第八十九話「視察の開始」
第八十九話「視察の開始」
「うん、よく気付いたね、リディ」
「税の件は、こちらでも把握している。早期に対応したいと考えているが……」
「ここ数日が勝負かな。今は休憩中……いや、時間待ちなんだ」
総督執務室を訪ねると、ローレンツ様はにこにこと面白そうな顔で私を見た。
問題ではあるけれど、何らかの策はご用意されているらしいと、ほっとする。
「あの……何を、お待ちなんですか?」
「正式な併合もだけど、他にも色々とね。ただ……流動的過ぎて、幾つの策が役に立つか、まだ口には乗せにくいかな」
「えっと、はい」
ひとつだけ、教えてもらえたのは……。
「正午になれば、フレールスハイムはグロスハイムの都市領からレシュフェルトの王領都市になる」
「答えから言うと、アドルフ元総督を総督府に呼べるようになるんだ。グロスハイムからの国外追放だからね、グロスハイム国外であるレシュフェルトの王領都市フレールスハイムには関係ない。昼からは会議の予定にしているよ」
なるほど、この都市の政治と経済のことを一番よく知っているのは、元総督閣下に違いない。
本当に、なりふり構っていられない状況でもあるけれど、大丈夫なのかな?
実は降伏の時に短く言葉を交わして以来、アドルフ元総督とは話をしていなかった。
国同士の交渉を戦勝と一緒に丸投げ……もとい、献上していた上、捕虜とはあまり関わらせないようにとファルコさんやウルリッヒさん達が気を遣ってくれていた結果でもある。
お陰で為人や敗戦後の様子は、あんまり知らない。
毒気も抜けたのなら、丁度いいのかも……とは思いつつも、ちょっと心配な私だった。
▽▽▽
「あーあ、腹減った!」
「クリストフ、お行儀悪いよ」
「食べ盛りの男の子ならしょうがないって」
正午になって、フレールスハイムはレシュフェルト王国の領土になった。
論功行賞の発表も同時に行われ、私の陞爵が公の物となっている。
それから、メルヒオル様も伯爵から侯爵に陞爵されていた。
ご本人は『グロスハイムに対する政治的な配慮であり、苦渋の選択だ』と仰っていたけれどね。
「姉ちゃん、昼から出かけるんだよね?」
「うん。そのつもりだよ」
総督府の窓から見る限り、街に変わった様子はない。
食堂も平常営業というか、いつものおばさん達が小麦だけのパンと魚介の煮込み、それから、酢漬けのキャベツを皿に盛ってくれた。
「あんたら、新しい王国から来た下働きの子達だったね」
「総督府の食堂はここしかないから、すぐに覚えたよ」
黙っていれば、私はそのへんの子供にしか見えない。
……顔の知られたノイエフレーリヒやレシュフェルトじゃともかく、フレールスハイムだと便利に使えそうだ。
まあ、うん、怒られない程度に留めておこう。
「そりゃあ戦争には負けたけど、国同士の話なんて、下々にはあんまり関係ないよ」
「息子も無事に帰ってきたからね、それだけで十分さ」
幸い、戦争の恨みとか、そういうのは感じない。
長年仲が悪いと聞いていたけど、元総督閣下の個人的な事情だけだったのかな?
……他の場所でも聞いて回る方がいいかもね。
視察先ではただの子供のふりが出来ないから、クリストフ達に任せよう。
私は私の出来る事を、頑張ろうと思う。
「そういえばさ」
「はい?」
「あんたらは、本物の『レシュフェルトの悪魔』を見たことがあるかい?」
「……へ!?」
「なんかねえ、占領の時からこっちにいる綺麗な女官さんは偽者で、本物は王様と一緒に来たって聞いたよ」
「秘密の魔法使いなんだってねえ」
言葉に詰まった私に対し、クリストフとグレーテは大笑いして付け加えた。
「そりゃ、うちの領主様だもん。見たことあるどころか、毎日会うし話もするよ」
「おや、そうなのかい?」
「お嬢……おほん、お館様は、せっかく手加減して命を助けてあげたのに、悪魔呼ばわりされたって落ち込んでらっしゃいました」
「へえ、噂は当てにならないもんだねえ」
……。
私はもう、どうでもいいやという気分で、聞き流すことにした。
「総督閣下もさ、『言い訳アドルフ』なんて呼ばれてたけど、どんなお人かと思えば、まあ、普通の海軍さんだったねえ」
「ああ、最初はこっちもすごく身構えていたさ」
「でも、いい方に外れたよ。あたしらにも普通に声かけてきたけど、そんなに五月蝿いことも言わなかったし」
「若いのには沢山食わせてやってくれって、それは時々言ってたね」
「あ、俺も! おかわりはいつも遠慮なく食べさせて貰ってる!」
「じゃあ、いい領主様なんかねえ?」
「だと思うよ!」
確かに、噂が当てにならないって、ここしばらくで良く分かったよ……。
ということで、気を取り直して。
お昼も過ぎてるし、遠くには行けないけれど、フレールスハイムの街中へ出てみることにした。
選んだのは市場のある西街区だ。
やっぱり市場は街の顔、一番気になるし、街の様子も直に見てみたかった。
総督府は南北と西の街区が重なり合う中心に建っていたから、歩いてもほんの数分である。
「やっぱり、人通りが多いね」
「これでも前より、人の出が減ったらしいよ」
「ふーん。……でも、羨ましいが先に来るかな」
いやもう、誰かとすれ違うのも難しいノイエフレーリヒと比べるもんじゃないけれど、ほんとに羨ましい。
「こちらが市場の南口であります!」
「クリストフ、あんたが指示しなきゃ。皆さん困ってるでしょ」
「あ、俺か! 予定通り、前後に散って下さい」
「はっ!」
一応お忍びの体裁を取っているものの、クリストフとグレーテに加え、フレールスハイム衛兵隊から二名、新たに創設された『レシュフェルト海軍』から二名が、私の護衛に宛がわれていた。
前方に二人、後方に二人、間に私とグレーテがいて、クリストフは私の背後でそれとなく気遣う。
お忍びとはいえ、『伯爵』閣下がふらふら出歩くと困るそうだ。
護衛を選んだ元旗艦カローラ副長ゲープハルトさんは、既にレシュフェルト王国海軍軍人としてローレンツ様に忠誠を誓い、フレールスハイム駐留部隊の司令官職に抜擢されていた。
ご本人は、『本国から転属してきた各艦長や士官らと違い、自分はフレールスハイム出身なので帰りようがありません』って笑ってたけどね。
四人とも捕虜生活経験者で地元出身、とげとげしい雰囲気はない。
レシュフェルトの衛兵隊の皆さんほど打ち解けてはいないけれど、これはまあ、しょうがないか。
「どうですか、お嬢様?」
「聞いてた通りだけど、思ったよりお野菜が高いかなあ」
「横道や裏通りは、もう少しお安いですよ」
ローレンツ様を護衛することはあっても、護衛なんてされたことがないし、治安も悪くないなら、いらないような気もしている。
でも、国同士の話や戦争とは関係なく、海賊も含めた犯罪組織による身代金目的の誘拐なんてのも、数年に一度ぐらいはあるそうだ。
都会は物騒だなあなんて考えつつも、私が襲われると困るのは私よりも周囲、念のためってことで、私とクリストフとグレーテには、防御系の魔法を二つ三つ重ね掛けしておいた。
「ふーん……。でも、流石は大都会だね。色んなものが沢山あって羨ましい」
「はい。時々お買い物に出して貰えると、嬉しいです」
一万人の胃袋を支えてきただけあって、店の数も多い。
庶民向けの商店街だけあって食料品のお店が多いけど、その他の専門店、たとえば武具店や書店、仕立て屋なんかも見かけた。
ただ、木戸を閉めて、売り出し中の張り紙が張られた店も、ちょくちょくある。
「姉ちゃん、サトウキビのジュースだって!」
「飲んでみようか」
辻を曲がれば、甘い香りが漂う屋台があった。
手仕事中の奥さんが店番をしている。
「はい、らっしゃい!」
「えっと……七杯、貰えますか?」
「毎度! 七ペニヒだよ!」
手招きして護衛の皆さんにも集まって貰い、奥さんが樽から汲んでくれたジュースを木のカップで飲む。
いかに貧乏領主でも、このぐらいの出費を躊躇わない程度のお小遣いは持ってきているのだ。
「あ、美味しい!」
「甘いですねえ……」
「うん……」
前世で旅行中に飲んだ、搾りたてのサトウキビジュースには負けるけど、それなりに美味しい。
代を重ねて改良されてきただろう現代の品種と比べるのは、無理があるけれどね。
「……ふう、ご馳走様」
「あいよ、ありがとね!」
でもやっぱり、ちょっと雑味が多かったかな。
それに、搾り器でぎゅっと搾ったのを、すぐに飲んでみたくなった。
ついでに、魔法で氷を浮かべるか、適度に凍らせてシャーベットなんてのも……ごくり。
ちなみに後で護衛の衛兵さんに聞いたら、絞りたてのジュースを街で売るのは、ご法度とされているそうだ。
「はっ、未加工のサトウキビを指定の村から持ち出せば、国法により死刑となります」
「死刑!? ……あ、そういえば、ものすごく厳重に管理されてましたね」
「その通りであります」
この法律は、総督府を飛び越した都市国家同盟の最高評議会が定める同盟法――国法だった。
サトウキビとその加工品は、グロスハイムにとって砂糖税や砂糖酒税が莫大な利益を産む重要な戦略物資であり、国家主導で管理されている。
規模は全然違うけど、レシュフェルト王国に於けるリフィッシュみたいなものかな。
「ただ……いつの間にか、サトウキビの株がバウムガルテンに渡っていたらしく、南バウムガルデン産のミラス酒が出回り始めているそうです」
「それって、大事件なのでは……?」
私の知る現代知識だと、サトウキビは株分けどころか、収穫の時に切ってしまう穂先を苗にすれば、簡単に増やすことが出来た。
クイズ番組で見たから、たぶん間違いない。
つまり、持ち出しさえなんとかなれば、割と簡単に別の地域で栽培出来るのだ。
幾ら秘密にしてるといっても、産地を書いて並べればある程度の生育条件は推測できるし、サトウキビ栽培は世話をしなくてもそれなりの収穫量が得られる。
特に海外では、植えると収穫まで放置って地域も多いかな。
狭い日本じゃ無理だけど、手間を掛けて面積あたりの収量を増やすより、同じ労力を掛けるなら、作付面積を増やす方が結果的に大きな収穫が得られた。
「はい。本国の特務――裏仕事専門の秘密騎士団が動いて、手引きをした豪商を捕らえ、商会も解散させたと聞いています。……我々のような下っ端兵士のところにまで話が流れるぐらいには、よく知られている秘密でありますが」
もしかして、グロスハイムがフレールスハイム割譲にサトウキビの権利までつけたのは、いつでも取り返せるからだけでなく、この件があったからなのかもしれない。
もちろん、取り返す日までサトウキビ畑や製糖工場をレシュフェルトに預けておく方が、再建費用が圧縮できるからかもしれないけれど……。
とりあえず、明日は同じ西街区の製糖工場や醸造所を視察してみようと思う。




