燕支(その3)
突然…兄様の背中に、炎の刃が突きたてられた。
『な…に………?』
「終わりだ、幻影」
背後から聞こえた、少女の声。
そして、刃から燃え上がった激しい炎で、兄様の体は燃え尽きてしまう。
「兄様………?」
ふと見ると。
英次の戦っていたオンブラも、一夜さんの前に立ちはだかっていた『藍さん』の姿も…
いつの間にか、無くなっていた。
僕の目の前に立っていたのは、一人の少女。
「………十六夜…隊長?」
左様、と頷いて。
彼女は僕と一夜さんを…じっと睨む。
そして、大きく息を吸い込み………
怒鳴った。
「この未熟者共めが!!!」
「えっ………!?」
「………あの…」
戸惑う僕達にはお構いなしに、彼女は両手を腰に当て、烈火の如く怒鳴り散らす。
「黙って見ておれば、あのザマは何だ!?幻影如きに惑わされおって…それでベルゼブという巨大な敵を倒したなど、百に一つのまぐれも良い所だ!」
「………え…えーと………」
「三国一の剣士と呼ばれる者が、揃いも揃ってこの有様とはまったく…呆れて物も言えぬわ!!!」
「…すみません」
十六夜隊長は、以前のように顔や体をベールで覆ってはおらず、袖の無い上着に、ゆったりした長いズボンを履いていた。華奢な腕には長い手袋をしている。
耳には…赤く光る『アンスラックス』。
覆いのない彼女の顔は…なるほど、藍さんそのものと言った風貌。
突然現れて窮地を救ってくれた上に、僕達を叱り飛ばす小さな少女の姿に、英次は目を丸くしている。
「あの………右京様…この人は………?」
「…えーと…話すと長くなるんだけど…十六夜隊長っていう…僕達の仲間だよ…多分」
腕組みをして、呆れたようにため息をつく十六夜隊長に、一夜さんが恐る恐る声をかける。
「あの………舞ちゃん?」
「何だ?」
「どうして………舞ちゃんがこんな所にいるのかな???」
「そんなこと、決まっておろう」
「いや…ごめん、わかんないんだけど」
僕達の前に立ちはだかり、不敵な笑みを浮かべる十六夜隊長。
「ここは…『幻の場所』だからな」
十六夜舞。
藍さんの過去の記憶が『アンスラックス』の力で具現化した、謂わば幻のような存在。
彼女は本来、藍さんの中に同化してしまっているのだが…
この、幻が現実のように存在している空間においては…こんな風に、自由に動き回ることが出来るのだという。
「藍さんは…今何を?」
「ああ…あれなら寝ておる」
「…寝てる?」
「紺青は今、夜だからな」
………なるほど。
ということだから…と、彼女は厳しい目付きで、遥か彼方に繋がっている、一本の細い道に目をやる。
「夜明けを告げる鳥が鳴く前に、私は紺青に戻らねばならぬ…先を急ぐぞ」
「え…ええ………」
「右京殿…」
振り返って、彼女はじっと僕を睨む。
「…はい」
「毅然とせよ…リーダーはお主であろう」
「あ…はい」
「これで、本格的な『鬼退治』ってとこかな」
一夜さんがにやりと笑う。
「右京がお伴を三人連れて…炎の翼で自由に飛びまわることが出来る舞ちゃんは、差し詰めキジって感じで」
おい待て、と英次が一夜さんの肩を掴む。
「お前まさか…俺はサルだとか…言うんじゃねーだろうな?」
「当ったり前じゃん!?英次ってだってそういう顔して…」
「うるせえ!!!俺はサルじゃねえ!!!」
そうかな、どう見てもサル顔じゃん…とキツネっぽい一夜さんがつぶやく。
その時。
「どうやら、ここでは最後のお客さんが…おいでなさったようだな」
低い声で十六夜隊長が言い、足を進め始めた。
その先に立っていた人物。
それは………
「…小春殿か。成程、考えたものだな」
艶のある長い黒髪を一つに束ね、白地のあでやかな衣装に身を包む、藍さんと同じくらいの年頃の女性。瞳の色は花蓮様と同じ…深い青。
両手首の腕輪は、赤い光を放っている。
「あれ………まさか、『螢惑』?」
「そうみたいだね」
一夜さんが女性と十六夜隊長を見つめ、静かに言う。
「間違いない。あれ………愁の母親だよ」
小春さん。
紺青の兵に殺された、愁さんの母上。
それと同時に…
多忙だった花蓮様に代わって、藍さんを育てた女性でもある。
十六夜隊長にとって…最も思い入れの深い人物。
大丈夫だろうか。
しかし、そんな僕達の心配をよそに、十六夜隊長は静かに小春さんと対峙していた。
彼女が『アンスラックス』に触れると、炎を纏った長い棒が現れる。
その一部始終を穏やかな眼差しで見つめていた小春さんは、静かに彼女に語りかける。
『なんや…物騒やなぁ』
「黙れ、偽物が」
低い声で、十六夜隊長は言う。
「お前のような偽りの物に、心動かされる私ではない…真の小春殿は、いつも私と共にあるのだからな」
『へぇ………』
「だが…一つだけ、礼を言わせてもらう」
『そら、光栄やね…何やろ?』
『螢惑』が眩しい光を放ち…小春さんの手にも、一振りの剣が握られる。
「偽者でも…再びそのお姿を垣間見ることが出来て………良かった」
二人は同時に武器を振りかざし、激しい炎が燃え盛る。
炎に視界を遮られ、その様子をうかがい知ることは出来ない。
「十六夜隊長!」
炎は一層激しく燃え上がり。
十六夜隊長の…静かな声。
『貴船』
赤い炎がすうっと目の前から消え。
そこには目を閉じて立つ、彼女の姿だけがあった。
「…十六夜…隊長?」
「舞ちゃん………大丈夫?」
彼女はしばし祈るように、瞼を伏せていたが。
やがて…
すがすがしい表情になって、僕達を見た。
「待たせたな…先を急ぐぞ」
そこは。
切り立つ谷間に、一本の吊り橋がかかる場所だった。
「高いとこ………苦手なんすよね、俺」
生唾を飲み込んで、つぶやいた英次を…
十六夜隊長が冷たい目で見つめる。
青ざめていた顔がもっと青くなり…
「いえ………なんでもないっす」
「…ならばよい」
こわ…と苦笑する一夜さんに、思わず同意。
なるほど、太陰隊の大男達を一睨みで黙らせた…というのも頷ける。
長い橋の向こう側には、洞窟のようなものが確認できる。
「あれ………あいつらのアジトだったとこに、良く似てるみたいだけど」
少し目を細めるようにして前方を確認し、一夜さんがつぶやく。
ゴールは近い…ということか。
「行きましょう」
僕の言葉に、みんなが頷いてくれて。
軋む長い吊り橋の半分程を、順調に渡り終えた…
その時だった。
「うわぁぁぁ!!!」
背後で英次の悲鳴が聞こえた。
振り返ると、その体は宙を舞っており。
「英治!!!」
彼の足には蔓のようなものが絡まっていて。
橋の出口側の柱にぶら下がるような形で…止まった。
ぱっくりと口を開けた谷間に、宙吊り状態になった英次は、半狂乱で…叫ぶ。
「たっ…たたたっ…たすけて!!!たすけてぇ右京様ぁぁぁ!!!」
「英次!!!」
目を凝らして見ると、ぴんと張った命綱の蔓は、いつ切れてもおかしくないような状態だ。
「右京様ぁぁぁ!!!何とか…何とかしてください!!!」
動揺する僕の隣で、十六夜隊長が静かに一つ、息を吸い込む。
そして………
「貴様、うろたえるでない!!!」
「ひっ………」
「静かにせぬか!!!じたばたと暴れては、余計に蔓に負担がかかるではないか!!!」
可哀想な英次は…
涙を流しながら、震える声で…はい、と返事をする。
きょとん、と目を丸くする一夜さんと顔を見合わせ。
僕は英次を励まそうと、遠くに見える彼に向かって声をかけた。
「待ってろ!今助けるから…」
「右京」
静かな一夜さんの声に促され、橋の向こう側に目を向けると。
無数の人の影のようなオンブラが、ゆらゆらと橋を渡ってこちらへ向かってきていた。
「あれらを全て倒さなければ、向こう岸へは渡れぬ…ということか」
低い声で十六夜隊長が言う。
頷いて、一夜さんを見ると。
彼は愉快そうに笑って、すらりと刀を抜いた。
「じゃ、急がなきゃね。あのまま放っとくとあいつ、いつ崖下に落っこちてもおかしくなさそうだし」
「…そうですね」
右京様ぁ………という英次のか細い声に、『水鏡』を抜きながら応じる。
「大丈夫だ!すぐに行く!」
「一刻の猶予もない。急ぐぞ」
炎の小太刀を二本携え、静かに言う十六夜隊長。
「そうそう!待ち合わせに遅刻して、猛ダッシュするの得意だもんね、舞ちゃんっ」
「………一夜さん」
「…それは私のせいではないぞ」
「……………とにかく、行きましょう!!!」
長い吊り橋は、人が三人がやっと並べる位の幅で。
ふとバランスを崩すと、橋から滑り落ちてしまいそうになる。
三人バラバラに動いては、橋が大きく揺れてしまうので…
橋の上でオンブラを倒しながら前進する…という動作は、想像以上に困難だった。
オンブラを倒しても倒しても…埒があかない。
ちっ…と小さく舌打ちする十六夜隊長。
少しだけ近づいた、宙吊り状態の英次に目をやると。
蔓は重みに耐えきれず、次第に細くなってきているように見える。
………まずい。
「仕方ないな」
一夜さんが静かに言い、僕と十六夜隊長の名前を呼ぶ。
「ちょっとだけ無理するけど…ごめんね」
「………何だ?」
「俺が合図したら、二人とも………全力で向こう岸まで走って」
すうっ…と大きく息を吸い込んで。
一夜さんは『小通連』を、静かにオンブラの集団に向けた。
「古泉…?」
怪訝そうに見つめる十六夜隊長をちらりと見て。
「行って!」
一夜さんは鋭い声で…唱えた。
『神風』!
刀の先端からは、激しい風の刃が幾重にも繰り出され。
影のようなオンブラ達は上空に舞い上がり、ずたずたに切り裂かれ、その姿を消して行く。
そして………
吊り橋の綱も、かまいたちの直撃を受け…切り裂かれた。
ぐらぐらと足元が揺れる。
無我夢中で、とにかく前へと走るが。
身体がふわっと…宙に浮いた。
「うわぁぁぁ!!!」
『アンスラックス』!
十六夜隊長が鋭い声で耳許の『神器』の名を呼ぶ。
すると。
その背中には、炎の大きな翼が現れた。
彼女は僕の腕を掴み、崖の向こう側に放り投げる。
そのまま、急速で落下して行く一夜さんと英次に追いついて、二人を回収。
翼を大きく羽ばたかせ…
僕の待つ崖の上に、ふわりと着地した。
呆然とする僕と英次を一瞥し、彼女は静かに尋ねる。
「…大事ないか?」
「………はい」
英次はひどい顔色をしており、言葉を発することが出来無い様子。
そんな僕達を眺め…
一夜さんは少し離れた所で、何だかけらけら笑っていた。
「………一夜さん!!!」
「何?右京…何でそんなに怒ってんの?」
「当たり前でしょう!?どうしてあんな無茶を…」
「だって…あの方が手っ取り早いじゃん」
………そりゃ…そうだろうけど。
言葉を失う僕を尻目に、一夜さんは十六夜隊長の背中をぽん、と叩く。
「でも、やっぱり舞ちゃんだね!こうやってみんなのこと助けてくれて」
「…まあな」
「………そ…そのことだけどよおっ!!!」
若干平静を取り戻し始めた英次が、突然十六夜隊長の肩を掴んだ。
「お前っ…飛べるんだったら何で…先にそれをやんなかったんだよ!?」
「…それとは?」
「だぁから!!!さっきのあの翼で飛んで、俺のこと助けに来てくれればよかったじゃねーかって言ってんだ!」
「…ああ。そのことか」
何でもないことのようにつぶやいて、彼女はおかっぱの黒髪をふわりと掻き上げる。
「あの翼が何で出来ているか…お前は見たか?」
「………ああ!だから何だよ!?」
「炎の翼…引火すれば、吊り橋もお前の命綱も…たちまち燃え尽きてしまうのだぞ?」
「………そ…そりゃ………」
「さっきは…橋をかなり渡ってきた所で、お前も右京どのも古泉も近かったからな。何とか皆を助けることが出来たが…そうでなければ正直」
「だからね!」
得意満面の笑みで、一夜さんが口を挟む。
「俺もあの状況まで待ったってわけ。さすが舞ちゃんは分かってる!」
………本当かなぁ。
唖然とする僕達にはお構いなしで、二人は会話を続けている。
「しかし古泉…お前はさっき、『ちょっとだけ無理する』と申したように思うが」
「うんっ」
「いきなり『小通連』を最大出力で遣うとは…あれが『ちょっとだけ』なのか?」
「ああ、そのことね!それは…ちょこっとだけ、やりすぎちゃったかも」
「…たく、お前はいつもそうだ」
「そうかなぁ???…でもさ、やっぱ俺と舞ちゃんのコンビネーションは完璧だね!以心伝心っていうか」
「………言っておくが古泉」
じっと一夜さんを睨む、十六夜隊長。
その小さな身体からは…不穏な雰囲気が漂っている。
「あれは私であって私ではない。つまり、我々は同一であって同一でないということ…こと『この件』に関して、私はあれとは別の人格だ。それだけは…よーく覚えておけ」
彼女の迫力に…さすがの一夜さんも、これ以上は突っ込めなかったらしい。
うん、わかった…と小さく頷き、大人しく引き下がった。
「ねえ………右京様」
英次が僕の腕を引っ張る。
青ざめた顔に…さもありなんと思いつつ、大丈夫だよと声をかける。
「あれは、ただの痴話喧嘩だから」
「ちわ…って…?………まあ…そんなことはいいんですけど………」
がくっとうな垂れ…低い声でつぶやく。
「あいつら………あんな目に遭ったってのに…人をあんな目に遭わせたってのに…何であんなに平然としてられるんですか?」
「…それは………まぁ」
「俺………あいつらの神経…信じられません」
手で顔を覆う英次に同情しつつ、僕はその背中に手を置いた。
「大丈夫………すぐ慣れるよ」
アジトの洞窟内部まで、『紫面鏡』の力は続いているようだ。
時々現れるオンブラを倒しながら、奥へと進む。
すると………
目の前に、少し開けた空間があり。
武器を携えた少年達が、じっとこちらを睨んでいた。
「よくここまでたどり着いた…燕支の皇子」
右京少年が彼らの先頭に進み出て、静かに言う。
「手強い相手とは予想していたが…これ程までとは」
「…降参するかい?」
僕の言葉に激昂した様子で、少年達は武器を構えるが。
それを制し、彼は大きく首を振った。
「俺達は…お前達に屈するわけにはいかない」
「じゃあ…やるっての?」
穏やかな声で、一夜さんが言う。
「君の持ってるその鏡…不思議な力を持ってるだろ。俺達の刀はそれとおんなじ…不思議な力を持ってるんだぜ?普通の武器じゃ、大勢で掛かってきたって到底敵わないくらいの破壊力を持ってる…それでもやる?」
「それでも…俺達は」
ぐっと拳を握り締める…右京少年。
「お前達にはわからないだろうが…後に退くことは出来ないんだ!この森を追われたら、俺達はどうなると思う………?燕支のあの、難民街で暮らすのか?飢えと貧しさと暴力に怯えながら………それとも、荒野をさまようのか?俺達の仲間には、まだ年端のいかない子供達もいる。この安全な森を手放す訳にはいかないんだ」
彼は一歩進み出て、すらりと腰の刀を抜いた。
「どちらにしても未来がないなら………俺は信じた道を貫き通す。俺についてきてくれる仲間もみんな…同じ気持ちだ」
………そうか。
「君は………」
言いかけて、やめた。
兄様と…同じことを言うんだな。
「聞く耳持たないって感じだね」
一夜さんが僕の耳元で言う。
「どうする?右京…」
一瞬…躊躇ったが。
「………少年達を」
腰の『水鏡』に手をかけ、僕は一夜さんに声かける。
「お願いします。僕は彼を…」
少し驚いたように、眉を上げて見せた後。
一夜さんは意味ありげに微笑んで、小さく頷いた。
「一夜さん、わかってると思いますけど、くれぐれも…」
「だーいじょうぶ!怪我させないように最大限努力するからさ」
「………お願いします」
刀を抜いた僕と一夜さんが一歩前に進み出ると、少年達は少し怯んだようにざわめいた。
だが………
「お前ら…二人で俺達に勝てると思ってんのか!?」
「なら…やってやろうじゃねえか!!!」
年上の少年達の怒鳴り声が響きわたり。
それを合図にして、少年達は…
一斉に、僕達に襲いかかった。
この勝負は。
始まる前から既に…ついていたようなものだ。
「………すげえ」
英次という若者が、呆然とした様子でつぶやく。
「当然だ。私がさっき叱責したのを、お前は聞いておらなんだか?」
「…『三国一』とかいうやつ…っすか」
「左様」
剣や槍や鎌や…多彩な武器を手にする少年達を相手に。
古泉は、鮮やかな戦いぶりを見せていた。
「うりゃあ!!!」
一人の少年が奇声を上げ、大きく刀を振りかざすが。
「よっ…と」
暢気な声と裏腹な鋭い刀さばきに、彼の刀は大きく弾き飛ばされてしまう。
動揺した彼は襟首を手刀で打たれ、地面に崩れ落ちた。
それはまさに、一瞬の出来事であり。
右京どのとの約束通り、古泉は一滴の血も流すこと無く、少年達の攻撃を退けていた。
そして…右京どのの方も。
開戦当初からの相手…リーダーの少年と刀を交えていたが。
圧倒的に優勢であることは、誰の目にも明らかだ。
「いいんすか、俺達…」
「………何だ?」
「いや、だから…こんなとこで、ぼーっとしてて」
気まずそうな顔をする英次に思わず微笑んで、私は小さく首を振る。
「見ての通りだ…あの二人に任せておけばよい。まもなくカタがつくであろう」
「…でも、見てるだけなんて何だか…」
「お前が下手に掛かっていって、少年達に深手を与えてしまっては困るからな。ここで見ているのがよかろう。まあ…母上の教えを乞うたのであれば、お前もそこそこには出来るのであろうが」
「…ははうえ???」
「………まあ、よい」
背後に近づく、人の気配。
「………今は近づかれぬがよかろう」
女性は私の声に、びくっと体をこわばらせた。
「…ですが」
細い、不安げな声。
「ご子息の身ならば…大丈夫だ。あなたには見えぬのかもしれぬが…」
次々に繰り出される少年の攻撃を、落ち着いた様子で回避する右京どのの姿に目をやる。
「右京どのの腕前ならば、ご子息に手傷を負わせるようなことはなかろう。とはいえ、ご子息も荒削りながら、なかなかの刀裁き…修行を積めばおそらく、かなりの遣い手になられるであろうな」
女性は、黙って小さく頷き。
瞼を閉じたまま、二人の戦っている方向へ顔を向ける。
きっと彼女はその様を、胸に描いているのだろう。
しばし、沈黙が続いた後。
彼女は、静かにつぶやいた。
「………あの子の父親も…剣術に長けた人でした」
「…左様か」
「あの子は…右京は、どうなるのでしょうか?」
「……………」
「父親もなく、私のような目の見えない母親を抱えて、一体どんな大人になるのでしょう」
「…それは」
暗い表情の彼女に、私は明るい声で答える。
「私にも…右京どのにも分からぬよ」
「…では」
「その答えは、ご子息が持っておられよう。どのように生きていくか、決めるのは彼自身なのだから」
「…ですが」
背後に立つ彼女の肩にそっと触れ、私は再び二人に視線を戻した。
「あの少年ならば出来よう。それだけの器であると…私は見たぞ」
肩で息をする右京少年に、僕は静かに問いかけた。
「まだ…やるのか?」
「当たり前だ!!!」
襲いくる刃をかわし、距離をとる。
「態勢が…崩れてるよ」
「黙れ!!!」
鋭い金属音と共に、二本の刀が交錯する。
「見たところ…君の刀さばき、ほとんど我流みたいだね」
「うるさい!」
「でもそれで…ここまで出来たら上等だよ」
繰り出される攻撃を回避しながら、僕は再び彼に呼びかける。
「せっかく筋もいいんだし、きちんと習った方が」
「お前には関係ない!!!」
「そりゃ…そうかもしれないけど」
「説教はもう、沢山だ!俺は…」
右京少年は素早く飛び退り、刀を構え直した。
「俺はみんなを守らなきゃならないんだ!その為にはお前達に屈するわけには…」
「そのみんなってのは…彼らのことかな?」
彼は僕の指し示す方向を見て、顔を強ばらせる。
そこには…地面に横たわる、少年達の姿。
いっちょあがりー、とにこにこ笑う一夜さんに、右京少年は気色ばんで怒鳴る。
「貴様っ…よくも!」
「大丈夫だよ、みんなのびちゃってるだけだから」
「………何だと!?」
「だから…怪我はさせてないから大丈夫だってば」
怪訝そうに眉を顰めた彼は、理解出来無いというように大きく首を振る。
「一体…お前達は何者なんだ!?何の恨みがあって俺達にこんなこと…」
「それは………君が…戦うべき時を間違えてるからだよ」
はっとした顔で、僕を見つめる少年。
その眼差しに………面影を見た。
ふと蘇ってきた…昔の記憶。
まだまだだな…と笑いながら、僕に稽古をつけてくれた。
年の近い兄にいじめられて泣いていると、くよくよするなと叱られた。
いたずらっぽいあの笑顔。
そして………
「右京くん…と言ったね」
ざわつく気持ちを鎮めながら、僕は静かに彼に語りかける。
「男なら…大事な人を守るため、命を賭けて戦わなきゃならない時がある。でもね………」
一つ、大きく深呼吸をして。
こみ上げてくる涙を、ぐっとこらえた。
「君にとってそれは…今じゃない。君の…仲間を守りたい、母上を守りたいって気持ちはすごく立派だと思う。けど…方法が間違ってるんじゃないかな」
「………方法?」
「そんな風に皆を引き連れて、暴力や略奪で生活の糧を得るなんて、まるで…君達を追い出したとかいう連中と同じだって、そう思わないか?」
唇を噛んで、俯く右京少年。
「そんな事…母上は悲しむよ?きっと亡き父上だって………悲しんでおられると思う」
「だったら………一体どうすればいいっていうんだ!?」
目に涙を溜めて、彼は僕に向かい怒鳴る。
「行く宛がないんだ、俺達にはどこにも…あの寺にだって、ずっといられるわけじゃない。仲間達はもっとひどくて…皆、身寄りも住む家もない。それなのに…どこでどうやって生きていけばいいっていうんだよ!?」
『紺青の支配下の国々には、まだ混沌とした地域が沢山あります』
霞さんの言葉が、脳裏に蘇ってきた。
『苦しむ人が一人もいない国を作りたい。弱いもの、小さなものが零れ落ちてしまうことのないように…僅かずつでも前に進んで行きたい』
「紺青の姫は…決して君達を見捨てたりはしない」
まるで彼女に背中を押されるような感覚で、僕は彼に微笑みかけた。
「安易な手段に逃げず、過酷な現状に真っ直ぐ向きあっていれば…必ず道は開けるさ」
さっきよりは大分、落ち着いた様子だったが。
右京少年の瞳には依然、迷いの色が見えた。
「………本当に、そう…思うのか?」
力に頼って、他人を傷つけてまで何か事を為そう…なんて。
彼なら…本当はしたくない筈だ。
なぜなら、この少年は………
僕は大きく頷いて、彼にきっぱり言い放った。
「ああ。君の父上に誓ってもいい…僕達も協力は惜しまないから」
彼は天井を仰ぎ、軽く目を閉じて。
握り締めていた刀を…カチリと鞘に収めた。
「見事だったぞ」
十六夜隊長は、そう言って僕達に笑いかけた。
そして…
「そろそろ…時間だな」
少し名残惜しそうに…つぶやいた。
「あなたのお陰で…助かりました」
「…よい。私も久々に楽しませてもらったぞ」
英次も深々と頭を下げる。
「ありがとうございました!何か俺…」
「少しは自信がついたか」
「…はい」
「ならば良い。お前のような役人がおれば、燕支は今後も安泰であろう」
「…まじっすか!?」
目を輝かせる英次に、少し呆れたように笑ってため息をつく。
「ああ…こう見えて、人を見る目はあるつもりだが?まあ…」
彼女はさらりと髪を掻き上げ、強い眼差しで彼に笑いかけた。
「そのような器であるか…自身に問いかけ続けることであろうな。驕らず、常に自らを律し続けるならば…おのずと答えは見えてこよう」
「頑張ります!俺っ」
威勢のいい英次の声に、僕もほっとして。
優しい笑顔の十六夜隊長と、思わず顔を見合わせた。
そして。
「ばいばい、舞ちゃん!」
彼女は、にこにこ手を振る一夜さんに近づく。
つま先立ちになり、小さな体をぐっと伸ばして、軽く目を閉じると。
彼の頬に…優しくキスした。
きょとんとした目の一夜さんを、じっと見つめる十六夜隊長。
「………?」
「…紺青で…待ってるから」
「………???」
「…早く…帰ってきてね」
ちょっと恥ずかしそうな笑顔でつぶやいて、彼女は僕達の傍を離れた。
「…舞ちゃん?」
十六夜隊長はぴたりと足を止め、何だ?と…いつもの口調に戻って聞き返す。
「………あれと私は別者なんじゃなかったの?」
「……………」
彼女は一夜さんの問いかけには答えず、すたすたと洞窟の外へ歩いていった。
僕達に向けて、肩ごしに手を振りながら。
小さな後姿を、見えなくなるまで見送った後。
一夜さんはぽつりと、僕の名を呼んだ。
「…右京」
「…何でしょう?」
「あのさ………」
「…分かってますよ。一夜さんの言いたいこと」
事情が飲み込めない様子で、呆然としている英次。
少し離れた所には、右京少年に寄り添う…一人の女性の姿があった。
彼女は僕より少し年上で、美しく…
その人は確かに………安寿さんだった。
盲目の彼女には、僕の姿は見えないのだけど。
懐かしい面影を残す親子に、僕は笑顔で頷いて見せ。
僕は一夜さんにもう一度、向き直った。
「帰りましょう!紺青へ…」
「…そうでしたか」
無線から聞こえてくる右京様達の声に、ちょっとほっとしながら相槌をうつ。
結局…右京様は少年に、お父さんの話をしなかったのだそうだ。
『いつか時期が来れば…安寿さんが話してくれると思うんです。それに』
「きっと、同じ名前で顔も似てて…そんな人に出会ったんですもの。彼も薄々は感づいたかも知れませんしね」
『藍さんも…そう思われますか?』
「ええ…」
真実を知ったとき…彼は何を思うだろう。
…今は分からないけど。
右京様と出会ったことは…きっと彼の今後にとって、大きな糧になるだろう。
難しい顔で、黙って聞いていた来斗が口を開く。
「少年達は、これから…どうするんだ?」
『安寿さまのことは、流石に皆知ってますからね…燕支には居づらいと思うんですよ』
燕支の隣国、常磐。
そこは元青龍隊長、相馬玲央の故郷であり…
クーデターによって王族が途絶え、民政が敷かれるようになった今は、様々な国からの移民を受け入れ、多様な文化の混ざり合う、活気ある国へと復興を遂げようとしていた。
『そちらへ行ってみてはどうかと勧めてみました。磨瑠さんにも、時々様子を見てもらえるようにお願いしましたし』
それに…と、右京様の声が少し明るいトーンになる。
『困ったことがあったら、いつでも紺青を訪ねて欲しいって伝えてあります』
「…そうですか」
その前途は決して、明るいだけのものではないだろう。
けど………
右京様は彼の成長が、きっと楽しみなのだろう。
なんたって…大好きだったお兄様の忘れ形見だもんね。
『霞様…お元気ですか?』
控えめなその問い掛けに…思わず、笑顔になってしまう。
「ええとっても!右京様のお帰り、首をながーーーくして待ってらっしゃいますよ」
『………そうですか』
なんだか…今日の右京様は、ちょっとかわいらしい。
「早く帰ってきてくださいね、右京様っ」
『藍、藍!俺は俺は!?』
「………一夜」
『メッセージちゃーんと受け取ったからね!もうすぐ帰るから待っててね!!!』
「………藍」
怪訝そうな顔で、無線機を見つめている来斗。
「メッセージって…何だ?」
「………こないだの…手紙のことかしら」
『十六夜隊長!!!俺ですわかりますか!?』
「…英次さん」
よかったぁ覚えてくれたんすね!と嬉しそうな声。
『花蓮様に娘さんがいたなんて…俺びっくりしちゃって!言ってくれればよかったのに、人が悪いなぁもう』
「………そうね…ごめんなさい」
『花蓮様に、伝えていただきたいことがあるんですけど』
伝えていただきたいこと?
一呼吸置いて、彼は十人くらいの男性の名前を一気に唱える。
『みーんな花蓮様に会いたがってます!たまには帰ってきてくださいねって』
「……………」
思わず…額に手をやる。
じゃあねーという一夜の楽しそうな声と共に、無線はぷつりと切れた。
しばしの沈黙の後。
来斗が遠慮がちに、私の名を呼ぶ。
「藍…」
「………今の話…聞かなかったことにするわ」
静かで薄暗い図書館は、少し肌寒い空気に包まれている。
「………さっきのは…お前の知り合いか?」
…そういえば。
「………誰…だったかしら」
十六夜隊長素敵。
彼女に大暴れして欲しくて、このお話を書いたと言っても過言ではありません。
それと…安寿さん。
右京少年にはお父さんを超える、かっこいい大人になって欲しいと思います。
というわけで、外伝おしまい。
この後右京達が紺青に帰り、『氷の章』は幕を開けるわけです。
この先の展開も、どうぞご期待ください。
『十二神将演義 外伝』
ご愛読くださいまして、ありがとうございました!