第七十六話「水の竜」
第七十六話「水の竜」
「で、領主様よ。やるか、やらねえか、今すぐ決めてくれ」
ファルコさんは、私の方を見て凄んだ。
「あんたは領主様で、ここはあんたの領地だからな」
そのまま沖合いの軍艦と私を見比べて、大げさに肩をすくめる。
「具体的にはだ、目の前のありゃあ『言い訳アドルフ』率いるフレールスハイムの駐留艦隊なんだが、四隻ぽっちでもこのあたりじゃあ『大艦隊』だ。乗せてる陸兵は軽く見積もって三百、後先考えねえか、後ろから補給船が追ってくるなら、その三倍はいける」
「……」
「ついでに言えば、『言い訳アドルフ』はその情けねえ二つ名に反して小艦隊の指揮は上手い方だ。『暴風のハンス』にゃ負けるが、二流や三流じゃねえ」
流石は元海賊、私には四隻の大きな船、ってことしか分からないけれど、そんな詳しいことまで推察できるのは大したものだ。
私はなけなしの『領主の誇り』を総動員して、沖の船とファルコさんを見比べた。
「あんたにゃ言うまでもないが、王国の人口四千人ったって、腰の曲がった爺さん婆さんやよちよち歩きの子供まで入れた数だ。難しいことはすっ飛ばすが、訓練された三百人の兵隊ってのは、王国全土を滅ぼしてもお釣りが来るってことだけ分かってくれや。それが何で、ここノイエフレーリヒに現れたかってことだが……」
「はい」
「丁度いいってだけだろなあ」
「へ?」
「レシュフェルトにはここより立派な港があるが、仮にも王都、上陸の時に下手な抵抗でもされりゃ、最終的には勝てるにしても、余計なケチがついちまう。そうでないなら、王都攻略の別働隊を陸揚げするか、ってとこだろう」
ノイエフレーリヒは入り江もあって船を休めるにも都合がよく、人口も少ない。
ノイエシュルムじゃ目標のレシュフェルトに遠すぎるし、レシュフェルトより向こうの町や村まで行くと、奇襲にならない。
俺でもここを選ぶぞと、ファルコさんはふうと大きなため息をついた。
「まあ、そんなわけでな、戦えば負け、逃げても無駄。王都が降伏すれば、領主のあんたも元海賊の俺も縛り首か戦争奴隷、ってとこなんだが……さて、どうするよ?」
どうするもこうするも、戦争なんて、したくないんだけど……。
でも、両手を挙げたって、許して貰えるわけじゃないだろう。
戦争奴隷なんて……酷い目にあうことだけは、確実だ。
第一、領主がそのまま許されるなんてありえず、幼い女領主なんて、珍妙な見世物にされた挙句の縛り首なら……まだ『かなり、マシ』じゃないかな。
クリスタさんやグレーテだって、酷い目に遭うだろう。
私が身体の震えを押さえそこなった、その時。
「来たぞ!」
「え、魔法!?」
「全員伏せやがれ!」
ファルコさんの怒鳴り声に海を見れば、先頭の船から炎弾の魔法が飛んでくる。
でも……大きさは樽ほどもあったものの、速度はゆるゆるというか、子供の投げる石よりも遅い。
どこか現実味のない眺めに、術式を威力に割り振ってあるんだろうけど、バランスが悪すぎだなあなんて考えつつ、私は杖を意識した。
「おい、何をぼっとしてんだ!」
「お嬢さ――リディ!?」
「【多重】【四層】【風盾】【強化】」
ぱしんと炎弾が弾かれ、海面に水蒸気が上がる。
「もう! あまり心配させないでください!」
「ごめんなさい、クリスタさ……クリスタ」
「そう言やあんた、手練の魔法使いだったな……」
すっかり忘れてたぜと、ファルコさんは頭を掻いた。
四隻の軍艦はいよいよ大きく見えてきて、入り江の内側に入り込もうとしている。
そして、同時に。
私達の『敵』であることが、決定的になった。
まだあんまり、戦争はしたくないって気持ちも残っている。
だけど、攻撃されたのなら、それは――。
……ちょっとだけ、落ち着こうか、私。
相手は四隻の軍艦だ。
普通に考えれば、戦って勝てる相手じゃない。
でも、沈めるだけならどうだろう?
そうだ、『戦う』んじゃなくて、『沈める』ってことだけ考えれば……。
あ、余裕かも。
面倒事は絶対に起きるだろうけど、後のことは後でいいかな。
今はとにかく、目の前のことに集中しよう。
「……ファルコさん」
「はいよ」
いつぞや代官所で相対した時のように、その顔を睨みつける。
「ノイエフレーリヒ領主、リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・フロイデンシュタットが命じます。男衆を三組に分け、入り江の波打ち際に配置してください」
「何だって!?」
「クリスタとヨハンは、イゾルデさんのところに向かってください」
「はっ、畏まりました」
「あんたはどうするんだ?」
「あの四隻を、全部沈めます」
「……本気で言ってんだな?」
「はい、もちろん」
その場で思いついた……というか、大昔にお爺ちゃんから聞いた武勇伝を参考にした作戦と、男衆の役目を説明する。
表情はそれぞれだけど、もう時間もないし、杖をぺちぺちと手で叩いて押し切った。
「いいだろう、乗ってやらあ! 聞いてたな、お前ら!」
「はいよ!」
「合点!」
「ヘロルドは西、ケヴィンには東を任せる!」
「へーい!」
「おっしゃ! お前ら、ついてこい!」
ファルコさんの大音声で、男衆が散っていく。
人数もだいたい三等分で……って、なんでこんなに統制が取れてるんだろうと、後から不思議に思ったぐらいだ。
「ではお館様、我らはイゾルデ殿の所へ向かいます」
「お嬢様、御武運を」
「ええ、後を頼みます」
ヨハンさんは表情を消し、幾度も振り返るクリスタさんの手を引いて行った。
そちらを見送り、再び海を見渡す。
何故か次の魔法が飛んでこないけど、私には都合がいい。
「さて、これでいいんだな?」
「もちろん」
私はファルコさんに笑顔を向け、杖を掲げて船だまりの波打ち際に立った。
打合せには、ほんの一分も掛けていない。
「また来た!」
「……【風盾】【強化】」
またもや先頭の船から、炎弾の魔法が私に向けて飛んできた。今度は二つだ。
大きさはさっきの倍ほどもあったけど、速度はやっぱり遅い。
ついでに威力はもう見切ってしまったので、多重の魔法語は省いた。……けれど、風の盾に弾かれる様子を見ると、魔力をもっと削ってもよかったかもしれない。
「さて、と……」
今度は海中に杖を向け、意識を集中する。
「【待機】【創造】、【待機】【水竜】【超大型】。【起動】、【指揮】」
大型ゴーレムの水竜バージョンを海の中に『海水』で創り出した私は、そっと泳がせ始めた。
これ見よがしに頭をもたげさせる、なあんてことはしない。
目立たずこっそり、先頭の軍艦に近づけていく。
海の中に『海水』で作るのは初めてだけど、オルフの村近くの湖でお爺ちゃんから水遊びついでに特訓してもらっていたから、それほど戸惑いはない。
「何やってんのか分かんねえな……」
「それがこの作戦の要なんですよ」
どうしてかと言えば、見つからないお陰でほぼ対処されないからだ。
何か来ると分かってるなら、魔法で対抗するなり逃げるなりできるけど、分からないなら何も出来ないか、何もしないのが普通と、お爺ちゃんはよく口にしていた。
「それ行け!」
私はこのあたりかなと、杖をくいっと振った。
先頭の軍艦が、僅かに揺らぐ。
手応えから言って、確実に穴が開いてるはずだ。
「ほう……」
順に近い方の船から、同じく穴を開けていく。
お爺ちゃんが戦った相手は、軍艦じゃなくて海際のお城だったけど、軍艦は『浮かべる城』とも言うからね。
あと、とても大事なことに。
「おーお、次から次に飛び込んでやがる!」
ごくゆっくりと沈む船だと、多少なりとも逃げやすい。
泳げない水兵は……たぶん、とても少ないだろうし。
それは私の精神衛生上、とても大事なことだった。
▽▽▽
四隻の軍艦は、全てゆっくりと沈んでいった。
帆柱こそ見えているけれど、来たときの威容はどこにも見えない。
「さて、ここからは任せな……って言いたいところだがよ」
「はい?」
ファルコさんと男衆には、沈む船から逃げ出した敵兵の捕縛を頼んでいた。
逃げるなら陸地、つまりはこっち側しかないもんね。
「さっき、最低三百は陸兵が乗ってるって言ったが……」
「はい、聞きました」
「船を操る水兵まで含めりゃ、一千は乗ってやがるはずだ」
「え、そんなに!?」
二百人の村に、一千人の捕虜。
私はファルコさんのリクエスト通り、捕虜を一時的に入れておくための大きな魔法城壁を作る羽目になってしまった。
……軍艦を沈めた水竜よりも、こちらの方が魔力消費が大きかったのは、言うまでもない。




