第七十一話「小さな即位戴冠式」
第七十一話「小さな即位戴冠式」
雪降月も月末近く、いよいよ、ローレンツ様の即位戴冠式の日が迫ってきていた。
もちろん前後の数日間、ノイエフレーリヒは領主不在になるから、その準備も済ませている。
式典で着るロングドレス仕様の女官服も、綺麗にお洗濯してもう総督府……じゃないや、王宮の宿舎に送ったし、後は世話役に指名したグレーテと二人、ヒンメル号に乗ればいいだけだ。
「でもこういう大きな行事の場合、当日になって、あれが足りないこれが足りないと騒ぐことが多いんですよね……」
「世の中はそのように出来ておると、昔から言われてございますな」
ヨハン達と顔を見合わせ、予定や用意に抜けがないか何度も何度も確かめている。
予備の予備にしている普段着ない女官服に、アールベルクで貰ったメイド服など、いらないかなと思う物も、宿舎の部屋に置いておけばいいだけなので、ヨハンやグレーテがレシュフェルトとの往復ついでに運んでくれていた。
もちろん、『麻袋で中身が分からないように隠した小樽』もね!
一応、私とグレーテが居なくなるので、護衛兼業の応援も呼んでいる。
「リディ姉ちゃん! じゃないや、領主様、こんにちは!」
ファルケンディークから大きな背負い袋を担いでやってきた、クリストフである。
クリスタさんとヨハンさんだけでは不安、ってわけでもないんだけどね。
「ザムエルさん達は元気?」
「もちろん。魔法仕事は封印してるけどね」
「どうして?」
「足抜け出来なくなったら困るから、だって」
「あー……」
クリストフは力仕事もそれなりに出来るし、『上手くいけば』、ノイエフレーリヒで暮らさない。
僅かでも、新たな我が家と領地に馴染んで欲しかった。
「グレーテ、荷物はどこに置いたらいい?」
「こっちよ」
もう少し諸々の状況が落ち着けば、クリストフには正式にフロイデンシュタット家へと出仕して貰い、レシュフェルト騎士団に従士――騎士の見習いとして推薦しようと思っている。
図らずも、いつかの約束は守れそうだし、グレーテの為でもあった。
同じお嫁に行くのなら、フロイデンシュタット家の『家人』クリストフよりは、レシュフェルト王国の『騎士』クリストフの方が断然いいよねと、二人を見守りつつ、私も移動の準備を再確認する。
「もう! ほら、貸して!」
「ごめん」
本人達は気にしないと思うけど、少なくとも、お給金はかなり変わってくる。
そして。
二人の努力と運次第では、領地を得て独立することだって出来た。
ご先祖様達の逃避行の苦労に報いることになるのかは微妙だけど、暮らしぶりがよくなって、悪いってことはないと思う。
「では、いってらっしゃいませ」
「領地の差配はお任せください」
「二人とも、気をつけて!」
やってきたクリストフと入れ替わりに、私とグレーテはヒンメル号へ騎乗した。
前日の出発は、最初から決めている。
何か起きても馬を飛ばせば四半刻かからないし、極端な心配はしていないけどね。
「いってきます!」
かぽかぽと歩き出したヒンメル号に道を任せつつ、式の予定を思い返す。
「グレーテ、疲れてるなら寝てていいよ。向こうに着いたら、ものすごく忙しくなると思うから」
「平気です。お嬢様こそ、お昼寝は?」
「うん、大丈夫」
一応グレーテはフロイデンシュタット男爵である私の付き人……とは言いつつも、私ともども、人手が足りない王宮奥向きのお手伝いこそが、前日に王宮入りする本当の理由だった。
もちろん、王宮――旧新大陸領土管区ヴィルマースドルフ総督府改め、レシュフェルト王国王宮『南星宮』は、いつもより活気づいていた。
「男爵閣下! ご到着次第、即刻、宰相執務室にお越しいただくよう、女官長様より言付かっております!」
「ありがとうございます!」
……活気づいてるじゃなくて、殺気立ってるに近いかも?
「そっちの小部屋が臨時の酒蔵になってるんだ!」
「あいよ!」
「おう、すまねえ! 煮炊きに使う炭が足りねえんだが、どこにある?」
「炭はまだだ! リンテレンに出た馬車が帰って来てねえ!」
騎士の皆さんだけでなく、大荷物を持った街の人まで行き来している。
物入りというか、慶事の振る舞い物にするお酒や食料の買い上げだけで事足りるはずもなく、募集を出して臨時の働き手も大勢雇ったと聞いていた。
「グレーテ!」
「はいっ!」
慌ててヒンメル号を騎士団の厩舎に繋ぎ、急いで宰相執務室に向かう。
聞いていた段取りだと、宰相執務室は当日必要なローレンツ陛下のお衣装や装身具を集中管理する準備部屋に宛がわれていたはずだ。
「失礼致し――」
「リディ!」
前置きなしにアリーセがすっ飛んできた。ローレンツ様が即位式の時身につけられる大典大礼装の前に、引っ張って行かれる。
「まずは洗濯の魔法をお願い! 仮縫いの時、思ったよりも布の折り目が目立ってるのが見つかったの!」
「はーい! どれどれ……」
王様っぽい衣装だなあと、ものすごく当たり前なことを考えながら、魔法の必要な部分をチェックしていく。
実は数ヶ月の内に、新しい大礼装をもう一つお作りすることが、既に決まっていた。
遠目には分からないけれど、縫製は急ぎ仕事を考慮してぎりぎり及第点と、仕上げたアマルベルガさん自らがため息をつくほどで、辛うじて手に入った布も下級貴族の普段着に用いられるものだった。
お陰で、とても外交――正式な謁見や国外への訪問には使えないそうだ。
アリーセはと見れば、もう執務机戻り、大宝冠の歪みを魔法で修復していた。
こちらはどうも、突貫作業のやっつけ仕事だったらしく、材質こそ本物の金だったけど、細工もあまり上等じゃないという。
「余裕があれば、アマルベルガ達のお手伝いもお願いするわ。絨毯のシミが落ちなかったのよ」
「じゃあグレーテ、先にそちらへ回って」
「はい、お嬢様!」
「お願いね!」
洗い、すすぎ、乾燥がワンセットになった部分洗濯魔法は、もちろんグレーテにもしっかりと教え込んである。
その魔法だけでお婆ちゃんになるまで食べていけそうねと、クララ姉さんにからかわれた覚えがあった。
ホールの修繕や玉座の修正にも駆り出されて緊張したけれど、どうにか予定された準備を全て終わらせた、その翌日。
あれが足りないこっちがもう少しと叫んだところで何が解決するはずもなく、戴冠式当日はやってきた。
「リディ、グレーテ」
「おはようございます、女官長様」
「……おはよう、アリーセ」
多少へろへろになりつつも、睡眠だけは十分に取ることが出来ていた。
宰相閣下の秘書を勤めることも多いアリーセが、元より出来ないことも多いからと、長めの準備期間に加えて段取りの組み方もよく練っていたお陰である。
「おはようございます、リヒャルディーネさん」
「おはようございます、アマルベルガさん、ギルベルタさん」
アマルベルガさんは私より少し先に男爵位を得られているけれど、同じ北大陸からの移住かつ、同年の叙爵とあって、あまり気になさらないでくださいと言われていた。
いや、もちろんね、元から偉そうにする気もないし、元総督のリンデルマン男爵、内務卿ゲーアマン男爵、オストグロナウ領主グロナウ男爵、ノイエシュルム領主シュルム男爵ともども、それぞれに年上且つ目上の人という気持ちも大きいので、同じ男爵だとしても、敬して礼儀を守るぐらいが丁度いいんじゃないかなと思う。
「今日はレシュフェルト王国の歴史に残る一日、勝負どころよ!」
「はいっ!」
朝食はささっと済ませ、丁度いいからとみんなで本日の予定を再確認、お互いに頑張りましょうと声を掛け合って、それぞれの準備に散らばる。
戴冠式まで、もう一刻を切っていた。
▽▽▽
振る舞いのミレ酒や料理に不足がないかを確かめ、即位戴冠式の直後に行われるお披露目の警備に当たるルイトポルト隊長から人の出が予想以上になりそうだと聞かされて頭を抱えていると、一刻などあっという間である。
「リディ、着替え終わった?」
「な、なんとか……」
「さあ、急ぐわよ!」
即位戴冠式は、机を追い出した元大会議室こと、玉座の間にて行われる。
……他に適当そうな広さを持つお部屋がなく、王宮を増改築か新築でもしない限りは、今後も兼業で会議室に使われる予定だ。
ローレンツ様の望まれた通り、即位の儀式をレシュフェルト王家の『秘儀』扱いにすることで、国外の招待客を一切排除、参列する人数も必要最小限に絞ってあった。
「旧シュテルンベルク王国王室公爵ローレンツ・フォン・レシュフェルト殿下、まもなくの御入来であります」
先日の会議と同じく、メルヒオル様、アンスヘルム様を筆頭に、貴族を中心とした十数人がローレンツ様がお姿を顕わされる瞬間を待ち、静かに跪いていた。
予定通りながら、文武百官というには寂しすぎる。
両王国なら、分裂したとはいえ、参列する貴族も準備に走り回る女官や侍従の数も桁違いで規模も大きいんだろうけど、レシュフェルトの人口は約四千、これでも国力を振り絞った大きな式典なのだ。
人口比なら数千人の参列に匹敵するんだから、たとえ絨毯が他の部屋からの寄せ集めで、式典の専門職たる式部官などいるはずもなく、皆のうろ覚えや知恵と工夫の寄せ集めで式次第が組まれていたとしても、レシュフェルト王国の最初の第一歩として胸を張りたい。
私も同じく参列した人々の最後尾で……と言いたいところだけど、大宝冠を捧げ持ったアリーセ、王錫を絹の手袋で抱いたギルベルタさんと共に、何故かローレンツ様のすぐお側に立ち、宝珠の載った飾り台をお預かりしていた。
大宝冠、王錫、宝珠――レガリア担当という、久々に女官らしいお仕事である。
誰が持つか揉めたというか、誰も持ちたがらなかったというか……むさ苦しい男連中が奉じるよりずっと見栄えがいいだろうという、実にいい加減な意見が通った結果だった。……会議の記録には残っていないけどね。
「我、ローレンツ・フォン・レシュフェルトは、今この時より、レシュフェルト国王として立ち、国難に目を背けず、民を慈しみ、国王として国を導くことを聖なる主神に誓い、レシュフェルト王国の建国を宣言する」
決められた手順に従って、元シュテルンベルク国教会ヴィルマースドルフ教会神官長にして国内唯一の神官、マルコ神官長にレガリアを渡し、主神の代わりにローレンツ様へと『授けて』貰う。
「……祈りを」
「うむ」
しばらくして、最後に聖水を振りまいたマルコ神官長が言祝ぎとともに深く一礼し、ローレンツ様が玉座に腰掛けられて、即位戴冠および建国の儀式は終了した。
玉座の前で改めて跪き、忠誠を誓う。
「ご即位ならびにレシュフェルト王国の建国、まことにおめでとうございます、ローレンツ陛下。家臣を代表して、お慶び申し上げます」
「うむ。皆、本当にご苦労だった。これからは、より多くの苦労と苦悩が待ち構えているだろうが……今日のこの日を忘れず、皆で生き抜いていこう」
私は思わず、ローレンツ様の顔を見た。
人好きのする笑顔は、いつもと変わりない。
即位したばかりの王様が家臣に掛ける言葉としては全く間違っていないし、人々とともにあろうとする姿勢も、家臣への信頼も感じられる。
「……」
でも、死にたくないと仰ったあの時のことを、つい考え込んでしまう私だった。
「ではおのおの方、お披露目会場に参りましょうぞ」
「ですな!」
「皆、待ちくたびれておるでしょう」
もちろん、気にしていたのは私だけで、場にはほっとした空気が流れていた。




