霞姫誘拐事件(後編)
薬か何かで眠らされていたらしい。
目を覚ますと、そこは暗い、石造りの小さな部屋だった。
外に向けた窓はなく、金属の厚い扉が一つ。
湿っぽく冷たい空気が、扉上部の鉄格子の窓から流れてくる。
また…皆に迷惑をかけてしまった。
右京様………藍………
きっと…心配してるだろうな。
背伸びをして、鉄格子の外を見る。
と………
目の前は丸い部屋で、壁に沿って似たような金属の扉がいくつもある。
さっきの男の姿はない。
「誰か…いらっしゃいませんか?」
小さな声で、呼びかけてみる。
誰かが駆けつける気配もない。
思い切って…もう一度。
「ねえ…答えて。誰かいるなら…」
かすかに人の気配がする。
鉄の扉の向こうに…誰かいるのだろうか。
「私…紺青国の第一王女、霞と申します。あなた達は…私と同じようにどこかから連れ去られてきたのではありませんか?」
若い女性のすすりなく声。
「私も…紺青の隣国の王女です」
「………私は」
口々に名乗る女性達。
驚いたことに…紺青の近隣国の皇族の娘達ばかりだ。
突然何者かにここに連れてこられ、以来ずっと閉じ込められているのだという。
数人の遣いの男が、交代で水と食料を運んでくる。
小さなシャワー室のようなものもあり、衛生状態もそう悪くはないようだ。
暴力を振るわれるようなこともないが…
日に一度、細面の中年の男が部屋に入ってくるのだという。
「その男…何を?」
「絵を…描いています」
獲物を狙う鷲のような目で彼女達を見据え、怯えたその姿をキャンパスに黙々と描く。
その異様な光景を思い浮かべると………少し背筋が寒くなる。
「以前………抵抗して、逃げようとした女性が一人、いらっしゃったのですが………」
すぐに捕まり…その後は、行方が知れないのだという。
「霞様………私達、どうなってしまうのですか?」
「助けは…来るのでしょうか?」
その時。
コツコツと、靴の音がする。
静かに…と、彼女たちに声をかけ、息を潜める。
ガチャリ、と錠が外れる音。
そして…
一人の男が、部屋に入ってきた。
見覚えのある…その男。
「あなたは………胡粉国の?」
「…覚えておいででしたか…霞姫」
細い目がきらりと光る。
それは、近国胡粉の公爵。
確か近年若い妻を娶ったが…病死してしまったとか。
「一体…何をお考えなのです?こんなことをして…」
「姫…お立場をわきまえられたほうがよろしいかと」
にやりと笑い、彼は手のひらをかざしてみせる。
「あなたのお命はこの…私の手の上に載っているのですから。このように…」
ぐっと拳を握る。
「捻り潰してしまうことなど…造作ないことなのですよ?」
女性達は皆、黙って私達のやりとりに聞き入っている様子。
震える体にぐっと力を込め、声を張り上げる。
「あなたの目的は一体何なのです?」
「絵を………」
「………絵?」
左様、と、彼はまた卑しい笑みを浮かべる。
「あなたの絵を、描かせていただきたい」
『…って訳だから、三日月!くれぐれも気をつけてな』
「了解しました」
『一夜さん、一緒にいるんだろ?』
「………ええ」
『ならいい。絶対一人で動くなよ!』
はあい、と間延びした返事をして無線を切る。
周囲を見渡す。
…誰もいない。
ふう、と一つため息をつく。
一夜…うまく撒いたみたいだ。
姫攫いか…
胡粉の公爵。
40も半ばに差し掛かる今まで、一度も妻を娶ることはなかった。
昨年若い皇族の娘を妻にしたが…
半年ほどして娘の不貞が発覚し…直後に彼女は不審な病死。
そして…公爵も姿を消した。
絵が趣味だったのだという。
彼の去った屋敷からは、死んだ娘を描いた絵が何十枚も見つかっている。
花嫁衣裳の娘、部屋着姿の娘、瑞々しい裸像。
そして、驚くべきことに…
娘の死に顔までも、彼は絵に残していたのだ。
奇妙な事件であった。
そして、その数ヶ月後。
胡粉の近隣国で、皇族の若い娘が次々に姿を消した。
一人は国を離れた荒野で、無残な姿で見つかった。
が…まだ多くの女性が行方不明のままだ。
そいつが犯人だとすれば…
「霞様を狙うなんて…何て大それた奴」
憤りのあまり、思わずつぶやく。
「けど………何で私に『一人になるな』なんて言うんだろう?」
夜空を仰いだ…その瞬間。
真っ暗だった目の前が、突如真っ白になる。
「なっ………!?」
眩しい光を避けるように、両腕で顔を覆うが…
体のあちこちに光の糸が食い込み、キリキリと締め付ける。
気づくと、私の体は光の網に捕らえられてしまっていた。
「………これは」
「これで…10人目か」
男の低い声。
「あなた…!?」
あの背格好、目つき…間違いない。
「霞様を攫った男ね!?」
「…公爵の悪趣味には困ったものだが」
ちらりと横目で見る先に、もう一人、黒い服の大男が立っている。
「まあ、金払いもいいことだし…よかろう」
「死体を捨てるのだけは…ちと、手間だったがな」
「あなた達…ちょっと!!!」
冷たい目が私を見る。
「煩いお姫様だな…こちらは」
「お姫様って…一体何のことよ!?」
よくわからんが、と隣の男がにやりと笑う。
「貴様…紺青の王家の血を引いているのだろう?」
「な…何でそんな事………」
お父さんのこと…古くからの上流階級の人間にとっては、公然の秘密なのだと、以前一夜から聞いたことがある。
「つまり…世が世ならば、貴様のような跳ねっかえりもお姫様というわけだ」
「コレクションに加えるにはもってこいの珍種…というところか」
「コレクションって…意味わかんないわよ!ちょっと…」
体を捻って、『氷花』を抜こうとするが…
もがけばもがくほど、光の糸が食い込んで、体の自由が利かない。
これ………
『神器』?
「離しなさい!!!」
「…本当に、元気な娘だ」
光の網ごと、私の体をずるずると引きずり、その場を離れようとする男達。
目を硬く閉じ…叫ぶ。
「…誰か!お願い誰か助けて!!!」
その時。
ふいに…強い風が吹いた。
男の手にしている光の網が、ざっくりと切り裂かれる。
急な事態に反応できず、背中から地面に叩きつけられる。
「いっ…!!!」
焦った様子で男が叫ぶ。
「何奴!?」
背後から近づく、誰かの足音。
「お前達に名乗るような名前は…持っちゃいないね」
暗がりから姿を現したのは…
いつも通りにこやかに笑う、一夜だった。
彼は地面に倒れた私を見下ろして、得意そうに尋ねる。
「助けを呼んだのは、お嬢さん?」
「………そう…だけど………」
「さっきそこの角で俺を撒いたのも…お嬢さんだよね?」
「………悪かったわよ」
「え?何?…よく、聞こえなかったけど」
はあ、とため息をついて、差し出された手を握る。
「ごめんなさい!私が悪かった!!!」
よし!とにっこり笑って、一夜は私の髪を優しく撫でた。
「貴様!その女を渡せ!!!」
男達が腰の剣を抜く。
すらりとした刃は、燃えるように赤く光っている。
「…あれは」
「『神器』のようだね」
藍は下がって、という一夜に慌てて反論する。
「大丈夫よ!私も…」
「何度も言わせないで。俺怒ってるんだから」
にこにこ笑いながら…低い声で言う。
「…一夜?」
「『藍が心配だから来た』ってさっき、俺言ったでしょ?」
私を後ろに押しやり、背を向けたまま言う。
「あれね………本当は、孝志郎に言われたんだ」
…孝志郎が?
「あいつ、昔の記憶を失っててもやっぱり…自然と藍のこと、気にかけちゃうんだろうね」
やっぱりあいつには勝てないなぁと思ってさ。
そうつぶやいて一夜は、『大通連』を抜いた。
男達の剣が大きく燃え盛り。
炎の塊がこちらに向け、放たれる。
「一夜!」
『巴』
静かに唱えた一夜の刀の先端から放たれた空圧が、炎を貫き、男の肩に突き刺さった。
「ぐあっ!!!」
男の肩から真っ赤な血が吹き出す。
その凄惨な光景に動じることなく、一夜は男に近づく。
「霞様はどこ?」
「…な………」
大量出血のために青白い顔をした男は、尻餅をついて動けなくなっている。
もう一人の男が…
隙をついて、走り出した。
「…一夜!!!」
焦って叫ぶ私に、大丈夫だよと静かに言う。
「だって………え!?」
男はなぜか、青ざめた顔で後ずさり、こちらへ戻ってくる。
見るとその先には…
『水鏡』を突きつけた、右京様の姿。
「右京様………」
「霞様はどこだ?」
「………あ…ああ………」
青白い光を放つ刀ごしに見える、右京様の目はいつになく…鋭い。
「言え!!!」
離れた所にいる私まで圧倒されるような…気迫。
男はがっくり地面に座り込み、場所を告げた。
鉄の扉に耳をつける。
公爵は、どこかへ行ってしまったようだ。
そっと着物の袖を引く。
静かに…扉が少し開いた。
さっき公爵が出て行く時に、取りすがる振りをして着物を挟んでおいたのだ。
がちゃり、と錠の引っかかる音。
手を伸ばして、錠に触れる。
鍵穴………あった。
何か…針金のようなもの、無いかしら。
髪留めのピンを伸ばして、穴に差し入れてみる。
『こういうの得意なんです』と…以前藍が教えてくれた。
見様見真似でやってみる。
しばし苦戦した後。
なんと………開いた。
そっと外に出てみる。
ほっとして、小さくため息をつく。
が。
「何をしている!?」
丸い部屋から通じる細い廊下の奥から、小柄な男が走ってきた。
「お前!!!」
めげそうになる自分に喝を入れ、息を止めた。
…負けない。
襲い掛かってくる男の腕を、ぐっと体を屈めて掴む。
『いいですか?霞様。自分より大きな敵に突然襲い掛かられた時は…』
男の体重を使い、地面に引き倒す。
『そして…腕を捻りあげます!』
藍に腕を捻られ、悲鳴を上げていた草薙隊長の姿を思い出す。
「いっ…痛い……は………離せぇっ………」
男の懐から鍵束を奪い、思い切ってそれで後頭部を殴る。
ぐったりした男に…ちょっと不安になる。
この人、大丈夫かしら………
でも…そんなこと、今は気にしていられない。
周囲の扉に呼びかける。
「皆さん!!!逃げましょう!!!」
いくつもの部屋から叫ぶような声がして、急いで扉の錠を開けていく。
中には、恐怖から食べ物が喉を通らなかったらしく、衰弱している娘もいる。
彼女に肩を貸してやりながら、男のやってきた通路から、外へ向かう。
と………
目の前に、赤い炎が見える。
「そう簡単に…行かせはしないぞ!」
ひきつった笑いを浮かべている…公爵の姿。
手にしたナイフは…炎の『神器』のようだ。
足を止め、悲鳴を上げる娘達。
「さあ、霞………悪いことは言わぬ。引き返すがいい…」
「………霞様」
公爵は私達を勝ち誇った表情で見ながら、ナイフをかざし、迫る。
「どうだ?…貴様一人が逃げおおせたとて、他の姫達はどうなると思う?」
「…あなたは………」
ここまでか………
右京様………
その時。
突然男の首筋に、青白い刃が突きつけられる。
男の額を一筋、汗が流れる。
「動くな」
暗がりで、刀を手にした男が静かに言う。
ふっと体から力が抜け…
地面にぺたりと膝をつく。
「………右京…様………」
手錠をかけた公爵を一緒に来ていた騰蛇隊の隊士に任せ、彼はにっこり微笑んだ。
「霞様…お怪我はありませんか?」
「はい………」
涙が溢れる。
よかった…とため息混じりにつぶやいて、優しく私の体を抱き寄せる。
…あったかい。
「遅くなってすみませんでした…恐かったでしょう?」
耳元に、右京様の温かい吐息を感じる。
「いえ………」
だって…信じてたもの。
右京様が来てくださるって…
それに…
騰蛇隊士達の背後に、大きな瞳を潤ませた藍の姿があった。
藍、ありがとう…
あなたのお陰。
本当ですか?と少し笑いを含んだ声で訊く、右京様。
「ええ…本当です」
思わず口を尖らせる。
でも………
右京様の胸元をぎゅっと掴む。
「ほんのちょっとだけ………恐かったです」
紺青を少し離れた荒野にあった、その地下牢から姫達を救い出し、城に戻る頃には。
空は白み、朝を告げる鳥が鳴き始めていた。
「右京」
草薙さんが楽しそうに僕を呼ぶ。
手招きされた方へ行ってみると。
来斗さんや孝志郎さん達に背中を押されながら、藍さんが真っ赤な目で僕を見つめていた。
すぐ傍まで近づくと、ぺこり、と深く頭を下げる。
「ごめんなさい!!!」
「…えっ?」
「私…ヤキモチ妬いてたんです!霞様のこと…」
「藍さん…」
「勝手なことばっかりして、みんなの足引っ張って…本当にごめんなさい!!!」
剣護さんや草薙さんは含み笑いをして、彼女と僕を交互に見ている。
「…藍さん」
「と…いう訳なんだけど」
頭を下げたままの藍さんのポニーテールをひょい、と引っ張り、一夜さんが微笑む。
「許してやってくれる?」
思わず僕も…微笑んで答える。
「勿論!」
ほっとしたように、頬を赤らめた藍さんが笑う。
たく、と草薙さんが呆れた様子でため息をついた。
「お前らは本当に手がかかるんだからよぉ…すまないっていうんだったら、板ばさみになってた俺にも一言謝って欲しいもんだぜ」
「…確かに」
「すみませんでした、草薙さん」
いいんだいいんだ、と、僕達の頭に手を置いて得意そうに言う草薙さん。
そして…
霞様が僕達に近づいて来た。
「右京様…」
何でしょう?と微笑んでみせると、まるで幼い少女みたいにはにかんで笑う。
彼女の背後で、大臣が少し不機嫌そうに口を開く。
「姫救出に尽力した右京殿に…霞様が何か褒美を取らせるとおっしゃるのですが…」
「…褒美?」
はい、と彼女は小声で言って、頬を赤らめて頷く。
………褒美って…言われても。
「それなら簡単ですよ!」
一夜さんが明るい声で言う。
「…何よ?」
「右京が頂戴したいご褒美と言ったら…ねぇ?」
ぴっと人差し指を立てる。
「やっぱり………霞様を」
「一夜!!!」
剣護さんがすかさず後頭部を殴りつける。
「…痛」
「当たり前だ馬鹿!!!………すみません、あの…こいつの言うことは、一切気になさらないでください」
一夜さんに怒鳴り、怖い顔をしている大臣に焦ったように笑いかける。
話題を逸らそうと、藍さんも冷や汗を掻きながら笑って僕を見る。
「そうそう!右京様…どうなさるんですかぁ?」
「………え…ええっ?………そう…ですねぇ………」
一夜さんが変なこと言うから………
何か………
周囲のみんなの期待の眼差しが………痛い。
……………そうだ。
「僕は…まだ…騰蛇隊預かり、という身分のままなんですよね?」
「え…ええ。それが?」
「でしたら僕は…もっと、霞様をお傍でお守りするようなお勤めを…させて頂きたく思います」
霞様の頬が赤く染まる。
多分、僕もそんな感じなんだろう…顔が熱い。
「…如何でしょうか?」
「ええ………勿論」
「じゃあ…」
「でもそれじゃ、なんかつまらなくない?」
口を挟んだのは…まだ懲りてないらしい…一夜さん。
こらっ!と小声で怒鳴る藍さんを押しのけて、僕達に近づいてくる。
「こういうのはどうでしょう?」
「………何でしょう?」
睨む僕に…大丈夫、と言うように微笑む。
「霞様をもっとお傍でお守りする、と共に、もっとお傍に感じられるような…」
…お傍に感じる?
「例えば」
「…例えば?」
「『さん』付けで呼んでみる…とか」
「霞…さん………ですか?」
かぁっと顔が熱くなる。
俯いたままの霞様が…つぶやく。
「いい…ですね………」
「え!?」
何か言いたげな大臣を押しとどめ、素敵!と藍さんがはしゃいだ声を出す。
「じゃあ決まりですね!一夜ってばたまにはいい事言うじゃない!?ねぇ、右京様?」
「え…でも………心の準備が…まだ…」
「なんなら、霞『ちゃん』でもいいんじゃない?」
「…霞『さん』で、お願いします」
霞『さん』が…少し潤んだ瞳で僕を見る。
「右京様………よろしくお願いします」
すぅっ…と一つ、深呼吸をして。
僕もじっと…彼女を見た。
「よろしくお願いします………霞さん」
『コレクター』のイメージです。
それにしても…こいつら恥ずかしい。