第八十一話「レシュフェルトの悪魔」
第八十一話「レシュフェルトの悪魔」
「グロスハイムの辺境都市フレールスハイムは、現在……レシュフェルト王国の占領下にあります」
「……はい?」
流石にわけがわからず、私は首をかしげた。
周囲からの『詳しく聞かせろ!』って圧力が、騎士テーオバルトにのしかかっている。
フレールスハイムは人口一万人以上を誇る辺境の大都会で、レシュフェルト王国に比べて経済・軍事・人口・面積……その全てが大きかった。
そもそもの話、フラウエンロープ号には大都市の占領できるような軍隊は乗せようがないのに、大都市を『占領』。
考えれば考えるほど、ますますわけが分からなくなっていく。
おほんと咳払いした騎士テーオバルトが、居心地の悪そうな様子で、お手上げのポーズをした。
「自分は捕虜になった艦長と共に、途中から交渉の場に呼ばれたのですが、宰相閣下はあちらの総督代理を相手に理路整然と主張を通され、総督府に入ってから一刻と掛からずにフレールスハイムの占領を宣言されました。詳細は仰いませんでしたが、グロスハイムの本国を相手に行う本交渉の為の布石なんだそうで……詳細はこちらになりますが、男爵閣下への密命などもございますので、後ほどお一人でご覧ください」
「……えっと、確かにお受け取りしました」
私は差し出された書類鞄を受け取ったけれど、周囲の視線に説明不足だと思ったようで、メルヒオル様の武勇伝が続く。
騎士テーオバルトの話をまとめると、要は私の成し遂げた『奇跡の大勝利』とやらをを元手に、総督代理を相手に勝負を仕掛けたメルヒオル様が大勝ちした、って感じなのかなあ。
味方の勝利を確信していた総督代理は、まさかレシュフェルトが勝ってしまうなんて、本当に想像すらしていなかったらしい。
そこを鋭く突き刺して、降伏の宣言を引き出したそうだ。
「向こうの様子はどうでしたか?」
「少しだけ騒ぎになりましたが、大きな混乱はなかったと思います。その日の夕刻、荷役が済んで出航する前までの話ですが……」
市中の混乱は最低限に抑えられ、大きな動きはなかったという。
駐留艦隊の敗北とフレールスハイムの占領を知らせる公布には、箇条書きの追記が数多く並んでおり、市民は不安な表情ながらそれらを受け入れざるを得なかったのだ。
追記には、決定的な一文が記されていた。
『グロスハイム都市国家同盟中央評議会との正式な交渉がまとまるまでの期限付きだが、商船の入出港や市中の往来については制限を設けず、言論の統制や市民の持つ資産の差し押さえも行わず、都市内法は従来の法令をそのまま踏襲することを約束する』
叛乱を警戒した民心の慰撫も含めているものの、暮らしも何もかも今まで通り、要求すらないシンプルな布告である。
母港に連れて来られた捕虜のうち、士官と水兵が開放された影響も大きい。
『戦闘準備の命令が下ったと思ったら、乗っていた艦がもう沈みかけていた』
『本当にわけが分からないうちに艦隊が全滅した。俺達は一人残らず捕虜にされた』
『総督閣下はボートごと収容所に放り込まれ、炎の玉で脅されて降伏した』
『後で聞かされたが、女領主がたったの一人で俺達の艦隊全部を相手にしたらしい』
『しかも、あれで手加減していたと看守に聞いた。確かに、誰も死んでない……』
『艦長達の話じゃ、総督閣下も心をへし折られたそうだ』
戦場の様子は包み隠さず市中へと流れされてしまったそうで、大半の人々は、大人しくして抗わないほうがいいと判断した。
「少なからず愛国心を刺激された者たちもいたらしいですが、駐留艦隊は全滅、衛兵隊からも戦力が抽出されていたようですからね。もぬけの殻とは言いませんが、レシュフェルト攻めには本当に全力を振り向けていたんでしょうな」
「は、はあ……」
「そんなわけで、叛乱を起こそうにも戦力はなく、こちらの要求が今まで通りに暮らせってんじゃ、市民を煽りようもなかったとか。ついでに、敵の宰相がたった一人で乗り込んできたのも、駐留艦隊をほんの片手間に沈めた『レシュフェルトの悪魔』が同行しているからだそうですよ」
「……レシュフェルトの、悪魔?」
もちろん騎士テーオバルトには悪気がなかった、と思う。
騎士は名誉を重んじるし、それが戦功に由来するものなら、味方のそれを誇らしげに語るのも当然だった。
「もちろん、男爵閣下のことなんでしょうが、アリーセ様が否定も肯定もせず、宰相閣下付きの魔法使いとして振舞ってらっしゃるそうで、これじゃあ抗戦派も黙り込むしかないだろうなと、自分でさえ思います」
私はその時、相当に間抜けな表情をしていたと思う。
……艦隊をやっつけた『悪魔』は、間違いなく私のことだろう。
アリーセが私の噂に乗っかって振舞うことで、メルヒオル様のお仕事が円滑に進みやすくなるのも間違いない。
ここで否定したからって隣の大都市の噂が消えることもないし、レシュフェルト王国のお役に立ってるから文句の言いようもなかった。
「他にも『火球の魔女』とか『瞬殺の女男爵』とか、色々ありましたよ。荷役の最中も、その話題で持ちきりでした」
「……」
「あ、いや、その……自分が言ったんじゃないですよ! 開放した捕虜から戦闘の様子が広まって、気付いたときにはもう、止めようがなかったんです!」
私の様子に気付いてしどろもどろになった騎士テーオバルトはともかく、ファルコさん達はもちろん好き勝手を言っていた。
「わっはっは! あんたは俺達の大親分なんだから、それぐらいの大物っぷりで丁度いいぜ!」
「あの日のことを思い出すだけで、体がカッと熱くなりやがる!」
「ノイエフレーリヒばんざい!」
「レシュフェルトの悪魔ばんざい!」
喜んでくれてるのは分かるし、私も逆の立場ならレシュフェルトの悪魔ばんざいを叫んでいたと思うので、とがめだては出来ない。
ただ、その恥ずかしすぎる二つ名の数々は、一旦横に置いて。
うちのお爺ちゃんが、二つ名を孫達に教えなかった理由が、分かった気がした。
これはちょっとどころでなく、自分じゃ口にしたくない。
かなり、へこんだ。
▽▽▽
王宮に向かう騎士テーオバルトに伝令馬ヒンメル号を貸し出し、その間に荷役を済ませると夕方近くになっていたけれど、大型商船ギュンター・リュッチェンス号はそのまま出航してしまった。
乗組員達に、沈んだ四隻の軍艦や、魔法城壁の収容所を見せつけることも、任務の内だったらしい。
軍艦はもう陸揚げされちゃってたけど、問題ない。『誰が』この『短期間』で四隻とも陸揚げしたかを考えれば、その効果はより高くなったそうだ。
もちろん上陸は禁止で、荷役中も漁船がギュンター・リュッチェンス号を取り囲んでいた。
行きはフラウエンロープ号を操っていた暴風のハンスことリンデルマン閣下も乗ってらしたものの、接岸中は貴重な睡眠時間、挨拶無用と言うか礼儀よりも実務優先ってことで挨拶と伝言だけを預けている。
「領主様、小麦と酢漬けはなんとか収まったぜ!」
「お疲れ様でした!」
一時的に魔法の倉庫を作ろうかと考えたものの、浜にはもっといいものがあった。
陸揚げされた四隻の軍艦だ。
倉庫の代わりとして使えるほど大きく頑丈で、雨風も凌げる。
船底には穴が開いてるし、まだ修理に取り掛かれるほど乾燥してはいないけれど、一時的に食料品を入れておくだけなら問題ないそうだ。
……捕虜の宿舎にするには、まだお互いに距離感があるって話で、そちらは要検討、但し、大嵐やその他問題が発生した場合には選択肢として考慮する、ってことに落ち着いていた。
「中の様子はどうですか?」
「訓練の許可は出した。ウルリッヒが監督してる。……本当によかったのか?」
「ずーっと狭い場所に閉じこもって運動しなかったら、急に暴れたくなったりしませんか?」
「……まあ、分からんでもないな」
「でしょう?」
健康の維持にもいいし、多少は疲れた方が、余計なことを考えなくていい。
全員を木の伐採に出すわけにも行かないし、中で行える作業を用意しようにも限度がある。
戦いのあった日から数えて、今日で十日。
明日からは、食糧事情も多少は改善する予定だ。
収容所には、引き揚げた軍艦から持ち込んだ帆布と、切り出してきた木を使った天幕が張られ、ようやく屋根のある暮らしが出来るようになっていた。
「じゃあ、私は館に戻ります」
「おう。あんたにはしっかり休んで貰わにゃな」
……まあ、家に帰ったら帰ったで、書類仕事が待ってたりするんだけどね。
昼に預けられた書類鞄には、士官捕虜の身代金相場とか、交渉用にトロップフェンを送って欲しいとか、次回の商船の予定など、雑多な資料や依頼が入っていて、少し忙しくなりそうだった。




