第六十七話「領主の財産」
第六十七話「領主の財産」
「お酒の方はいい具合らしいねえ?」
「はやく蒸留器を増やして欲しいって、マルセルさんからはせっつかれてますよ」
「ガハハ、そうかそうか!」
重苦しい話し合いになりそうだなあと身構えているのは私だけのようで、イゾルデさんとファルコさんは気楽な様子だった。
「失礼致します」
「はいよ、ありがとう」
二人が執務机に集めた椅子に腰掛けると、クリスタさんがクナーケのお茶をそれぞれの手元に配する。
……元王室公爵領の領主として、クリスタさんにも助言を求めたいところだけど、流石に身元をばらして同席して貰うわけにもいかない。
後で相談することは出来るし、何か気付いた時は『ヨハン様に相談されては如何でしょう?』などと、警告を入れて貰えるよう頼んでるけどね。
「次は銅を使って、もっと大きいのを作ろうと思ってます。予算と材料の都合次第ですけどね」
「ああ、蒸留器と言えば普通は銅製か」
「今はまだ錆びたりしてませんけど、たぶん、数年はもたないだろうと教えてもらいました。……メルヒオル様から」
「ふうん、飲兵衛も飲兵衛なりに考えてるんだねえ」
この場にヨハンさんがいればベストなのかもしれないけれど、それは無理だった。
ヨハンさんには当面、クリスタさんの安全確保とフロイデンシュタット家の運営の両方に必要な南大陸の情報収集という、大事なお仕事がある。
そこでヨハンさんの助手にグレーテをつけて外向きの一切をお任せし、私はクリスタさんの護衛を兼ねて内向きのお仕事をするという形式にならざるを得なかった。
ザムエルさん達を早く呼ばないと、突発事態一つで動けなくなってしまいそうだ。
「さて……いいかい?」
「はい、お願いします」
イゾルデさんが、書き付けを執務机に広げた。
漁業権の保有者や入会地の使用者一覧、王領時代より広がった農地、移管された組合の作業場……。
それら『フロイデンシュタット家の資産』の利用状況が細かく書かれた、大事な書付だ。
うん、私も覚悟を決めて、今日の本題に向かい合おう。
私はお二人から、領主が持つ利権の正しい行使を求められていた。
▽▽▽
ノイエフレーリヒ領内に存在する漁船や家屋は領民の私有財産――正確に言うと、元は前領主が所有者だったものを、領主の帰国時に権利を放棄したと旧王政府と総督府が承認して、領民の財産と認めたものだ。
だけど、領内に存在するそれ以外の全ては、土地、道、海、施設……放牧地も井戸も領主である私個人の財産だった。
以前より畑も広がっているけれど、それらも含めた『フロイデンシュタット家の資産』は現在、無償で領民へと貸し与えられている。
……理由をつけて家賃や貸船料、入漁権、借地料を無償としなければ、放棄地同然だった当事のノイエフレーリヒが立ち行かなかったせいでもあり、現在は僅かながらに上を向きつつもまだまだ足りない、ってところかな。他の王領だと家貸や入漁権も、少額ながら徴収してるからね。
もちろんノイエフレーリヒでも、加工場の維持や船の修理費用の補填に使われる組合費が集められているし、他の職種の人だって、人頭税の積み立てを兼ねた村の共益金を各々負担していた。
総督府は税を軽くしてくれたけれど、それだけじゃ村が回らない。
但し、その金額は極小さくて、村の維持が精一杯だった。
『人頭税をそのまま貢納金に回すとして、少し足りないけど俸給もあるし、致命的な状況ってこともないよね……』
翻って税を取る側、フロイデンシュタット家の現状はと言えば、芳しくはないものの、魔法その他で得られる収入を勘案した上で、クリスタさんら三人の給金に、私も含めた領主家の生活費もなんとかなりそうだった。
そりゃあ、男爵家の経営が楽に出来れば言うことなしだ。でも、収入倍増を約束していることも含め、領地の経済が多少でも早く上を向いてくれた方がありがたい。
だから、王領時代と同じく無償貸与を引き継ぎ、村の隆盛を優先しようと思っていたんだけど、イゾルデさんやファルコさんからはかなり怒られている。
『儲かるまで税を据え置きって約束は、確かに大事にして貰わなきゃ困るね。でもねえ、あんたはもう、領主なんだ。無理して領主家が倒れちゃ、あたしらの首も締まるよ』
『領主様よ、俺達を舐めてねえか? 借りっぱなし、与えられっぱなしってのは、どうもいけねえ。約束は約束として、俺達も払うもんはきっちり払う。……人間が腐るし、ガキどもに胸を張れねえからな』
『ついでにね、これはあたしらの身を守る為でもあるんだ。ここは素直に乗せられとくれ』
新たに領主を戴いたノイエフレーリヒでは、これまで代官が集めていた納税額よりも、領主家が王政府へと納める貢納金の方が多くなったと、何故か知れ渡っていた。
……まあ、何故かっていうより、メルヒオル様が国内に噂を流したんだけどね。
この噂、新興領主の私にとっては無償で領地を下賜されたというやっかみから身を守る『盾』になり、貢納金が免除されている二領の領主にはプレッシャーという『槍』になるらしい。
両男爵領では他の王領と同じく、人頭税以外にも、漁業権の使用料や農地の借地料など、領主権に絡む利権の利用料が徴収され、領主家の収入になっていた。
徴収されるその金額はごくごく少なめで、南大陸の地方領地という経済事情を考慮したある意味『まともな』数字であり、調査したメルヒオル様はため息をつくと同時に、両領主が南大陸で生き残るに相応しい能力を持った『まともな』領主であると認識を新たにした。
だからこそ、私を『槍』に仕立て、新たな時代への自覚を促そうとしたって部分もあるけれど、それはともかく。
そりゃあ、領民だって余計な税やお金は取られたくないけど、領主家にも生活がある。
万が一の場合の救民だって義務のうちで、簡単に総督府を頼れるはずがなかった。
王領よりも若干負担が大きいにも関わらず、両男爵領の領民達が普通に暮らせていて大した不満も聞こえてこないのは、両男爵の力量による。
経済的、あるいは政治的バランス感覚が優れてるとでも言えばいいのかな、目が行き届きやすいので領民の保護も手厚いし、収穫祭もファルケンディーク以上に力が入ってるそうだ。
イゾルデさんからは、そのあたりも勘案して、領民からきっちりと税を巻き上げた上で、上手く計らって欲しいと言われていた。
▽▽▽
「そんなに難しく考えるこっちゃねえ」
「あんたが領主でいるうちは、あんたに金を集めた方がお得だろうって話なだけさね」
子や孫の時代まではしらないよと、イゾルデさんはクナーケのお茶に口をつけた。
要は、領民も負担するから、一気に領地を発展させてしまえと、はっぱを掛けられているわけだけど……。
「その余力が、ノイエフレーリヒにありますか? 今だって、相当に苦しいと思うんですが……」
「まあ、楽じゃねえのは確かだが、無茶な取り立てを頼んでるんじゃねえ」
「今ちょっと我慢すれば、道が開けそうだからねえ。……ほら」
思い出すのは大変だったよと、イゾルデさんの懐から、小さな書き付けが出てくる。
「……え?」
「旧フレーリヒ家時代の、借地料や許状の資料さね」
「まあ、この四半分ってとこで手を打って欲しいんだがよ、どうだ?」
「は、はあ……」
元々徴収するつもりのないものだったから、金額は幾ら低くてもいい。
でもこれ、使い道の方が問題かなあ……。
領主家の収入は、もちろん私財と看做される。
但し、あまりにもお馬鹿な使い方、例えば賭博で負けたとか、見栄の為に美術品を買ったなんて話になると、評判は当然落ちていく。
贅沢が過ぎただけでも、やっかみの種になりかねなかった。
ところがこの匙加減が難しく、領主家が貧乏暮らしすぎても、やっぱり領民からの批判は起きるのだ。
実家のような無爵の領主なら村人レベルの暮らしぶりが適当だと思うけど、男爵家ならどのぐらいなんだろう……。
当面は無理だし、生活費以外、最優先で領内の整備と備蓄に回すとしても、よく考えておかなきゃね。
「じゃあ……漁船と家屋については、既に下賜されてるわけですし、今更蒸し返したりはしません。ただ、修理も持ち主任せになりますが、いいですか?」
「今まで通りだね」
「ああ、文句はねえ」
領主が所有者なら、王政府が所有する貸家と同じく、安く家賃を取って修理を行う方便にもなる。
でも、そこまでは心配しなくていいと、二人は頷いてくれた。
「それから、入漁権はこの資料の四分の一として……って、あれ!? 他のもあわせると、高くなり過ぎないですか!?」
「まあね、それだけ無茶苦茶だったのさ、前領主の頃は」
「家賃も借地料も、ほぼ北大陸の相場ですよ、これ……」
「だったねえ」
悪い教訓として、そのことを私に教えたかったのかどうかまでは分からないけれど、当時の入漁権は年額一グルデン、これまでは総督府が意図的に無視していた船溜りの使用料も、日額一ペニヒで年に三百六十五ペニヒと書かれてあった。
この二つを当時のままに徴収すると、六十人の漁師さんがいるので約九十グルデンになる。
話し通りにこれを四半分にして二十グルデン少々、人数割りして一人当たり年額二百六十ペニヒは、ちょっと負担が大きいかなあ……。
「個人に負担が行きすぎないよう、考えたいところですね」
「そのあたりはヨハンの旦那と上手くやって欲しいところだけど……ああ、新しい王様に引っ張られても不思議じゃないか」
「ありゃあどう見ても中央の貴族だろ? 元が付くかもしんねえが、相当なやり手っぽいな」
「あー、うちのお爺ちゃんのお友達なんですよ。……ってことにしておいて下さい」
「お、おう……」
お昼前までじっくりと話し合った結果。
漁師衆以外からももちろん徴収するけれど、入漁権に借地料、入会……細かな部分まで含めて、概ね一人年額六グロッシェン、一日あたり五分の一ペニヒを基準にすることが決まった。
二百人で概ね二十グルデン、もちろん領内への投資が優先だけど、これは二人分の生活費、あるいは王政府への貢納金の不足分が補填出来る金額でもある。
「ふふ、お疲れ様でした。銅塊のお値段次第ですが、この税収は蒸留器になりそうですね」
「先にさ、あんたの故郷から来たっていう家族の住処をなんとかしてやりなよ」
「だな。この間ちょいと話をしたが、あのザムエルって奴、魔法も使えるらしいじゃねえか。早く呼んでくれ」
「……そうでした」
ザムエルさん達はもう、ファルケンディークに移っていたけれど、確かに早く呼びたいところでもある。
クリストフだけは騎士見習いの従士として、レシュフェルトに送り出してあげたいけれど、若い働き者を手元に置いておきたくもあるわけで……。
そのあたりはまた、フロイデンシュタット家の全員が揃ってから、話し合うことにしようと思う。




