第八十五話「帰国と出国」
第八十五話「帰国と出国」
「非直の者は砲甲板へ!」
「先に乗せていただいてありがとうございます、航海長!」
「おう、気をつけて帰るんだぞ!」
私が演説した、……させられた、三日後。
芽吹月の十二日、捕虜帰還の第一便として四百六十三人が乗り込んだ『アドミラル・ハイドカンプ』号が、無事にノイエフレーリヒを出航した。
フレールスハイムには連絡を入れていないけれど、家族にも早く会いたいだろうし、母港なら少なくとも兵舎はあるから問題ない。
「全艦出港準備完了!」
「フレールスハイムに向けて出航!」
捕虜の皆さんも適宜交代で配置されているけど、艦長はウルリッヒさんだ。
他にも数人の元水兵や、ファルコさんが推薦したノイエフレーリヒの漁師――元海賊とともに乗り込んでいる。
どっちもやる気十分だけど、久しぶりに大きな船を動かせるのが嬉しかったらしい。
イゾルデさん達は呆れてたけど……鬼気迫る様子で、アドミラル・ハイドカンプ号に乗る権利を掛けてくじ引きをしてた。
調書を取るのは忙しかったけれど、『暴風のハンス』の元部下が結構な数応援に来てくれていて、すごく助かっている。
ちなみに、元海賊だったファルコさん達は、調書を取るのに使われた作業場には近づきたがらなかった。
まあ、うん、気持ちは分かる。
帰還の発表以降、捕虜の皆さんもそれまで以上に協力的になり、私が希望した通りに帰国の順番を組んでくれていた。
今のところ、五百人ほどの聞き取りを終えて残留希望は五十数人、思ったよりも多い。
「明後日までに仕上げるぞ!」
「おう!」
少しだけ人数が減ったノイエフレーリヒだけど、活気はこれまで以上だ。
ローレンツ様のご裁可と同時に王政府から予算が降りたので、戦列艦『カローラ』の修理が進められることになった。
これはメルヒオル様の要望で、大きな船なので帰還にも丁度いいけれど、フレールスハイムの海賊避けに使いたいそうだ。
戦列艦は、沢山の魔砲や水兵を乗せられる。
巡航艦は、その足で海賊を追い詰め、捕まえるのがお仕事だ。
海賊に追われた商船は、港に逃げ込む。
軍艦がいる港と知っていれば、海賊も滅多と寄り付かなかった。
……ところが、今のフレールスハイムには軍艦がない。
私が全部沈めちゃったわけで、軍艦が大至急必要となっていた。
▽▽▽
「さて、今日も一日、頑張ろっか」
朝はその日の予定を確認して打合せを終えると、収容所に顔を出すのがほぼ日課となっていた。
「こっちはこの時期でもあったかい……っていうか、暑いね、姉ちゃん」
「私もこの季節は初めてだよ。オルフの初夏よりは暑いかも」
護衛半分にクリストフを連れ、様子を見にいく。
半分近い人数が帰還した収容所は、スペースに余裕が出来て、暮らしぶりがよくなっていた。
ついでに、村人の住居もよくなっていたり。
伐採に漁、炭焼きや炊き出し。
手配できる日帰り仕事の数には、限界がある。管理も大変だし。
今は船の修理を優先してるけど、力仕事の荷運びはともかく、木材の加工やすり合わせは、専門職の出番だった。
人が余るのはもったいないけど、伐採や漁も人が多ければいいってもんじゃない。
それでも何かないかと相談した時、ウルリッヒさんら他の領地からの応援の皆さんが、家の修理だと口を揃えた。
いかに南大陸の辺境が貧乏でも、ノイエフレーリヒ村の居住環境は、流石にちょっと……という状態だったらしい。
『こんなに労働力が投入できる機会は、滅多にないだろう』
『……すまん』
『ファルコが悪いわけじゃねえだろ。……ただ働きのお前らと違って、俺たち出稼ぎ組にゃ、ちゃんと給金が出る。気にすんな』
『あ!? うちの大親分舐めんなよ! 確かに給金は一ペニヒだって出てねえが、今年の人頭税徴収済みのお墨付きが出てるぜ』
『本当かよ!?』
修理と平行して、新築の家も三軒が同時に建てられている。
これも後回しでいいかと思っていたんだけど、今のうちにと、領民の皆さんから押し切られていた。
数の暴力……ではないけれど、本当に今現在のノイエフレーリヒは、普段の十数倍もの労働力が投入できるのだ。
他のお仕事も、漁獲高は食糧確保の目的もあって平時の五倍、日干し煉瓦の製造量なんて、年末に私一人で地下室を作っていた時の三十倍にまで達していた。
ちなみに一軒は機織部屋付きでザムエルさん夫婦に、一軒はエッカルトさん夫婦に、残りの一軒はヨハンさんとクリスタさんに、それぞれ用意している。
流石に領主の館は四人で暮らすには無理矢理の限界で、今後は私とグレーテだけが住む。
クリストフは、そろそろ騎士団に行かせたい。
グレーテには相談したけど、彼は今十二歳、早い子なら十歳ぐらいから見習い従士になるからね。
いつか交わした約束通り、私も堂々と騎士団への推薦状を書ける立場になっていたし、騎士になりたいという彼の夢への一助になれるなら最高だ。
この騒動が落ち着いたら、当人も交え、『オルフ組』で話し合って決めようと思う。
さて。
「男爵閣下、おはようございます!」
「はい、おはようございます、ゲープハルトさん」
出迎えてくれたのは、旗艦カローラの副長ゲープハルトさんだ。
総督閣下と艦長さん、それに上陸部隊の隊長ら幹部は、早くにレシュフェルトに移されていたから、ゲープハルト副長がまとめ役に指名されていた。
幹部の皆さんはお仕事も免除されていたし、寝泊りするのも牢屋じゃなくて宿舎だ。
代わりに作戦の概要や当日までの行動など、取られる調書の量も多いから、楽なわけじゃないらしい。
「ご指示通り、総員の一割は休息を取らせるようにしましたが、本日も体調不良者なしであります」
「ありがとうございます。……そうだ、ゲープハルトさん」
「は、なんでありましょうか?」
「そろそろ、魔法城壁を撤去しようと思うんですが……」
今からフレールスハイムに帰るなら、危険を冒して逃げる相談をするより、大人しくこちらの指示に従う方が早くて簡単だろう。
我が家としても、警戒する理由も消えつつあったし、正直なところ、二日に一回、大きな壁をぐるっと回るのは面倒くさかった。
消費する魔力も馬鹿にならない。
「お気遣い、ありがたくあります。ですが、可能であれば、収容所閉鎖までは維持していただきたく思います」
「……へ?」
「いえ、問題はないのですが――」
ゲープハルトさん曰く、とても頑丈な高い壁があるお陰で海風がさえぎられて、屋根だけの天幕でも快適に過ごせるんだそうで……。
そういうことなら、面倒くさいのも我慢しよう。
第二便が出るまでは、魔法城壁の維持が決まった。
▽▽▽
「カローラ号乗り組み、総員五百三十六名! 大変お世話になりました、男爵閣下!」
「はい!、皆さんお疲れ様でした!」
調書が全部揃ったのは――もとい、戦列艦カローラが修理を終えたのは、アドミラル・ハイドカンプ号が出航して五日後、芽吹月の十七日だった。
今度の艦長はもちろんファルコさんで、必要な装備と食料と帰国する捕虜を乗せるそれを、感慨深げに見送る。
幹部捕虜もアドルフ総督以外の五人は連絡便で帰されたので、残っているのは総督閣下一人だ。
国外追放処分になっちゃったので、帰しようがないのである。
聞いた話によると、呼び出しのない時は、監視役の衛兵隊長ルイトポルトさんを相手に将棋をしているという。
まあ、恨みと一緒に毒気が抜けたのなら、それでいいのかもね。
船が小さくなるのを見届けたあたりで、埠頭に来ていたイゾルデさんの口からはあと大きなため息がもれた。
「全く、やれやれだね。……でも、あんたはこれからの方が忙しいだろう?」
「忙しいだけで済むから、まだ気楽ですよ」
「あんたも大概、大物だねえ。頼りにしてるよ」
カローラ号が向こうに着いたら、入れ替わりでアドミラル・ハイドカンプ号が戻り、ローレンツ様や私を乗せてフレールスハイムへと向かう予定になっていた。
私もそろそろ、出国の準備をしないといけない。
……個人の準備は着替えぐらいだし、家の事はヨハンさんがいれば問題なく、ノイエフレーリヒはイゾルデさんがいればまあ大丈夫だろう。
そちらはともかく、忙しくなるのは確定している。
魔法の補強なしだと徐々に崩れてしまうので、魔法城壁や埠頭は解体しなきゃいけなかった。
こちらへと応援に来てくれている皆さんにも、お給金の引換券になる徴用証明を発行し、その期間や金額を整理して王政府に提出するのも早い方がいい。
もちろん一気に解散は出来ないし、まだ収容所の後片付けや、ノイエフレーリヒを平素の暮らしに戻す作業も残っている。
ノイエフレーリヒ暮らしじゃあり得ないと思っていた本格的な書類仕事が待ち受けるこの状況に、パソコンとプリンターは無理でも、せめて電卓が欲しいなと頭の片隅で考えつつ、私はもう一度海を眺めてから領主の館へと戻った。




