその…」
「『いませーん!』は、まずいですよぉミカさんっ」
にやにや笑う風牙。
「風牙さ…ひょっとして周平にそのこと話したか?」
「え?はぁ…」
やっぱりそうか。
しどろもどろでうまく答えられない三日月の様子に、剣護がため息をついて言う。
「…ったく相変わらずかよお前は…」
「……あいかわらずっていわれても………」
「うまいこと言ったよな…『遅れてきた思春期』って」
ピリピリした空気の中、思わず噴出しそうになって聞く。
「剣護それ…誰が言ったんだって?」
「来斗」
「来斗さんかぁ、さっすがうまいですねぇ」
にこにこ笑って言う風牙に、ものすごい剣幕で三日月が怒鳴る。
「うまくないっ!!!何なんですかその言い草…」
「『好きな人なんていませーん』」
澄ました顔で言った剣護の方を、三日月が真っ赤な顔のまま振り返る。
「『つきあってるか…なんて言われても…積極的にそうですと言えるかと言いますと…』」
「剣護!!!」
「『好きか…とかそんな…こんなところでそんなこと聞かなくてもぉ……』」
「けんごっっっ!!!」
ため息をついて剣護が言う。
「まぁ『思春期』って…来斗はお前だけに言ったわけじゃないんだろうけどな」
くくっ…と笑いながら風牙が言う。
「そう…ですよね。前のこと思い返すと僕………恥ずかしくなっちゃうなぁ何だか」
「いや、でもな…『好きな人いるのー?』『えーいないよぉ?』って…確信があってやってたらそりゃ中学生や高校生の恋愛だけどさ、本人はそういう気は無かったみたいだぜ?」
「本当ですかぁ?なんだか信じらんないけどなぁ」
「いやでも、あいつすげぇ楽しそうなんだよ、ちゃんとした彼女って初めてなんだとかなんとか言って…」
「…そんなこと……言ってたの」
つぶやいた三日月に、にやにやしながら剣護が言う。
「何なら今日、帰って聞きゃいいじゃねえか?」
「帰って!!??」
「一緒に……住んでるんですか!!??」
思わず立ち上がった俺と右京に、違う!!!と三日月が怒鳴る。
「剣護!!!そういう人聞きの悪いことを…」
「そっかそっか。一緒に住んでるわけじゃないんだもんな」
「遊びに行くだけですよね?…『まいにち』」
風牙も何故か…二人のことにやけに詳しい。
「そうだったな、『ただいまー』って遊びに行くんだよな?『ただいまー』って」
「ええぇ!?僕の知らない間にそんな展開に!?」
「きゃあああもう!!!やめてやめて二人とも!!!」
悲鳴を上げて両耳をふさぐ三日月。
「たしかに…何か恥ずかしいです……藍さん」
「もぉぉ右京様まで何言ってるんですか!?」
「おい…お前ら」
盛り上がっている彼らに低い声でささやく。
「楽しそうなとこ大変申し訳ないんだが………うちの隊士の傷口に塩を塗るような行為はご遠慮願えないかな?」
「えっ………」
はっとした顔で、彼らが隊士達を見る。
暗い顔でうな垂れる騰蛇隊士達と、理解不能という顔の天空隊士達。
「那智…」
「…何ですか?草薙伍長まで」
「いや別に。ただ……見回り行って来い、時間だぞ?」
あ、とつぶやいて那智が立ち上がる。
「すいません、行って来まーす…」
ふらふらと隊舎を出て行く彼の寂しい後ろ姿を見送って、騰蛇隊士達がため息をつく。
「…なんか…哀れだな」
「どうかなさったんですか?那智さん…」
きょとんとした目の三日月に心の中でつぶやく。
…にぶい奴。
用事がある、と藍さんが隊舎を出て行った瞬間、中の隊士達が草薙さんの周りにいっせいに集まってきた。
「あの…聞いてもいいですか?」
おずおずと口を開くと、草薙さんは難しい顔で頷く。
「ああ…那智のことだろ?」
目を丸くして聞いている剣護さんや天空隊士達の方をちらりと見て、ため息をつく。
「うすうす感じてたけど…やっぱそうだったんだな」
騰蛇隊士達が大きく頷く。
「そう…って」
「あいつ昔っから三日月のファンでさ…」
「ファン!?」
学生ん時からかな、と剣護さんがつぶやく。
「藍が騰蛇隊…って分かった時すげー喜んだとか聞いたことあったけど…」
「那智さん…ファンクラブの会長さんなんですよね、確か」
風牙さんが横から言う。
ファンクラブ………
そういえば、そんなものがあるって聞いたことがあったような。
那智さんは藍さんや剣護さんとも同期なのだという。
「普段から三日月さん三日月さんってすごくってさ…でも…」
ため息をつく草薙さん。
「…まさか、マジだったとは」
「そんな草薙伍長、マジなんてもんじゃないですよ!」
騰蛇隊士の一人が天空隊士を指差して言う。
「こいつらが那智さんに聞きにきたのも…那智さんが三日月さんの行動一切を把握してるからで…いつが休みとか、好きな食べ物とか好きな本とか…」
「それ………ちょっと行き過ぎじゃねえか?」
「仕方ないでしょー!?好きな人のことって何でも気になるじゃないすか…でも」
隊士たちががっくりと肩を落とす。
「さすがの那智さんも…あの人だけは全く予想もしてなかったみたいで」
「…でしょうねぇ………」
天空隊士の一人が騰蛇隊士の襟を掴む。
「なぁ、教えてくれよ!誰なんだよ『あの人』って!?」
「それが…」
「遠矢さん!!!大ニュース!!!大ニュースです!!!」
今にも転びそうに大慌てで隊舎に飛び込んできた隊士に眉を潜める。
「何事だ?騒々しいな」
「遠矢さんだって聞いたら絶対びっくりしますってば!!!」
「だから…」
こそこそ…と俺の耳元でささやく。
思わず、眉間に皺を寄せてしまう。
「…何だと?」
「何で教えてくれなかったのよ!!??」
杏の怒鳴り声が勾陣隊の道場に響き渡る。
「何をだよ…」
「何って…剣護!?わかってんでしょそんなこと」
うんうん、と背後で隊士達が頷く。
この様子だと…
龍介の言うとおり、今まで騰蛇隊士達が全力で隠してきたっつーのは…本当みたいだな。
「どうでもいいじゃねえかそんなこと…」
「どうでもよくなんかないもん!!!」
「…そうですよ」
「大事なことじゃないですか!?」
何で?と訊く俺に、隊士の一人が拳を握ってつぶやく。
「だって…古泉隊長のお相手だなんて聞いたら俺達………恐ろしくて三日月さんにうかうか話しかけられませんよ…」
「…何だそりゃ???」
「ねえねえ!何でそんなことになっちゃったの!?いつから!?ねえ剣護ぉ!」
「えーと…」
何で?いつから?
「杏…」
「何!?何か言いたいことでもあるわけ!?」
「それ………俺も知りたいぜ」
ただ今帰りましたー、と隊舎に戻ると、隊舎の中にいた隊士達が一斉に僕を見た。
「那智!!??」
「お…お帰り……」
いたわるような視線が…痛い。
おい、と奥で草薙伍長が手招きする。
「何でしょうか?」
「話があるんだけどさ…」
「三日月さんのことですか?」
それならよくわかっている。
見回りの最中も色んな隊の隊士達から声をかけられ状況を聞かれまくったのだから…
「天空隊の連中ですね…」
何てデリカシーがない奴らなんだろう…
「まあ、でもさ…いずれはみんなが知るところにはなるんだしよ。それより」
草薙伍長の声がワントーン低くなる。
「お前さ…三日月と一回ちゃんと話せ」
……………はぁ!!??
言葉を失う僕に真剣な表情で草薙伍長が言う。
「お前見てると何かほっとけなくてさ………お前が他の隊の連中に話したくなかったのって…大騒ぎにしたくなかっただけじゃなくて…色々みんなが噂してんの、聞きたくなかったんだろ?」
どきっとして伍長の顔を見る。
「お前自身、受け入れられねえんじゃねえの?」
…そう…かもしれない。
草薙伍長はにこやかに笑って僕の背中を叩く。
「まあ、難しく考えなくてもいいんだけどさ!一回飲んで話してみるのもいいんじゃねえかなって思っただけだよ!なあ三日月!!!」
ぎょっとして見ると、隊舎に帰ってきたばかりの三日月さんが不思議そうに見ていた。
「何か?」
「お前今夜暇か?たしか夜勤じゃなかったよな?」
「ええ…別に何もありませんけど」
「飲み行かね!?那智も一緒にさ」
「…草薙伍長!!??」
「那智さんと…ですか?」
「ああ…なんか那智、相談事があるらしくてよ」
へえ、と大きな目を更に大きく見開いて彼女が僕を見る。
「それって…私もご一緒して大丈夫なんですか?お二人のほうが…」
「い…いえいえ!!!ぜひ!!!」
そうですか、とにっこり笑う三日月さん。
「それじゃあ…お邪魔しちゃおうかな?那智さんとお酒飲みに行くのなんて久しぶりですもんね」
「遅いですねぇ、草薙伍長」
テーブルに肘をついてつぶやく三日月さん。
『ちょっと急用出来たから先行っててくれ』
と言って…草薙伍長は僕と三日月さんだけ先に行かせたのだった。
『終わったら連絡するからよ、適当に始めててくれ』
そう言って、彼は僕に向けてウィンクした。
…そう。
彼は後から来る気なんて…さらさらないのである。
なんだか後ろめたい気持ちでいっぱいの僕の顔を、心配そうに彼女が覗き込む。
「どうしました?那智さん…」
「え!!??…あ……いえ……」
さっき伍長が適当に言った『相談事』っていうのがひっかかっている様子だ。
「大丈夫ですか?」
「え…ええ!!!別に…その」
頭を掻いて笑ってみせる。
「そんなに深刻なことじゃなくてですね…飲んで愚痴言ったらすっきりするかなって…そのくらいのことですから!そんな心配しないでくださいよぉ!!!」
「そうですか」
ほっとしたように笑う彼女。
三日月さんは…昔からこういう子だ。
責任感が強くて…優しくて…
だから………僕は…
「だったらじゃんじゃん飲みましょ!!!龍介なんかどうでもいいじゃないですか!?」
「…龍介?」
「二人だけなんだからいいじゃない!?同期なんだし…ね、那智くんっ」
楽しそうに笑う彼女に…思わず笑顔になる。
「そう…だね」
『だいたい龍介は細かい!!!』
『そう…だね………そういうとこはある…かな?』
『あるかなじゃなくてさぁ…絶対そうだよ!神経質っていうかさぁ…ちょっとそういうとこあるじゃない!?そのくせ抜けてるとこは抜けてるっていうか…』
三日月の愚痴が無線から聞こえてくる。
「草薙さん…あの」
右京が言いにくそうにつぶやく。
「こういうの…よくないですよ、きっと」
「そう…だな」
『無線入れっぱにしといてくれ』って…
那智は律儀に俺の言葉を実行してくれているのだった。
酒も入ってるし無線がオンになってること、忘れてるのかもしれないけど…
「面白えからこのまま聞いてようかなって思ったけど…まさか三日月の愚痴を延々聞くことになるとはな…」
「しかもほぼ草薙さんがターゲットですよ?」
周囲の隊士達は必死に笑いをかみ殺している。
「あのなぁお前ら!そんなこと言ったら…俺だってあいつには言いたいこといっぱいあんだぞ!?」
「例えば?」
「例えば………」
先日、急な用事で深夜に無線を鳴らしたときのこと。
『はーい三日月です!ただ今無線に出られませーん!』
突如聞こえて来た…楽しそうな声。
『…ちょっと!!!』
慌てた三日月の声が続いたが、俺はすっかりやる気をなくして無線を切ってしまった。
翌朝三日月には真っ赤な顔で平謝りに謝られたのだったが………
「あの人にはもう少し…デリカシーを持って欲しいと思う時はある」
「…は?」
「いや………何でもない」
アルコールが入ってすっかりリラックスした様子の三日月さんが嬉しそうに笑う。
「で、那智くん?」
「…何?」
「那智くんの悩み事って何?」
言葉に詰まる僕に、興味津々の目が迫る。
「ひょっとして………女の子のこと!?」
「え!!??」
ふふふ、と楽しそうに笑う。
「図星?」
「そ…そんなんじゃないけどさっ!!!」
「そぉー?」
「そう!」
ふうん、と笑って、彼女は長い髪をかきあげる。
少し首を傾げて僕を見つめる黒い瞳。
鼓動が速く、大きくなる。
初めて彼女に会ったとき。
こんなにかわいい女の子いるんだろうか…って思った。
外見だけじゃない。成績もいいし、明るいし…
何にでも一生懸命な彼女の周りには常に人が集まっていた。
唯一…あの人達といるときを除いて。
『五玉』
三日月さんの行動には孝志郎さんが常に目を光らせていたし、下手に三日月さんに近づこうとする輩には浅倉の鋭い視線が飛ぶし…
そんなことがなくてもあの人達と自分を比べてしまい、彼女と今以上親しくなることなんてこと到底考えられなかった。
あんな風に強くなれたら…
そう…あの演習の日も。
『ごめんね』
真っ赤な目で彼女は僕に言った。
夜間演習で、彼女を庇って大怪我をした僕に…
『私が不甲斐ないばっかりに…那智くんにこんな怪我させちゃって…』
『そんなこと…』
僕のほうだ、そんなこと。
それ以来、リーダーとか表だった仕事を極端に避けるようになった三日月さん。
僕がもっと強かったら…あんな風に彼女を追い詰めることもなかったのに。
僕がもっと強くて…もっと自分に自信が持てたら…
「那智くん?」
「あ…いや」
あの頃からずっと、変わらずかわいかったけど…
最近彼女はすごく…綺麗になった。
色っぽくなったっていうか…
つまりそれは…あれだ。
『女の子は恋をすると綺麗になる』って…そういうやつ。
「三日月さんさ…」
「うん?」
聞くなら…今しかない。
「古泉の…どんな所がよかったの?」
え?と酔って赤かった顔が更に赤くなる。
「いや…そりゃあいつは長所の塊みたいな奴だけどさ」
「そうかなぁ!?…そんなことないよ!わがままだし、自分勝手だし、マイペースだし…」
「つまり…わがままなんだね?」
そう、とポニーテールを揺らして大きく頷く。
「じゃあ…一体どこが?」
「ええと………」
腕組みをしてうなる。
「三日月さん???」
照れて言いよどんでいる…という雰囲気ではなく、何だか本当に悩んでいるみたいな表情。
「いや…いいよ」
「えーでも………」
「きっとあいつは三日月さんにとって身近な存在過ぎて、どこをどうっていうのうまく表現出来ないんじゃないかな」
はあ、とため息をついて、彼女は僕に微笑みかける。
「ほんと…優しいよねぇ那智くんて」
「…え!?」
「那智くんの彼女は幸せ者だよ、きっと」
そんなこと…言われても。
彼女に気づかれないように、小さくため息をつく。
「草薙!!!」
突然怒鳴り込んできたのは、太陰隊の遠矢隊長と数人の大柄の隊士達。
草薙さんは咄嗟に無線を隠し、笑顔で振り返る。
「あー遠矢さん、どうしましたこんな時間に…」
「話は聞いたぞ」
「は?」
遠矢隊長は草薙さんの両肩を掴み、大きく揺さぶる。
「どういうことだ!?あの…古泉の奴がって…」
「あ…」
「お前ずっと三日月の近くにいたんだろう、何であいつなんだ!!??」
「ちょ…ちょっと待ってください!俺が何で三日月の保護者みたいになってんすか!?」
「…違うのか?」
「ちがいますよぉ、何で…」
「俺は…お前が孝志郎に、留守中の三日月の世話を頼まれてるんだとばかり思っていたが」
「…なわけないでしょーが!!!」
思わず二人に近づき、遠矢さんに尋ねる。
「そんなに…変ですか?」
「…何だ?」
「一夜さんじゃ、藍さんのお相手にふさわしくないってこと…ですか?」
「右京殿はふさわしいと思うのか?」
遠矢さんは難しい顔で僕を見る。
「お前さんはあいつがどういう奴だかわかってないからそういうことが言えるんだ!俺はなぁ………十六夜隊長があいつの毒牙にかかるなんて想像しただけで………」
がくっとうなだれる遠矢隊長と、大きく頷く太陰隊士達。
「ど…くが…って。でも」
僕は彼らに向かい問いかける。
「愛し合ってる二人のこと、そういうふうに言うのはどうかと思いますけど」
「愛し合ってる…二人?」
「面白いことになってんぞ」
何が?と一夜はきょとんとした目で俺を見る。
「お前と藍のことだよ」
「それの…何が面白いって?」
「『古泉隊長みたいな女ったらしに俺達のアイドルが…』ってさ、そりゃもう大騒ぎ」
「女ったらしって、なぁ…」
「否定すんのか?お前」
でも、と一夜はコーヒーを片手に笑う。
「藍ってさ、みんなにそんな風に大切に思われてたんだね」
「ああ…あいつ、いっつも隊士達の世話ばっかやいてるからなぁ。優しいっつうか、おせっかいっつうか…ま、会ったころからそうだったけどよ」
懐かしそうに笑って一夜が言う。
「入学式の日、愁のことチンピラから助けようとしたんだったっけ」
「そーそ。その後も色々とな。俺もレポート徹夜で手伝ってもらったこと、何回かあるし」
「剣護そんなことしてたのか?」
笑顔にちょっとしたトゲを感じて、少し身構える。
「…昔のことだよ。それに、お前は藍のレポート丸写しだったろうが?」
「あ…そうだったね」
何か考えているように黙り込む一夜。
「どうした?」
「うん…ちょっとね」
意味ありげな笑顔で俺を見る。
「どうしたんだろーねぇ、龍介?」
夜風を頬に受けてふらふらと歩きながら、三日月さんは楽しそうに笑う。
「何か…別の仕事でも入ったんじゃない?」
「そおねえ…伍長さんはたいへんだわ」
「でも…次は三日月さんがなるんじゃないの?」
ふと、大きな瞳がじっと僕の目を見つめる。
どきっと心臓が高鳴る。
「…自信ないの。私」
「…え?」
覚えてる?と彼女はつぶやく。
「演習のときのこと。那智くんに怪我させちゃってさ…」
「…ああ!そんなこともあったねえ」
すっかり忘れてた、というように笑うが、彼女には通じないようだ。
「騰蛇のみんなは大好きだし、私に出来ることがあればなんでもしたいと思うけど…みんな、私のこと信頼してくれてるし…でも」
「大丈夫だよ」
彼女に自信を取り戻させてあげることは…当事者だった僕だけにしか出来ないのかもしれない。
「あの日の怪我は…僕達のミスだ」
「え?」
「ちゃんと足場を確認してリーダーに報告しなきゃいけなかったのに、判断不足でそれを怠ったのは僕達なんだから…無い情報の中で判断しなきゃいけなかった三日月さんに、謝らなきゃならないのは僕達だったのに」
「…そんなこと」
「そんなことなく…ないよ?三日月さん。君の体力的な面のフォーローも、僕達はやらなきゃならなかったのに…完全に君に甘えちゃってさ」
「…那智くん」
「三日月さんがあまりに優秀だったから…依存してしまってたんだと思う」
戸惑いの表情を浮かべる彼女をじっと見据える。
「あの頃よりは僕も…少しはましになったかな?」
「………」
「もう、君だけに負担かけるようなことはしないから…安心して頑張って、三日月さん」
「…ありがとう」
少し瞳を潤ませ、彼女はにっこり微笑んだ。
ほっとして僕も笑う。
『ちゃんと話せ』…ましたよ、草薙伍長。
これで…よかったんじゃないかな。
その時、手元の無線が鳴った。
「そりゃ今まで一夜さんは色々あったのかもしれませんけど」
「…あったのかも…では済まんぞ、右京殿」
「そうですけど!僕の知る限り、一夜さんは本当に藍さんのことが好きなんですよ!?」
みんなの視線が集まり、思わず声が大きくなる。
「死を目前にして、危険を冒しても会いたいと思って紺青に帰ってきたなんて…あの一夜さんがそんなことするなんて、僕には信じられませんでした」
「まあ…なあ。でも右京」
草薙さんがためらいがちに言う。
「それならそれなりに…さあ。なんつーか」
「一夜さんは自分がどういう風に周囲から思われてるか、多分よくご存知なんだと思いますけど」
「…そうだろうなぁ」
「だから…藍さんに迷惑かかるかもしれないから一夜さん、ぎりぎりまで言えなかったんじゃないですか?」
うーん…と考え込む様子の隊士達。
「だから遠矢隊長!お二人のこと認めてあげてください」
「いや…右京」
草薙さんが僕の肩にぽん、と手を置く。
「わかるんだけどよ………なんでお前がそんなに熱くなるんだ?」
「…あ」
確かに。
その時、みんなの無線がいっせいに鳴る。
「何だ?」
表示されているのは剣護さんの無線番号。
一斉送信の無線は、緊急時でなければ許可が出ないはず。
スイッチをオンにする。
すると。
『皆様お久しぶりです!古泉一夜です』
周囲の隊士達が凍りつく。
「な………何してるんですか!?一夜さんっ」
『あ、右京?こないだはありがとね』
「それはいいですけど!一体…」
『今剣護から聞きました!この期に及んでお騒がせして申し訳ない』
一夜さんの楽しそうな声の後ろから、なにやら剣護さんの怒鳴り声が聞こえている。
「無線強奪されたな…剣護の奴」
「立てこもりの次は電波ジャックですか………」
うなだれる僕と草薙さんを、遠矢隊長が怖い顔で睨む。
「見たか右京殿!?だからこいつはこういう奴で…」
『俺と藍のこと、何やら色々言ってる人達がいるみたいで』
「古泉、お前一体どういうつもりだ!?」
『あ、遠矢さんお久しぶりです。どういうつもりって言われましても…』
少し間があって、静かに一夜さんが言う。
『何も言い訳することはありません。俺は藍のことが好きだし、彼女も俺のこと好きって言ってくれてますから』
『一夜っ!!!』
藍さんの怒鳴り声が乱入する。
『あなた何考えてるのよ!?そんな恥ずかしいこと…』
『俺は藍のこと好きっていうこと、恥ずかしいなんて思わないけどな』
むしろ誇らしく思う、と彼は言う。
『今まで言えなかった事ちゃんと言えるの、俺は嬉しいんだけどなぁ』
「そりゃ…わかりますけど」
草薙さんが頭をかく。
「で、この無線はどういう意図なんすか?」
『あ…そうそう。あのね』
一つ大きく深呼吸して、一夜さんが力のこもった声で言う。
『俺と藍のことで文句があるなら、陰でこそこそ言ってないでかかってきたまえ!』
「………一夜さん!!??」
『幸い俺はまだ自宅軟禁状態ですからね、逃げも隠れもしません。遠矢さんもお説教したいことあるなら言いに来てくださいよ、ね!?』
明るい彼の声に、遠矢さんは絶句して無線を見つめている。
一夜さん…想像を上回る人だ。
けど…
思わず笑顔になってしまう。
楽しそうなその声からは、幸せそうな様子がにじみ出ている。
この無線もいたずら半分なのかもしれないけど…藍さんのこと本気なんだっていう、彼なりの意思表明なんだと思う。
「もう…なんなのよ本当に………」
真っ赤になって頭を抱える三日月さん。
「こんな無茶苦茶やっちゃって…私もう知らないからね…」
子供みたいな奴。
本当にわがままで…それに、素直で。
最初猛烈に腹が立って、次に呆れて、今は…
なんだか、こいつのわがままが少しうらやましくなった。
無線を握る。
「古泉隊長、那智です」
『あ、那智!久しぶり!』
覚えててくれたとは…な。同期の男に興味なんか、かけらもなさそうだったから…
不安そうな顔で三日月さんが僕を見つめる。
大きく息を吸い込む。
「あの…一つだけ」
『何?』
「一つだけ…『三日月さんファンクラブ』の会長として、申し上げます」
え?と三日月さんが目を見開く。
「僕達の憧れの方とお付き合いされてるんですから…ちゃんと責任とってくださいね」
「…那智くん???」
「三日月さんのこと泣かせるようなことしたら、僕達許しませんから」
少し沈黙が流れ、また明るい声が聞こえて来た。
『…承知しました。のぞむところです』
「それに…わがままも少し控えてくださいね。彼女、呆れてますよ?」
『藍と一緒にいるの?』
声のトーンが落ちたのに気づき、僕は少し嬉しくなる。
「そうですよ!?今夜は少し、大事な彼女お借りしました。ありがとうございました」
「な…那智くん………あの」
「悔しいですか?」
返事が無い。
子供みたいに素直で…かわいいとこ、あるじゃないか。
「悔しかったら、そこから早く出てこれるように取調べに真剣に望んでください」
じゃあ、と僕は無線を切った。
心配そうな表情の三日月さんに、僕はにっこり笑いかける。
草薙伍長、ふっきれました。
これからも、大事な同期で、大事な仲間であることは変わらないし。
僕にしか出来ないことだって、あるしね。
「帰ろうか?送ってくよ」
「…うん」
彼女は家の前でありがと、と小さくつぶやいた。
「別に僕、何もしてないけど?」
「んーん…なんか、士官学校のときのこととか…一夜のこととか…さ」
「たいしたことじゃないよ、けど…」
ふい、と彼女に背を向ける。
「何か困ったことあったら…僕に出来ることあったら言って。力になるからさ」
「昨日のあれは一体…何だったんです?」
ああ、と窓の外を眺めながら一夜は笑う。
「橋下伍長も聞いてました?」
「そりゃ…一斉送信でしたからねぇ」
可哀想だが片桐隊長には厳重注意を受けていただいている。
「で?どうなさるんです?」
「左右輔さん…俺ね」
視線を窓の外に向けながら、つぶやくように続ける。
「あっちではずっと…こんなふうに外ばっか見てたんです」
「…はい?」
あっち…って………
「孝志郎が色々決めてたし、色々動かしてたしね。何かあると剛さんが張り切って動き回ってたから俺は特に何もすることなかったし…言われたこと、気が向いたらやるだけ。何だったんだろうね、俺」
「……少しヤケに、なってらっしゃったんじゃないですか?」
んー…と表情なくつぶやく。
「病気のことが分かった時…母親のこと、思い出したんですよね」
じっと手のひらを見つめる。
「握った手がだんだん冷たくなってくところとか…あの日着せられたシャツは糊がききすぎてて、体がむず痒かったこととか…大人達の難しい話がよくわからなくて、血の気の引いた母親の死に顔ずっと眺めてたこととか…ものすごくリアルで」
そんな感じのこと…確か、記憶喪失になる前の一ノ瀬孝志郎も言っていた。
「気づいたら…なんて、言い訳にしかなりませんけど」
「…いえ、構いません」
今までと違う、彼の様子に少し表情が緩んでしまう。
「分かること、分かる範囲で結構です。ゆっくりで構いませんから…話してくださいね」
はい、と彼は子供のようににっこり笑ってうなずいた。