第八十二話「捕虜と思惑」
第八十二話「捕虜と思惑」
件の戦から、大体ひと月が経過した頃。
私は後回しにしていた戦利品の集計に手をつけ、クリスタさんを助手に、ああでもないこうでもないと悩んでいた。
「先日得た軍資金のうち、フロイデンシュタット家が王政府に貸し出した金額は、昨日の時点で二千グルデン。船の修理代金を考えると、あまり余裕があるとは言えないわね」
「直近の出費はなんとかなりそうですけど、後のことを考えると、はぁ……」
やれやれと、顔を見合わせる。
戦争は、後始末のほうが大変なのだ。
不要な武器は早々に売り払いたいけれど、十年先二十年先を考えると、いつかは必要になる日が来ることは間違いなかった。
備えあれば憂いなし、優先するのは王政府、次にうちの領地である。
王政府が先に来るのは、うちだけが武器を用意してもほとんど意味がないからだ。
組織力が違いすぎるし、今回の一件で、戦争は本当に身近なものだって分かっちゃったからね。
ただ、他の領地はともかく、ノイエフレーリヒに限れば武器を用意しておく意味はかなり大きい。
極端な話、私が不在でもそれなりの戦いが出来てしまうのだ。
元海賊や元山賊など、荒事に慣れた男衆が多すぎる上、今ならたぶん、叛乱なんて気にしなくていいぐらいには信頼関係が築かれていると思う。
「宰相閣下に頼んで、引き取り手がない魔砲や武器は、早めにフレールスハイム経由で売りに出す? それとも……そうね、時間は掛かるけれど、リフィッシュと一緒にヘニング船長のホヴァルツ号に便乗させて貰うのはどうかしら?」
「ホヴァルツ号の母港は北大陸だし、そっちの方が高く売れそうですね。……はあ、年末の貢納金が幾らになるか、今から恐いですよ」
戦利品そのものには戦争税などは掛からないけれど、最終的には『我が家の収入』となってしまうので、領地収入と同様に、粗利益の二割を王政府に納めなければならなかった。
捕虜の身代金は現金で受け取れるはずだし、最悪そちらが拗れても、四隻の軍艦を売り払えば何とかなるだろう。
幸いにして、捕虜収容所の運営は、『私基準』ながら比較的健全な状態を保つことに成功していた。
訓練の許可が功を奏したってこともないけど、極少数が風邪をひいて寝込んだぐらいで、ウルリッヒさんやファルコさんも喧嘩さえほとんどないと、肩をすくめている。
こちらの油断を誘おうとしている様子もなく、木の伐採や調理の手伝い、日干し煉瓦製造など、作業への希望者は増えていた。
最近はこちらが用意した作業に加わると、煮物の大盛りや雑穀パン倍量の他に、干物やリフィッシュも選べるようになっている。
ちなみに反抗心を折り取った一番の理由は、既に判明していた。
……私が魔法城壁の維持の為、二日に一回は必ず収容所を巡回して、あちこちで杖を振り回すから、だそうだ。
軍艦も、一隻はそろそろ修理が終わりそうだった。
乾燥が足りなかったけど、鉄鍋に入れた炭火を船内各所で焚きつつ、私の十八番、洗濯魔法を応用した脱水魔法を併用している。
船大工のケヴィンさんが中心となり、別予算でリンテレンから招いた木工職人だけでなく、捕虜の中でも航海中の修理や整備を担当する船匠班も作業に参加していた。
こちらも、私への心象を少しでも良くしておいた方がいいと、捕虜たちの総意とファルコさんらの口車に後押しされた結果らしい。
このように……懐柔すると同時に私の精神的安定を求めた結果、何故か恐怖による支配に近い捕虜収容所運営になってしまっていて、私としては非常に複雑な表情にならざるを得なかった。
あれだけの魔法を見せ付けて艦隊を全滅させておきながら、捕虜生活にはつきものの強制的な重労働も求められず、収容所の生活環境も、当初の不都合はともかくとして、要望もしていないのに整備されていく。
……何故に、あの女領主は我らを厚遇するのか?
宣戦布告のない奇襲という喧嘩を売ったら、反論できないほどの敗北をしたのに、どうしてだか丁寧に扱われるという状態が続いているので、逆に恐怖心を煽ってしまったようだった。
更には、それを助長するように。
『当面は黙ってくれてると、俺達もやりやすい。取り込みが決まったら、その時は逆にどんどん喋りかけてやってくれや』
『レシュフェルトの魔女の噂を効果的に使う為にも、その方が助かりますなあ!』
『領民に対しては今のままでよろしいかと思いますが、相手は捕虜でございます』
『その……非常に申し上げにくいのですが、お嬢様の普段の口調は、領主にしては柔らかすぎますわ』
私は捕虜達と会話をしない方がいいと、ファルコさんやウルリッヒさんのみならず、ヨハンさんやクリスタさんからも、散々に言い聞かされていた。
「領主様、いらっしゃいますか!」
「はーい!」
お昼のお茶に近い時間、漁師のヴィルマーさんが領主の館にやってきた。
昼の捕虜収容所担当で、数組つくった見回り組の組長さんの一人だ。
「フラウエンロープ号が、沖を通り過ぎたそうです!」
「……予定にはなかったはずですわね?」
「あらら、後で呼ばれるかな。ありがとうございます、ヴィルマーさん」
「へい、お構いなく!」
食糧不足が懸念された最初の一便はともかく、その後は数日に一回、中型や小型の船がのんびりと、そしてほぼ予定通りにフレールスハイムとノイエフレーリヒを往復していた。
荷役にはどうしてもある程度の時間がかかってしまうけど、その間に伝令がレシュフェルトと行き来すれば、ほとんど時間の無駄がない。
「呼ばれてもいいように、準備だけしておきましょうか」
「じゃあ、早速グレーテを呼んで来るわね」
「お願いしまーす」
うちを素通りしていくならたぶん食料品は積んでないし、急ぎの便なら王宮のあるレシュフェルトの港に直接向かう方が多少なりとも早い。
そしてその内容はともかく、フレールスハイムで動きがあれば、私のところにも直接の指示や王宮への召喚命令、そうでなくても何らかの連絡がやってくるのは間違いなかった。
▽▽▽
どんな要請が来るかなと身構えていると、やってきたのは騎士ユスティンだった。
王宮には行かなくてもよくなったけれど、その内容には驚かされている。
「え、もう交渉が開始されたんですか!?」
「北大陸から外交特使が派遣されてきたそうです」
戦から数えれば約一ヶ月、フレールスハイムの占領からだと二十日と少し。
……『暴風のハンス』ほどじゃなくても、風魔法の得意な船乗りは少なからずいるから、日数的にあり得なくはない。
特に船の出入りが制限されるようなこともなく、戦争の噂が広がるのもあっという間だっただろう。
ただ、私が聞かされていたメルヒオル様らの予想よりも、半月近く反応が早かった。
「男爵閣下には、捕虜を移送する準備を願う、とのことであります」
「はい、畏まりました」
幸いにして、個別の捕虜開放交渉はなく、預かった身代金の相場表は無駄になっていた。
……そのぐらい、グロスハイム本国の反応が早かったということでもあるけれど、相手の家名とその家格、階級などに応じて金額の多寡が変わるだけでなく、身請け交渉人とのやりとりが非常に厄介らしい。
このあたりは、軍人の娘であるアリーセから、交渉の注意点がいっぱい書かれた手紙を貰っていて、戦々恐々としていた。
ただ、これは貴族や士官、それもお金を出してくれる実家なりどこなりがあっての話で、その他の捕虜は普通、国や領主がまとめて交渉する。
失礼ながら……本当に一山幾らの計算で交渉が行われるし、政治的理由による戦力の放棄や、そもそも金額に折り合いが付かなかったなど、交渉そのものが決裂あるいは、行われないことすらあり得た。
そんな場合は、奴隷商人が交渉相手になる。
取引金額は相場によりけりながら、勝った側も戦費の回収が出来た。
「では、自分はこれで」
「ご苦労様でした、騎士ユスティン」
早速ファルコさんとウルリッヒさんに、話を通しておく。
いつお迎えの船が来るのかは分からないので捕虜には伝えられないけれど、そのあたりはお二人が上手くやってくれるはずだった。




