とある冬の日の道化
本来なら別の事を書こうと思ったら指が別の方向に走ってしまった……
いや、もうある意味良いかな、と諦めの境地です。
ハッピーエンドかバッドエンドか。それは私の一存では決められませんでした。
――とある中学でのお話。
雨宮という苗字の生徒が一人居た。彼女は基本的に他者と関わらず本を黙々と読んでいるような生徒である。
授業中も基本的に眠っているが、それに気付いた教員が起こしては質問の標的にするたびに完璧な解答を口にする。どの分野にも深い知識と造詣を持ち合わせており、逆に教員がからかわれるような事態も多々起こる。
ここまでの奇人変人であると、触らぬ神に祟りなしという扱いを受ける。その為、基本的に一人ではあるが、当人は特に堪えた様子を見せずに黙々と本を読む。
教員は生徒が勉強できていればそれで問題は無いため、寧ろ大きい問題を引き起こさない雨宮を優遇する方へ、優遇する方へと向かう。しかし雨宮は気にした素振りを見せずに自分の道を思ったように突き進んでいく。
綺麗な言葉を使って言い表しているが、正しく言い表すなら社会不適合者である。
さて、その雨宮は大抵本を読んでいる。隙あれば物語に没入する。机の陰に隠しては本を読んでいる事もよくあることである。
クジ運が良いのか、席替えでは大抵後ろの方の席に座る事が多い。だから、なのだろうが雨宮は授業中でもハードカバーの本を平然と広げている。
社会不適合者の名を欲しいままにしている雨宮は、しかし自らの悪評を気にせずに我が道を儘向かう。その姿勢には不安も後悔も無いようである。
そうした一匹狼を気取る社会不適合者は、宿命かのようにイジメなる問題が付いて回る。雨宮も例には漏れなかった。しかし、雨宮はイジメがてんで効く人間ではなかった。寧ろ仕返しされる輩の多い事、多い事。
例えば噂で「雨宮はあの先生とデキているからあの教科は五(この学校の成績は五段階評価であった)を取っているんだ」と流れる。根も葉もない、幼稚な噂だ。
しかし、その噂が流れた三日後にはどこから湧いたのか、その噂を流した張本人の付き合っている他校の生徒のあれそれが噂として流れ始めて……その関係は散々な事になるのだとか。
噂の出所は実によく分からず……しかして雨宮から聞いたと言うような話も聞かない。噂の出所は。躍起になって探した所で、途中で同じ人たちをグルグル回って徒労に終わる。
雨宮の物を隠そうとする。だが基本的に誰かと会話をする事が無いため、席を離れる瞬間が無い。
よしんば隙を入手して物を隠せたとしよう。しかし秒で見つかり、そして怒りも買えない。それ処かその事実がいつの間にかに教員に伝わっている恐怖。
詰まる所、手出しが出来ない。
それ処か、雨宮は運動も出来ない訳ではない。犬や鳩が苦手と言うがそれをけしかけた所で意味もない。
つまりはイジメを受ける要因を持っている癖に手出しされない、という奇妙な立ち位置に立っていた。
それによくよく観察すれば分かるが、雨宮は人外離れした雰囲気を持ち合わせている。その雰囲気に呑まれてイジメを起こせない、という次第である。
それをつまらなく思っているのは、誰であろう佐々木その人であった。
佐々木はどこかお高く止まっているラウラが気に食わなかった。誰に靡く訳でもなく、ただ淡々と授業中でさえ本を読む。授業をまともに聞いているかと言われると否であるし、ノートを取っているかと言われるとそれも違う。だのに憎き教員に贔屓されている雨宮が気に食わない。気に食わないのだ。理屈は抜き。とにかく気に食わない。
中学校と言うのは、幾つかの小学校がまとまる。
佐々木の小学校は近隣の小学校でも人数が多い。人数が多いと、それだけイジメの発生率が高くなる。イジメとは蠱毒の術に似て非なる物なのだろう。もちろん、彼はそこまで考えている訳では無いが。
彼は小学校の頃からいじめる側に回っている。それが当然だ。それが通る環境に居る。本人はそれを自覚していて、それが嫌で、それを楯にして、そうして矛盾が生まれている事に気付かずに行っている。
今まで彼自身が持っているソレを楯にイジメを行い、被害者にも泣き寝入りをさせてきた。加害者側も被害者側もソレを免罪符にして……それが彼には気持ちが悪かった。だれより厭うていると言えるだろう。
何処までやったらダメなのか。それを探る為でもある。彼自身が意識していない所での葛藤の総てが雨宮に向いているのだ。
だが葛藤を向けられている雨宮は今日も気にせず読書をしている。そこで思い付いたのが、その本へ悪戯を仕掛ける事であった。
雨宮から本を取り上げる事は、基本的に難しい。しかし、雨宮は存外に本を有している。
二時間に一回。それくらいの周期で雨宮は本を取り換える。つまり毎日違う本を最低三冊は持ってきている。そして雨宮の隙を狙えば。
不可能に近いことは彼の好奇心を抉った。本を傷付けられた雨宮はどのような反応を示すだろうか。怒るか。泣くか。呆然とするか……どれだって構わない。何なら怒鳴ったって良い。あの何をされても動じない雨宮が動揺している所が見たいだけなのだ。
ああ、丁度雨宮がいない。悪魔は囁く。
――今のうちだ。やっちゃえ。
天使が囁く前にそれは決行された。
雨宮は席に戻って来ては違和感を覚える。読んでいた本が無いのだ。フム、と考えてからもう一度探す。……やはりない。
自身に突き刺さる好奇の視線から察して、本がどのような目に遭ったか。それを察して余りある。幸いにして、あの本は五度程度読み終わっている。無くても諳んじている。だが、それでも本と言う存在を愛している雨宮としては赦し難い蛮行であった。
一瞬にして仕返しを思い付いた雨宮は、平然と持ち歩いていた別の本を開く。――加害者が、何より堪えると知って。
何人かのクラスメイトは、ざわざわと話し合う。
「ちょっと……雨宮さん、あんなことされても平気なの……?」
「流石にキレると思ってたわ……」
「男子トイレで切り刻んで……」
「表紙だけ残してある……」
それを聞きながら、手を下した張本人である佐々木は呆然としながら苛立っていた。
どうして何の反応も返さない。読み途中の本が無くなって、焦りも感じないのか。驚きもしないのか。雨宮が見せた反応は、単純に首を傾げて二回探しただけ。
あんなに本が無いと死んでしまいそうな素振りを見せておきながら、平然としている。腹が立って仕方ない。
本のページをカッターで切り刻んで、そして男子トイレに流し、残った表紙をその床に叩き付けて上履きで踏んづけた時には、あんなに快感だったのに……今ではその快感が丸々不快に変わっていた。
佐々木の様子に気付いた者は、皆慌てて目を反らしては関係ない素振りをし始めた。そう、佐々木は常に怖がられる存在だ。そうで無くてはならない。そうでないと気が済まない。
だから大股に歩いて雨宮に近付いた。
「あっれー? 雨宮サン。さっきまで読んでた本と違うんじゃない?」
揶揄うように言う佐々木を無視して、雨宮は頁を捲る。眼中にないと言われているかのように、雨宮の目線は本に固定されていた。
それが苛立って仕方ない。佐々木は雨宮の手の中から本を取り上げ、そうして床に叩き付けた。
誰かが小声で言った。流石に止めないとヤバいんじゃ。
しかし、もう遅い。
本を急に取り上げられ。それが床に叩き付けられ、ご丁寧に上履きでグリグリと押し付けられる様子を見ていた雨宮。
雨宮はただ無感動に佐々木を見上げ、そうして鼻で笑った。
「何、何笑ってんだよ……!」
逆上した佐々木が、本の上に乗りながら雨宮の胸倉を掴み上げる。クラスメイトたちは止めるか否かで囁き合う。
だが、矛先が自分たちに回って来るのが恐ろしいのだ。手が、出せない。
雨宮はそれに対しては冷たい目線を向けた。相変わらず佐々木には何の反応も示さない。それが決定打になった。
「テメエ、何か言ったらどうだ……!」
佐々木が腕を振り上げる。クラスの女子は悲鳴を上げ、男子はヤバいと声を発する。
だが、呻き声を上げたのは雨宮では無かった。――佐々木であった。
「――!?」
言葉にならない声で後ろにひっくり返った佐々木はそのまま意識を失う。
雨宮は本を拾い上げてケラケラと笑った。
「あらあら、カエルみたいに無様な格好。こうしたバカらしいのは天罰って言うのかしら?」
本の状態を平然と確認する雨宮は、苦笑にも似た<困ったような表情>を浮かべては「あーあ」と声を発する。
「最低でも器物破損は適応されるかなぁ。可哀想に。障害者だからって手加減するとでも思っているのかしら? 取り敢えず先生には報告しておかないとね。佐々木とか言う人が人の本を踏ん付けて教室でひっくり返っていますってさ」
あ、多分証言を求められるだろうけど。
笑顔でそう付け足す雨宮。それにはクラス全員が顔を蒼褪めさせた。
「虚偽の申告なんてしようものなら、犯罪に加担したって事になるけど……聡明な諸君らは果たして何処まできちんと理解されているかな?」
教室の温度が下がった気がした。もちろん錯覚なのだろう。しかし、心臓辺りが一瞬で冷え切ったのは確かだ。殺気、にも近い怒りを、雨宮が確かに抱いていた。
雨宮は、確かに怒っていたのだ。
「本を粗末に扱うなんて。そんな発想は無かったなぁ。いやぁ、恐ろしいですねぇ。本は言葉の塊。それを粗末に扱うなんて、呪いを一身に浴びるようなモノだと言うのに」
保健室に寄ってから職員室に居る自身の担任に事の経緯を説明し終えた雨宮は、ぐしゃぐしゃの本を見せながら言う。
「所で、本で足を滑らせた哀れな彼の保護者にキチンと伝えておいて下さいな。私は障害者だからって、示談とかいう手加減はしないので、って。仏の顔も三度まで。三回目の狼藉は赦さないって意味ですから……今までの証拠もちゃんと教育委員会や裁判所に提出させて頂きます、ってさ」
それを聞いていた、家庭科教員兼雨宮のクラスの担任である所の竹内は引き攣った笑顔を浮かべる。雨宮はやると言ったらやるのだ。その強烈な伝手は、果たしてどこからやって来るのやら。恐ろしささえある。
「……雨宮さん。あなた本当に中学生ですか?」
思わず竹内がそう聞けば、雨宮は一瞬だけキョトンとした顔を見せて、――その僅かな表情の変化は竹内にしか分からないのだが――それから満面の笑みで笑った。
「女は秘密を着飾って美しくなるそうなので、さぁ? でも私としては、ここでキチンと落とし前を付けさせる方が彼の為になると思いますがね」
やや意味深で、話の先が見えない言葉を残して、雨宮は職員室を立ち去った。
少年には犯罪者のレッテルが付けられた。しかしてそれは「障害者だから」といった理由で、雨宮が諦めずに正当な権利を以て訴えたからである。
――果たして、これは善い事だろうか。