ラストエピソード(その3)
「楓ー?」
香蘭が店の奥から、一人の花姫を呼ぶ。
その娘は、香蘭や白蓮とするとやや見劣りするものの、美しい花姫だった。
「あらぁ…古泉の若じゃありませんか!?」
営業用の華やいだ声でそう言って、彼女は手を叩いて喜んだが…
今………一瞬、間があったな。
「私のことご指名ですの?なんて光栄な…」
「いや、そうじゃないんだけどね。ちょっと…訊きたいことがあって」
何でしょう?と微笑む顔が、少し…ひきつって見える。
ちょっと………押してみるか。
「藍は今どこにいるの?」
華やかな化粧の施された目が、大きく見開かれる。
「一体何をおっしゃっているのか………」
声が若干、震えている。
やっぱり…何か知ってるな。
挑戦的ににっこり微笑んで、まあいいや…とつぶやく。
「何か話す気になったら言って。俺、道場にいるから…知ってるでしょ?笹倉道場」
「それには及びません」
振り返ると…
左右輔さんが怖い顔をして立っていた。
「あら、十二神将隊の方まで…私のことお疑いですの?」
「いえ、そういう訳ではありませんが…あなたのご贔屓筋ばかり被害に遭われていると、ある筋から伺いましたのでね…何かお気づきのことがあれば、と思いまして」
一対一の緊張から解放されてほっとしたのか、彼女はまた余裕のある微笑みを浮かべる。
「そうですねぇ、今のところは思い当たることなんて何もありませんけど…わかりましたわ。何か思い出しましたら、ご連絡差し上げます」
では…と、左右輔さんは厳しい目で俺を見る。
「何かありましたら、古泉師範代ではなく…私共、十二神将隊の方へお願いいたします」
ぺこりと頭を下げ、彼女は店に戻っていった。
その後姿を見送りながら…つぶやく。
「怪しいでしょ?あの子」
「…そうですね」
ですが…と左右輔さんは眼鏡に手をやり、ため息をつく。
「お分かりだと思いますが…この件には、なるべく首を突っ込まないでいただきたい」
「…何で?」
「お分かりじゃないならお教えしますが!」
彼は鬼のような顔で、俺の胸倉を掴む。
「左右輔さん…今日は激しいねぇ」
「………いいですか!?今この事件で動いているのは、我々十二神将隊だけではありません!軍の、他の保安隊も動いているんです…先日、あなたが恫喝した相手のような、ね!?」
ああ…あの連中。
「はっきり申し上げて、三日月さんは何らかの事情で、事件に巻き込まれた可能性が高いと思いますが………十二神将隊の人間は皆、彼女のことを信じています。ですが…」
なるほど。
他の連中はそうじゃない…ってわけ。
「そもそも十二神将隊の台頭、特に三日月さんの能力と自由奔放ぶりを、煙たがる上層部は少なくないと聞きます。そこに来てこの事件…」
彼は、少し辛そうに顔を歪める。
「今や部外者であり………率直に申し上げれば、一ノ瀬孝志郎謀反の折に加担したあなたが…十二神将隊と共に行動し、三日月さんを探している、と見られるのは正直…好ましい状況ではありませんから」
「………そうだね」
彼はいつも仕事熱心で、言いにくいこともしっかり話してくれる。
左右輔さんのこと…藍は苦手そうにしているが、俺は割と嫌いじゃない。
そんな訳で。
今日のところは、彼の言うことを素直に聞くことにした。
「お仕事の邪魔してごめんなさい、じゃあまた!」
あくまで。
今日のところは…ね。
先に休みます…と孝志郎様と一ノ瀬公に告げ、寝室へ戻った。
窓の外を見る。
今日は…月が明るい。
そっと寝室の扉を開け、裏口へ回った。
周囲に人がいないことを確認して………外へ出る。
「孝志郎様………ごめんなさい」
久々に足を踏み入れる『花街』は、変わることなく華やかだった。
店の裏口を叩き…楓を呼び出す。
何事ですか?と言って髪に手をやる、彼女はどこか不機嫌そうだ。
「白蓮姉さんはもう、こんな所へ来るようなご身分じゃないでしょう?」
「楓…あなたに、訊きたいことがあるの」
「あら…何でしょ?」
彼女はそんな風に、笑いながら聞き返したが。
暗い表情でいた私に、苛立ったような声を出す。
「ちょっと…何だっていうのよ?私が何かしたとでも?」
なおも黙っていると…彼女は挑発的に微笑んで、口を開いた。
「そうそう。今日…あなたの若様がいらっしゃったわよ」
…一夜様が?
驚いたみたいね、と皮肉っぽくつぶやく。
「開口一番『藍はどこ?』ですって…新しいお相手のこと、よっぽどお気に入りみたいね」
「そうなの…」
表情を動かさない私を見て、何よ…と怯んだようにつぶやく。
「あなた…何とも思わないわけ?自分を捨てた男が…」
「私は一夜様に捨てられた覚えなんて…ないわ。最初から私は…あの方の恋人なんかじゃないもの」
意味がわからない…という風に、彼女はじっと私を見つめている。
「一夜様はずっと、三日月さんのことを想ってらっしゃったの。三日月さんだって…だから私は、お二人が幸せになってくださればいいって、そう思ってるわ」
最初から分かってたもの…私の片想いだって。
ずっと誰かに愛されたいと思っていた。
そして、その人を愛することが出来れば…どんなに幸せだろうと。
それは、一夜様ではなくて…孝志郎様だったのだ。
ただ、それだけのこと。
そう…と自嘲的に笑い、楓はじっと私を睨む。
「成程ね…あんたは、晴れていいおうちに嫁ぐことが出来たんだから………あんな男…もう用済みってわけだ」
「…そんなこと言ってないでしょ?私は」
「いいえ、あんたは昔っからそうよ。良い子ぶっちゃってさ…清純そうな顔して、男を次々に手玉に取って………結局最後は、自分に都合のいい男を選ぶの。そいで、どうでもいい男たちは『お願いね』って私に押し付けて…本当、あんたはずるい女よ!」
「…あなた、そんな事思ってたの………」
「でも…私は違うわ」
にっこり笑って彼女は言う。
「好きな人がいるの。地位もお金もないけれど、本当に…本当に素敵な人よ。その人のためだったら私………何でもするわ」
「楓?」
その笑顔の奥に、何か暗いものを感じて…思わず声が大きくなる。
「あなた…一体何をしたの?」
黙っている彼女に…もう一度問いかける。
「ねえ、教えて…大事なことなの。あなたは三日月さんの居場所、知ってるの?」
「やれやれ、あんたまで『三日月さん』なの…」
額に手をやり、ため息をつく。
「あの女…何だかあんたに似てるわ。良い子ぶってて、それにずるくて」
この子…やっぱり知ってるのね。
「三日月さんは…どこにいるの?」
「さあ。あの人のお仲間達と一緒みたいだけど…私もそこまではね」
「あの人って………」
「正義の味方よ。あんたの旦那達みたいな偽善者とは違うの」
正義………?
「その…正義の為に………あなたは一体何をしたの?」
動揺する私に気を良くしたらしく、彼女は次第に饒舌になってきた。
「彼ね…世直しをするんですって。紺青を…それに紺青の治めているすべての国をもっと良くしようって、その為には、悪いお役人達を懲らしめる必要があるって」
「悪い役人?」
「あんたも分かるでしょ?お役人は、私達から巻き上げた税金で生活してるの。それなのに、うちの店に来てあんなに贅沢して…街には貧しい暮らしをしている人が、沢山いるっていうのに。だから、一緒に懲らしめてやらないかって…そう彼が」
「………それで?」
彼女は質問攻めに苛立っているような様子で、小さくため息をついて髪に手をやる。
「お客の名前とお屋敷…教えてあげただけよ。別にお客なんて星の数ほどいるからねぇ、誰でも良かったんだけど…」
そこまで言って、彼女は私をじっと睨んだ。
「あんたの常連が痛い目見れば…私達のことなんて、もう赤の他人みたいに澄ましてるあんたも、ちょっとは良心が痛むんじゃないかと思って」
「あなた…何てことを………」
「まさか殺すなんて、思ってなかったけど…」
つぶやく彼女の声には、戸惑いが混じっているようだったが。
開き直ったような目で私を見て、乾いた声で笑った。
「でも、いい気味よ。あんな役人掃いて捨てるほどいるんだから、何人か死んだって何てことないわ。売れっ子の花姫が病気や事故で何人死んだって、花街の賑わいが変わることはない…それと一緒よ」
「楓………」
祈るように、胸の前で手を組む。
「お願い…そのこと、十二神将隊の方にお話して。そして…ちゃんと罪を償って欲しいの」
「罪を償う!?何馬鹿なこと言ってるの。私はただ、名前を教えただけだし…」
「それでも、あなたはその人達に何らかの危険が及ぶこと、知ってて黙っていたんでしょう!?だったらあなただって同罪だわ」
不愉快そうに眉をひそめ、彼女はじっと私を見つめている。
「…あなたの大事な人って、一体どこの誰なの?」
「………そんなこと」
その時だ。
楓の体を背後から貫く、一筋の青白い光が見えた。
彼女の目は大きく見開かれ…
着物が血で染まっていく。
「楓………?」
「な…ぜ………?」
「お前はもう…用済みだ」
背後から歩いてくる、一人の男性の姿。
「お前の言うとおり、役人が何人か死んだところで、花姫が何人か死んだところで…紺青は、何も変わりはしないからな。世直しには別の方法を考えねばなるまい…もっとも、もうその方法は考案済みだが」
がっくりと地面に膝をついた楓の頬を…涙が伝う。
「た…びと………さま………」
ドサッという音と共に、彼女の華奢な体は崩れ落ちた。
彼女の体から流れる血で、地面は真っ赤に染まっている。
孝志郎様と同じくらいの年に見えるその男は、鋭い眼差しで私を見た。
「女…次は貴様の番だ」
「あなた…一体何者なの?」
「答える必要はなかろう」
男の持つ短い刀が、青白い光を帯びる。
「お前もその女同様…あの世へ行くのだからな」
刀の先端に吹雪が吹きすさぶ。
思わず硬く目を閉じる。
………孝志郎様。
「旅人、待って」
男の背後の暗がりに目を凝らす。
はっとして…
一瞬………動けなくなった。
「………三日月さん」
「その子、お腹に赤ちゃんがいるの。いくら高級貴族の血を引いていても、子供に罪はないでしょ?」
旅人と呼ばれた男は、苦々しい顔で彼女を見る。
「お前っ…邪魔をするなと言ったはずだぞ!?」
「その子は私にとって…とっても大事な人なの。あなたが白蓮のこと傷つけるっていうんなら、私…あなたのこと許さないわ」
ふっ…と、口元に笑いを浮かべる男。
「許さないったって………いくらお前でも、丸腰で何が出来ると」
彼の最後の言葉を待たず、三日月さんは素早く男の懐に飛び込む。
そして、内側から腕を掴んで捻りあげ、悲鳴を上げる男の腕から刀を取り上げた。
刀を男の首元に近づけ、彼女は鋭い視線で静かに言う。
「どう?これでも…白蓮のこと、傷つける気なの?」
「…わかった。わかったから藍………刀を返せ」
彼女は男の言葉に従い、刀を彼に手渡した。
「行くぞ、藍」
去っていく男の後を追い、踵を返した三日月さん。
誰に言うともない様子で、ぽつり…とつぶやく。
「彼女、まだ息があるわ…すぐに処置すれば助かると思う」
「………三日月さん」
お願いね…と囁くような声で言い、彼女は歩き出した。
「…待ってください!三日月さん!!!」
彼女は何も答えない。
小柄な背中は、静かに遠ざかっていく。
「一夜様が!」
足が…一瞬止まる。
「一夜様が…必死で三日月さんのこと探してらっしゃいます!孝志郎様も心配されてます。草薙隊長も、浅倉隊長も、来斗様も、右京様も…だから三日月さん」
帰ってきてください、と言いかけた私の顔を、彼女は振り返ってじっと見つめた。
悲しい色を秘めた黒い瞳。
思わず…言葉に詰まってしまう。
「白蓮…一夜に伝えて。いつになるか分からないけど、私は必ず帰るから…だからもう、探さないでって」
三日月さんはまた、くるりと私に背を向けた。
「もし…待てそうになかったら」
「…三日月さん?」
「そのときは………私のことは忘れてって、そう…伝えて」
花街の裏の暗闇の中に、彼女の姿は消えてしまった。
調子はどう?と尋ねる私に、加納くんは弱々しく微笑んだ。
彼の笑顔を見るの…いつぶりだろうか。
思わず笑顔になって、よろしい!と頷く。
「じゃ、傷見せてもらおうかな?」
しかし…彼は動かない。
「…どうかした?」
「源隊長………お話したいことがあります」
彼は真剣な眼差しで、私の顔を真正面から見つめた。
「自分は三日月さんのこと…子供の頃から知っていました」
…子供の頃から?
「三日月さんは、静さんというおばあさんに連れられて、自分の村にやって来ました。静さんは紺青の大きなお屋敷で、乳母として働いていたんだと聞いたことがあります。訳ありの子を引き取って、連れ帰ってきたのだろうと…大人達は皆、話していました」
「あなた…彼女のおばあさまと同郷だったってこと?」
頷いて、彼はまた…話し始める。
「静さんは身寄りのない…でも、とても親切な人でした。三日月さんも素直で、いつもにこにこ笑顔を絶やさなくて、本当に可愛らしい少女だったんですけど…」
『あの子にはあまり関わらないほうがいい』
大人達は皆、子供に言って聞かせていたのだという。
子供達が厄介事に巻き込まれることを恐れたのかもしれない。
「特に、自分達のリーダーだった少年は親達の教えに忠実で…三日月さんを絶対に、僕達の輪に加えようとはしませんでした」
『仲間に入れて』
そう声をかけてくる彼女を、無視するように、決して仲間にいれないように…
リーダーの少年は、加納くん達にいつも言っていたそうだ。
「そんなことがあったの…だから彼女、一人で本ばっかり読んでるのね」
「…そうなのかも知れません」
三日月さんは、加納くんのこと…全く覚えていなかったらしい。
だから気まずさもあって、彼はそのことを今まで黙っていたそうなのだが…
「そんなこと…何で今この場で話そうと思ったの?」
彼はまた、暗い顔をして俯いた。
「加納くん…?」
「自分達のリーダーだった少年は今…紺青の街に潜伏しています」
…何ですって?
「潜伏って…まるで彼が何か悪いことでもしでかしたみたいな言い方ね」
「それは………」
しばらく沈黙が続いた後。
彼は…重い口を開いた。
「源隊長…自分は今回のジェイド密売の件、すべて伊藤の指示で動いていました。だから、伊藤達は自分が何も知らないと思っていたようです。ですが…伊藤が誰かと話している端々で…聞き覚えのある言葉を聞いたんです」
ジェイドの密売、『神器』の調達、その全ての中心にいる人物を指す…ある言葉。
「…ロック?」
彼は暗い表情で頷く。
「親が錠前鍛冶職人だったので…そんなあだ名がついたんだと思います」
…つまり。
「あなたや…三日月さんのいた村のガキ大将だった男性が、この一連の事件の首謀者だって…そういうこと?」
「故郷に残っていた…ロックの忠実な子分だった連中にも、この前街で会いました」
『世直し』
彼らは皆、そう言っていたという。
『紺青の作り上げた悪しき世の中を正す』のだ…と。
「彼らはそのために…資金調達のため、ジェイドの密売を行っていたということ?」
「資金もそうですが…白群にも『神器』を扱える人間は大勢います。世直しのために必要な武器として…『神器』や『半神器』、それにジェイドを必要としていたんだろうと」
「待って」
ぞっ…と、背筋が冷たくなった。
「武器…?」
彼は黙って頷く。
「彼らは『神器』を使って………何をしようとしているの?」
「………具体的なことはわかりませんが」
辛そうに俯いて、か細い声で加納くんが話してくれた…その内容。
まずは、紺青の権威にあぐらをかいている貴族達を抹殺する。
それは………
彼が拘束されて以降に起こった、彼が知る由もない…一連の殺人事件を示していると考えていいだろう。
「ですがそれは………ロックにとっては、序章でしかありません」
震える体にぐっと力を込め…出来るだけ冷静な声で、尋ねる。
「じゃあ…ロックの…本当の目的は何?」
「………それは」
出来るだけ音を立てないように、玄関の鍵を開けて、部屋に入る。
暗い部屋に差し込む月明かり。
思わずほっとため息をつく。
…自分の家は、やっぱり落ち着く。
『着替えを取ってくるだけだから』と告げて帰って来たものの…
背後に感じた気配からして、おそらく誰かが後をつけてきているのだろう。
逃げるつもりなど毛頭ない。
でも………
少しだけ、一人になりたかった。
お風呂を沸かして、頭から熱いお湯をかぶり…
この数日のことを思い出す。
楓という花姫…大丈夫だっただろうか?
彼女に導かれて再会した………旅人達。
白群の懐かしい顔ぶれ。
そして…
『俺達の仲間に入らないか?』
ロックはぞっとするほど明るい笑顔で、私にそう…問いかけた。
『お前を育てた白群の村…今は田畑に病気が蔓延して、もう影も形もないんだぜ?』
私は、孝志郎に手を引かれて白群を離れたあの日以来、村には帰ったことがない。
『静ばあさんにも、白群の村にも………恩があるだろ?』
収穫物の厳しい取立てを行っていた地主夫婦は、田畑を耕していた農民達の反乱に遭い、命を落としたのだという。
『まあ…農民達を扇動したのは、俺なんだけどな』
『あなた…何でそんなこと!?』
『お前だって恨んでたろ?あいつら自分達のことしか考えねえで…まだガキだったお前にも、相当辛く当たってらしいじゃねえの』
ぐっと唇を噛む。
そんな昔のことは…もう、思い出したくもなかった。
『別に…暴力振るわれたわけでもないし、ご飯食べられなかったわけでもないもの。私…地主さん達のこと、恨んでなんか』
『どこの誰ともわからないような薄汚い小娘って…』
全身から…血の気が引いていくのが分かった。
『役立たずのノロマって、お前なんかばあさんと一緒に死んじまえばよかったんだって』
『やめて!!!』
『………可哀想にな』
耳をふさいでうずくまる私の頭に、ロックは優しく手を載せる。
『そんな風に罵られて、収穫だって買い叩かれて苦労してたなんて、俺達は露ほども知らなかった…お前は健気に、いっつもにこにこしてたからな』
髪を撫でる彼の手…
ぞくっと…鳥肌が立つ。
『意地悪して本当に悪かったよ。けど…あれだって、あの夫婦が大人達に吹聴してたんだからよ。お前とは関わらないほうがいいって』
何でそんなこと…今更………
『………あの子は?』
『ああ…娘のことか』
その子なら、と楓が意地悪な笑顔で口を挟む。
『身寄りを亡くして、うちの店に流れてきたんですけどねぇ…病ですぐに死んでしまって』
言葉を失う。
………何てこと。
『驚いたか?』
真剣な表情で、ロックは私に問いかける。
『だけどな…これは、俺達の村だけで起こってることじゃねえんだぞ』
白群では今も、そういう悲しい事件が後を絶たない。
話には聞いていた。
でも…昔のことを思い出すと、怖くて悲しくて…目をそむけてしまう自分がいた。
『なあ、藍…一緒に世直しをしないか?』
『…世直し』
『そうだ。伊藤達から聞いたが…お前はものすごい力を持ってるんだってな。その力、俺達に貸してくれよ』
『……………』
『これはガキの頃の遊びじゃねえけど…俺達の仲間に入れてやるよ。いや、藍………俺達の仲間になってくれ』
『氷花』を差し出すようにと、彼は私に手を差し伸べた。
私達の周囲に、宝物殿から消えた『神器』を持った男達が立ち、冷たい視線を向けている。
…仕方が無い。
二本の小太刀を手中に納め、ロックは満足そうに微笑んだ。
『今日からお前は…俺達の仲間だ』
ロック達と一緒に遊びたいって、いつもいつも思っていた。
一人で本を読んでばっかりいるのは嫌だって。
広場から聞こえてくる楽しそうな歓声。
いつも涙ぐみながら、私はあの子達の笑顔を見つめていた。
仲間になんか、なれるわけないじゃない。
私の仕事は、この紺青を守ることなんだから。
でも………
これは潜入捜査だと、割り切って行動を共にしてきたけれど…
時々ふいに沸き起こる、嬉しいような妙な気持ち…一体何なんだろう。
「………馬鹿だなぁ、私」
着替えを済ませ、髪を結い上げながら…私は思わずつぶやいた。
「本当、その通りだと思うよ」
不意に聞こえて来た声に、驚いて部屋の中を見渡す。
と………
「あなた…いつからそこに?」
ずーっと!と、一夜は嬉しそうに答えた。
「前に合鍵くれたでしょ!?でさ、いつ帰ってくるのかなぁって、ここで…ずーっと藍のこと、待ってたんだよ」
「………さっき…私が帰ってきた時も?」
勿論、と楽しそうに頷く。
おそらく…気配を消してたのだろう。
呆然と見つめる私に、彼は優しいまなざしで尋ねる。
「どうしたの?」
心臓をぎゅっと鷲掴みにされるみたいに、苦しくなるけど…でも。
「ごめんなさい」
「…何が?」
「私………あなたの所へ帰ることは出来ないわ」
外には多分、ロックの子分達が潜んでいる。この会話だって筒抜けなのかもしれない。
彼らの最終的な目的は、まだ掴めていないのだ。
不審に思われたら…折角ここまでやってきたことが全部駄目になってしまう。
何で?と不思議そうに目を丸くする一夜に、低い声で言う。
「言わなきゃって思ってたの…お別れねって」
「………藍?」
「聞いたでしょ?白蓮に…私はもう、あなたの知ってる『三日月藍』じゃないわ」
彼は小首を傾げて、私をじっと見つめる。
「それ…俺じゃなくて、昔の友達を取るってこと?」
ぐっと唇を噛んで…俯く。
そんなんじゃないけど…
今…首を振ることは出来ない。
「そっか…俺より、故郷の方が大事だってこと」
小さくため息をついて、一夜は寂しそうに微笑んだ。
「分かった。藍がそう言うなら…俺もう、何も言わない」
………一夜。
そうじゃない、と叫びたい気持ちを堪え、私は彼に背を向けた。
「待って、藍」
「………何?」
振り返ると、彼は両手を広げ、にっこり笑って私を見ていた。
「最後にもう一度だけ…藍のこと、抱きしめてもいいかな?」
「………一夜」
「ね?もう二度と、こんな風に我儘言ったりしないから」
ぎゅっと拳を握って、我慢しようと体を強張らせてみるけど…
いつの間にか、涙が頬を伝っていた。
「藍」
一夜はもう一度、私の名前を呼ぶ。
大好きな…優しい微笑み。
自然に…吸い寄せられるように、私は彼に近づいた。
「一夜………」
一夜は私を抱き寄せ、ぎゅっと腕に力を込める。
もう一度…この腕の中に戻ってくることが出来るだろうか。
それまでちゃんと…覚えておかなくちゃ。
この胸の温かさも。
触れた髪の柔らかさも。
それに………
「捕獲成功♪」
一夜の声と、カチャリという金属の音。
それに…
手首にひやっとした金属が当たったように感じたのは………ほぼ同時だった。
違和感を覚えた右手首を見てみると…
「………何…これ?」
見ての通り、と笑って…
一夜は私の手首と鎖で繋がった、自分の左手首を掲げてみせる。
「手錠だよん」
「……………」
そりゃ…見たら分かるけど。
「………騙したのね?」
そんなんじゃないよ、と彼は真顔で首を振る。
「だってあなた…これで最後だからって、さっき…言ったでしょ?」
「だからぁ!こうしてれば、最後かもしんないけど、ずーーーっと藍のこと抱きしめてられるでしょ!?だから俺、嘘なんかついてないと思うんだけどな」
「……………」
強張っていた体から…力が抜ける。
なんだか………泣いた自分が馬鹿みたい。
「この手錠…どこで手に入れたの?」
「これ?街の警備に当たる隊士はみんな持ってるでしょ?だから剣護に借りてきたんだ」
「………剣護が貸してくれるわけないでしょ!?」
「えーと…後で言えばいいかなと思って」
…無断で『借りてきた』わけね。
頭がくらくらする。
「だいたいねぇ、『三日月藍』くん」
「………何?」
「『ずっと一緒にいる』って…ついこないだ、約束し直したばっかりだよね!?」
「………ええ」
「なのに、言ったそばから約束破ろうなんて…そうは問屋が卸さないんだぜ!?」
「………そう」
バタン!と玄関のドアが開く音。
焦って、一夜に手錠を外すように頼むが…
「無理だよ」
「…え?」
「鍵は借りてきてないもん」
「………あなた馬鹿じゃないの!?」
そんな耳元で怒鳴らないでよ…と口を尖らせる一夜に、男達が迫る。
「貴様、その女を渡せ!」
「そいつは…我々の同志なんだぞ!」
「…そんなこと知るかい」
『神器』を構える男達に動じることなく、あっけらかんと言い放つ。
「同志だかなんだかしらないけど、藍は俺の女なの!お前らなんかに渡してたまるか」
「………一夜!?」
かあっと顔が熱くなって、思わず叫ぶ。
そんな恥ずかしいことこんな緊急時に………
本当…意味分かんない。
ぽかんとしている男達を不敵な笑みで見つめ、一夜は腰の『小通連』を抜いた。
「何?その顔…文句があるなら、力づくで持って行ったら?」
ぎょっとした顔をして、男達は再び『神器』を構え、怒鳴る。
「ああ、そうさせてもらおうじゃねえか!?」
「覚悟しやがれ!!!」
「一夜、あの…」
「大丈夫だよ、すぐ済ませる」
手錠で繋がれたままの私を、ひょい、と左肩に担ぐ。
「だから…そうじゃなくて」
「藍の古い知り合いなんでしょ?俺は片手しか使えないし、ちょっとくらいは手加減してあげるよ。心配いらないって」
「でも…一夜?」
「…わかんないかなぁ」
一夜の周りに、激しい風が吹き始める。
「藍は俺の我儘に巻き込まれただけ。だから友達を傷つけるのは…藍じゃないってこと」
はっとする。
最初から…そのつもりで?
ぐっと低い声になって、一夜は私に呼びかけた。
「ちょっと暴れるから…しっかり捕まっててね!」
騒ぎを聞きつけて、僕達が駆けつけたときにはもう…全てが終わっていた。
血を流して倒れている男達と、傍らに転がる『神器』。
そして…
にこにこ手を振る一夜さんと、呆然と座り込んでいる藍さん。
二人の手首は何故か…鉄の手錠でがっちり繋がれていた。
剣護さんが呆れ顔でため息をつく。
「やっぱり…お前だったのか」
「さすが剣護分かってる!じゃあ当然、鍵も持ってきてくれたよね!?」
「………持って来るか馬鹿!!!」
がくっとうな垂れる藍さんに、一夜さんは嬉しそうに笑いかける。
「聞いた!?藍、鍵無いんだって。残念だけど、もうしばらくこうしてなきゃね!」
困ったなぁと言いながら…困った様子は微塵もない。
「一夜さん…嬉しそうじゃねえか、むしろ…」
「ええ………」
一つ小さなため息をついて、草薙さんは藍さんに近づく。
「三日月?」
「………申し訳ありませんでした」
「申し訳ないってなぁ…お前、自分がやったことわかってんのか!?」
いつになく真剣な草薙さんに、皆静まり返る。
「何か変だって思ったんなら…一人で抱え込まずに俺に言えって、何度言ったら分かってくれんだよ!?」
「草薙隊長………」
俯く藍さんの目から、大粒の涙がこぼれる。
「お前のいる場所は…ここだろ?」
「………はい」
「お前は一人ぼっちなんかじゃねえし、いじめられっ子でもねえんだ。お前は俺達の大事な仲間なんだからな」
はっとした顔で、彼女は草薙さんを見る。
「いじめられっ子…って………」
「加納さんが話してくれたんです」
加納さんが同じ村出身だったということ、やはり彼女は覚えていなかったらしい。
「あなたが危険を冒して、聞き出そうとしていたことの大半は、彼が話してくださいましたよ…三日月さん」
藍さんの家に、橋下伍長が数人の大裳隊士を伴って入ってきた。
「橋下伍長…」
倒れている隊士の様子を見て、じろりと一夜さんを睨む。
「また…派手にやったものですね」
「非常時でしたから♪」
はあ、とため息をついて、彼は外の宇治原伍長を呼ぶ。
「まずは応急処置頼む。済み次第…取調べだ」
「おーわかった!任しとき」
腕まくりをする宇治原伍長に、待ってください!と藍さんが呼びかける。
「こんなひどい怪我なのに、応急処置が済み次第って…」
「時は一刻を争うのです、三日月さん」
橋下伍長は眼鏡をぐいっと持ち上げて、深刻な表情で彼女を見た。
「ロックと呼ばれる男を首謀者とする連中が、世直しと称し…紺青の街に火を放つ…その時は、刻一刻と近づいています」