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兄の心妹知らず…とか、剣護の受難のお話(前編)

「碧玉隊長!」

返事をせずにいると、隊士が肩を叩いて再度、碧玉隊長、と呼ぶ。

振り返ると、彼はびっくりしたように後ずさった。

「そ…蒼玉隊長でしたか!?」

無礼を働いてしまったと思ったのか、彼は若干青ざめている。

やはり、近くで見るとわかるのか。

「…いや、驚かせてすまない」

今日は僕が碧の緑色の忍装束を身に付けているのだ。

碧は逆に、僕の青い忍装束を着ている。

「一体…どうなさったんです?」


『服ひっくり返してもわかんないんじゃないですか?』

『大通連』の手入れのことで六合隊を訪れた古泉が、何の気なしに放ったその言葉。

それが、えらく碧の気に障ったらしいのだ。

『だって二人ともすっごく似てるんだもん』

確かに、僕と碧は背格好も似ているし、男女の双子だというのに顔つきも良く似ている。

『…そんなことはない。忍びの訓練を受けた六合の隊士ならば、見分けられて当然。見分けがつかんというのは、お前のように大雑把な人間だけだ』

眉間に皺を寄せて彼女が言うと、古泉は挑戦的な笑みを浮かべて僕達を交互に見た。

『じゃ、賭けましょうか?』

『賭け?』

『一日服を交換してみて、誰も間違わなければお二人の勝ち。誰か一人でも間違ったら俺の勝ち!その刀の修理代賭けましょうよ』

『…お前、何を』

『いいだろう』

碧はじっと彼を睨んだ。

『望むところだ』

じゃ決まり、と両手を打って、彼は楽しそうに笑った。

『ちゃんと教えてくださいね、嘘ついちゃ駄目だよ?』

『当たり前だ!お前ではあるまいし、嘘などつくものか!』


この賭け、今のところは碧の思惑通りになっている。

全くあの古泉という男は…

やっと監禁状態が解除されたかと思ったら、今度は訳の分からんことを吹っかけてくる。

一流の剣術使いらしいというのは伝え聞いているが、つくづく妙な男だ。

そんなことを考えながら、長い渡り廊下を歩いていた。

その時。

「碧玉様!!!」

振り返ると、そこに立っていたのは切羽詰った表情の隊士。

「お話があります!」

「?」

彼はどうやら、僕だと気づいていないらしい。

教えてやるべきか…

そう思案していると、彼が僕の右手をぐっと掴んだ。

「おい…」

「碧玉様!俺…」

その言葉に…

頭が真っ白になった。

「俺、碧玉様のことが好きです!!!」


最近の十二神将隊は、とにかく会議が多い。

それがどの程度かと言うと、『会議は割と好き』と言う三日月がうんざりするくらい、多い。

隊の編成のこと、予算のこと、などなど…

総隊長は特にもめることなく浅倉愁に決まったのだったが、それでも尚、決めることは山積しているのである。

「じゃあ、今日はこのへんで」

愁が言って、多忙な隊長達はバタバタと席を立ち始める。

その時。

「あーーー!ちょっと待って!!!」

突然開いたドアの隙間から、封筒の束を抱えた宇治原さんが滑り込んできた。

「お忙しいとこすみません。こないだの健康診断の結果が出ましたんで、この場をお借りして、お返ししたいんですけど」

「健康診断…」

「そういえば、そんなものもあったわねぇ」

おっとりとつぶやく槌谷と、もう少し同じ空間にいられることが、ちょっとだけ嬉しかったりして。

順不同に名前を呼んでは封筒を渡す、彼の手つきには無駄がない。

俺は基本的に怪我も病気もしないタチなので、天后隊にはあまり縁がないのだが。

デキるんだろうなぁ…あの人。

「源隊長」

「え?…はーい」

戻ってからでもよかったのに…とつぶやき、不思議そうに封筒を受け取る咲良さん。

じっ…と宇治原さんは彼女の目を見る。

「何?」

「えーと…源隊長」

ぱっと表情を変えて、にっこり言う。

「『もうすこしがんばりま賞』!」

……………。

咲良さんが俯いて、封筒をぎゅっと握り締める。

しばし、隊長連に沈黙が流れる。

「…ふざけるなぁぁぁ!!!」

いつも穏やかで、物静かな咲良さんの怒鳴り声に、皆驚いて硬直する。

「えっ?おもろなかったっすか???」

「おもろくなんかないわよ!あなた中見たの!!??」

「え???いやぁだって検査したの、俺らやし」

「だからってねぇ!残念って一体どこの話っていうか………もぉぉぉ…バカ!!!」

ぷっ…と思わず噴出した剣護を、咲良さんがおっかない顔で睨む。

「あ…すみません」

「…ふぉふぉふぉ、源は元気じゃのう」

柳雲斎先生がからからと笑い、ようやく張り詰めた空気が溶けて、皆の表情が緩む。

真っ赤な顔で俯く、咲良さんを可笑しそうに見ている宇治原さん。

ピリピリした場の空気を、自分とこの隊長をからかうことで、和ませようとでも思ったのだろうか。心がけはなかなかだけど…俺はやられたくないなぁ…

「…ちっ」

ん???

きょろきょろ周囲を見渡す。

…誰だ?今の…

確かに………

でも…何で?


隊舎に帰り、書類を作っている三日月に声を掛ける。

「なあ、三日月」

何でしょう?と聞き返す三日月は、忙しいらしく俺の方を振り返りもしない。

こんなこと、今聞くことでもないんだけど………

「どうしたんですか?草薙隊長」

「あ…それがな」

彼女の隣の、空いていた椅子に腰掛ける。

「たいしたことじゃねえんだけどさ…」

「だから…何?」

これ以上イライラさせてもしょうがないので、聞くことにする。

「高瀬隊長と咲良さんって…何かあったのか?」

「…高瀬隊長?」

きょとん、とした目が俺を見る。

「何かって?」

「いや…」

さっきの話をする。

小さく舌打ちしてたのは、確かに高瀬隊長だったと思うんだけど…

んー…首をかしげる三日月。

「やっぱ、わかんねーよな?」

「いや、そうじゃなくて」

反対方向に首をかしげ、彼女は俺に聞き返す。

「草薙隊長、知らないの?」


霞様に用事を頼まれ、騰蛇隊舎へ行こうと城を出る。

その時。

「源隊長?」

城門の傍で、天后隊の源隊長を見かけ、声をかけた。

「あら、右京くん」

以前『ジェイド』の取引現場で助けて以来だったので、どことなく居心地が悪い。

しかし、まるで何事もなかったかのように、彼女はにこやかに微笑み返してくれる。

「どうなさったんですか?今日は」

「ええ。お城で急病の方がいらっしゃるというので…」

でも、大したことなくてよかったです、と微笑む。

病院へ帰る道すがら世間話をしていたら、あ、そうだ!と手を打って僕を見る。

「右京くんって、甥っ子とか姪っ子とか…いる?」

「…ええ、まぁ」

健在な兄が8人もおりますので…というと、彼女は興味津々の様子。

「お子さんが生まれたときのお祝いって、何が喜ばれるものかしら?」

「お祝いですか?」

うーん………

意外な質問に、ちょっと戸惑ってしまう。

「甥御さんか姪御さんが出来たんですか?」

「ええ。兄に男の子が生まれたもので」

嬉しそうににこにこ笑う。

「お兄さん、ですか?」

しっかり者っぽい印象なので、妹か弟かと思ったけど。

ちょっと意外。

「ええ。源の兄の方にね」

「………源の兄?」

それは…源『じゃない』兄がいるってこと?

「ええ。兄は二人いるので…源の兄と、高瀬の兄と、ね」

「………高瀬???」

それって…もしかして………

知らなかったの?と、彼女は不思議そうに目を大きくして首を傾げる。

「天一隊の高瀬隊長は、私の兄よ」


「まぁ確かに、あの人達あんましそのこと言わないもんなぁ」

隊舎にやってきた剣護も、どうやら知っていたらしい。

咲良さんの父親である源卿は、子供の無い実姉夫婦の跡取りとして、二男一女いた実子の中から、次男坊を養子に出したのだという。それが高瀬聖隊長。

従って、高瀬隊長は咲良さんの実のお兄さんというわけだ。

舌打ちねぇ、と一夜さんが愉快そうに言う。

「やっぱ妹にちょっかい出す男は、気に食わないのかなぁ」

剣護がじろっと一夜さんを見る。

「お前…よかったな」

「なにが?」

「孝志郎さんだよ…藍にちょっかい出すなんて、昔の孝志郎さんだったら大変だぞ!?」

「ああ…それね」

三日月が書類の整理をしていた手を止める。

「一夜…孝志郎に変なこと吹き込んだでしょ?」

「え?何のこと?」

俺と剣護の顔を見て、あのね、と困った表情でつぶやく。

「『孝志郎は俺と藍のこと、すごく応援してくれてたんだぜ』って」

………なんと。

「おい…一夜」

呆れ顔の剣護が一夜さんの肩を掴む。

「いい加減なことばっか言ってると…お前いつか血を見るぞ?」

「………なんで?」

…確かに。

もし、万が一孝志郎さんの記憶が戻ったとして。

事実を知った孝志郎さん………か。

恐ろし過ぎる。


「おじゃましまーす」

隊舎の入り口に、珍しい人物が立っていた。

「周平じゃないか」

天空隊の伍長、桐嶋周平。

来斗さん同様、あまり他の隊に顔を出さないのである。

何事だろうと思って尋ねると、ちょっと困ったように笑う。

「いえ、実は用事があるのは一夜さんにでして…」

「俺?何?」

あのぉ、と彼は、好奇心いっぱいの顔で一夜さんに近づく。

「南地区にある花屋、ご存知ですか?」

「…花屋?」

「そのお花屋さんがどうかしたの?」

三日月が不思議そうに尋ねる。

「いえね、看板娘のお嬢さんがとてもお綺麗だったので、もしかして一夜さんがご存知だったりして…って思って」

「知らないけど」

なら安心、と彼はほっとしたように微笑む。

「ちょっと声かけてみようかなぁって思ったんですけどね、一夜さんのお知り合いだとあれだなぁと思っちゃったもので」

前々から思ってはいたが………気障な笑顔が勘に障る。

こいつ、一夜さんほどではないが、かなり女の子に人気があるらしいのだ。

回りくどい言い方で逃げているが、要は一夜さんのお古は嫌だって言いたいわけ。

…うっとおしい奴。

「へえ、そんな可愛い子がいるんだ。藍知ってた?」

一夜さん…それを三日月に訊くか?

彼女は何故か、ちょっと妙な顔をして答える。

「え?うん………まぁ」

「…三日月さん、どうかしました?」

周平が不思議そうに尋ねると、慌てていえいえ何でも!と手を振る。

「でも………まぁ…その…都には素敵な女性いっぱいいるんだし、周平くん、別にその子にこだわらなくてもいいんじゃないかしらぁって…思ってね」

歯に物が挟まったような言い方。

…気になるな。

「何だよ?三日月。はっきり言え」

「…うるさいなぁ、草薙隊長は黙っててっ」

小声で言う三日月の袖を引っ張る、剣護。

「おい」

「…えっ?………なあに?」

「お前…」

何か言いかけた剣護と三日月の間に、一夜さんが首を突っ込む。

「何何!?剣護も何か知ってるの?その子のこと」

「ああ!?………お、お前には関係ねえだろうが!」

あっやしいなぁ、と楽しそうに目を細める一夜さん。

剣護の首に腕を回す。

それは、女の子が彼氏に甘えるようなしぐさである。

「な…何すんだよ気持ちわりぃ」

「教えてくれないの?」

「…んなことされたって教えるかバカ!」

「そっかぁ…じゃあ………」

俯き加減で剣護の首筋に顔を埋め。

「こうだ」

回した腕に力を込め、ぎゅううう…とその首を絞め始めた。

「ぐっ………くる…しい………」

「ねぇ、駄目ぇ?」

「は……はなせ………」

剣護は青い顔で、目を白黒させている。

一夜さんは甘えるようににこにこ笑っているが、相当な力が篭もっている様子。

「剣護ってばぁ…教えてよぉ」

「………わ………わかったから………はな…せ………」

目をきらっと輝かせ、ぱっと手を離す一夜さん。

「やったぁ、剣護だーいすきっ」

「………けほけほけほっ……」

「だ、大丈夫剣護!!??」

三日月が剣護の背中をさすって、一夜さんを睨む。

一夜さんはというと、そんなことなどお構いなしに、剣護の言葉を興味津々に待っている。

「………滅茶苦茶だなぁこの人」

「何?龍介何か言った?」

「い…いえ!何も言ってませんっ」

目に涙を浮かべた剣護が、頭を掻きながらつぶやく。

「その…花屋の子?それさ…」

「うんうんっ」

楽しそうな一夜さんを不愉快そうに見て、ぼそり、とつぶやく。

「俺の…昔の彼女だよ」


「すげぇだろ?」

好奇心いっぱいの目をした草薙さんの話に、はぁ、と間の抜けた相槌を打つ。

「何だよ、面白くねえか?」

「うーん…」

藍さんが両手を腰に当て、呆れ顔で僕達を見る。

「あなたねぇ、そんな他人の古傷取り上げて何が面白いのよ?」

「…三日月、お前こそ、何でそんなこと知ってたんだよ?」

あ…と固まる藍さんに、少し傷ついた顔の剣護さんがつぶやく。

「本当にお前は情報通だよなぁ…感心したぜ」

「え…あははは」

「一夜さんも知らなかったんですか?その話」

椅子の背を抱えるように座っていた剣護さんは、頭を掻きながら答える。

「だって…前にも言ったかも知れないけどさ、俺あいつと女絡みの話したことねぇから」

一夜さんは刀の補修を頼んでいた六合隊に行ってしまったが、良い事聞いちゃった♪と、それはそれは楽しそうだったらしい。

「でも…もう何年くらい前の話だったかしら?確か…」

「俺が伍長になって一年くらいの頃だから、もう5~6年前だよ」

何で今になってこんな騒がれにゃならんのだ…とつぶやく剣護さん。

「あの…何で、駄目になっちゃったんですか?」

皆の視線が僕に集まる。

「…興味あんのか?右京…」

「え?…あの」

この流れ…もしかして聞いて欲しいのかなと思ったんだけど。

私もそれは聞いてない、と藍さんが首を傾げてみせる。

「何かあったの?だってあなたのその様子だと…」

「…引きずってますって感じだぞ、剣護」

眉間に皺を寄せる剣護さん。

「別に…大したことじゃねえよ」

「大したことじゃなかったら…ねぇ」

「教えてくれても…なぁ」

旧友二人の追及に恨めしそうな視線を投げた後、俺が悪かったの、とつぶやく。

「俺が仕事仕事で全然構ってやれなくてさ…」

「なるほど…」

「いわゆる…『仕事と私とどっちが大事なの!?』って…やつか」

真面目だもんねぇ剣護は、と藍さんがため息をつく。

…重いなぁ。

「剣護さん…」

うな垂れている剣護さんの傍に座り込む。

「僕…分かります」

「…えっ!?」

「右京様???」

目を丸くしている剣護さんの肩に手を置く。

「忙しさにかまけて、つい、彼女に甘えてしまうんですよね…で、喧嘩する度に反省するんだけどやっぱり………それで、気づいたときにはもう、遅いっていうか」

「…わかってくれるか右京!?」

励ましあう僕達の視界の隅で、騰蛇コンビがつぶやく。

「そっか…右京様って確かに、そういうタイプかも」

「右京も燕支で…色々あったんだな、きっと」

その時。

お邪魔します、という女性の柔らかい声が隊舎に響く。

入り口を見つめ、剣護さんが硬直する。

不思議そうに草薙さんが尋ねる。

「何か御用ですか?」

「ええ…あの」

藍さんが不自然な作り笑いで僕達を制し、女性に言う。

「あなたお花屋さんの、美咲さんでしたっけ?お久しぶり、お元気でした?」

「ええ、お陰さまで…三日月さんもお元気そうですね」

「はい、まぁ…」

草薙さんと顔を見合わせる。

「お花屋さんって………」

「………まさか」

動揺を抑えるように大きく一つ深呼吸をして、剣護さんが立ち上がる。

「どうしたんだ?こんなところに用事なんて…」

「剣護くん…」

「何かあったのか?」

「それが…」

予想通りらしく、話題の女性は剣護さんの目をじっと見つめ、切羽詰った様子で言う。

「…お願いしたいことがあるの」

「…お願い?」

「そう…剣護くんにしか頼めなくて…こんなこと」

少し顔を赤らめ、剣護さんが彼女の瞳を見つめ返す。

「…何だ?」

「それが………」


「………何が可笑しい?」

げらげら笑う古泉に思わず眉をひそめる。

「あ…いやいや。で、それ碧玉隊長には?」

「…言えるわけがなかろう」

『このこと碧玉隊長には、絶対に言わないでください!』

彼に土下座までされてしまったのだ。

「賭けは俺の勝ちってことになるけど…それ言っちゃうと碧玉隊長にバレちゃうしなぁ」

うーん…と両腕を組む古泉だが、その顔は楽しくて仕方がないといった表情。

…人の気も知らないで。

「じゃ、とりあえずあなた方の勝ちってことにして、お代は倍払います。で、半分は後で返してくださいね。…っていうんでどうです?」

「それだと…賭けは成立しないではないか」

そんなの、と涼しい顔で笑い、髪をかき上げる。

「蒼玉隊長、人間誰しも追い詰められれば、間違えることだってありますよ。例えそれが愛する人だとしても…ね。今日こそ想いを告白するんだって思いつめてればさ、しかも瓜二つのお兄ちゃんと洋服が入れ替わってたなんて…間違えても仕方ないですって」

「…まあ、な」

「俺としては彼の気持ちを応援したい。というわけなので、今回は引き分けってことでいいです」

「………そうか」

「…で」

古泉は興味津々の目で僕を見る。

「蒼玉隊長は?彼のこと、応援してあげるんですか?」


「どうすんの?」

藍さんがお茶を入れながら剣護さんに言う。

どうすんのって…彼は頭を抱えてつぶやく。

「引き受けるっつったもんは…しょうがねえだろうが」

彼女の話は、こうだ。

結婚を考えている人がいる。

その人は天一隊の隊士で、家柄もよく、両親は大賛成なのだそうだが…

『兄がどうしても、駄目だと』

彼女の兄上は、涼風公直属の軍人なのだそうだ。

藍さん曰く、剣術武術に優れた『絵に描いたような軍人さん』らしい。

天一隊の隊士というのは士官学校の教官として後進の教育に従事しているが、担当する分野は様々で、必ずしも武力に秀でた人とは限らないのだという。

『彼は教室での講義を担当していて、あまり剣術は得意じゃないんですが…男のくせに剣術一つろくに出来ないような奴には妹はやれん、と…』

そう。

『彼に剣術を教えて欲しい』というのだ。

「ずるいよなぁ…それをよりにもよって剣護に頼むか?あの子も」

「しょーがないでしょ?彼女の身になってみたら、他に剣術の出来る人なんて、お兄さん以外に思いつかないじゃない」

あの、と剣護さんに声をかける。

「何なら…僕が」

「それには及ばないよ!右京」

隊舎の入り口でブイサインをする、その人物。

剣護さんが頭を抱えてうずくまる。

「…聞いてたんですか、一夜さん」

「もっちろん!こんな面白い…もとい、重大なこと、何で俺に言ってくれないのさ!?」

無視を決め込む剣護さんの背中を勢いよく叩く。

「剣護も忙しいだろ!?幸い俺は今、笹倉道場の師範代という身分だからね、剣術を教えるのは本業ってわけ。どう?ここは俺に任せて…」

「………あの」

隊舎の入り口に、見慣れない人物が立っていた。

「飯田さん?」

藍さんが訊くと、彼は弱々しく笑って頷く。

「じゃあ…あなたが美咲さんの?」

「………はい」

剣護さんの前に進み出て、飯田さんは深々と頭を下げる。

「こんなことに巻き込んで…本当に申し訳ありません。けど…よろしくお願いします!」

彼はどうやら、剣護さんと美咲さんの一件を知らないらしい。

一夜さんがよそ行きの笑顔を作り、二人の間に入る。

「ああ、そのことだったら聞きました。俺、彼の出身道場の師範代でして」

「………え?」

飯田さんの顔が青ざめる。

いやだなぁそんな顔して、と、一夜さんが爽やかに笑う。

「ご心配なく、教えることなら俺、片桐隊長より自信ありますから」

「…えと………でも」

彼はきっと『勾陣の般若』こと、古泉隊長の恐ろしさを知っているのだろう。

どうやって断ろうか…という具合に、目が泳いでいる。

その様子に…

呆れた顔でため息をついた剣護さんが、よろしく、と彼に向けて差し出された、一夜さんの右手を振り払う。

「心配ねえよ!こいつは勝手にこんなこと言ってるだけ。俺がちゃんと面倒看てやっから」

「ほ…本当ですか!?」

「けど…厳しいぞ」

「…頑張ります!だから…」

その時。

隊舎に飛び込んできた人物。

「飯田はいるか!?」

ドスの利いた声を響かせたその人物は、僕にも見覚えがあった。

確か、城の護衛隊の隊長だったはず。

「野村小隊長じゃありませんか?」

「おお…これはこれは、右京様。いやはやあなたも一枚噛んでおられるとは…」

「一枚…って」

彼は他の人達には目もくれず、飯田さんの傍にずかずか進むと、むんずとその胸倉を掴む。

「ひっ………」

「貴様、覚悟は出来ているのだろうな!?」

藍さんと顔を見合わせる。

つまり…野村小隊長が、美咲さんのお兄さんということか。

「では…いつにする?」

「いつ…って」

「勝負の日程に決まっておろう!?」

怒鳴り声に顔を背け、飯田さんは小さく震えているように見える。

「まぁ、お待ちください。彼はまだ、素人さんですから」

にこやかに一夜さんが言う。

ここはどうやら…彼に任せておいたほうが良さそうだ。

怖い顔で睨む野村小隊長に、一夜さんが両手を広げて見せる。

「十日、くださいませんか?」

「…十日!?」

「お…おい、一夜」

目を丸くする飯田さんと剣護さんを尻目に、一夜さんは澄まして言う。

「剣術は、そう短期間で上達出来るもんじゃありませんからね、十日じゃ短過ぎるくらいなんですけど…あんまりお待たせしてもいけませんし、その間にお二人の情熱が冷めてしまうようなことがあってもいけません。どうでしょう?十日後にうちの、笹倉道場であなたと飯田くんで、妹の美咲さんを賭けた剣術の試合をする、ということで」

「む…むぅ。そうだな」

じろり、と野村小隊長は飯田さんを睨む。

「貴様も…それでよいのだな?」

「え!?えと………」

一夜さんも、飯田さんに微笑みかける。

「…出来ますよね?飯田くん」

「………え………」

「ね?飯田くん」

あの笑顔は………

「出たな…伝説の『般若の笑み』」

草薙さんがぽつり、とつぶやく。

蛇に睨まれた蛙状態の気の毒な飯田さんは、ごくり、と生唾を飲み込んで頷く。

「よし!じゃあ決まり!」

ぽん、と手を叩いて一夜さんが言う。

ふん、と鼻息も荒く、野村小隊長はまた飯田さんを睨みつけた。

「貴様…逃げるでないぞ」

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