第八十六話「フレールスハイム到着」
第八十六話「フレールスハイム到着」
「一、二、三……へえ、六隻も船がいますね」
「もっと閑散としてるかと思ったけど……」
「本国へ帰る人のお迎えかな?」
グレーテとクリストフと三人、船べりにもたれ、海風に吹かれる。
前にも寄ったはずなんだけど、大型船用の埠頭もあれば大きな倉庫も並んでいて、如何にも本物の港町という風景に、改めてレシュフェルトは田舎だなあといらない感想を抱きつつも……。
やってきました、フレールスハイム!
いやもう、王政府に配属されている騎士様じゃないけど、書類仕事はしばらく勘弁して欲しい。
開放感もすばらしいけどね!
予定通り、芽吹月の二十五日に『アドミラル・ハイドカンプ』号がお迎えに来た。
国王陛下をお送りするということで、暴風のハンス自らが艦長に名乗りを上げ、たったの二日でフレールスハイムまで到着してみせている。
「わっはっは! 久しぶりに巡航艦を指揮出来て、某も気分が高揚しておったようですな! いやはや、フロイデンシュタット男爵に万謝を!」
フレールスハイムまで、魔法なしなら到着に十日ほど掛かる一枚帆の小型商船ですら、四日で到着させてしまう海のエキスパート、暴風のハンス。
三枚も帆があって元から高速の巡航艦なら、このぐらい普通らしい。
「まあ、腕は鈍っておらんか。……『三色の髭』追撃戦の時ほどのキレはないが」
「そこはそれ、老練というやつよ」
このアドミラル・ハイドカンプ号には、アドルフ元総督も同乗していた。
昨日は夜通し、露天指揮所で塩入りのクナーケ茶を片手に、話をしていたと聞いている。
会話を聞く限り、一千人の兵隊と四隻の軍艦を十五年掛けて揃えるほどの恨み節は、聞こえてこない。
「さて……」
「うむ。……接岸準備! 整い次第、陛下にもお知らせしろ!」
「了解!」
まあ、いいことなんだけど、そんなに綺麗に晴れる恨みかなと思ったりもする。
後でこっそりとハンスさんに聞いたら、大笑いされた。
『十五年掛けて揃えた艦隊だからこそ、二十年掛けて積み重なった恨みだからこそ、であるな。それが四半刻と掛からず沈められた上、相手はたったの一人、孫のような歳の少女が相手ではな。フロイデンシュタット男爵を侮っておるわけではござらぬが、某でも心折れるわい』
それから、まことにありがとう、と言われて、敬礼された私だった。
▽▽▽
私達が接岸した埠頭には、メルヒオル様やアリーセが、見知った騎士様達と共に並んでいた。
「ご苦労だった、メルヒオル」
「はっ……」
短めに言葉を交わし、私とアリーセは露払い兼護衛として先頭の馬車に、ローレンツ様と両腕のお二人は後ろの馬車に、それぞれ乗り込む。
アドミラル・ハイドカンプ号には暴風のハンスと共に、アドルフ元総督が残された。
現在のフレールスハイムはレシュフェルト王国の占領下、つまり正式な領有権がグロスハイム都市国家同盟にあり、国外追放が決まっているアドルフ元総督は上陸しない方がいいそうだ。
「お疲れ様、リディ」
「アリーセもね。報告書は読ませてもらったけど、こっちはどんな感じ?」
「そうねえ……」
総督府へ向かうごく短い間ながら、アリーセからこちらの状況を聞きだす。
併合の宣言は来月一日、三日後に迫っていた。
「急いだのは、軍の再編成かしら。カローラ号は残留を決めた水兵が乗り組んで、とりあえずだけれど、動かせるようにしたわ。衛兵隊も人が足りないから不足があるけれど、そちらはこれからね」
とにかく、この規模の港に一隻でも動ける軍艦があるという意味が大きいそうで、隣のミューリッツにも軍艦配備の噂は流しておいたという。
でも、残留を決めたのは水兵百名に衛兵が二十名、幸い士官や魔法兵も含まれているけれど、往時の十分の一ほどで、実務に支障が出そうだという。
「それから例の如く、総督府の文官達もほとんど帰国を決めたわ」
「あー、そりゃあね……」
「商業組合の顔役達も、全員が帰国したか、その準備中よ。大通りのお店や港に近い倉庫、製糖工場や醸造所まで叩き売られているわね」
フレールスハイムに大きな利益をもたらしていたサトウキビ産業は、商業組合の顔役達――豪商が支配していた。
もちろん、サトウキビ畑や製糖工場は残されるけれど、それだけで経済が回るわけじゃない。
生産・加工・流通という一体化されたシステムとノウハウが白紙になり、売り先との繋がりも、フレールスハイムからは喪われてしまうのだ。
農夫や職人はこちらに残っているから、単にサトウキビを作り、製糖して、お酒を造って、蒸留することは出来る。
設備だって、うちの作業場……もとい、フロイデンシュタット家のトロップフェン蒸留所どころじゃないまともな設備のはずで……。
でもそれだけじゃ、同じサトウキビの蒸留酒――ミラス酒を作っても、売れない。
数字としては表に出てこないグロスハイムが長年掛けて作り上げたブランド力が、重くのしかかってくると予想された。
わざわざ『味どころか、どこで造られたのかさえよく分からない』レシュフェルト産のミラス酒を買う理由は、ないのである。
単なる模倣品として、労力以下の値段でしか市場では受け入れられないだろう。
これまで通り頑張っても、利益はかなり薄くなると予想された。
差し当たって、これが一番痛いかな。
そりゃあ辺境でも大き目の都市を、賠償金代わりにぽんと一つ押し付けてくるわけだよ……。
「他にも、本国から派遣された武官や兵士は、ほとんど帰国する。これはリディの方が詳しいかしら」
「……うん」
先日のレシュフェルト王国建国時の騒ぎを考えるまでもなく、本国に家族や一族がいるなら迷わず帰るだろう。
そうでなくても、帰れるのにわざわざ小国に残ろうとするのは、家族がいる、こちらで根付くつもりだった、故郷に帰りたくない……それなりの理由がある人たちだった。
私達は、それを、とてもよく知っている。
「メルヒオル様は、『再度の建国に近い』って仰ってたわ」
「状況、似てるよね」
「……本当に、ね」
国境線も書き変えられたし、これから経済的に衰退するのは確実だ。
民からの信頼は建国時のそれよりも一段と低いはずで、本当に一から関係を構築しなきゃならない。
そして、これまでの暮らしぶりさえも、未来への棘となった。
現在のレシュフェルト王国の平均を大きく上回る故に、不満もたまりやすいだろう。
本当にどこから手をつけたものやら、先が見えない。
「……私、頑張るよ」
「そうね、嘆いてばかりじゃいられないわ」
でも、悪い事ばかりじゃない。
直近さえ乗り越えれば、少しは拓けた未来が見えてくるはずだった。
馬車は大通りをまっすぐに進んだ。
人通りは、少ない。
……レシュフェルトよりもずっと多いけれど、人口に比べれば、ちょっと寂しいかな。
王宮よりもずっと大きな総督府に入った私達は、早速会議室に陣取った。
「皆、ご苦労だ」
最初に南大陸に乗り込んだ五人、ローレンツ様、メルヒオル様、アンスヘルム様、そして、アリーセと私が揃うのは、即位戴冠式以来だ。
もちろん、ギルベルタさんが国王陛下付きの侍女としてお傍に控え、お茶のお世話をしてくれている。
「前置きは……今更か。メルヒオル、頼む」
「はっ、当地の現況ですが――」
もう併合は、三日後に迫っている。
時間は、とても限られていた。




