第八十八話「陞爵」
第八十八話「陞爵」
フレールスハイム到着のその日は会議、二日目はアリーセに首根っこをつかまれて書類仕事に連れて行かれ、三日目は併合公布の下準備に走り回っていたらもう当日が来てしまった。
「自分は西街区担当であります!」
「えっと……西街区は四枚です、どうぞ!」
「四枚、確かにお預かりします!」
総督府のロビーに持ち出した机の前で、アリーセと二人、高札に張る公布の写しを担当の衛兵達に渡していく。
これを、期限である正午までに、都市領内へと張り出すのだ。
都市領としてのフレールスハイムは、中心となる港湾都市と、それを取り囲む農村や漁村で構成されていた。
お陰で結構な枚数の公布を筆写しなくてはならなくて、昨日は大変だったよ。
「式典とかないだけ、ましかなあ……」
「フレールスハイムにとっては慶事じゃないし、わたくし達には……どうなのかしらね?」
「だよねえ……」
グロスハイムへの帰属を選んだ人々は、引継ぎを指揮していた総督代行の内務官も含めて、全て帰国――退去していた。
正式な条約の調印は終わっているし、負けたグロスハイムと、国が傾きそうなレシュフェルト、両国共に、大きな式典を催して内外に喧伝してもあんまりうま味がない。
お陰で静かな併合初日になりそうだった。
「アリーセはこの後、メルヒオル様のお手伝い?」
「ええ。リディは?」
「視察の準備だよ。馬は借りられたけど、資料見ても現地の事は分からないし。グレーテ達には、フレールスハイムのことを聞いて回るよう頼んだけど……」
「ふふ、頑張ってね、『フロイデンシュタット女伯爵閣下』」
「……はーい」
くすくすと笑うアリーセだけど、まあ、しょうがない。
南海辺境戦役の論功行賞も正午に発表されるけど、私はなんと、勲功第一位として『伯爵』の位を授けられることが決まっていた。
子爵をすっ飛ばしたのはともかく、伯爵はちょっと大盤振る舞いすぎるんじゃないかなあと思ったけど、もちろん理由が付けられている。
『リディ、君の起こした奇跡の勝利と、その後の献納は、王国史に残るほどの国益貢献なんだ。これをそのまま受けいれては、その後の国家経営に支障が出る』
『リヒャルディーネ嬢、この件は辞退せず、素直に受け入れて欲しい』
『は、はあ……』
私はもう寄付したつもりでいたけれど、受け手側であるローレンツ様や王政府から見た場合、そういうわけにはいかなかった。
論功行賞がきちんと行われない国なんて、民から見限られるに決まっている。
頑張っても正当に評価されないなんて、やる気が出なくて当たり前だ。
当然、外国から誹りを受けても反論ができない。
ましてやそれが建国間もない小国では、国際的な信用度が地に落ち、国力に比した小規模な貿易ですら断られる可能性さえあった。
『ただ、王家にも王政府にも、余裕はなくてね……』
『……ですな』
そこで定番となるのが、陞爵――爵位の引き上げだ。
陞爵そのものは国庫への負担が少なく、国王が家臣に与える名誉としては、領地の下賜と並んで最上級の褒美とされていた。
爵位や領地は個人に与えられるものでありながら、子孫に引き継げる。
乱発できるものじゃないし、後代のことまで考えないと毒のように国を蝕むこともあるけれど、必要なら躊躇わず行使すべき王権、その大事な一つに数えられていた。
『いっそ、爵位と一緒にフレールスハイムを与えようか……とも考えたんだけどね』
『は!?』
『流石にノイエフレーリヒからの転封は、大伯母上の忠告を思い出して断念せざるを得なかった』
『代わりにもならないけど、ノイエフレーリヒに接する無人の王領を三つ、下賜する。陞爵の祝いにしては不足かもしれないが、上手く使って欲しい』
……といったお話と裏事情を、今朝になって聞かされた私である。
気持ち的には、『成り上がろう!』を通り越して、ちょっと行き過ぎかなと思わないでもない。
なんと言っても、伯爵、である。
実感がないどころの話じゃない。
ただ、ローレンツ様を困らせるつもりは毛頭なかったし、爵位の返上なんて以ての外だった。
じゃあ、どうするかと言えば……。
前向いて、頑張るしかなかった。
……ほんの少しくらい、貰える物は貰っておこうって気持ちも、なくはない。
爵位のおまけってわけでもないけど、領地の下賜はありがたいかな。
特にノイエフレーリヒの北にある無人領は、たびたび木材の伐採でお世話になっていた。
今後は王政府に申請を出さなくても、自由な伐採どころか植林も出来るだろう。
案外、無人のままでも活用できそうで、幾分はやる気も追加された私だった。
▽▽▽
朝の一仕事を終えた私は、グレーテとクリストフを連れて、借りた小部屋に陣取った。
爵位も無人の領地のことも、とりあえずノイエフレーリヒに戻ってからでいいかなと頭を切り替える。
「はあ、伯爵ですか……」
「無茶苦茶だよ、姉ちゃん……」
「……私もそう思うよ。無人の領地を貰えたのは、素直に嬉しかったけどね」
「余裕が出来たら買い増ししたいって言ってたもんね」
何かしようにも、取り立てて出来ることがなかった。
ノイエフレーリヒに新規開拓の余力はないし、陞爵したからって暮らしぶりが変わるわけじゃない。
そもそも今の男爵でさえ、どちらかと言えば持て余し気味である。
「伯爵はちょっと後回しにしてさ、クリストフ、グレーテ。フレールスハイムはどんな感じ? 私は街歩きさえ出来なかったから、一番最初からよろしく」
二人の集めてくれた情報が、この視察の基準になる。
幼なじみなだけあって、私が何をしたいのか、他の人より良く分かってくれるし、話も通じやすかった。
「じゃあ、俺から。フレールスハイムの街は大体三つに分かれてる。中心に総督府があって、北街区には軍港とか兵舎とか、南街区は港と商人の倉庫、それから西は製糖工場と蒸留所、あと、庶民の家がいっぱい。周囲には村が十二あって、海際の二つは漁村、残りは農村だって。昨日もあっちこっち行ってみたけど、治安はアールベルクと比べても悪くないぐらいだったよ」
「農村は、サトウキビばかり作ってるみたいです。市場を覗くと、お魚とお野菜はともかく、お肉はあまりなくて割高でした」
うんうん、過不足のない答えをありがとう。
クリストフが偵察に来た騎士の視点、グレーテが買い物に出た侍女の視点、ってところかな。
でも、これだけでも見えてくるものがある。
フレールスハイムでは、農村でサトウキビを作り、都市に集めて加工するわけだ。
それから領外に加工品を売って、食糧を買う、じゃなくて、『買わせる』。
流通を握る豪商達は、さぞや儲かっていたことだろう。
……随分と洗練されている気がするけれど、豪商が主導して、自分のところに利益を集中させようとしたなら、こんな感じになるのかな?
「でも、この都市領で一番すごいのは、たぶん、水路だと思います」
「え、そんなのがあるの?」
「うん。街にはないけど、街のそばを流れる川の上流から、東と西に水路があるんだよ。それが村を結んでるんだって」
「小船も通れるそうで、水路というよりも、小さな運河かもしれません。これが出来てから、サトウキビ畑が急に拡大したそうです」
「ふーん、そっか。これがフレールスハイム隆盛の下地かな……」
サトウキビを育てるためには、麦よりも沢山の水が必要らしい。
川沿い以外の広い地域に畑が広げられるなら、そりゃあ辺境でも目立つほどの都市に育つはずだと、私は頷いた。
つまりアドルフ元総督は、フレールスハイムの成長ポイントを見極めて、豪商を誘致して都市を大きく育てさせたわけだ。
動機はともかく、それ以外が見事すぎる。
「そうだ、姉ちゃん。ファルケンディークにもでっかい水路掘ってよ。その方が絶対にいいと思うんだ」
「クリストフ、あんたは……。幾らお嬢様でも、代官リンデルマン様の職分を勝手に侵したら、怒られるわよ」
「でもさ、グレーテ。姉ちゃんから、荷物を運ぶなら人が背負うより馬の背中、馬の背中より荷馬車、荷馬車より船って、昔習ったよな? ……王国が貧乏だと、姉ちゃんの領地まで引きずられてしまいそうで心配なんだよな」
「それはそうだけど……」
ほんと、この二人は私の両翼だなあ。
……いや、英才教育をしたってわけでもないけどね、飲み込みの早い子に物事を教えるのは楽しすぎた。
「じゃあ、他に何か気になったこととか、みんなが口にしてた心配事なんかはどう?」
「そうだなあ……。やっぱり税金かな?」
「併合の不安はもちろんですけど、税金がどうなるのか、これが一番の問題みたいです」
「……あ、そっか。関税とか特別税もだけど、これまで通りの暮らしが守れるか、そりゃ気になるよね」
税金のことなんて、私が決めていいわけないしなあとため息をつけば、二人は非常に微妙な顔をした。
「そうじゃないんだ、姉ちゃん」
「レシュフェルトでは人頭税以外の税を取ってないって、ここの人たちはみんな知ってるんです」
「へ!?」
「昔から隣り合ってるし、今更らしいけどね」
これは……うん、私の手に余る。
知っておられるような気もするけど、視察の内容と方向性はともかく、先に相談したほうがいいかもしれない。
私は二人を連れて、ローレンツ様たちの仕事部屋になっている総督執務室へと向かった。




