第九十話「製糖工場と醸造所」
第九十話「製糖工場と醸造所」
フレールスハイム併合の二日目にして、視察二日目。
私は昨日と同じく、西街区へと足を向けた。
もちろん、護衛付きのミニ大名行列状態である。
いわゆる『偉いさん』の視察なんて迷惑だと思うけど、私にとっては割と大事なお仕事だ。
大きな混乱を引き起こさないよう、海軍のゲープハルトさんに頼んで、先に話を通して貰っていた。
「どうぞ、こちらであります!」
「職人頭のヨアヒムです、伯爵閣下」
公営の製糖工場は、思ったよりも大きかった。
ノイエフレーリヒの作業場は六畳間四つ分ぐらいだけど、こっちはその十倍ぐらいあるんじゃないかな。
但し、人がいなくてがらんとしている。
「工場長達と一緒に、ほとんどの出稼ぎ者は帰国してしまいました」
「……それは、まあ、予想してました」
仮の責任者だという職人頭のヨアヒムさんは、申し訳なさそうな顔で私に頭を下げた。
グロスハイムはサトウキビや製糖に関する権利を譲るとは言ったけど、それ以外の約束はしていないし、働き手も故郷があるなら帰って当然だった。
とりあえず、今いる働き手だけでも製糖は出来るそうで、そこは幸いかな。
「まあ、ここは公営なもので、幾分ましだと思います」
豪商達は人を引き揚げただけでなく、設備まで根こそぎ持ち帰ったそうだ。
こっちは間違いなく私物だから、文句は言えない。
また他所で、新しい製糖工場を建てるんだろうなと、想像がついた。
「製糖について説明するように言われておりますが、伯爵閣下は製糖作業についてどこまでご存知であられますか?」
グラニュー糖や三温糖、氷砂糖に粉砂糖、忘れちゃいけない白砂糖。
お菓子作りに砂糖の使い分けは必須だし、前世のお店勤めで幾種類も扱っていた。
「えっと、サトウキビを育てて搾って、その汁を煮詰めて固める、ぐらいです。あとは、結晶を取り出して、白いお砂糖にしたりとか……。あ、具体的な製法は、ほとんど知りません。でも、棒砂糖を砕くのに専用の砂糖ばさみがあるのは、知ってます」
もっとも、今世じゃお砂糖は高級品であり、収穫祭の時に領主のお爺ちゃんが悩みに悩んだあげく、棒状に固めて売られている黒いお砂糖の、ほんの小さな欠片を注文取り寄せして焼き菓子に混ぜて村人全員に振舞うとか、そういうレベルのお品である。
白い砂糖は上流階級の人が高貴なお客様をもてなすお菓子に使うらしいけど、噂話の域を出なかった。
クリスタさんやヨハンさんなら、それなりにご存知だろうに、聞いておけばよかったな……。
「驚きました! 秘密とされているはずの白い砂糖の製法をご存知とは……」
「あー、っと、その……下調べはしてきましたっ!」
前世の知識で、ごめんなさい。
お願いですから、何処で調べたとか突っ込まないで下さいませ。
気を取り直して、説明をお願いする。
「まずは焼いた貝殻の灰で、余計なものを沈殿させて取り除きます。次に上澄みをこの竈の上の四角い釜で煮詰めまして、砂糖と糖蜜に分けるんです」
製糖工場の様子は、私が想像してたのとちょっと違っていた。
いかにもそれっぽいイメージの、梃子を使ったサトウキビの搾り器は一つもない。
その作業は畑のある農村で行われ、ここにはサトウキビじゃなくて、搾った汁が樽で運ばれてくるそうだ。
なるほど、水路を使って小船で輸送するにしても、その方が合理的に思えた。
ところが……。
「まあ、搾ったサトウキビのカスも、同じく小船で運んでくるんですがね」
「……は?」
「砂糖を煮詰める燃料に使うんです。植林も奨励されてますが、それだけでは足りないので、外から炭も買い入れていました」
なんでわざわざ……思ったら、その理由はサトウキビの国外持ち出しについて、厳しく管理されていたお陰だった。
サトウキビは株分けだけでなく、刈り取った穂先からでもまた根を生やして育てられる。
それが出来ない状態、つまり搾った汁や搾り取ったカスなら、村から持ち出しても――たとえ国外に持ち出されても、サトウキビを増やせない。
「あの、ヨアヒムさん」
「はい」
「えっと……グロスハイム時代のような、サトウキビを管理する法律がなかったら、もう少し効率よく砂糖を作れますよね?」
「考えたこともありませんでしたが、おそらくは……」
私のお仕事は、あくまでも視察だ。
その場で勝手なことは出来ない。
けれど、視察した結果、思いついたことを報告と一緒に伝えることは出来る。
特に設備や道具、作業については、詳細に聞き出すことにした。
ヨアヒムさん達には生活が掛かっているし、私達にも税収が大幅に減るかどうかの瀬戸際なので、どちらも真剣だ。
「出来れば、他の製糖工場で働いていた地元の者をこちらで雇い入れたいのですが……」
「ごめんなさい、即答は出来ないんです。でも……」
私が何とか出来るかはともかく、少なくともメルヒオル様に報告して、製糖工場の再建を掛け合うことだけは約束した。
一旦総督府に戻ってお昼を食べ、またぞろぞろと、今度は醸造所に向かう。
製糖工場の倉庫と馬車道を挟んで隣り合っているけれど、間に熟成を行う貯蔵庫があって、入り口は街区一つ分ぐらい離れていた。
「醸造所長のバルナバスです」
こちらでは、所長のバルナバスさんが帰国せずに残っていた。
数少ない地元出身の管理職である。
「こちらが醸造所、奥手が蒸留所であります」
製品であるミラス酒が蒸留酒なので、グロスハイムのサトウキビ酒醸造所には蒸留所が必ず併設されているという。
ここでもまた、法律が幅を利かせているみたいだ。
ものすごく、徹底されている。
バウムガルテンにもサトウキビが渡ったから、今後は分からないけどね。
「今の問題は、製糖工場と同じく、人手のほとんどが帰国したことと、製糖工場が止まってしまったので、原料の糖蜜が入ってこないことです」
醸造所ももちろん似たような状況で、設備が残っているだけましだった。豪商のそれは、言わずもがなである。
お酒の醸造は、材料による前処理や、出来上がりの違いを意図した特殊な条件を除けば、基本的に似たような行程になった。
麦でもミレでも葡萄でも、原料の液体を樽や壷で発酵させてアルコールを作らせるところは変わらない。
それをそのまま飲むものもあるし、需要に応じて蒸留することも多い。
たとえばミレなら煮てから潰して汁――原液を作り、酵母を加えて樽で発酵させて出来上がったものがミレ酒、ミレ酒を蒸留すればトロップフェンになった。
「……あの、伯爵閣下」
「はい、何でしょう?」
「昼に製糖工場のヨアヒムとも少し話したのですが、その……我々は、どうなりますのでしょうか?」
ヨアヒムさんやバルナバスさんが気にしていたのは、製糖工場や醸造所のことだけじゃなかった。
戦争に負けたという不安、『戦利品』としてフレールスハイムにやりたい放題が出来るだろう王国という新たな主人の登場、そして……。
「一番の心配は、王国が我々に何を望んでいるのか、全く分からないことなんです」
「……へ!?」
「占領を宣言した宰相閣下は、現行法の遵守を約束され、それは履行されました。占領下の都市としては、破格の扱いであったと思います。完全に併合された昨日、新たな要求があるものと身構えておりましたが、特に何もなく……。捕虜となった水兵の扱いも、厚遇と言えるものだったと、ゲープハルトから聞きました」
「……」
「無論、ミラス酒の利益は望まれているでしょう。軍艦も早速一隻が修理されて、ゲープハルトの奴が指揮していると聞きます。フレールスハイムがいきなり切り捨てられることはない、そう思えます。……ですが、その先です」
バルナバスさんは、私に勢いよく頭を下げた。
「教えてください、伯爵閣下。……我々は、どこに向かっているんでしょう?」
「……」
正直なところ、それは私にも分からないけれど。
これは視察より先に片付けた方がいいなと、直感した。
レシュフェルト側は、なんとかフレールスハイムの衰退を回避して、王国の隆盛につなげたかった。
でも、戦役の発生から僅か一ヶ月、その具体策は検討中で、今も話し合われている最中だ。
占領中はこちら側の文官もメルヒオル様とアリーセだけで、すり合わせをする時間さえ作れたかどうか微妙だろう。
……じゃないや、グロスハイム中央評議会の奇策が、全てをひっくり返してしまっていた。
この混沌とした状況で、暴動や叛乱もなくひと月をやり過ごしただけでも、本当はすごいことだ。
幾つかの策は用意されていると聞いたけれど、現地の状況と照らし合わせてからじゃないと、実行するにも無理がある。
私の視察も、その一環だった。
王国とフレールスハイムは、何を考え、何を望み、何を期待しているのか、お互いに知らないことが多すぎるのだ。
……その不安や不審が極端な行動を押し留め、フレールスハイムを静かに現状維持させてきたのかもしれないけれど、もうその必要はない。
きちんと話し合って、手を取り合うべきだ。
どちらにも、躊躇っている余裕はないと思う。
ただ、もしかすると。
私の視察は、メルヒオル様がこの事態まで見越して、ご用意されたのかもしれないなとも思ったりする。
ちらりとグレーテ達に目を向ければ、小さく頷かれた。
「えっと、エクムントさん。総督府の宰相閣下に、伝令をお願いします」
「はい、閣下!」
四人の護衛の一人、エクムントさんが直立不動になった。
「数人連れて戻るので、本日中に緊急の面談をお願いしたいと、伝えてください」
「復唱、『数人連れて戻るので、本日中に緊急の面談をお願いしたい』! ……以上でよろしいですか?」
「はい、お願いします。私も用意を整えたら、すぐ総督府に戻ります」
「了解!」
駆け出していくエクムントさんを見送り、バルナバスさんに向き直る。
「バルナバスさんにお願いがあります」
「どのようなことでしょうか、伯爵閣下?」
「ヨアヒムさんや、街の顔役になる人を呼んで貰えますか? まずは、お話をしましょう」
「……あの、よろしいので?」
「もちろんですよ」
人々と国とを繋ぐのは、たぶん私の大事なお仕事だ。
……結果的に代官を解任される騒ぎにまで発展しちゃったけれど、間違いなくその事実と実績が残っている。
じゃなきゃ、他領の領主を……それも戦役の当事者として忙しすぎる私を、半月もフレールスハイムに留めるはずがないだろう。
私は人選をバルナバスさんに任せ、出来ればローレンツ様にもお話を聞いていただきたいけれど、どうすれば失礼にならないかなと考えながら、総督府へと戻った。




