ラストエピソード(その1)
目が覚めるとそこは…真っ暗な部屋。
目を擦る。
ぞくっと背筋が寒くなる。
…こわい。
「………誰か…いるの?」
真っ黒な暗闇。
どきどきと心臓が脈打つ。
「…ねえ!!!」
「………うるさいなぁ」
眠そうな…男の子の声。
「…風」
…そうだ。
『今日は遅くなるから、先に寝ててな』って小春さんに言われて、わたし…
風が絵本を読んでくれて…
目に涙が滲んでくる。
「びっくりしたぁ…わたし…風がいなくなっちゃったかと思った」
「…阿呆やなぁ」
めんどくさそうに、風は目を擦る。
「僕はどこへも行かへんから…安心して寝」
「………うん」
きょろきょろ辺りを見回す。
でも………何か変。
もう一度、風を見る。
「ねえ…風」
はっとする。
そこは一面の雪景色。
肌を刺す冷たい風。
小春さんの体から流れる、真っ赤な真っ赤な血。
…怒りに震える風の背中。
「………風!?」
そして。
燃え盛る炎。
喉が焼けるくらいに、熱い風。
人の焼ける、嫌なにおい。
真っ赤に光る………風の瞳。
「………風!!!」
はっとして、目を覚ます。
…真っ暗な部屋。
「………誰か…いるの?」
真っ黒な暗闇。
どきどきと心臓が脈打つ。
「…ねえ!!!」
「藍?」
聞こえて来たのは…穏やかなおばあちゃんの声。
「…おばあちゃん」…そうだ。
ここは白群ていう国で、私はおばあちゃんと一緒に、ここに住んでる。
本を読んでて、早く寝なさいって言われて、布団に入ったんだった。
「怖い夢…見たの」
目に涙が滲んでくる。
「びっくりしたぁ…わたし…おばあちゃんがいなくなっちゃったかと思った」
ふふふ、と優しい顔でおばあちゃんは笑う。
「おばあちゃんはどこへも行かないよ…だから、安心してお休み」
「………うん」
布団を被って目をつぶる。
そして、もう一度目をあけると………
そこは土のにおいのする…お墓だった。
糊の効いたブラウスが、ちくちく肌を刺す。
おばあちゃん…
「いい人だったのにね」
「まだ…若かったのに」
村の人達が涙を堪えながら囁きあっている。
「藍ちゃんを一人残して…さぞ心残りだったろう」
「どうなるのかな…あの子」
「後のことは…地主さん夫婦に頼んであったみたいだけどねぇ」
「でも………」
こそこそ話す大人達。
地主夫婦を見る。
「どうしたもんかね…」
嘆くようにつぶやく奥さん。
「頼むなんて言われても………」
「まあ…それなりに財産も残していってくれたことだし、困ったら紺青の『花街』にでも売っちまえばいいさ。綺麗な顔してるじゃないか、あの娘…」
「あんた………それはあんまりじゃないかい?」
「だから………最悪の場合って話をしてるんだよ、俺は」
ハナマチって…何だろう?
私…どうなっちゃうんだろう?
不安で体がずっしり重くなる。
ぞくぞく背筋が寒くなって見つめた、蝋人形みたいなおばあちゃんの顔。
冷たくなって…硬くなって………もう、動かない。
「………おばあちゃん」
頬を流れる涙に気づいて、目を覚ます。
…真っ暗な部屋。
「………誰か…いるの?」
真っ黒な暗闇。
どきどきと心臓が脈打つ。
「…ねえ!!!」
「………んだよ、うるせえなぁ」
聞こえて来たのは…ぶっきらぼうな少年の声。
「…孝志郎」
…そうだ。
私は白群を離れて、一ノ瀬のおうちに…孝志郎の所に貰われて来たんだった。
目に涙が滲んでくる。
「びっくりしたぁ…私…孝志郎、どこか行っちゃったのかと思ったわ」
たく…と呆れたみたいに孝志郎がつぶやく。
「前の家では一人で寝てたんだろうが…何だよ?その『怖いから一緒に寝よう』ってのは」
「………だって」
口を尖らせる私を見て、変に真面目な顔になる。
「こんな夜中に、お前と一緒にいるの見つかったら…親父に怒鳴られんの、俺なんだぞ?」
「………なんで?」
言葉に詰まり、顔を真っ赤にして、なんででもいいだろうが…とつぶやく。
「お前が寝るまでここにいてやるから…だから、安心してさっさと寝ろっての」
「………うん」
目を閉じる。
孝志郎がいてくれるから…大丈夫。
うとうとと、瞼が重くなる。
目が覚めるとそこは…真っ暗な部屋。
「………誰か…いるの?」
真っ黒な暗闇。
どきどきと心臓が脈打つ。
「…ねえ!!!」
………返事はない。
落ち着け…藍。
私………そうだ。
一ノ瀬のお家を出て…一人暮らし、始めたんじゃない。
だから…誰もいないのは当たり前でしょ?
でも………
ここ…どこだろう?
私の家じゃないし…
そっか…ここは、一夜の家だ。
でも、何で私…こんな所に一人でいるんだろう?
『好きに使っていいからね、俺の部屋』
どきんと心臓が高鳴る。
そうだった…一夜は………
涙が溢れてくる。
息が…出来ない。
あの夜。
苦しいくらい強く優しく抱きしめられて…
あんなに安心したこと、今までなかったのに。
どこにも行かないって、約束したのに。
…嘘つき。
「一…夜っ…」
嗚咽が漏れる。
「………一夜ぁ!!!」
突然ガチャッとドアが開く。
向こうの部屋から、あたたかな明かりが漏れ入ってくる。
「どうしたの!?」
目を丸くして私に駆け寄ってきたのは…一夜。
………あれ?
「私…一夜が…いなくなっちゃったかと思って」
ぎゅっと…あったかい胸に抱きしめられるが…
まだ心臓はどきどきしている。
「…びっくりしたぁ………」
「びっくりしたのはこっちだよ」
困ったように笑って、おでこに優しくキスしてくれる。
「『明日早いから先に寝るね!』って…帰って風呂上がるなり即行布団に入ったのは、どこのどなただったかな?」
「………ごめん」
いいよ、と微笑んで、一夜は私の隣に横たわった。
その胸に、耳をくっつける。
とくとくと、心臓が拍動する音。
…生きてる音。
………馬鹿だなぁ、私。
「一夜?」
「なぁに?」
「どこへも…行かないでね」
「………どうかなぁ」
………?
「さっき…怖い夢でも見てたんでしょ?」
「…そうだけど」
嬉しそうににこにこ笑いながら、ぎゅっと私の体を抱きしめる。
「これが現実かどうか…確かめてみなくちゃわかんないじゃん?」
「…ちょ…ちょっと………一夜!?」
「逃げちゃ駄目だよー、ちゃあんと確認しなきゃ♪」
「だ…駄目!今日は…駄目だってばっ………一夜!」
「…ふわぁ………ぁ」
大あくびをする藍さんに、橋下伍長の冷たい視線が飛んだ。
すみません…と赤い顔で小さくなる彼女を、呆れた目でちらりと見て、草薙さんが尋ねる。
「で…盗まれた『神器』の件でしたっけ?」
それは数ヶ月前、天一隊の『宝物殿』から消えた『神器』のこと。
「覚えてらっしゃるかと思いますが、整理しますと…」
橋下伍長が資料を広げる。
最初は…紺青の街で起こった強盗事件だった。
「あの…一夜さんが人質にした人達ですよね?」
「………そうでしたね」
「彼らは…『闇の市場で見知らぬ人物から購入した』と…証言しています」
次に…志乃様の誘拐事件。
「飯塚…でしたっけ。あいつは元々、裏取引に関わってる人物だった訳なんですけど…そのツテで入手したとか」
気を取り直した様子で、引き締まった表情の藍さんが言う。
そして…不正経理に端を発する、十二神将隊を巻き込む『ジェイド』の密売事件。
橋下伍長が険しい表情で、眼鏡に手をやる。
「その件は…後ほど詳しくお話します」
「じゃあ…その後っていうと………胡粉の公爵の事件か」
霞さんの…誘拐事件。
草薙さんと顔を見合わせる。
「胡粉って…どこだっけか?」
「紺青の少し西にある国でしたね…確か」
そう、と藍さんがすまし顔で言う。
「白虎隊の…槌谷隊長の統轄下にある国ですので、草薙隊長はちゃーんとお勉強してくださいね」
「…はいよ」
「で…そいつは?」
橋下伍長が僕達を見渡す。
「どうも…国で手に入れたと証言しているようで」
「国って…胡粉で?」
「その通り…紺青で盗まれた『神器』が西の闇市場に流れていた、ということです」
それと…と、彼は僕達の前に三枚の紙を広げる。
それは、十二神将隊士の経歴書のようなもの。
三人の隊士の名は…本間、加納、伊藤とある。
加納は天后隊士。
本間と伊藤は天空隊士…既に除隊済みとある。
「これ………」
藍さんが顔色を変える。
「伊藤さんて…いつ…亡くなられたんですか?」
彼についていたのは、死亡した隊士のみに付けられる除隊表示なのだという。
伊藤というのは…
源隊長達が踏み込んだ『ジェイド』の密売現場で、橋下伍長を人質にしていた隊士である。
ため息をついて、橋下伍長は額に手をやる。
「取調べのため拘留中に………自害しまして」
言葉を失う。
迂闊でした、とつぶやいて、彼は無念そうな顔をした。
「軍関係者数名を含む、あの場に居た人物の取調べを進めているのですが、中心人物はその伊藤という男のようで…『良い儲け話がある』と持ちかけられただけで、詳しい事情は知らない、というんですよ」
難しい顔で腕組みをする草薙さん。
「つまり、真相は謎…と」
「加納という人は…どうなんですか?」
僕の顔を困ったように見て、橋下伍長は首を振る。
「当時負った傷はもう大分回復しまして、取調べを行っているのですが…何も話してはくれませんで…」
「…そうですか」
「伊藤のこともありますので…下手に刺激しては危険ですから、慎重に進めております」
んー…と唸りながら、三人の経歴書を眺めていた藍さん。
一点でぴたりと、視線が止まる。
「………どうかしました?」
え?と目を見開いて僕の顔を見る。
「………いえ」
橋下伍長が小さくため息をつき、不本意そうな顔で彼女に問いかける。
「何かお気づきのことがあれば、教えていただけるとありがたいのですが?」
「いえ、何も…すみません」
その時。
草薙さんと藍さんの無線がけたたましく鳴った。
「…殺人だぁ?」
眉をつり上げて草薙さんが聞き返す。
思わず、藍さんと顔を見合わせる。
それは、紺青でこの所続いている、上流階級の貴族を狙った強盗殺人事件だ。
家長である、爵位を持った男性ばかりが殺されている。
「使用人やその他の家族は無事です。屋敷の地下室に閉じ込められていたようで…」
「こないだも…縛られてたけど、命に別状はありませんでしたよね」
隊士達の報告を聞きながら、草薙さんがタバコに火をつける。
「家は荒らされてるが、持ち去られた物は無い…と。これも、こないだと一緒だな」
「いよいよ…怨恨の線が濃厚になりましたね」
隊士の一人の言葉に、うーん…と藍さんが首を捻る。
「でも………以前殺害されていた三人と、今回の公爵に…接点って考えにくいんですけど」
「………何でそう思うんだ?」
「前の三人は、比較的ご高齢で文官の上位にいらっしゃる方でした。けど…今回はうちの、朔月の父と同じくらいのお年ですし、軍の司令部にいらっしゃる方ですもの。親類関係も、前の三人もそうでしたけど、ありませんでしたし…」
どう思います?と尋ねられ、困って大きく首を振る。
青い顔をした被害者の子息に、藍さんが気遣いつつ、尋ねる。
「そんな………父が誰かに恨まれるだなんて」
震える声で彼は答える。
「特定の女性が居たわけではないようですし…遊びは多少派手だったようですが、父は母を…本当に愛していましたから」
彼の母上はショックで倒れ、病院に運ばれてしまった。
「遊びっていうと…」
「『花街』ですか」
藍さんの言葉に、お恥ずかしい話ですが…と頷く。
「ですがそれも、少し前までの話で。贔屓にしていた花姫が身請けされて店を離れてしまったのだとか…ある時私にだけ、こっそり話してくれたことがありました」
「…そうですか」
藍さんがきょろきょろと辺りを見渡す。
「…三日月、何か気になることでもあるのか?」
「え?…いえ」
怪訝な顔で、草薙さんが彼女の顔を覗き込む。
「お前…さっきからちょっと変だぞ?」
「そうですかぁ?別に…本当に何でもないんだけどなぁ」
不本意そうにつぶやいて、藍さんは屋敷を見上げた。
「亡くなってた部屋って…あの窓のある部屋ですか?」
東向きの窓のあるその部屋からは、おそらく紺青の城がよく見えることだろう。
うむ…と、また何か考え込む様子の藍さん。
草薙さんが、僕の袖を引っ張って、事情聴取の隊士達の背後に引っ張っていく。
何ですか?と尋ねると、しっ…と人差し指を立てて、声を潜めた。
「あいつ…多分、また何か企んでるぞ」
「藍さんが…ですか?」
そう…と低い声で言って、隊士達から報告を受ける藍さんの横顔を、じっと見つめる。
「長年の勘ってやつかな…右京、あいつから目離さないでいてくんねえかな?」
俺じゃ怪しまれると思うから…と耳打ち。
藍さんは強いし、頭が良いのもわかるのだが、正義感と使命感が先行して、単独行動に陥りやすい所があるような気がする。
しかも…相手は殺人犯ときている。
何か起こってからでは遅い。
「…わかりました」
僕が頷くと、頼んだぞ、と草薙さんはほっとしたように微笑んだ。
どこ行くんですか?と僕が声をかけると、藍さんは少し変な顔をした。
見つかっちゃった…とでもいうような、気まずそうな表情。
「いえ…別に」
「僕、ご一緒してもいいですか?霞様にこちらのお手伝いをするように、仰せつかったんですけど…草薙さん、何も指示してくださらないものですから」
もう…と呆れ顔でため息をつく表情は、すっかりいつもの様子に戻っていたけど。
「でも…申し訳ないんですけど、私も何もなくって。ちょっと気分転換に、見回りがてらお散歩のつもりなんですけど…」
「じゃあ、僕も一緒に行きます!…ご迷惑ですか?」
「………え?………いえっ、そんなことないですよ?」
曖昧に笑う藍さん。
やっぱり…どこか変。
隊舎を出ると。
「あのぉ………実は、孝志郎のところへ行こうと思ってるんです」
彼女は言いにくそうにそう言って、上目遣いに僕を見た。
「孝志郎さんの所ですか?」
「ええ…最近の殺人事件って貴族を狙ったものですよね?だから…一ノ瀬のおじ様とか孝志郎とかも心配で」
「でも…孝志郎さんは、武器の扱い大丈夫みたいだっておっしゃってませんでしたっけ?」
そうなんですけど…と曖昧に答えて、頭を掻く。
そして藍さんは、少し躊躇った様子で、実はね…と顔を赤らめた。
「古泉卿のお宅も…一ノ瀬邸のご近所なんですよ」
…古泉卿。
「一夜さんの…お父上ですか?」
「そう!そうなんです………あの方、別に女性がどうこうではないと思うんですけど…お仕事柄、お客様とのお付き合いとかで『花街』はよく使ってらっしゃるみたいで」
古泉卿は、古くからの貴族でありながら発展的な人で、軍や官の公的な仕事にはつかず、商業で富を得ているのだと聞いたことがある。
「なるほど…だから一夜さんは、『花街』を庭みたいにしてたんですね、納得…」
『納得しました』と言いかけて…藍さんの鋭い視線に、言葉を失う。
「…すみません、何でもないです」
いえ、いいんですけど…と、小さく一つ咳払い。
「さっきのご子息が『花街』がどうとかおっしゃってたでしょ?だから…ちょっとだけ、心配になって」
ああ…それで。
「お父様想いなんですね、藍さんて」
「いや、それほどでも……………じゃなくて!!!」
藍さんは真っ赤な顔で、僕の襟を思い切り掴む。
「ちょっと待ってください右京様!?お父様じゃありませんお父様じゃ!!!」
「そうでしたね…『まだ』」
「まだって…何馬鹿なこと言ってるんですか!?私一夜と付き合い始めてまだ半年も経ってないんですよ!?毎日一緒にいるって言ったって、まだまだ知らないこといっぱいあるし!だいたいあの女ったらしが一体いつまで大人しくしてられるのか、私はまだまだ信用出来てないんですからね!!!いくら一夜が早く結婚しようって言ってたって私は」
「そうなんですか…良かったですね」
はっとした顔で俯き…
襟を掴んだ手に更に力が篭る。
………苦しい。
「だからぁ…そういう話をしてるんじゃないんですってば………」
「…わ………わかり…ました………わかりましたから」
藍さんの手から解放され、ふう…と大きく深呼吸。
その時。
「お前達…何してるんだ?こんな所で」
振り返ると、孝志郎さんが首を傾げてこちらを見ていた。
「また喧嘩か?藍…右京に迷惑かけるのも、いい加減にしないか」
「…私!?」
何でよぉ…と不満げにつぶやく藍さんに、吹き出しそうになって…また、睨まれる。
事情を話すと、それは物騒だな…と顔を曇らせる。
「白蓮も身重だし…注意しなきゃいかんな」
白蓮さんと孝志郎さんには、春先に子供が生まれる予定だ。
嬉しそうに目を輝かせて、藍さんが尋ねる。
「白蓮、体の具合はどう?赤ちゃんも順調?」
ああ、と孝志郎さんも目を細めて頷く。
「花蓮様が時々様子を見に来てくださってな…うちは母が早くに亡くなってるから、色々と助かってるよ」
「…そっか。花蓮様、子供産んでますもんね…そう言えば」
「今日は何かと辛口ですね、右京様」
ポニーテールに手をやって、藍さんがもう一度孝志郎さんを見る。
「ちょっと寄って行ってもいい?」
「勿論。あいつも喜ぶよ」
一ノ瀬邸は、少し異様な雰囲気に包まれていた。
門の傍には、数人の兵士達が、無線で何か連絡を取り合いながら立っている。
「これは…一体何事です?」
厳しい表情で問いかける孝志郎さんに、慌てて彼らは敬礼をする。
「いえ………実は、奥方にお尋ねしたいことがありまして…」
「…白蓮に?」
藍さんが、僕の隣で表情を変える。
「ちょっと失礼…」
険しい表情で言い、兵士達の制止を振り切って門をくぐり、屋敷の奥に消えた。
やがて聞こえてくる…争うような話し声。
「三日月伍長、困ります!」
「いいから…出て行ってください!!!」
二人の兵士の腕を掴み、藍さんは僕達のところに戻ってきた。
門の奥からは、お腹の大きい白蓮さんが、不安そうにその様子を見守っている。
藍さんに追い出された兵士達は、少し焦った様子で彼女に非難の声を出す。
「一体どういうおつもりです?任務を妨害されては困ります」
「我々は上の命令で…」
「上ってどなたです!?お名前を教えてください」
困ったように、兵士達は顔を見合わせる。
「教えていただけないのでしたら…せめてこう、お伝えくださいますか?」
腕を胸の前で組んで、藍さんは依然強気な態度で彼らに迫る。
「おじ様が外訪でお留守だからと言って…こんな勝手なことをされては困ります。兄は確かに罪を得た者ですが、私もおりますし…このような行為は一ノ瀬家への冒涜であると」
「では…三日月伍長」
一人が気を取り直したように、鋭い目で彼女を見る。
「こういうことでしょうか?一ノ瀬公は、この一連の殺人事件の解決にご協力くださらないと…」
そんなことを申し上げてるんじゃありません、と吐き捨てるように言う。
「こういうことをなさるならなさるで、きちんと事前に言っていただかなくては困る、と申し上げているんです!おじ様は…一ノ瀬公は、今日のことご存知なんですか?」
彼女の詰問に…黙りこむ兵士達。
彼らを冷たい目で見て、低い声で藍さんが言う。
「お分かりになりましたら…お帰りください」
使用人の女性がお茶を運んで来たが、彼女に礼だけ述べ、後は皆黙り込んだままだった。
「あの………三日月さん」
白蓮さんの絹のような高い声が、重い沈黙を破る。
「さっきの方々のお話…本当なんですか?その…」
ん?と面倒そうに藍さんも口を開く。
「殺人事件のこと?………そうだけど…」
あなたには関係ないのよ、とつぶやくように言う彼女に、白蓮さんが立ち上がって反論する。
「でも…あの方々は」
「関係ないでしょ?」
「そんなことありません。皆さん私が『花街』で働いていた頃に…ご贔屓にしてくださってた方ばかりです」
………え?
白蓮…と諭すような藍さんの声が飛ぶが。
彼女は首を振って、話を続ける。
「孝志郎様にも、ちゃんとお話してあります。例え覚えていらっしゃらなかったとしても、私は孝志郎様の…一ノ瀬家の妻ですもの。私の汚い部分も、全部知っておいていただかなくてはいけませんから、前にきちんとお話しました」
驚いた様子で目を丸くした藍さんに、孝志郎さんが微笑んで頷く。
ほっとしたように一つため息をついて、白蓮さんは僕を見る。
「そう…皆さんには以前、本当にお世話になったんです。だから…先ほどの方々は、そのことでいらっしゃったみたいなんですけど」
だったらそれこそ無関係だわ、と藍さんが頬杖をついて言う。
「もし、孝志郎やおじ様に隠しているんだったら、隠蔽の為に誰かに殺害を依頼する…ってことも、考えられなくは無いでしょうけど」
「…そんなこと…白蓮さんを疑ってたんですか!?あの人達…」
「直接は言って無かったですけど…そんな口ぶりでしたよ」
まったく、と藍さんが苛立った様子でため息をつく。
孝志郎さんが、顔色の悪い白蓮さんを気遣うように見る。
「何か…心当たりがあるのか?」
藍さんがテーブルを叩き、お茶の入ったカップがガチャン!と大きな音を立てる。
「孝志郎!あなたねぇ」
「…藍、少し落ち着け」
「自分の奥さんが信じられないの!?そんなの」
「そうじゃない」
突然の強い口調に、彼女は唇を噛んで黙り込む。
「信じてるからこそ…訊いてるんじゃないか。それに、白蓮の知ってることが、犯人逮捕の何かのきっかけになるかもしれないだろ?」
「………そうね。ごめんなさい」
「でも…すみません。お役に立てるようなことは何も…」
白蓮さんは悲しそうに首を振る。
「あのお店を辞めてからは、一度もお会いしてないんです」
彼らの方も…突然一ノ瀬公の家に入った彼女に、会いたくはなかっただろうと思う。
そうか、と優しい表情の孝志郎さんがつぶやく。
「だが、何か思い出したことがあったら…藍達に教えてやってくれ」
はい、とにっこり微笑む白蓮さんに、僕も何だか安心して笑顔になる。
が………
藍さんは依然…暗い表情のまま、一点を見つめていた。
「伊藤さんが亡くなったそうね」
何気ない私の言葉に、加納くんは顔色を変えた。
まだ傷の癒えきらない、彼の治療の為に訪れた留置所。
『源隊長自ら行かれなくても…それでなくともお忙しいんですし、我々でやりますから』
隊士達はそんな、有難いことを言ってくれるのだけど。
あんなことがあったのだ。
心配で…自分の目で確かめなくては気がすまなかった。
加納くんの状態…
体だけでなく………心も。
黙り込んだ彼に、にっこり微笑みかけてみる。
「傷、もう大分いいみたいね。発見が早かったから…処置が早くて本当に良かった」
「………ありがとうございました」
「お礼なら、私じゃなくて四之宮さんに言って頂戴。あなたのピンチを私達に知らせてくれたのは、彼女なんだから」
「…四之宮が」
みんな心配してるわよ…と言うと、彼は涙を流し、深々と頭を下げた。
「本当に………申し訳ありませんでした」
むせび泣く彼の肩を抱いて、いいのよ、と微笑む。
「今はまず…体を治すこと。それだけに専念して頂戴」
「………はい」
それと………
「いい?絶対………変なこと、考えちゃ駄目よ。あなたも医師なら分かるでしょ?人の命が…どれだけ重いか」
何も答えず、彼はしばらく黙っていたが…
か細い声で、はい…と約束してくれた。
ほっとして、よし!とにっこり微笑む。
「じゃ、また来るわね。ごはんもしっかり食べるのよ」
彼は何も言わず、また深々と頭を下げた。
留置室を出た私を待っていたのは、厳しい表情の橋下くん。
「…何?」
「どうだ?何か…聞き出せたか?」
思わずかっとなって…言い返す。
「聞き出すってねぇ…あなた、彼はまだ怪我がしっかり治ってないのよ!?私はあくまで、彼の治療のために来てるの。取調べはあなた達のお仕事でしょ?」
「それはそうだが…気心の知れた同じ隊の隊長になら、話しやすいんじゃないかと思って」
いい!?と声を張り上げる。
「無茶な取調べは絶対にしないでね。うちの隊士が伊藤さんみたいなことになったら、橋下くん…私、あなたのこと一生許さないから!」
この言葉は…本当に心からの言葉だった。
きっと、聞こえているはずだ。
暗い留置室にうずくまる…加納くんの耳にも。