第八十七話「約束された衰退」
第八十七話「約束された衰退」
ローレンツ様の意を受けて、メルヒオル様が資料を取り出された。
「はっ、王国の現況ですが、極めて深刻な状態であると、申し上げざるを得ませぬ。報告書にも記させていただきましたが、早急に手を打たねば、フレールスハイムは……いえ、レシュフェルト王国は、緩やかな経済的衰退を経た破綻へと向かうことが確定的であります」
「……ふむ」
「軍の再編、総督府の改組、市場の維持……併合後の政策は幾つか考えて参りましたが……」
ちらりと、私のほうに視線を向けたメルヒオル様が、ローレンツ様に頷く。
「フロイデンシュタット男爵がこの国難に際し献納を申し出た件、そちらも検討させていただきました。結論から申しますと、残念ながらフレールスハイムの一時的衰退は免れませぬが、辛うじて王国が破綻に至らぬ道筋が描けそうです」
「そうか。……ご苦労だった、メルヒオル」
少しだけ、ほっとした空気が流れる。
建国前後の経済的破綻一歩手前って状況より、フレールスハイムを抱えた今の方がずっと切迫してるってことは、全員理解していた。
「それでメルヒオル、具体的には?」
「はっ、献納された三隻の軍艦のうち二隻を売却し、これを以って王政府予算を充当、ファルケンディークの堤防工事と開拓を、早期に完遂致します」
「先にファルケンディークを!?」
「はい。堤防工事の完遂は即ち、国庫支出の圧縮に繋がり、同時に現王領の黒字化が見込めます」
国が予算を出して行っている堤防工事は、麦を主とした穀物増産の為に、旧新領土管区時代から引き続き行われてきた一大プロジェクトだった。
この工事が完成すれば、王政府は国庫からお金を出して国民を雇い養わずに済むようになり、穀物も国外から購入しなくて済むようになる。
王国がさんざん頭を悩ませていた赤字体質から脱却は、本当に早いほうがいい。
「敢えてレシュフェルト本国、と呼称しますが、本国の民の暮らしぶりをフレールスハイムのそれに多少なりとも近づけ、暴動や叛乱へ至る道を封じる策ともなっております」
「やはり、差は大きいか?」
「はい。こちらに来てひと月、フレールスハイムは……辺境でも有数の大きな都市であると実感致しました。望まぬ衰退を考慮したとて、現国土がそれに追いつくのは、容易ではありませぬ」
メルヒオル様が資料を何枚かめくり、指を這わせる。
「なお……現在、王政府の有する資金ですが、甚だ心もとなく、二千五百グルデンほどの計算となります」
「ふむ……」
この二千五百グルデンには、ヨハンさんを通して我が家が先に貢納した二千グルデンが含まれている。
ぎりぎりとか、そういうレベルじゃない。
もしも、何も対処をしないなら、フレールスハイムを『放棄』しても王国が秋まで保たない計算だ。
「順序と致しましては、軍艦二隻の修理を最優先、同じく献納されました武器類の売却益と合せて一時的資金を確保し、ファルケンディークの堤防工事を完遂致します。この責任者には、建国以前から計画の指揮を執っていたリンデルマン男爵が適任かと」
「よかろう」
元総督のリンデルマン閣下は、それまでも大過なくこの地域を治められてきた実績がある。緊急時にはローレンツ様の御座船の艦長を任せられるし、一番いい人選じゃないかな。
それに、いかなメルヒオル様でも、現国土とフレールスハイムの両方を一度に面倒を見るなんて無理だった。
さて、次は本題、そのフレールスハイムについて話し合う。
私達が、ここに揃っている理由でもある。
「フレールスハイムの統治について……まずは収支でありますが、戦役前の概算で、年収五万グルデン、支出が四万五千となっておりました。但し、先月今月の状況を勘案すると、当面は年収二万五千グルデン程度、支出は『現状を維持するならば』三万五千グルデン程度と見積もられます」
「それほどの減収になるのか!」
降り積もっていくことがほぼ確定している赤字には、ため息も出ない。
おのれグロスハイム! ……と叫んだところで解決には結びつかないけれど、流石は大国、陰険だなあと書類を眺めるしかなかった。
但し、メルヒオル様が『現状を維持するならば』とわざわざ仰っているように、現状を維持しないなら、私でも幾つか思いつく対策がある。
「……人口の流出が原因か? そちらはどうだ?」
「二割程度に済みました。但し……」
「文官、軍人、豪商……都市の中枢に集中していたか?」
「御意。特に文官の不足は深刻で、現在ですら、日常業務に支障が出ております」
「で、あろうな」
これももちろん、建国時の焼き直しのように、私達の今後に重くのしかかってきていた。
併合三日前だから、ほとんどの文官武官は既に帰国している。
この早期帰国も、グロスハイムが意地悪く帰国の為の船を早く手配した為だ。
お陰で仕事を引き継ごうにも引き継げず、申し送りの書かれた紙の束が、仕事部屋の机の上に積まれていた。
これだって、アリーセが『引継ぎ先がグロスハイム本国になる可能性も、少しだけ考慮してくださいましね』と、方々でため息をついて回った結果だった。
……恐ろしいことに、その可能性はゼロじゃない。
万が一そうなった場合に困るのは、引継ぎの準備を怠った文官本人で、特にその人事考課は地に堕ちるはずだった。
残った文官はたったの四人、共に現地採用の地方官で、揃って元は商家の勤め人だった。元総督が、市場で声を掛けて引き抜いてきたそうだ。
少し人口が減ったとは言うものの、四人の文官で八千人の都市領を回すのは、もちろん無理がある。
平常業務は後日へのしわ寄せ覚悟で受付を絞り、出入港の審査は廃止、名前と元の職業と年齢だけを記録し、関税は申告された内容のままに徴収していた。
「それでは、最初に申し上げました軍の再編、総督府の改組、市場の維持、その具体的な方策についてですが……大幅な規模の縮小を計画いたしました」
「ほう?」
軍、官、市場――民。
それらの規模は、都市の大小にほぼ比例する。
「経済的衰退は、やはり避けられませぬ。しかしながら、王政府が一定の収益を確保せねば、その維持もままなりませぬ」
そのままメルヒオル様の説明は続く。
軍隊は特に大きく規模を縮小、海軍は戦列艦一隻と水兵百五十を最大とし、衛兵隊も五十人へ。
往時のほぼ五分の一となるけれど、フレールスハイムが駐留艦隊を揃えた理由は総督の逆恨みが主要因で明らかに過剰、海賊避けならこれで十分らしい。……グロスハイムが本気で攻めてきたら、考えるだけ無駄だ。
そしてこの軍備縮小は、そのまま軍事費の大幅な圧縮に繋がった。
総督府は名前こそそのままだけど、小さな行政組織に改組される。
政策の大方針はメルヒオル様と王政府が担当して総督職は置かず、大きな建物は名目上『離宮』にするそうだ。
残念ながら、小さく改組してなお『急募、文官求む!』の看板は降ろせなかった。
市場については、組合の顔役である豪商達がいなくなり、今も混乱している。
幸いかどうか、品物自体が消えたわけではなく、今後の不安から買い控えと売り控えが交錯しているお陰で、微妙な平衡状態を保っているという。
王国としてはこのままどうにか市場を平穏に保ちたいけれど、豪商が談合して行うような市場価格への介入はしないし、出来ない。
専門家もいなければ、そのような資金の余裕もなかった。
どうしても『本国』に必要な食品類の買い入れぐらいは行うにしても、食料や雑貨の値段を抑える都市内法は既に存在していて、きちんと機能している。
但し今後、輸入品は値上がりし、輸出品が値下がりする未来がほぼ確定していた。
何故かと言えば、フレールスハイムはグロスハイムから切り離された『国外』となり、全ての輸入品に関税が掛けられるからだ。
逆にレシュフェルトから国外へ売りに出す場合は、相手国がやはり関税を掛ける。
もちろん、貿易に有利だからとレシュフェルトだけが掛けなかったり、目立つほど低くするわけにもいかない。
周囲の大国と歩調を合せなければ、それこそ潰されてしまうだろう。
関税は国家の持つ大事な利権であり、収入源でもあった。
「これらの緊縮策ですが、実は悪手と分かっております。しかしながら、『本国』とフレールスハイム、どちらも切り捨てられるはずもなく、悪手と知りながら選択せざるを得ませんでした」
緊縮策は経済規模の縮小化に繋がり、結果的に成長の機会を奪ってしまう。
それでもなお、メルヒオル様がこの方策を採用したのは、王国には二つの大事業を同時に行えるほどの財力もなく、人材もいないからだ。
故に王国は基本戦略として、フレールスハイムは緊縮策で衰退までの時間を稼ぎつつ、まずは『本国』を黒字化、その後、本格的開発をする。
これしかない、ってところかな。
私がお役に立てるとしたら、ノイエフレーリヒの成長とか、そっち方面かな。
うちの領地が潤えば、自然と王政府に貢納する金額も大きくなる。
それは王国への支援にもなり、同時に諸侯の本分でもあった。
「いや、ご苦労だった、メルヒオル。基本的にはその方針でよいだろう。他に何かあるか?」
「はっ、出来ますれば、フロイデンシュタット男爵を半月ほどお借りいたしたく」
「へ? 私ですか!?」
何ゆえに、私……?
「男爵には当地の視察を行い、その問題点の解決に知恵を絞っていただきたい」
「……ああ、それはいいな。構わないか、男爵?」
「は、はい、頑張ります!」
期待されているのは、リフィッシュやトロップフェンのような産物開発だけじゃない。
併合直後の混乱を黙らせる為に、本物の『レシュフェルトの悪魔』がフレールスハイムに滞在していると、小さく噂を流すらしい。
もう帰国した捕虜から、本物はアリーセじゃなくて私だって知れ渡っているからね。
都市領内の視察であちこちをうろうろすることも、この場合は必要なお仕事になるようだった。
「それからメルヒオル、今回の南海辺境戦役の論功行賞についても、併合式直後に公表したい。手配を頼む」
「もう決められましたか?」
「大凡はな。後で確認してくれ」
「御意」
……全員の視線が私の方を向いたのは、偶然じゃないと思う。
論功行賞、つまりは戦功に対してご褒美が貰えたり、失敗したなら罰が与えられたりするんだけど、失敗はなかったと思うので多少は気楽だった。
でも、王政府に余裕はないんだし、ご褒美は後回しでいいかな。
それよりも、資金確保に必要な二隻の巡航艦、その修理を急がなきゃ、なんて考えていた私だった。




