第七十三話「勅令」
第七十三話「勅令」
レシュフェルト王国が建国した、その翌日。
お祝いのムードも少しは落ち着いて、平素を取り戻して新たな日々に……と言いたいところだったけど、ノイエフレーリヒ領へ戻る私に騎士が同行していた。
「お帰りなさいまし、領主様!」
「こりゃあ一体、何の騒ぎですかい!?」
「国王陛下のお触れが出たんです。騎士テーオバルトと騎士ニコラスは、その為にノイエフレーリヒまでいらしたんですよ」
「お触れ!?」
倉庫から高札用の立て札を探し出して騎士テーオバルトに渡し、不安そうな雰囲気を見せる皆さんをなだめて回る。
騎士様お二人の用事は、なんと『勅令』の公布だった。
「おやまあ……」
「俺はノイエフレーリヒ暮らしで、心底良かった!」
「領主様、お顔が引きつってますぜ」
「あっはっは……」
もちろん、勅令が張り出されたのは、ノイエフレーリヒだけじゃない。
レシュフェルト王国中の全ての街や村に、国王陛下より勅令が発せられた。
『フロイデンシュタット男爵領ノイエフレーリヒ領産ミレ蒸留酒の取り扱いについて、御前会議を召集する。各地の領主と代官は、我の元に参ぜよ。なお、会議の終了までは、国王の許可なきミレ蒸留酒の取引を禁じ、醸造施設ならびに酒蔵には騎士を派遣して、不正がないか厳しく監視する。
また予定していた国内行幸は、御前会議後に日時を調整し、改めて行うものとする。
レシュフェルト王国初代国王、ローレンツ・フォン・レシュフェルト記す』
▽▽▽
国王陛下が出される勅令の初手がこれでいいのか、国内行幸が後回しになってしまって大丈夫なのかと頭を抱えたけれど、本当に緊急事態だったのだ。
……特に、私には。
建国の儀式の日、私は『王都』レシュフェルト泊まりの予定だった。
『うちの連中が欲しがるのは間違いない。なんとかならんか、リヒャルディーネ殿!』
『閣下、是非リンテレンにも売ってください!』
『売り出しは、しばらく後の予定です。せめて、もう少し熟成させてからでないと……』
『いや、そこを何とか!』
その日の内に、買い付け希望の列が私の支度部屋の前に出来てしまったけれど、希望者に希望通り売るなんてこと出来るはずもない。
しかも、列を作っているのは商人だけでなく、建国の儀式に出ていた代官や領主までが……って、領地を預かる全員がいて驚かされる。
何事かと、メルヒオル様とアンスヘルム様を従えたローレンツ様が、私の支度部屋の前までいらっしゃる羽目になった。
『ふむ、理由は分かった。しかし、これは見過ごせぬな』
一旦は解散が命じられ、商人は待機、各領主と代官が別室に集められた。
『確実な在庫は、小樽が八……か』
『はい。但し、全て熟成前です』
『そうでしたな』
『……間違いなく、喧嘩になるかと』
まあね、滑稽ながらも割と深刻な問題にもなる。
こんなことでも、対応を間違えれば簡単に人心が乱れてしまうのだ。
たとえば、アメリカの禁酒法とかね。
『しかし陛下。煽り過ぎ、とも言えませぬぞ』
『リンデルマン?』
『フロイデンシュタット男爵からは、瓶一本が卸値で二グロッシェン半から三グロッシェンと伺いました。輸入品の一番安い蒸留酒が同じく卸値八グロッシェン前後、皆が飛びつくのも頷けまする』
『それほどの差か!?』
『暴利を貪られている、というわけではございませぬ。蒸留酒の産地は、北大陸に集中しておりますれば』
『なるほどな。……ああ、南大陸にもグロスハイム産のサトウキビ蒸留酒はあったと思うが?』
『ミラス酒ですな。しかし……』
『陛下、あれは別の意味で高くつきます。同じく卸値で、最低十グロッシェンは必要であったかと』
『随分と高いな。……ああ、砂糖と同じく専売か?』
『御意。グロスハイムの法令にて、砂糖酒税も上乗せされております』
味は二の次で値段が全て、とはいわないけれど、ミレ蒸留酒はこのレシュフェルト王国に於いて、とても魅力的な商品になるらしい。
少なくとも、国産品に関税と船賃は掛からない。
国内でも、領地を越えれば関税が掛かることがあるけれど、商業税すらないレシュフェルト王国である。
更にはこの小さな王国で、国外の状況に左右されないことは特に重要だった。
『となれば……メルヒオル』
『はっ』
『ミレ蒸留酒の取引は一旦こちらで預かろう。……実に分かりやすく、且つ、皆も真剣にならざるを得ない問題ではないか?』
『それは……』
『ああ、丁度いいか。よし、勅令を出して御前会議としよう。国内行幸は、会議後に延期とする』
『御意。すぐに手配いたします』
建国後に兼任で王政府に転属した騎士や、王政府や王宮に新たに雇用された人もいる。
国の舵取りに関わるほど重くもなく、落としどころが公平であればいいという議題の御前会議開催とその後の実務は、その彼らに経験を積ませるのに丁度いいらしい。
その落としどころは、会議の日までに考えておくと言われたけれど、その後の各地への割り当ても王政府に任せた方がいいかもね。
いっそ、蒸留器も早めに受注した方が、恨まれずに済むかもしれない。
……うん、これは戻ってから、ヨハンさん達に相談かな。
どう頑張っても、今のノイエフレーリヒじゃ、需要を満たせるだけのミレ蒸留酒を用意出来ないし。
御前会議までは、数日ある。
根回しの時間にするそうで、私も当事者として、一度はお伺いする予定になっていた。
▽▽▽
「なるほど……」
「御前会議とやら、頑張ってくだせえ!」
「ちょいと遅れちまったが、港に行くぞ!」
「へーい!」
勅令の内容はノイエフレーリヒの将来を左右するけれど、差し当たって領民生活への直接的な影響は少ない。
肝心な部分はフロイデンシュタット家が握っているし、御前会議の中身も主に売り先や他領へ及ぼす影響のお話になるからね。
皆さんにそう教えると、あれこれ好き勝手を口にしながら、仕事に散って行った。
「案外忙しいものなんですね、蒸留酒を作るのって。俺、飲むばっかりだったから……」
高札を立てた騎士テーオバルトと騎士ニコラスは、そのまま醸造施設と酒蔵の監視任務に就いた。
久しぶりに歩哨仕事を思い出して来いと、騎士テーオバルトらは送り出されたらしい。
「それが普通ですよ、騎士テーオバルト。見張りの苦労と、蒸留酒作りの苦労は別物です」
「なるほど。俺は書類仕事の苦労より、こっちのが性に合ってます」
「あはは、頑張って下さいね」
「はっ、ありがとうございます、閣下!」
蒸留酒を盗みに来る人は……うーん、流石にいないと思うけど、こっそり売ってくれって人は割とやって来そうなので、その牽制を兼ねているそうだ。
もちろん二十四時間警備で、夕方にはまた、交代の騎士が来てくれる。
朝昼夕とお夜食は、我が家で用意することになっていた。
公務や軍務への助力は、貴族の義務でもある。
このぐらいなら、流石にフロイデンシュタット家でも負担ってほどじゃない。
騎士様の夕食は『南の風』亭に配達を頼み、普通のリフィッシュも一皿おまけしておいた。
「お館様、イゾルデ殿がいらっしゃいましたぞ」
「おはよう。大事になってるねえ」
元男爵夫人で二十数年に渡ってノイエフレーリヒを実質的に差配していたイゾルデさん。
第一王女筆頭執事を過不足なく勤め上げた実績を持つヨハン。
元王室公爵領の領主にして魔法研究者としても一流だったクリスタ。
ミレ蒸留酒の取り扱いについて相談するのに、不足はない。
「おはようございます。今日はよろしくお願いしますね」
私はともかく、南大陸の片田舎の新興男爵にしては、知恵者揃いのフロイデンシュタット家だった。
留守の間に大きな問題がなかったか聞き取り、相談事も綺麗にまとまったので胸を撫で下ろした翌日。
私は早速、御前会議の根回しの為にレシュフェルトへと向かった。
宰相執務室で、難しい顔のメルヒオル様と向かい合う。
「おはようございます、メルヒオル様」
「朝早くから申し訳ない、リヒャルディーネ嬢」
さて、今のところ条件はほぼ白紙、ミレ蒸留酒製造の技術と施設は私個人が握っているけれど、あんまり無茶も押し通せない。
結局、私も納得できて点数稼ぎにもなる程度の要望を出すのがいいだろうと、昨日の話し合いで結論付けていた。
どう転んでも損にはならないからこそ、気楽な気持ちでいられるんだけどね。
「こちらでも話し合ったが、ミレ蒸留酒の割り当ては当面、領地ごとに人数割りをするのが一番不公平もなかろうと結論した。但し、卸価格の決定については仮の金額を提示し、御前会議で各領主や代官の意見を聞いた上で、となるが……」
「畏まりました、王国にお任せします。ただ……」
「何か別の問題が?」
「今すぐの販売は考えていなかったので、瓶が明らかに足りません」
「なるほどな……。そちらも考慮に入れておこう」
売り先は、正直なところあんまり気にしていなかった。
喧嘩にならないなら、それでいい。
昨日の話し合いの中では、競り市の設置についても話し合われたけれど、利益と一緒に恨みまで買いそうだと、否定されていた。
……他の領地でも作って貰おうと画策してるぐらいなので、恩を売る方が遥かにましなのだ。
「それから、増産も考えて貰いたいが、余力はあるか?」
「今は蒸留器も一台だけですが、鉄材か、可能であれば銅が手に入るなら、新たに作ることは出来ます」
「助かる!」
聞き入れて貰えるかどうかは別にして、一応、こちらからの提案もある。
昨日、イゾルデさん達と相談して決めたフロイデンシュタット家としての要望を、メルヒオル様に説明していく。
「ふむ、そちらは陛下にお伺いを立てた上で、となるが……しかしいいのか、リヒャルディーネ嬢? もう少しぐらいは自家の利益を考慮しても……」
「はい、大丈夫ですよ」
点数稼ぎも含まれているけれど、分不相応の無茶な提案じゃない。
ローレンツ様曰く、酒飲みの恨みは恐ろしいらしいからね。
「では、この要望書はそのまま陛下に奏上し、御裁可を仰ぐとする」
「よろしくお願いします」
そりゃあ、最初は先行者利益の確保、なんて口にしていたけれど、王城前の騒ぎを見てしまった後では、穏便かつ適度に利益が出れば、それに越したことはないなあ、なんて風に考えを改めていた。
※ミレ蒸留酒の製造量について、過去に遡り修正しました(20191223)




