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第2章『決闘と約束』

 サラマンテル学院。学院だ、俺は……ここで暮らすのだ。ブーメターン家の長兄として、しっかり自立しないと。血を俺で絶やさないために、良き妻を見つける。他家との繋がりを作る。ブーメターン家に俺が乗るのではなく、俺がブーメターン家を引くのだ。


 そうだろう? シェリ。


「はい。素晴らしい心がけだと思います、ラスタル様」


 それは良かった。シェリの声を聞けば自信がもてる。……しかし長い演説だな。隣に感じるシェリが困った微笑み。いかんな、困らせるのは良くない。


 ただっ広い原っぱ、サラマンテル学院の演習場だ。サラマンテル学院の入学式は、この演習場で執り行われる。俺と同期となる院生らは皆、この原っぱの上で整列、直立不動の姿勢だ。その姿勢のまま、学院長の長い訓示を聴かされ、学院長より短い院生総長の演説を聞かされている。ただ、長時間立ち続けた程度で倒れるような、軟弱な体力の者はいないらしい。


 しかし総長の話が終わり、入学式も閉会となった際には、参加者は誰もが疲れを隠そうとしなかった。


 解散。それだけで俺たち院生は自由となった。


 さて、と。義務をはたす努力をしにいこうか、シェリ。


「はい、ラスタル様。頑張って、です」


 今日はは入学式日和だ。多少、白い雲がかかっているが、快晴といっていい朗らかな天気だ。良かった。曇りや雨だと気分が滅入ってしまう。


「お嬢さん! お嬢さん!」

「え、あ、私のこと……でしょうか?」

「そうだよ。このあと一緒にお茶を飲みに行かないかの

誘い。どうかな?」

「ごめん。私、友達と約束があるんだ」

「そっか、残念。あっ、俺の名前はブーメターン・ラスタル。よかったら覚えて」

「うん、わかった、ラスタル」


 俺は手当たり次第に声をかけた。綺麗な女の子ばかりだ。恥ずかしさはなかった。50人くらいに話しかけて、やっと1人、色良い返事を聞けた。


「わ、わたくしでよろしければ……」


 銀髪でドリルみないなカール、瞳の色も銀。美人だが押しに弱い印象。……悪い娘に見えないけど悪い男に引っかからないか不安、そんな印象のある乙女。


「それではお嬢さん、一緒に行きましょ──」

「──おい、やめないか!」


 お嬢さんの白い手袋に包まれた手を引いた瞬間、俺の手は跳ね除けられ、そして捻りあげられた。気安いその野郎は金髪の男であり、今年入学の1期生の総長様だ。くそダラダラと演説した奴だ。


「……何でしょうか、総長殿」

「嫌がってるじゃないか。俺の目が青いうちは、この東の勇者ケリィ、いかなる蛮行も許さないよ」


 東の自称勇者ケリィは、そう、恥ずかしげもなく言い切った。


 捻り上げられた俺の手は今だ離されない。それどころかマメに、指先に強い力を込め痛みを押し付けてくる。ケリィの一見華奢な体に相応しくないまでの力だった。


 シェリは見ている。好ましい表情ではない。それは憤怒。今にはケリィを、その手でバラバラにしたがっている、そんな獣の顔だった。それを見たからこそ俺は逆に、冷静になれた。俺が冷静じゃなくちゃ、無駄に大きな衝突になる。


「わかりました。彼女を誘うのをやめます。……手、話してください」

「おっと、失礼」


 ケリィは爽やかなつもりなのだろうが、俺の目にはニタついているように見えた。解放された手首には、赤く、くっきりとケリィの手形が残っていた。


「悪いね。僕は力加減というものが苦手なんだ」


 僕は強いからね、とでも言いたいのだろうか?


 ケリィはその後、俺のことを見もせず、助けたと思っている。お嬢さんを連れてどこかに行ってしまった。……ケリィの鼻の下は伸びていた。嫌なものを見た。


 ケリィに痣をつけられた手首をさする。この痛みは決して忘れないだろう。


「災難だったな」と声をかけられた。男の声だ。


「お初だ。私の名はピクト・アフラハム。──あの東の勇者には関わらないほうがいい。あれは変わりもので、力がある」

「どうも。俺はブーメターン・ラスタルだ。確かにあれは変わってたよ」


 アフラハムとやらに苦笑された。


「変わっているのはキミもだ。入学式直後に一体、何人の乙女を口説くつまりだ」

「俺を婿として迎えてくれる家を探してるんだ、必死だよ」

「ははは、面白い冗談だ。嫁を迎える、だろ。……気をつけろよ、ラスタル。男の半分はその節操のなさを尊敬しているが、残りは嫉妬しているぞ」

「嫉妬だって、アフラハム」

「あぁ。目をかけた俺の女に声をかけやがって、俺もまだなのに、とな」

「意味がわからん」


 女の好感度をあげる計画を邪魔されて怒っているということだろうか? なるほど、下準備は大切だ。だが戦も女も生き物、時には準備や用意よりも速攻だ。嫉妬している男は、きっと機会を見送ってしまったのだ。好機を掴めないのは不運だが、それは別に俺のせいではないはずだ。なるほど嫉妬か。


「男も女も、嫉妬は怖いぞ、ラスタル」

「アフラハム、キミの忠告は肝に銘じておく」

「あぁ、銘じてくれ。かくいう私も、キミに嫉妬する側だからな」


 ハッハッハッ! と笑い声を残してアフラハムは去る。他の連れを待たせていたようで、何人かがアフラハムの背中に続いた。


 アフラハムに忠告されてしまった。気を付けよう。あっ! 美人な娘を見つけたぞ。声をかけよう。女の子の手を引く左手は今だフリーのままなのだ。




「楽しい時間だったわ。またお茶しましょ」

「えぇ、勿論そのときはまた俺から誘わせてくれ」

「またね」

「あぁ、またよろしく」


 手を振って、お茶に誘ったお嬢さんを見送った。


 俺は隠していた冷や汗をハンカチで拭う。いやー、さすがはサラマンテル学院で学ぼうという院生のお嬢さんだ。彼女とは、飛行船の突っ込んだ話題で盛り上がった。中性浮力マイナスの軽飛行船、中性浮力プラスの重飛行船、それぞれのタイプの飛行船についての短長に議論だ。彼女は軽飛行船派で、俺は重飛行船派。……会話中、何度も言っている意味があやふやになりかけ、冷や汗がとびかけた。もっと勉強しよ。


 サラマンテル学院は、主に飛行船に関することを学ぶ学校だ。


 自頭とかの話ではなく、レヴェルの違いを感じた。


「ラスタル様なら大丈夫ですよ。ずっと見てきた私が保障します」


 ありがと、シェリ。まだ不安が大きいが、潰れず立てそうだ。これから、これから。


 それにしてもサラマンテル街は、俺の知っている街とは

違って面白い。街は石作りで、明るい色の屋根が陽の光を反射している。どこにも対空塔がないし、どころか防空壕もない。飛行船から落とされるヒレ爆弾を受けたら、あっという間に瓦礫の山になるのではないか。美しいが、その美しさは触れれば壊れる儚さのようなものを感じる。


 サラマンテル学院の並ぶ店の看板には、飛行船修理の鈑金屋、重砲弾の売店、気嚢に充填するガス屋など、飛行船に関するおよそ必要なもの全てが揃っているようだ。


 俺の飛行船も、この街の店に世話になるだろう。


 飛行船といえば、アレに早く名前をつけてやらないと……。


「ラスタル様」


 どしたの?


「目の前に迷子です。可愛いですよ、声をかけませんか」


 シェリ、相手が可愛いから助ける、という基準は駄目だ。


「申し訳ありません、ラスタル様……」


 まっ、美人可愛いければ足も軽くはなる。


 見れば女の子でサラマンテル学院の制服だ。入学式初日は、制服の着用義務はないのに、気合が違う。俺なんて飛行船員礼服のままだぞ。


「お嬢さん、お困りですか?」

「あっ!」


 お嬢さんは眠たそうな目つきで俺を知っているように見てきた。何?


「あなたは下半身男」

「……」

「失礼。入学式の印象を口にしてしまいました、つい」


 下半身男……女の子ばかりに声をかけていたからか。男の本能丸出しと言いたいわけね。俺も男、下半身はトイレで使う以外にも使いたいことは否定しない。


「名前はブーメターン・ラスタル?」

「俺の名前ちゃんと覚えてくれていたんだ」

「勿論です。99回もこの耳で聞きましたから」


 その数はつまり、俺が声をかけた女の子の人数だ。


「あぁ、私の名前を名乗りましょう。私はメイロウ・ララリーナ。親しいものはララと呼びますが、ラスタルは呼ばなくてよいですよ」

「わかったよ、ララリーナ」

「よろしい、です」


 なんだかなぁ。小生意気な姪っ子に絡まれている気分だ。


「それでだ、ララ」

「ララはやめてください、通報しますよ」

「ララリーナ。お前、迷子じゃないのか?」

「まっ、お優しい。そうして私を裏路地に連れ込んでやらしいことをするのですね」

「エッチな本の読みすぎです」

「にしし。あなたも好きでしょ」

「お前、迷子だろ」

「ララリーナは迷子ではありません。仮に私が迷子だとしたら、それは人生の迷子です」

「そうか。ではまた明日、サヨナラ」


 俺は踵を返す。……服の端をつままれた。


「私は別に迷子ではないのですが、きっとあなたは1人だと寂しいと思うので、院生寮まで連れて行かれてもよいですよ」

「左様ででございますか」


 石畳の歩道を、ララリーナが少し遅れてついてくる。間違いない。ララリーナ……彼女は迷子だ。サラマンテル街は初めてなのだろう。


 1時間後。


 俺とララリーナは完全な迷子として、交番のおまわりさんに院生寮まで案内してもらうことになった。




 サラマンテル学院の方針が、勉学よりも院生同士の交流に比重を置いていることは、3日目で確信に変わった。というよりも基本的なことを知らない、または知らないことを放置したままにする馬鹿者はほとんどいないのだ。院生の自主的活動を、学院側は尊重していた。


 だから授業よりも、院生同士の勉強会や交流会が頻繁に催されていたし、奨励されていた。


 自由に使える時間はたくさんある。その時間を俺は、勉強会や交流会よりも、大図書館での調べ物に費やした。俺の知識が、サラマンテル学院のレヴェルではちょっと、冗談にならないからだ。


 大図書館の構造は、不思議なことに、上から見ると花びらのように螺旋を描くよう作られていた。花の中央にテーブルが用意されているが、それだけだ。1階以外の全ての階層にあるのは本を積まれた本棚だけだ。図書館であるが、ここで読むことはあまり考えられていない。


「……」


 中央テーブルについているのは、俺含めて数人だけ。隣では、シェリがぼんやりと、本を読むでもなく、こちらを眺めてくる……俺が集めた本の山は、それほど高くは作らなかった。


 持っていける本は1人3冊まで、と大図書館のルールがあるからだ。だから3冊だけ、本棚から本を引っ張ってきた。


『現代飛行船の特許集』

『飛ぶための10の魔法』

『気嚢保守修理資格をとるまで』


 本当はもっと交友関係を広げにいきたい。だがその為にも何をするにしても、きっかけである話のタネは必要なのだ。たくさん話のできる男はモテるのだ。


 そうは思わないか、シェリ。


「はい。えぇ、そう思います、ラスタル様。話し合いは基本です」


 だよな。良かった。俺は間違ってない。


 パラパラと、積んだ本を消化する。大体の内容でよいのなら、流し読みで充分に頭へ入れられる。基本があればそれだけで足りた。その後のことは1人ではなく、勉強会に顔をだして学ぶことだ。せっかく俺よりも詳しい人間が多いのに、教えてもらわないのは勿体無いというものだ。


 読み終わった本を戻す。


 大図書館は調べ物や資料集めには便利な場所だ。だがそこはやはり、勉強をしたり、友達をつくる場所ではないだろう。……1度にたくさんの本を読んだところで覚えられるものでもない。俺は本3冊だけで切り上げた。


 席を立ち、シェリがそれに続いてくれて、その時だ。


「おっと」


 俺の腰ほどしいかない人影が、すぐ脇を早足で駆け抜けていく。よっぽどの急ぎらしい。俺が注意するまもなく、それは大図書館の深くへ消えた。まあいいか。……角があったな?


 例え、俺の腰ほどの背丈でも大図書館にいるということは、サラマンテル学院の院生なのだろう。だが頭に、2本の硬そうな角は気になる。捻じれた羊のような角。俺の頭に角はない。亜人か? ……だからどうという話でもないか。亜人の院生もいるのだろう。


 角の人はよいのだが、これの辿ったのだろう道の先は、気にかけずにはいられなかった。望むと望まざるの選択はなかった。


「お前、どがすぎるぞ!」

「はぁ~……」

「お前人の話を聞いているのか!?」

「うるっさいなモブ野郎のクセに。野郎はお呼びじゃねーんだよ」

「何だと!」


 怒号。やりあっているのは2人だ。2人とも知っている顔だった。1人はアフラハム……もう1人はケリィだ。ケリィはふてぶてしい態度をとり、それにアフラハムは激怒していた。


 大図書館の入口は1つしかなく、これをアフラハムとケリィが塞いでいるわけで、閉塞された。


「で、何? 俺、忙しいんだけど、あんたと違って、1秒も無駄にできないの」

「……もういい。お前には何を言ったところで聞く耳もたんとわかった」

「あっそ、じゃ」


 ケリィは大図書館の中へと入り込む。軽薄な香水の臭気がした。ケリィは俺の存在に気がつき、大股で近づいてくる。


「失礼」


 肩をぶつけられた。どうしてさ。八つ当たりか。どうしてだろう。今、俺は無償にシェリをけしかけて、ケリィを竜の餌にしてやりたい気分だ


「アフラハム! どうした、ケリィとは喧嘩か」

「ラスタル、こんなところで会うとは……嫌なところを見られたな。ケリィと喧嘩だって? まさか。あれは私のことなんて眼中にない」

「そんな感じだな、ケリィの態度は」


 ケリィは大図書館で探し物らしい。


「大人しく本を読んでる性格だったとはおもわなかったな」

「それは正しいぞ、ラスタル。あの男は本を読みに大図書館にきたのではない」

「アフラハム、どういうことだ?」

「どういうこともなにも、あえは女を追って偶々ここについたのだ」


 慌てて駆け込んできた人を思い出す。……角の人、か。


「俺も似たようなもんだ。女の尻を追いかけている。そう、目くじらをたててやるな」


 正直、ケリィは好けない。だがだからと、ケリィの存在全てを否定もしない。ひき肉にして竜の餌にしてやりたい、そう考えるだけだ。それに男なら、女が気になるもんだ。


「ラスタル」

「なんだい」

「キミは乙女が隠そうとしている秘密を、無配慮に暴こうとするか?」

「いや。男も女も関係ない。秘密は守られるべきだ」

「だと思った」


 アフラハムは笑う。笑われた。……どうも、俺には納得がいかない。これは俺、褒められているのかな? だったらちょっと嬉しい。


「そういえばキミは、また迷子になったメイロウ嬢を助けたそうじゃないか」

「ん? あぁ、まあ、もう慣れたことだ。ララリーナがいつも迷子になっているのを見かけてしまうからな」


 ララリーナ“迷子姫”は、サラマンテル学院での生活は大変だ。なにせ日に2回以上はサラマンテル学院内で遭難している。そろそろ真剣に、案内人を雇うか、親密な友人をつくることを考えるべきだ。迷子になっていたせいで、風呂もご飯も抜きの生活が続いていたのを見たときは、悲しい気持ちになってしまう。シェリも、ララリーナを気にかけ心配していた。


「メイロウ嬢は、絶対に迷子になり続けるだろう。どうか彼女を見捨てないでやってくれ」

「アフラハム……俺は好きなんだ、ララリーナを助けるのがだ。見捨てなんてしない」

「聞きたい言葉で安心したよ、ラスタル。──彼女、ちょっと気にしていたんだ。ほら彼女、いつも1人だろ?」

「なるほどアフラハムは、ララリーナが心配なのだな」

「うむ。──そうだラスタル、キミの嫁にララリーナを迎えないか?」

「本人がいないところで勝手に言うことじゃないな」

「確かに。忘れてくれ、ラスタル」

「忘れよう、アフラハム」


 アフラハムとの会話は気を置かず楽だ。もし彼に1つだけ問題があるとすれば、同期生皆の人気者で、中々に時間を作れないことだろう。俺もいつかアフラハムと、対空賊心理学で議論したいものだ。


……さて、ララリーナを探すか。きっとまたどこかで迷子になっているはずだから。




「不潔です」


 メイロウ・ララリーナを見つけた。というより見つけられてしまった。よりにもよって女性を口説く瞬間を1人以上の場面をである。あちこちの女性に目移りする男は、ララリーナの目からは不潔であるらしい。まあ、そういう視点もあるだろう。ハーレム、唾棄すべし。あれは……地獄だ。地獄なのだ。


「迷子にならないために飛行船で昼寝していたらさ」

「はい、ララリーナさん」

「聞こえてくるわけですよ、黄色い声が」

「はい、ララリーナさん」

「発情した声が子守唄にされたんです」

「面目ありません、申し訳ないです、ララリーナさん」


 誓って、そう誓って俺は俺自身に恥じ入る真似はしていない。強引に手篭めにしたり、しつこく追い回してはいない。だがララリーナに不潔と見られてしまったからには、少なくとも彼女の中で俺は不潔なのだ。言いわけはしなかった。甘んじて受けよう。シェリは助けてくれない。つまりはそういうことなのだ。


「はぁ……まあこれ、私のただの愚痴なんですけどね。私が他人様の事情にとやかく言う権利もないわけですし」


 ララリーナ、渾身の深みある溜息を吐き出す。不潔だ、と口にしてはいても、それほど思ってはいない、ように見えた。だったならちょっと安心できる。俺は今、“ここ”にしか居場所がないのだから。


「俺のことはともかくだ。ララリーナは良い飛行船をもっているんだな」

「話を逸らした。でも褒められると悪い気分ではありません。この娘は黄金の比翼号です」

「美しい飛行船だな」

「でしょう」


 サラマンテル学院の露天係留場に『彼女』はいた。飛行船が格納庫にいないのは違和感だが、雨雪強風のんしタストリーセ浮遊大陸はこれで充分なのだそうだ。いや彼女の話だ。


 黄金の比翼号は一目で美しいの感性を刺激するデザインだ。白亜に黄金色の装飾を施された6発大型硬式重飛行船。物腰の良い女性のようにくびれたラインをもちながら、しかし先端を噛み付き型の大衝角があり、美しくも凶暴さがある。女性的だ。黄金と名前にあるが、黄金色はアクセント程度で比率は低い。でもこれは個人的にポイントの高いところ。


「攻撃的なデザインが気に入った。鮮やかだが獲物に対しては獰猛、南方の肉食魚のようだ」

「それはそうですよ。この娘は、貴族が大金をかけて作る見栄え一辺倒ではなくて、れっきとした『戦闘艦』ですから」

「これだけ大きな衝角だ。仮想敵は空賊じゃないように見えるが?」

「ご名答です。黄金の比翼号は、対同格飛行船同士の戦闘を主眼にしているのです」

「貴族同士の戦いか」


 どこの御家事情も似たようなものであるらしい。


「そういえばです、ラスタル」

「いきなりだな、ララリーナ」


 たたっ、とララリーナが間合いを詰めてくる。速い。完全に油断していた俺は、一瞬、嘘を吐かれたように動きが鈍った。母上に見られていたら、「腑抜けが!」とお叱りところだ。あっ、これいつもの父上だ。


「あなたの飛行船、私、まだ知りませんでしたし見たこともありません」

「黄金の比翼号に比べれば、ずっと小さい飛行船だ。恥ずかしいから嫌だ」

「勉強ですよ、勉強。私はどんなものも栄光にしてみます」


 黄金の比翼号に比べて恥ずかしい。こう言ってしまったのは不味かった。シェリがずっと、じーっ、と俺を見ている。とても目を合わせられない。あの飛行船はシェリと苦労をわかちあって作りあげたものだ。恥ずかしいとは不味かった、不味すぎた。ならば自信をもとう。俺はララリーナを手作り名無しの飛行船へ案内した。


「ラスタル、なんていう飛行船ですか?」


 80竜力双子の160竜力エンヂン双発の、小型硬式重飛行船。……なのだが、今はあちこちに破口があいて悲しい姿だ。機関連発砲に穿たれた穴は、ブーメターン領を出て少しずつ埋めてはいるが、予算と人手不足から穴あきのまま、放置しているのが大半だ。ようはみすぼらしい状態なのである。


「こいつはまだ名無しだ」

「え? それじゃ補助金の申請は書いていないのですか?」

「なんだそれ」

「飛行船の維持管理に関しては、書類を提出すれば補助金を受けられるのです」

「知らなかった、そんなものがあったなんて」

「お役所は自分たちが損をすることは一々教えてはくれませんからね」

「勉強不足てわけか」

「そういうことになります。ご自身の飛行船に関することを調べなかったのは罪です」

「……そうだな」


 傷だらけのこいつには悪いことをした。補助金が幾らほどでるかわからないが、こいつをもう少し治してやれたに違いない。すまない。俺はタストリーセ浮遊大陸まで連れてきてくれたこいつに報いていなかった。


「あのさ、他人のことだから私も言いたくないですけど、ラスタルはこの学院に何をしに来たんですか? 失礼ですが、ちょっと、流されるがまま来ちゃった感があります」

「……」


 俺は、答えることができなかった。


「まっ、私は何でも良いと思いますけどね」


 はにかみながらララリーナは言う。


「ですが! この娘が名無しのままは可哀想です!」


 名前、考えておかないとな。いつまでも名無しのままでは、思えば具合が悪い。名前……名前か。シェリに目配せ。……悲しい瞳が俺を見つめていた。口にだすわけでもなく、ただ、じっと目を合わせている。今のままの俺では、こいつに名前をつけてやることはできなさそうだ。




 圧巻の光景っ! 飛行場から飛行船が、一斉に飛び立つ瞬間である。大小様々な飛行船が、エンヂンを唸らせながら空へと浮く瞬間はやはり、何度見慣れようと胸に満ちるものがあった。


 1つだけ残念なことがあるとすればそれは、その光景の中に、俺とシェリと、俺たちの飛行船がいないことだ。教師陣のの抜き打ち検査で、当面の船団行動が禁止されているのだ。ようは、ボロいの直せ、である。


 ただ幸か不幸かはともかくとして、俺たちの飛行船の危険状態をかえりみて、志願院生1人を中心にした臨時整備チームを格安で申請できた。志願院生とそのチームは、アフラハムと彼の所のチームだ。もう彼には頭をあげられないかもしれない。


「ラスタルっ!」

「はいはい!」


 ありがたい。ありがたいのではあるが、アフラハムのお手伝いは中々に過酷だ。まず厳しい、次に厳しい、次の次に妥協を許してくれない。


「エンヂンは飛行船の命の1つなんだぞ。私も手を貸すが、キミの手と目で確認しないと、絶対に駄目だ」

「わかりやした、リーダー」

「リーダーはやめろ。……あと、はまらないパーツやネジを無理矢理にねじ込むのやめろ」

「へい、気をつけます」

「その口調もな」

「わかったよ、アフラハム」

「よろしい、ラスタル」


 エンヂンが、ホイップバルブでなく、スリープバルブであるがゆえに多いギアの調整に、心底から後悔とイラつきはあったが──ススと油まみれの体が気にならないくらい楽しくもあったのだから、不思議なものだ。抜いていた燃料を入れ直して小休憩。


「ラスタルは東の大陸から、この飛行船できたんだよな。無茶をやったものだ」

「浮遊大陸にたどり着いたとき、それは俺も感じた」

「飛空士失格ものだな。飛行船を虐めすぎだ。反抗されて、殺されるぞ」


 開いていたエンヂンカウルを閉じ、バックルを固定した。エンヂンはこれで終わり。消耗したエンヂンさえ何とかすれば、もう修理の8割がた終わりだ。


「メイロウ嬢の言っていたとおり、酷い状態だ。これはキミの、ハンドメイドの飛行船ではないのか? それにしては扱いが雑すぎるぞ」


 アフラハムの忠告には耳が痛くなる。こいつは、俺とシェリの共同制作だ。……だけどどうしてか、作っていたときほどの情熱をかけてやれなかった。決して嫌いになったわけではないのだが……。


 アフラハムの呆れるような溜息を、ゴウゴウと給油される燃料の音の中で聞く。


「……今度、院生同士の対抗試合があるそうだ」

「あぁ、そういえばそんなイベントもあったな。最低1試合は強制参加だったか」


 サラマンテル学院では、けっこうマメに飛行船を利用した試合があることは知っていた。試合というよりは、学院で何をモノにできたかの発表会だったはずだ。何の成果もないようなら強制退学だ。


「キミが1つ、勝ち星をあげるたびに、うちの上級メイドを1人紹介しよう」

「……本当?」

「本当だ、ラスタル。アフラハム、ピクト・アフラハムが誓う。だからもっと飛行船をいたわってやれ」


 上級メイドといえば、メイドではあるが上級階層の娘だ。欲を言えばアフラハムは紹介してくれるのなら、娘の両親とのパイプのがありがたいけど……やる気がでた。


「1試合目はケリィにしてくれると嬉しいね。キミがあの男を打ち負かしてくれるととても嬉しい」

「ケリィをか? どうして」

「ラスタル、私がどうしてここでキミの飛行船に手を貸していると思っている。私の飛行船が飛ばせないからだ」

「なるほど。ケリィにやられたわけか」


 アフラハムの瞳が閉じられた。どうやら正しいらしい。


「一方的だった。私のぶったぎり号が奴を見つけた瞬間──あぁ、一瞬でボロボロにされてしまった」


 何をされたのか。アフラハムに訊いてみたが、彼もわからなかったらしい。……ケリィはそれほど、強力な飛行船を持っているのか? ケリィの飛行船は知らない。しかしアフラハムの、ぶったぎり号は知っている。とても有名な飛行船だ。大陸違いの東の大陸の模型屋に並ぶほどの有名だ。本物を初めて目にしたときは興奮した。


 900竜力エンヂン4発、中型格闘重飛行船。正面と両翼の重衝角と、時速300キロを維持できる外装は極端に頑丈だ。贔屓目無しで弱小船ではない。


 ぶったぎり号を一方的に葬るか。ケリィとその飛行船、調べたほうがよさそうだ。


 何より勝って、上級メイドのお嬢様がたと知り合いたい。




 ケリィの情報は思ったより簡単に手に入った。彼はいつも女を侍らせて、自慢話に花を咲かせていたからだ。


「なるほど、わかりました、先輩」

「いいってことさ。──それより今度のお茶の誘いは期待させてね、後輩くん」


 ケリィは東の大陸の出身。驚いた、俺と同じだ。平民の生まれ。反権威主義反帝国主義。個人実力至上主義思想。正義感にそう行動を好む。出処不明の大きな資金をもつ。破天荒な行動多数。自己承認欲求強い。総じて、年齢不釣り合いの幼児傾向あり。


「ふむ……」


 大図書館の静かな空間で、俺はメモを走らせた。ケリィの性格については詳しい情報群だ。一言で切り捨てればケリィは、子供の山の大将か。自分自身を絶対としつつ、それを周囲に押し付けるだけの力をもっている。喧嘩騒ぎは数多く、問題に対しては暴力行為で解決したがる傾向も目立つ。


 妙なのはケリィの飛行船だ。これがどこにも存在していない。個人ドックを買ったのか……それにしても、情報が散りすぎているのが気がかりだ。はっきりとしたものは、ノイエ・ヒュッケバイン号という名前だけだ。ノイエ・ヒュッケバイン号がサラマンテル学院で交戦した記録は3件。アフラハムのぶった斬り号以外にも2件、戦っていたわけだ。しかし誰も、ノイエ・ヒュッケバイン号の攻撃を『見ていない』という不思議。


 わけがわから。


 シェリの手と知恵を貸してもらいたいところだが、なんとなく、俺1人でやらなければならない気がした。


 ノイエ・ヒュッケバイン号は、対戦相手にその存在を一切関知させず、しかも遠距離から一撃で飛行船を行動不能にするシステムをもっているわけか。荒唐無稽だな。空想科学小説の類だぞ。しかし──これが俺の敵なのだ。


 遠距離砲撃ちう1点から、狙撃艦という予想をたてた。水上戦艦の硬い上面装甲を撃ち抜くための長砲身大口径砲であれば、正確に飛行船を狙えさえ、そして命中させることができたなら、アウトレンジからの一方的攻撃には納得がいく。だが観測と測距は? 高速飛翔体へ長距離から当てる技術は? 試射なしの初弾命中の謎は?


 化物だな。


 客観的に考えうるノイエ・ヒュッケバイン号は──化物だ。どんな奴がこの飛行船の設計開発をしたのか、そいつに会いたいような、会いたくないようなだ。きっと、とんでもなく狂った人間に違いない。


 ありえないという前提でいえば、ノイエ・ヒュッケバイン号の攻撃は、対抗船の複数の監視要員の目にとまらない超高速で、対抗船へと正確に寸分違わず誘導する砲弾だ。


 勝てるのか? アフラハムの誘惑に負けた俺の背を、ヒヤリとしたものがすぎるのを感じた。俺たちの飛行船は。この化物と比べれば平凡だ。


 最も勝率があるのは、飛行船に乗る前のケリィをとっ捕まえてボコボコにして、不戦勝にもちこむことだろう。ちょっと外道だが、手段の1つだ。


「……」


 ふと、目線をまわしてみた。意味はない、気分転換だ。


 大図書館を利用しているのは、もう1人だけ。丸い机の対面の少女と目が合う。少女は俺と目があったことに驚き、慌てて立ち去ってしまった。頭の角を隠すように、屋内でも帽子を深くかぶっていた少女。……俺、野獣みたいな眼光をしていたかな?


 ……受けみの情報収集から切り替えてみるのも手か。ここはケリィを見習って、威力偵察だ。以前、ケリィが角娘を追いかけていたのを思い出し、俺はケリィにひとあてはかることにした。




 本当だ。俺は気持ち的には、ケリィを小指の先で小突く程度のことだけのつもりだった。だが今目の前、中央食堂では全面戦争直前だった。陣営は貴族、平民、中立の3つだ。俺は貴族陣営ということになっていた。


 始まりは些細ないざこざだ。


 中央食堂は公家と武家、それに平家やら階層わけされていたが、それは差別だと騒ぎ立てる平民集団がいて……1人の乙女が原因といえば原因だ。乱闘に巻き込まれた乙女の手をとり、いやこちらが保護すると平民集団が騒ぎ、乙女が拒否したのが公家が手篭めにしたとなって、戦争だ。乙女は商家の娘で、銀髪の縦ロール。俺の、始業式からの友人だ。……そして不愉快ながら、彼女を手篭めにしたのはどうやら俺であるらしい。


 ケリィは、彼がでしゃばらない事態ではなかった。彼こそが平民のリーダーなのだ。


 公家と武家はもとより親密で、平民という集団と対峙した。まるでどこかの誰かが書いた筋書きにそっているように、あたりまえに、物事は悪化していく。


 やはりケリィの前で、幼稚な視点しかない子供といったのは拙かったか。まさか予想以上の怒りっぽさだ。いかにケリィは自身が優れているかを、貴族を咎める形で話したのだ。世の中、こじれるときはこじれるものである。


「で、どうします?」とシェリ……ではなく、ララリーナの声。大食堂に残されたのは数人だけだ。残りは全員、『戦支度』にいってしまった。いるのは俺、シェリ、アフラハム、ララリーナの4人。シェリはララリーナとアフラハムと──というより他人と話ことじたい──が苦手なので今、相談相手にはなれない。


「今日、明日に会戦は不可能だ。今から準備しても、諸々が整うのに2、ないし3日。物や人を使うには時間がかかる」


 俺は断言した。消耗品の補充、金の決済、学院側への申請と許可までのタイムラグ。艦隊戦がお望みなら船団の新編成に指揮者の輩出。やることは山のようにあるはずだ。3日でもちょっと足らないか?


「そもそもの話、貴族と平民のグループが戦うが、これに必要な金は一体誰が決済してくれるんだろうな。おっと、個人持ちなんて言うなよ、アフラハム。動かすだけでも金がかかるのが飛行船だ。修理費も安くない。平民には苦しいだろう」

「平民側は、ケリィが纏めて決済するそうだ」

「本当か? 相当な金持ちだな」

「ゆえに平民もやる気なのだ。戦っても、全てはケリィの負担だからな」

「後を考えることを放棄した連中は、これだからタチが悪い」

「言うな」


 大規模戦闘だが、『祭り』と割り切ってやろう。負けるより勝つを優先だ。赤字で収穫なしになってたまるか。


「双方士気は高そうです。……高いだけですけど」

「メイロウ嬢の言うとおりだ。貴族はれっきとした戦闘船、あt¥るいはそれに準じる飛行船に対して、平民はせいぜい武装商船レヴェルだ。時速100キロを越えるのも怪しい」

「はい。しかも練度、数で優っています。無謀としか言えない自殺行為と言えます」

「貴族側に問題があるとすれば、各飛行船の性能差……いや、性格か。個艦ごとにあまりに違いすぎることだな」


 どちらにせよ熟練の連携は期待できない、と俺は考えている。少なくともそれが可能な単位はとても小さいだろう。精々が数隻レヴェル。命令は突っ込め、下がれ、単純さが勝るはずだ。


「……」

「……」

「……」


 俺たち3人の目が合い、笑ってしまった。何を大真面目に考えてるのよ。しかもそれに対してまったく違和感を覚えない。備え、そして待て。まるで戦争だ。戦争は貴族の領分だ。


「平民は貴族を嫌っているのですね。噂ではしってましたけど、どこか他人事でした」

「ララリーナはお嬢様だな。それに領民が良心的な者が多いらしい」


 メイロウ・ララリーナの土地では、村同士の略奪、貴族同士の戦争が日常ではないのだろう。平和な土地のようだ。羨ましいとは思わなかった。


 話し合いは進む。他の貴族たちと話すのにも、意見を纏めている必要があるのだ。個人の発言より集団の発言のが力があるのである。


 敵を知る以上にまず、自分自身の力を知っている必要がある。俺はさっそく動いた。……与えられた役割はまっとうする。




 シェリ、俺が今何をやるべきだと思う?


「ケリィ旗下の平民船団を、貴族艦隊が撃滅できるようにすることです」


 そのとおりだ。まさか格下の相手に敗北させるなんてありえないからな。目覚しい戦果をあげれば女子にも注目されるかもだが、そこまでは狸の皮算用というものだ。颯爽と無双のごとく敵を圧倒できれば格好いいだろ?


「はい。しかし私たちの飛行船で可能なのでしょうか?」


 無理だな。不可能といっていい。正規の中・大型艦ならともかく

、俺たちの飛行船は違う。こっちの射程はあっちの射程、一方的にはいかないだろう。


「ではどうしますか、ラスタル様」


 俺たちの強みは速さだ。


「速さ、ですか?」


 シェリが小首を傾げる。可愛いな、まったく。


 そうだ、速さこそが俺たちの武器になる。俺たちの飛行船は火力こそ、敵の火力と同等程度だが、その火力は敵よりも数倍速く機動できる。2倍以上の手間をかける160竜力エンヂンのおかげで、速さだけは大型飛行船並みだ。


「なるほど、私にもわかりました。つまりラスタル様はこの速度差による優速を生かして、敵に対して有利な位置を占位し続ける、というわけですね」


 理想はな。敵の死角から差し込みつつの一撃離脱をしかけるんだ。


「良いのではないでしょうか」


 シェリ、俺は、理想は、といったはずだぞ? 当然、死角なんて弱点も、速度に差があることも敵は承知しているだろう。その欠点と優位は、全ての飛行船であてはまるからだ。数字と性能だけを安価に信じてはいけないぞ、シェリ。


「も、申し訳ありません……」


 シェリは良い女だ、それは間違いない、間違いないのだが、何事もそのままの形で受け入れてしまう素直すぎるところが玉に傷だ。フラガラッハ並みの曲者であっても困るが、彼女のような疑う心を少しは……。


──フラガラッハ?


「どうかしましたか、ラスタル様。あの、もしかして私が……」


 いや、シェリ、安心してくれ。シェリの存在が俺の気分を害することはない。むしろ安らぎを与えてくれている。感謝したいくらいだ。


「あ、ありがとうございます」


 シェリを前に、別の女のことを考えていたなんて話せなかった。


 フラガラッハ──アンクル・フラガラッハ嬢か。彼女と俺にはどんな繋がりがあった? 今1つ思い出せない。まっ、そのうち思い出せるだろう。美人だといいな。


 そんなことよりもだ。


 教職の先生がたに、各種個人データの公開と、その交渉を急がないと。時間がないのだ。俺は俺の役割をまっとうする。




「一個人に関するデータを、本人の許可なく公開することはありません」

「では飛行船の保有データはどうですか?」

「我々は院生に提供できます。どのデータを望みます」

「1期生の保有する飛行船全てです」

「かしこまりました。41隻全ての飛行船データの写しを渡しましょう」

「ありがとうございます」

「ただし写しは1部だけであり、また利用後はこちらへ返還させていただきますこと、ご了承ください。もし紛失した場合、罰則金が生じる可能性があります」

「わかりました」


 俺は保有データ貸与のための書類へサインした。そして、何故飛行船保有データが必要なのかの理由もだ。我ながら、勤勉さあふれる嘘で4割ほど水増しされていたが、樹里されたようだ。安心である。


 教職員相談窓口で書類を提出。そして『持ちだし厳禁』とデカデカと書かれた分厚い紙束、飛行船保有データを受け取った。これでアフラハムやララリーナに顔向けできる。あの2人のような強力な飛行船はないが、少しは、隣に並べられると考えてしまってもいいかな?


「大切に使わせていただきます」

「でなければ困ります。……我々はサラマンテル学院に在籍する院生へ、出来うる限りの支援を実行できます。今日は相談にきてくれてありがとう、と個人的に言いましょう」


 俺は一瞬、キョトンと呆けてしまった。肩よりも上で揃えられた鮮やかな落ち葉色の髪、細く鋭い目つきと角張ったメガネの女教師は、俺が思っているよりも優しいのかもしれない。時々くらい、頼れそうな先生に頼ってみようかな。そういえば、父上や母上をを頼ったことがなかった。どこまでなら頼っても大丈夫なのだろう。


「だぁかぁらあ、学院長をだしてくれっていってるんです!」


 俺は聞き覚えのある声を耳にした。視線を走らせ見つけたのはケリィだ。ケリィは俺と同じように窓口で先生と話しているようだが、しかしもめているようだ。触らず去ってしまえばいいのに、俺は耳を傾けてしまった。


「くそっ……予定どおりとはいかないか。学院長に訊けないなんてとんだバグだ」

「わたくしには何のことかわかりませんが──」

「──あんたには何も話してないんだから黙っていてくれますか」

「………………」


 ケリィは教師にも噛み付き具合は変わらない。いっそ尊敬ものだ。しかしやはり、浅慮で短気な人間とは付き合いはほどほどで関わりたくない。怒れる嵐に手を突っ込み、体をバラバラにするようなものだ。ようするに、とっても面倒臭くなる。


「ん!?」


 やべ。ケリィと目があった。他人のフリだ。ケリィはたぶん気狂いなのだ。目を逸らした他人のフリは、しかし手遅れだった。ケリィは大股で詰め寄ってくる。


「いいご身分だね。それとも余裕のあらわれかな」

「……え?」


 ケリィが何を言っているのかわからない。だがすぐにわかった。ケリィの嫌な感じの顔が、言葉を苦い意味を含むものだと言っていた。初見のときからそうだが、ケリィはどうして俺のことを目の敵にするのだろうか? わからない。


「恵まれてる貴族が羨ましいよ。きっと大した悩みもないだろう」


 やれやれ、とケリィに肩をすくめられた。それに対して俺は、とくに怒りを感じることもなく聞いていられた。何も感じ無かった。


「幾らなんでもお前、失礼だぞ」

「おっとこれは失礼。私は正直だから嘘は吐けないんだ」

「その口、いつか己の災いになるだろう」

「ご注意には感謝するよ」


 嫌味な男だ。しかしもう少し話しておこう、これも縁だ。


「俺は平民を下等と見るつもりはないが、お前は本当に貴族の艦隊に勝てると思っているのか。正気を疑うな」

「高貴なる傲慢さを根拠のない自信とする、実に貴族らしい物言いだ」

「嫌な男だ。よほど貴族が嫌いらしい」

「あぁ勿論、嫌いだとも」


 驚きを隠せなかった。はっきりとした、反貴族主義宣言に等しい言葉、この男、早死したいのか。ケリィは社会構造の根幹を否定している。


「権力を傘に振りかざして、実力に不相応なものを与えられ、自分の力のようにすやつは大嫌いだ」

「僻み、妬みだな」

「ふん。そう考えている時点で、お前はその程度の人間だ」


 ケリィは俺との話し合いが楽しくないらしく、脇を通り抜けようとする。俺はその刹那に、ケリィの吐き捨てた小さな声を、聞いた。


「ここも東の大陸と同じにしてやる」


 背へと消えていくケリィへ振り返る。ケリィの背中が遠のく。言いたいことはあった、だが追わず、開いた口をただ閉じる。


 東の大陸と同じだって? 東の大陸と言えば、俺とケリィの出身大陸だ。同じにしてやるとは──考えないようにしていた、忘れようとしていた過去が、逃げようとしところで不可能だというのに……俺の背を現実が抱きついてきた。


 そうだ。


 俺は、あの東の大陸から、燃えるブーメターン領から逃げてきたのだ。東の大陸のどこにも居場所がなくなっていて、最後に耳に残っていたサラマンテル学院を目指して……。


「!」


 俺はどうやってこの浮遊大陸へ飛んできた? 俺とシェリの飛行船だ。何日も飛ばせないから俺は適度な島の港で休憩と補給を済ませた。操縦できるのは俺1人で、だから時間がかかって……シェリは飛行船の操縦が、できる。俺が教えたからだ。俺はどうして──シェリに操縦を変わってもらわなかった?


 シェリは今、どこだ?


「大丈夫ですか──ラスタル様」


 彼女は、シェリは俺のすぐ隣に立っていた。不安気な彼女の顔が、俺を覗き込む。まったく気がつけなかった。さっきまでいなかったのに、まるで幽霊みたいだ。シェリがいるなら大丈夫だな、まだ立っていられる。俺は生きているんだから。


「ケリィの言っていた、東の大陸と同じようにしてやる、とはどういう意味なのでしょうか」


 そう、それだ。ケリィの言葉を気にするべきだ。備えるべき戦いは近いのだから、1秒でも無駄にするべきではない。東の大陸では皇帝や貴族が、勇者至上主義者ら反乱組織の攻撃を受けていた。民主化のため、専制政治をとりおこなうものは敵なのだ。勇者とは優れた技能をもつものを優遇する、実力主義の象徴だ。……ケリィの思考思想と似ている、と思った。




 昔、というほどでもないが、アンクル・フラガラッハという乙女に、こんなことを言われた。「ラスタルには人間らしい心がないのかな?」あらためて思えば、的を射た言葉ではないか。そのとおりだ。自分の心を落ち着けるために、父上を、母上を、使用人たちを、民たちを──愛しているとしたはずのブーメターンの故郷の全てを、なかったことにしていたのだから。もしかして、俺は自分のためであれば、全てを切り捨てられてしまうのではないだろうか?


「はぁい! ラスタル様、またお茶しましょ!」


 快活な乙女の挨拶に、俺は笑顔で手を振れた。炎に巻かれるブーメターン領、死闘する兵の姿が頭にチラつく。r顔が崩れることはなかった。やはり俺は、フラガラッハの言うとおり、人間の心がないのかな。では俺は今を、アフラハムやララリーナ、ついでにケリィには感じるものがあるのかないのか。


……わからんな。


 ぺトラ・シェルプレート、教えてくれ。俺はどういう風に見えているんだ? 俺はシェリに訊くが、彼女は答えてはくれず、彼女の存在を感じられなかった。


「シェリ……」


 1人ぼっちを嫌がる心を感じ、そんな自分自身に俺は吐き気がした。どこまでも自分中心、自分勝手なのだ。東の大陸の、故郷と共に見捨てた人たちは、その生死さえわかっていないというのに。……だというのに……俺は乙女の尻を追いかけるのをやめなかった。シェリや、アフラハムやララリーナとどうしてこんなに違うのだろう。同じ人間だというのに。


 あこがれは──遠すぎた。


 心は駄目だ。と考えれば、俺に残されたのは飛行船と、これの操船技術だけだ。技能は、心とは別の話で分けられる。ケリィは、実力主義者だったな。あぁはなりたくないものだが……。


 嫌だ、嫌だ、、嫌だ──心が切り替わるのを感じた。


 今考えるべきことは、こんなどうでもよいことではないはずだ。近日中におこる集団決闘をどう生き残るつもりだ。恥は

晒せないんだぞ。そうだ。今は決闘のことだけを考えていればいいんだ。それで、いいじゃないか。


 俺は窓から透け込む空を見上げた。


 タストリーセ浮遊大陸の空は、地上から見上げる空よりも、ずっと乾いていた。浮遊大陸の高度があるから、雲1つない真青の空がどこまでも続く。


「あっ」


 声が漏れる。

 

 竜の群れが飛んでいた。


 タストリーセ浮遊大陸にも竜がいるんだ……そういえば、飛行船を改造して、竜に似せたこともあったっけ。竜の友人からも、遠目の影ならうるさい同族に見える、とたぶんお褒めの言葉を何度かもらったことを思い出す。


──5日後。


 俺たちと数十隻の、重火器と増加装甲を施した決闘仕様の飛行船は、タストリーセ浮遊大陸を飛び立った。


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