第九十一話「非公式会談」
第九十一話「非公式会談」
メルヒオル様の反応は、とても素早かった。
「伯爵閣下、宰相閣下がお召しであります!」
「ありがとうございます」
総督府に帰り着くと、玄関にはもう衛兵さんが待機していたぐらいで、そのまま総督執務室へと先導される。
「失礼致します! フロイデンシュタット伯爵閣下、ご到着であります!」
『通してくれ』
部屋にはメルヒオル様の他、ローレンツ様、アリーセ、アドルフ元総督、それからリンデルマン代官が揃っていた。
お昼からずっと会議が続いていたのかな、疲れた空気を感じる。
「リヒャルディーネ嬢、伝令から話は聞いた。緊急に話し合いの場を持ちたいとのことだが……」
「はい、お騒がせして申し訳ありません。具体的な内容がまだ決まっていなくても構わないので、早急にお話と言うか、すり合わせをしておいた方がいいなと思い、急ぎお願い申し上げました」
フレールスハイム市民は王国が何をしたいのか分からず、将来を不安思っていること、お互いに何を考え、何を望み、何を期待しているのか、簡単でもいいから話し合うべきだと、皆さんの表情を観察しつつ付け加えた。
この場にいる方々は、フレールスハイムの今後について、昨日も今日も、様々に話し合いを重ねてこられたはずだ。
私はそこに、横槍を入れてしまったわけだけど、叱責はなかった。
皆さん、なるほどと頷かれている。
「ここは巧遅ではなく拙速の出番であると、伯爵は仰られたいようで」
「一理ありますな」
「我らは完璧を求めすぎたようです。……いかがでしょうか、陛下?」
それぞれが顔を見合わせ、小さく意見を述べると、ローレンツ様を仰ぎ見た。
うむと頷いたローレンツ様が、会談を承認される。
「メルヒオル、私も立ち会おう。いいな?」
「御意。アリーセ、大会議室の用意を」
「畏まりました」
なんとお願いすることなく、ローレンツ様のご臨席が叶ってしまった。
よく察していただいているのかなと嬉しく思ったら、なんのことはない。
「発言の最中、リディがちらちらと私の方を気にしていたからね、これは会談に立ち会っておくべきだと思ったんだ」
「申し訳ありません!」
……結果オーライだけど、ちょっと、恥ずかしかった。
会談の開始は、日没と決まった。
こちらには、当地を知るアドルフ元総督がいる。
『国王陛下、宰相閣下。お時間を少し頂戴しても宜しいのであれば、農村の代表も呼んでおくべきかと愚考いたします』
『よいだろう。バルナバスにも伝えるように』
アドルフ元総督の提案はすぐに採用され、ゲープハルト司令官経由で衛兵が東西の村まで伝令に走って、その到着を待つことになった。
お陰で軽い夕食を摂りながら会談の準備も出来たので、丁度よかったけどね。
「でも、ローレンツ様。本当にいいんですか?」
「今日の会談は、人々を知ることこそが大事だと思う。それに、仕掛けというほど複雑でもないし、よくあることだよ」
「は、はあ……」
準備の一環として、ローレンツ様がお着替えになられてしばし。
待合所になっていた総督執務室に、騎士ユスティンが現れた。
「出席予定者が全員揃いました」
「うむ。すぐに向かおう」
「はっ!」
皆でぞろぞろと、大会議室に向かう。
王宮と同じ二階建てだけど、フレールスハイムの総督府は格段に広かった。
「お待たせした」
メルヒオル様を先頭に入室すれば、バルナバスさんら見知った顔も含め、十人ほどが立ち上がって一礼した。
「レシュフェルト王国国家宰相、テーグリヒスベック侯爵メルヒオル・シュテフェンだ」
メルヒオル様は、そのまま議長席――上座に座られた。
議場の空気が小さく緊張したのを感じつつ、私達も空いた席に座っていく。
「本日の会談は内容故に非公式なものとせざるを得ないが、代わりに記録にも残さぬと誓おう。安心して、自由に発言して貰いたい」
まずは自己紹介からと、メルヒオル様がアンスヘルム様を指名された。
レシュフェルト側の出席者は、宰相のメルヒオル様、軍務卿のアンスヘルム様、私、リンデルマン代官、女官長アリーセの『五人』だ。
お茶を運んでいるギルベルタさんやそのお手伝いをしているグレーテ、壁際で護衛任務についているクリストフは、その数に入らない。
……もちろん、私のすぐ後ろに椅子を持ってきて座り、うちの家臣のふりをしているローレンツ様も同様である。
『今日の会談は重要な一幕になるだろうと思うけど、私が表に出ると、影響が大きすぎる。でも、聞いておかないと、私が損をするような気がしてね』
『……お忍びの体裁を整えてのご臨席じゃ、駄目なんですか?』
『うん、本当にいないことにしておきたい。出席者の口が重くなっては、会談の意味がなくなりそうだ』
ということで、ローレンツ様はにっこり笑顔で強権を発動され、会談の場限定でフロイデンシュタット家家臣となられてしまった。
ちなみに私が隠れ蓑に選ばれた理由は、年若い領主の補佐ならこそこそと話をしても不自然じゃないし、万が一の護衛にも十分だから、だそうである。
「宰相閣下、私は傍聴人、あるいは参考人に徹したほうがよかろうと思いますが、如何でありましょう?」
「……ふむ。正式な会議ではないし、発言も態度も自由にして貰って構わぬ」
「ありがたくあります。……諸君、言いたいことは色々とあるだろうが、そのように頼むぞ」
アドルフ元総督は議長席の正面、両者の中間に陣取った。
都市総督としてフレールスハイムを躍進させた立役者であり、同時にこの戦役のきっかけを作り、フレールスハイム割譲の遠因となってしまった人物である。
グロスハイムから国外追放されたことは既に公表されているけれど、今後の身の振り方は、まだ決まっていない。
……その状況にしては、本人も落ち着き払って泰然自若な様子だし、出席者も表情に何かを表すようなこともなくて、少し不思議だった。
「では、そちらも頼む」
「はっ!」
まずはフレールスハイム駐留部隊司令官、ゲープハルトさんが立ち上がった。
立ち位置的にはレシュフェルト側に座るべきか微妙なんだけど、当地を知り意見を述べるという点では、フレールスハイム側にいなきゃ呼んだ意味がない。
今日の非公式会談では、ゲープハルトさんのような、仕官先を変えた人からの意見もきっちりと聞いておきたいのだ。
それから、製糖工場のヨアヒムさんと醸造所のバルナバスさんの自己紹介が続く。
会談のきっかけを作ってくれたと同時に、今後の製糖についても相談のきっかけを作っておきたかった。
「新たに商工組合の代表となりました、『南天の星』商会のイルムヒルデでございます」
三十絡みのよく日焼けした女性が、色っぽく一礼してみせた。
おや、と思ったけど、女性の会頭にしてこれだけ大きな都市の商業組合の代表なんて、私の女伯爵並みに珍しいかもしれない。
目が合うと、何故かにっこりと微笑まれた。
でも、懐柔しようとか、何か企んでいそうな感じはなくて……どっちかというと、好意的にすら思える。
続けて、漁船と漁師を束ねる組合長、岩石砂漠でトカゲを狩る猟師をまとめる団長などが立ち上がった。
レシュフェルト近くじゃほぼ見かけないけど、岩石砂漠には大きなトカゲが棲んでいて、狩れば革製品の原料としてそこそこのお値段がつくそうだ。
そして最後に……。
「東部連合のアルノーです」
「西部連合、ゴットリープと申す」
サトウキビの生産を手がける東西の村、その代表たる二人が挨拶をして、会談が始まった。
「まずはレシュフェルト王国の現状と、先日締結されたグロスハイムとの平和条約について説明する」
会談の準備は、何もローレンツ様のお忍びだけじゃない。
私はこの話し合いを『今』行わなければいけない理由を、メルヒオル様らにきちんと説明していた。
要はノイエフレーリヒに代官として赴任したその日に行ったことの、焼き直しなのである。
レシュフェルト王国は国家が破綻しないよう、本国もフレールスハイムも経済的に立て直したかった。
もちろんレシュフェルトは『支配者』として占領した都市を自由に出来るけれど、都市の現状も市民の感情も知らずにそれを行っては、効率が悪いどころか将来の不安の種を育てているのと変わらない。
そもそも、本国よりも大きな都市を力だけで支配するのには、かなりの無理があった。
それはグロスハイムが残していった策略であり、受け入れがたいものである。
だが、フレールスハイムの放棄も出来ず、本国を捨て去るわけにもいかない現状、あるもの全てを使って破綻を乗り越えねばならなかった。
フレールスハイムは敗戦後、都市領が丸ごと小国に売り飛ばされ、市民は今後の生活に不安を持っている。
辺境の都市が立地に見合わぬ隆盛を得たのは、総督の指導力と豪商の資金力が組み合わされた結果であり、その両者が喪われた今、都市としてのフレールスハイムは死に体と呼んでも差し支えなかった
もちろん、財産、地縁、あるいは、心情。
様々な事情により、フレールスハイムを出て行けなかった者も多い。
その上で、基幹産業たるサトウキビ製糖は豪商が抜けて穴だらけ、支配者が変わって今後の暮らしも不透明である。
また、指導層がほぼ抜けたことも痛かった。
これまでは総督府主導による都市領一丸となっての開発が躍進の原動力になっていたのだが、当地をよく知らない王国にそれが出来るのか、更なる不安を煽られている。
つまり。
フレールスハイム市民は、将来への安心と生活の安定をこそ、欲しているのだ。
私はもちろん、心情も立ち位置もレシュフェルト王国側なんだけど、両者の望むところを知ってしまったからには、そのままじゃいられなかった。
何せ、『今』ちょっと頑張るだけで、フレールスハイムを味方につけられそうな事に気付いたからだ。
シンプルに表現すれば、この上なく分かりやすいだろう。
レシュフェルト王国は、破綻したくない。
フレールスハイムは、落ちぶれたくない。
じゃあ、どうするか?
お互いに足りないお金はともかく、その他のことなら、積極的な協力をし合える雰囲気を作れるんじゃないかなと、私は思ったわけだ。
ついでに、話し合うなら早いほうがいい。
……お金、ほんとにないからね。
その趣旨は既に、準備の一環として、メルヒオル様にもローレンツ様にもお伝えしていた。
「――と、王国はこのような現状にあると認識して貰いたい」
メルヒオル様が一旦言葉を切られ、議場を見渡された。
軍船二隻の売却や、ファルケンディークの灌漑工事優先による国庫の建て直しとか、果ては国庫の残金が二千五百グルデンしかないってことまで、割と突っ込んだ内容だったから、こっちの方が驚いたけどね。
「あの、宰相閣下」
「遠慮はいらぬぞ、ゴットリープ殿」
西部連合のゴットリープ村長が、山賊みたいな風体にも関わらず、ごく控えめに挙手した。
「憚りながら……レシュフェルト王国は、何故そこまで貧乏なので?」
「最初からだ」
メルヒオル様は、堂々とした態度でそれをお認めになられた。私の後ろでは、ローレンツ様が小さく噴き出された。
「フレールスハイムとは違い、レシュフェルト王国は……いや、旧シュテルンベルク王国南大陸新領土管区は、もとより経済的に見捨てられた土地であったのでな。そもそもの入植目的がグロスハイムの東進を押さえる為であり、砦一つと小さな畑があれば旧王国には十分であった。お陰で今も苦労が耐えない」
「は、はあ……」
「まあ、国庫の中身を諸君らに開陳せねばならぬ程度には、現在切羽詰っている」
メルヒオル様は、軽い冗句を口にしたかのように、小さく肩をすくめられたけれど。
経済的に余裕がないのも、本当のことだった。




