挿話その六「『言い訳アドルフ』の野望」
挿話その六「『言い訳アドルフ』の野望」
「総督閣下、間もなくの出航であります!」
「よろしい、艦長に任せる!」
戦列艦『カローラ』の露天指揮所で、風を感じつつ目を閉じていたフレールスハイムの総督アドルフ・フォン・ヴァンゲンハイムは、機嫌よく艦長に頷いた。
ふうと大きく息を吐き、高ぶる心を静める。
恨みを募らせること二十年、計画に着手してからでも、十五年近い時間が流れていた。
ようやくあの忌々しい『暴風のハンス』の首に、手が届く。
その為の十五年かと思えば、陸の上の左遷暮らしも、悪いものではなかったと、アドルフは深く笑みを浮かべた。
▽▽▽
アドルフ・フォン・ヴァンゲンハイムが、グロスハイム都市国家同盟に於ける最も東方の辺境都市、フレールスハイムの総督として派遣されたのは、偶然ではない。
アドルフは評議会に議席を持つ名家の生まれで、若い頃は将来を嘱望されていた。
新進気鋭の艦長として頭角を現し、奉職する海軍こそ違えど、シュテルンベルクにハンスあるならば、グロスハイムにアドルフありと言われていた時代さえあった。
巡航艦の艦長として、二人が共に優秀であったことは間違いない。
だが、決定的な違いが起きたとするならば、約二十年前に起きた海賊騒ぎ以来、となるだろう。
その頃、ハンスはまだ艦長のままだったが、アドルフは数隻の艦を任された提督として、更なる一時代を切り開くかと思われていた。
『な、ば、馬鹿な!?』
しかし……今では、『暴風のハンス』が海賊の退治で有名なら、『言い訳アドルフ』は海賊に退治されたことで有名だった。
運悪く追い風が止まったとか、相手が予想外に戦力を持っていたとか、一番いい位置にいた部下が命令を拒否したなど、アドルフにも言いたいことは色々とあるが、海賊退治は結果こそすべてである。
アドルフの『言い訳』は、通らなかった。
同時期に、ハンスが海賊砦を攻略して巨万の富を国に献上したことも、アドルフには都合が悪かったとしか言いようがない。
大恥を掻かされたグロスハイム海軍は、その面子にかけて艦隊主力を急遽派遣、海賊どもを血祭りにあげた。
事後、アドルフは評議会によって査問に掛けられた末、実家から縁を切られた。結果、船からも下ろされ、グロスハイムの東の果て、フレールスハイム総督への左遷を言い渡されている。
だが、本当に我慢がならなかったのは、その後だ。
最辺境の都市フレールスハイムの総督に左遷されたアドルフに対し、隣接するシュテルンベルク王国南大陸新領土管区の総督として、ハンスが派遣されてきたのである。
アドルフと違って、ハンスの総督就任が褒美であったことも許せない。
アドルフの実家ヴァンゲンハイム家は評議会に議席を持つ中央の名家、対してハンスはどこにでもいるような漁師一家の生まれで、リンデルマンの家名もその名声に対して下賜されたものだった。
ついでにいえば、シュテルンベルクがグロスハイムに対抗するべくハンスを指名したわけでもないことも、アドルフをいらつかせていた。
両国共に一時は辺境開拓に邁進していたが、その頃にはもう、中央はこの東の果てへの興味を失いつつあり、ハンスの派遣先決定は、本人がしがらみのない田舎がいいと希望し、候補地から一番遠い場所を選んだだけと、確認も取れている。
眼中にもなかったのか、派遣されてきたハンスは挨拶にも来なかった。
無論、暴風のハンスにも言い分はある。
『あの馬鹿が隣の総督!? しまったな、下調べぐらいはするべきだったか……』
まあつまりは、そういうことなのだ。
だがアドルフは、諦めなかった。
諦める理由など、全くなかった。
むしろハンスの総督就任に、恨みを晴らす機会もあろうと、暗い笑みを浮かべた。
フレールスハイムは南北大陸に挟まれた内海を支配するグロスハイム都市国家同盟の最東端に位置し、旧シュテルンベルク王国の西進を先回りして阻止すべく、国力が投入されていた過去がある。
まあ、それこそが間違いの元で、旧シュテルンベルクはグロスハイムの東進をこそ阻止しようと、旧ヴィルマースドルフに総督府を置いたのだが、それはともかく。
大して儲かりもしない辺境に国力を投入する愚は、両国共にとうに気付いていた。
だからこそ、手打ちというにもまともな交渉さえないまま、岩砂漠という空白地を間において両国の支配地域は安定している。
だがアドルフの心の内には、小さな野望の炎が燃えていた。
中央からのてこ入れが大してない辺境都市の代官として、出来ることは限られているが、全くの無力ではない。
彼は総督の職掌を最大限に活用して貿易に力を入れ、少しでもフレールスハイムを富ませようとした。
心を入れ替えたわけではないし、恨みつらみは溜まる一方だ。
しかし、実家とも縁を切られ、海軍との関係も極薄いものになっていた彼には、他に方法がなかったのである。
幸い、フレールスハイムはサトウキビの生産が出来る程度には水が潤沢で、自前の製糖工場や技術者を有していた。
その結果。
東の海際に並ぶ辺境都市の中では最も遠方にありながら、フレールスハイムは比較的大きな都市として発展を遂げていた。
随分と皮肉なことながら、アドルフ自身が辺境都市の総督として平均以上の能力を発揮したことも、それを後押ししている。
だがそれこそ、アドルフが最も欲していた結果であった。
都市が富めば、何某かの理由を付け、総督府直属の船を、武器を、兵を揃えられるのだ。
フレールスハイムを富ませるのと平行して、アドルフは敵手ハンスの情報収集も怠らなかった。
調べた限りでは、シュテルンベルク王国新大陸領土管区が有する戦力は、小型商船一隻と、衛兵が半個小隊の約二十名。
最低限の治安維持にも問題がありそうな数字だが、本国の力の入れ具合が如実に現れているのだと見ていいだろう。
また、有事の動員能力は、人口や経済力から類推する事が可能だ。
ヴィルマースドルフ周辺の全人口は四千前後だが、地方領主に動員を掛けても、最大で百人から二百人の動員が限界だと思われた。
つまり、アドルフはそれらに勝てるだけの戦力と、名目を用意すればいい。
戦いの名目は、非常に重要だ。
アドルフは溜飲を下げるだけでなく、中央への返り咲きや実家との復縁も視野に入れていた。
しかし、ここにきて状況は一変した。
つい最近、漁師熱の薬が足りないと頭を下げてきたハンスに、これは運が上向いてきたかとほくそ笑んでいたアドルフだったが……。
『第三王子……? 噂を聞いたことさえないな』
シュテルンベルク王国は南北両王国に二分、件の南大陸領土はレシュフェルト王国として独立したのである。
北大陸では、更にバウムガルテンにて内戦勃発の報もあり、予断を許さない状況だという。
『つまり、増援はないと見ていい。……いや、間に合うわけもないが』
目的地が小さな独立国となったことは、アドルフを狂喜乱舞させた。
旧シュテルンベルクという巨大な国に、辺境都市が正面から喧嘩を売るわけではない。
シュテルンベルク両王国は、まず以って自国と北大陸の安定に余力を割かねばならず、バウムガルテンは距離がありすぎた。
つまり、勝ってしまえば何処からも文句が出ないのだ。
問題は、本国グロスハイムが地方総督の独断による外征をどう見るかだが……新たな領土と四千人の戦争奴隷が得られたとなれば、手のひらを返すだろう。そのぐらいの期待はしてもいい。
幸い、ハンスは総督を降ろされたものの、都市代官として当地に居座り続けていた。
『む、本国よりの支援か!?』
大型戦列艦を含む艦隊が向かった時は、独立への援助ぐらいは流石に約束されていたかと歯軋りしたが、幸い、それらの艦隊は引き上げている。
また、帰路には総督府の衛兵も同乗しており、代わりに国王直属の騎士十数名が当地に残ったらしいが、如何に手練の騎士でも、たかが十数名では『戦争』にならない。
何せこちらには、十五年を掛けて揃えた艦隊がある。
大戦力がぶつかりあう『戦争』では、個人が武勇を示したところで、戦の趨勢を変えることなど出来はしない。
アドルフは、戦う前から勝てるようにと、入念な準備を整えていた。
▽▽▽
フレールスハイムの沖で、アドルフの艦隊は一列となって縦陣を組んだ。
中型の戦列艦『カローラ』を旗艦として、入念に整備された巡航艦三隻が追従する。
たった四隻と言うなかれ。
辺境の港が四隻もの軍艦を有する意味は、アドルフもこの二十年でよく学んでいた。
少なくとも、フレールスハイムに常駐する軍艦ありと周囲に知らしめて以来、海賊による襲撃は一度として起こっていない。
艦隊戦力比なら、仮にレシュフェルト王国が持つ唯一の外洋商船フラウエンロープ号が十隻あったところで、勝敗が覆ることはないだろう。
また同乗させている陸兵四百も、少ないながら魔術師を含んでいた。たかが十数人の騎士と徴募された兵士では、建物一つ守ることも出来まい。
「ご命令を、閣下」
「うむ。……艦隊、進発せよ!」
ヴィルマースドルフ、いや、レシュフェルトまでは、風の魔法を併用して約八航海日。
アドルフは、約二十年ぶりの実戦指揮に。心を高揚させていった。




