第八十四話「捕虜の解放に向けて」
第八十四話「捕虜の解放に向けて」
ローレンツ様が昼食までは少し仮眠を取ると宣言されたので、私は同じ部屋で護衛として過ごしながら、王政府に提供できる戦利品のリストを作っていた。
たまに、ローレンツ様の寝顔をながめたりもする。
熟睡しておられるのかな、胸元がかすかに上下していた。
いやあ、最高のお仕事環境だわ。……なんて、のんびりもしていられないけどね。
「さて……」
まず、修理の完成した巡航艦は、先にお渡しすることに決めた。
動ける船は、これからますます必要になるだろう。
うちの分は落ち着いてからでいいし、維持を魔法に頼らない埠頭も必要だった。
武器や魔砲は、全部お預けしてしまおう。
船を就航させたら自衛の武器ぐらいは必要になりそうだけど、資金繰りの解決が先だ。ほんとに余裕がなさ過ぎる。
売りに出す先は……私が考えるより、王政府にお任せした方がいいかな。
「……リディ」
「はい!?」
お声がかりに振り返れば、ローレンツ様がベッドの上で半身を起こされていた。
「よく、眠れた」
「えっと、それはよかったです」
ふうと大きく息を吐いたローレンツ様が洗顔を所望されたので、魔法で水を……手桶に汲む。
洗面器なんていう特殊なお品は、領主の館にはなくて……。
我が家はこれでも王国に三家しかない領主家の一つで、これからも行幸がある可能性は高い。
いまはそれどころじゃないけど……買うのはともかく、自分で作るのはありかもね。
▽▽▽
「割譲期日には、フレールスハイムへ向かうつもりなんだ。その時は、リディも一緒に来て欲しい」
炊き出しの汁物に小麦粉多めの雑穀パンというお昼を召し上がってから、ローレンツ様はお帰りになられたけれど、私には『宿題』が一つ、出されていた。
『可能な限り早く、捕虜帰還事業に着手して欲しい』
考えて見れば当然で、来月にはフレールスハイムが王国へ併合される。
その期日までに、少なくともフレールスハイムに全ての捕虜を帰還させる必要があった。
身請け金は取れなくなった……というか、グロスハイムが支払ったフレールスハイムの割譲という『代金』に含まれているけれど、まさか王政府から取り立てるわけにもいかず、これはすっぱり諦める。
建国直前のレシュフェルト同様、本国から命令を受けて転属してきた職業軍人の他、他の都市で募兵に応じてやってきた人も多い。
現地採用の人だって、家族の元へ帰すにしても、故郷が隣国の領土になってしまったんじゃ、選択を迫られる人も多いだろう。
きちんと調書を取って、除隊や帰還、継続雇用希望と組分けする必要もあるけれど、これもうちの仕事になった。
見かけ上、捕虜は我が家の財産ってことになってるからね。
それはそれとして、食費も管理費も長引けば結局はフロイデンシュタット家の負担になるから、早く帰って貰うにこしたことはない。
当人達も早く帰りたいだろうし、捕らわれの身になってそろそろ一ヶ月、情報に飢えてる頃合じゃないかな。
ほんと、いいタイミングなのかもね。
一応先に、ファルコさんとウルリッヒさんを呼んで、相談することにした。
捕虜のことは二人にほとんどお任せしていたから、大丈夫かどうか聞いておかないと心配だ。
「……は!?」
「なんとまあ……」
フレールスハイムの割譲と併合については、お二人ともかなり驚いてたけれど、もう決まったことなんだから覆しようがない。
「帰すだけならなんとでもなるぜ。無理矢理詰め込めば……そうだな、一航海の片道六日ってところか」
「え!?」
「捕虜の魔法使いの協力があれば、その半分ですな。フラウエンロープ号のような一枚帆の近海商船とは、流石に比べ物にはなりゃしませんよ」
「暴風のハンスなら、そのまた半分でも行けるか?」
「だな」
驚く私に、二人はにやりと笑った。
「船底だから修理はちょいと面倒だったが、他の部分は壊れてるわけじゃねえ。持ち出した艤装を点検して戻しゃ、いつでも沖に出られるぜ」
「男爵閣下、いま修理の終わってる『アドミラル・ハイドカンプ』は中型の巡航艦で、乗組員の定数は百から二百ってところですが、ああ見えて結構な積荷を載せられますんで、へい」
「詰め込めば、捕虜全部を一気に帰せるぜ」
「……まあ、寝床は三交代か四交代になりますがね」
さすがにそれは詰め込みすぎだと思うけど、今の時期なら嵐もないし、そのぐらいなら本当に問題ないそうだ。
二人と交代でヨハンさんとクリスタさんとイゾルデさんを呼び、同じ説明をする。
とりあえず、二往復での全員帰還を目指すことが決まった。
「……あの、ほんとにやらなきゃダメですか?」
「あんたの言葉がなきゃ始まらないぜ、『レシュフェルトの悪魔』さんよ」
決まると後は早かった。
全ての作業は一旦中止、捕虜は収容所に帰され、これから領主様の『ありがたい演説』を聞くようにと、整列させられた。
うわ、面倒くさいし聞きたくないだろうなあと、私でさえ思うので、手早く済ませたいところである。
加えて、応援の皆さんやほぼ全ての領民が、捕虜収容所の入り口近くに集まっていた。説明が一度で済むし、捕虜が全員集められたので、お仕事がなくなってしまったのだ。
「領主様のお出ましである! 頭ァ、右!」
ウルリッヒさんを露払いに、グレーテ、クリストフ、ファルコさんを従えて収容所内に入れば、全員が綺麗に整列し、ウルリッヒさんの号令一下、私の方を注目した。
「ほう……」
「錬度は高いままだな」
……ってそれは構わないけれど、木箱で出来た即席の朝礼台のようなものが用意されていて、気分が萎えてくる。
まあ、ここまで来たらしょうがない。
私が朝礼台に上がると、ウルリッヒさんが進み出た。
「総員、敬礼!」
びしっと音がするぐらい一糸乱れぬ敬礼が、『私』に捧げられた。
……ちょっと、恐い。
軍艦だからよかったけど、この人数を相手にして戦えって言われたら、逃げてただろうなと、今更ながらに思う。
「休め! ……よろしい。フレールスハイム駐留艦隊の諸君、ただいまよりレシュフェルト王国男爵にして当地ノイエフレーリヒの領主、リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・フロイデンシュタット閣下より、重大な発表が行われる! 傾注せよ!」
どんよりと重くなりそうな気分を、ローレンツ様の笑顔を思い出して奮い立たせ、背筋をぴんと伸ばす。
私は腰の杖を、そっと掲げた。
「……【待機】【魔力】【音声】【倍力】【倍力】、【開放】」
スピーカーの代わりに、拡声魔法で声を大きくしておく。
「皆さん、改めまして、こんにちは。ノイエフレーリヒの領主、リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・フロイデンシュタットです」
微妙な空気が、収容所内に漂った。
口調も態度も今更だけど、落ち着いて私を見た場合、それこそ見かけ十四の村娘なわけで……しまった、女官服に着替えればよかったと気付いたけど、もう遅い。
「えー、まずは捕虜生活、お疲れ様でした。至らないところも多かったと思いますが、王政府に頼ってさえ、人口二百人の寒村ではこれが限界です。今は多少ましになったと思いますが、これは皆さんの努力の成果ですね」
前置きはこのぐらいにして、と。
思ったよりも真面目に聞いて貰えているようで、とても助かる。
「さて、和平の道を模索していたグロスハイム都市国家同盟と我がレシュフェルト王国は、先日めでたく、平和条約を結びました。そこで、皆さんには帰国していただくことに決まったのですが、その前に、全員の調書を作らなくてはならなくなりました。担当者に呼ばれたら、氏名や所属とともに、除隊や本国帰還、継続雇用と、希望を述べてください。それがある程度まとまったら、第一便から順に、フレールスハイム行きの船を出します」
帰国と口にした直後から、無言のはずの場内が、熱気を帯びた。
ぐっと天を見上げた人、拳を握り締めた人、大きなため息をついて震えてる人もいたけれど、とがめだてはしない。
ウルリッヒさんにも、軽く目配せをしておく。
「ただ、私の個人的な希望ですが、できれば第一便には、小さな子供がいるお父さんを乗せてあげて下さい。次に、小さな孫がいるお爺ちゃん、その次に新婚さん。いじわるしたら、だめですよ」
あ、何人かが蹲って泣き出した。
まあね、攻めてきたのは捕虜になったフレールスハイム側なんだけど、多少は申し訳なく思う気持ちもある。
「というわけで、協力して貰えたなら、より早く帰ることが出来ますので、皆さんよろしくお願いします。……えっと、以上!」
ふう、やっと終わった……。
これだけ大勢の前で話をしなきゃならないなんて、二度の人生でも初めてだよ。
一礼をして朝礼台を降りようとしたら、クリストフが身振り手振りでなにやら私に伝えようとしている。
「どうしたのさ?」
「姉ちゃん、併合の話が抜けてるって!」
「……あ!!」
グレーテが呆れ顔で大きくため息をつき、ファルコさんがあちゃあと額に手を当てた。
慌てて壇上に戻り、もう一度拡声魔法を起動する。
「ごめんなさい、大事なことを言い忘れてました! 平和条約が結ばれた結果、フレールスハイムは来月の一日に、レシュフェルト王国へと併合されます!」
「……はあ!?」
誰かの気の抜けた声が、しんと静まり返った収容所に響き渡った。




