第六十六話「朝の一幕」
第六十六話「朝の一幕」
ノイエフレーリヒに、新たな住人が増えて数日。
「お館様、本日午前のイゾルデ殿、ファルコ殿との会合は伺っておりますが、他に何かございますか?」
「そうですねえ……」
フロイデンシュタット家では、朝礼ってほどでもないけれど、朝食を食べながら予定などを話すのが、朝の決まりになってきた。
主人と使用人の相席がどうのとか、そんな『貴族の作法』に気を回す余裕なんて、当家にはない。
もういっそ、このままでもいいんだけどね。
打ち合わせにも便利だし、食事も一度に片づくので合理的ですらある。
それに、一人で朝を食べるのは寂しすぎた。
「月末の即位戴冠式に向けて、そろそろ準備をしておきたいですね。こちらも女官服と、例の蒸留酒ぐらいですが、間際に慌てるのは避けたいと思います」
引っ越し三日日までは、手鍋持ち込みで買ってきた『南の風』亭の魚介スープと、デニスさんの店のパンだった。
今はもう、パンはともかく、主菜が自前の魚介スープと、自家製一夜干しになっている。
今朝のスープは私が作ったけれど、具をつつきながら、もうちょっと味に手を加えたいなと思ってしまう。
香辛料とまでは言わないけれど、手持ちには塩とファルケンディークで作られている魚醤しかなく、調味料もせめて数種類欲しい。
「直近の外せないお仕事として、来週は王政府への出仕を予定していますが、基本的に身一つでなんとかなります」
「畏まりました。こちらもご予定に変更なしとしておきます」
お姫様に出す朝食じゃないなあと思いつつも、これが南大陸のスタンダードなブレックファーストだ。美味しいんだけどね。
私も世が世なら皇帝家の端っこぐらいにはぶら下がっていたかもしれないので、ご勘弁願いたいところである。
ここのところは、引っ越しの片付けも含めた内装の模様替えや追加の家具調達に追われていたけれど、それもほぼ落ち着き、今日からは比較的自由に動けそうだった。
予定は詰まってないけれど、これがなかなか思い通りに行かない。
もちろん、ザムエルさん達を迎え入れる為の家の用意も後回しには出来ないし、そちらは材料の調達や大工さんの予定次第だった。
家の用意は出来る限り早い方がいいので、船大工のケヴィンさんと大工兼業の漁師デトレフさんには、もう声を掛けている。
但し、今受けている船の修理が優先になるので、仕事を受けて貰えるのは今月末ぐらいになりそうだった。
漁船の状態の善し悪しは当然、漁師さんの生活と安全に直結する。
ファルケンディークへの出稼ぎで、食い扶持が稼げる予定になってるザムエルさん達の家を先にしてくれとは、言いにくい。……船の陸揚げは魔法仕事――現金収入になるので、とてもありがたいんだけどね。
他に、先手を打てそうな……と言えば材料の調達なんだけど、冬の雨が終わってからの方がいいんじゃないかと忠告を受けていた。
『確か、修理して使おうにも、廃屋すらなかったですよね?』
『嵐で誰かの家が壊れると、そっちから建材を持っていったりしてたからねえ』
木材はいつぞやのように、王政府の許可を貰って南の王領を伐採するつもりだけど、日干し煉瓦もまた作らなきゃいけない。
ザムエルさんの家は、織機を置くための屋内作業場をリクエストされていた。
場所選びも、早い方がいいだろうなあ……。
ついでに、手狭すぎる『領主の館』もなんとかしたいけれど、それこそ後回しにせざるを得なかった。
『領民の住処なら日干し煉瓦で上等さね。だけど、領主屋敷の壁に日干し煉瓦を使うのは、どうかと思うよ』
『え、そうなんですか?』
『もっと雨風の少ない場所ならいいんだろうけど、数年に一度の大嵐、あれがねえ』
『ババアの言うとおりだ。領主屋敷みてえな大きいのを建てる時はよ、壊れて修理するのを前提にしちゃいけねえぜ』
イゾルデさん曰く、日干し煉瓦と板屋根の家屋は、補修も簡単で懐にも優しいけれど、領主屋敷のような大物だと、かえって修理の効率が悪くなるという。
二階建てにはお勧めしないし、来客を考えれば、もう少し気を遣ったほうがいいらしい。
『……ふむ、イゾルデ殿、ファルコ殿。この近くで石材を得られる場所は、遠いのですかな?』
『風避け岬の下と、炭焼き小屋から南西に半リーグの丘にあるけど、どっちもどっちさね』
『だな。両方とも質は悪くねえが、手間がなあ……』
東の畑がある風避け岬は、低いながらも断崖絶壁になっていて、確かに岩場がある。
行くのは簡単だけど、石を切って運ぶとなると、船も人手も用意しなきゃいけない。
南西に半リーグの丘は、馬車の通れない獣道を重い石を担いで歩く必要があった。そもそも距離が遠いから、少人数では運べる量に難があるそうだ。
但しそれらは、全てを『人力』で行った場合の話である。
『んー、領主屋敷は一旦保留にして、必要な労力や予算を見積もってから決めます』
私は腰に差している杖を、ぽんと叩いた。
魔法で道を切り開くなり、ゴーレムで運ぶなり、私が『私』を使うなら、お安く仕上げることが出来る。
王領代官の副業と違って、領主が自家や領地発展の為に無料で魔法を行使しても、他の魔法使いの収入や相場に影響を及ぼすことはなかった。
「では、本日は……ふむ、このような感じでいかがでしょうか?」
経験豊かな元第一王女殿下付き専属執事としてのヨハンさんは、フロイデンシュタット家には完全なるオーバースペックである。
ヨハンさんとグレーテは、ヒンメル号に加えて、新たに下賜されたハイマット号でレシュフェルトに向かう。
足りない小物や食材の仕入れ、ついでに王政府へと顔を出し、時間の余裕があれば、雑談ついでに最新情報も集めておきたいそうだ。
私とクリスタさんは会合に加えて数着ある女官服やら皆の着替えやらのお洗濯、時間が余れば多少なりとも屋敷らしくする続きをする。
あっという間に話がまとめられ、それぞれに無理なく予定が割り振られた。
「では、仕事に取り掛かると致しましょう」
「はい。皆さん、今日も一日がんばりましょう」
「畏まりました」
「では、行って参ります」
「お気をつけて」
ひひん。
今日も頼むよ、ヒンメル号、ハイマット号。
二人と二頭を見送れば、その向こうから、手引きの荷車に大荷物を載せたマルセルさんがやってきた。
「領主様、クリスタさん、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「おはようございます、マルセルさん。精が出ますね」
マルセルさんは、ここのところほぼ毎日、蒸留器につきっきりだった。
蒸留酒の製造発表後を見越して、鋭意増産中なのである。
作業場は燃料持込の貸切で、一日十ペニヒと決めていた。
マルセルさんが儲かればその分村の経済も回るだろうし、何よりも外貨を得る第一歩だ。
貸し出しは無料でもいいかと考えていたんだけど、イゾルデさんからだけでなく、当のマルセルさんからも反対されていた。
『自分だけ得をするマルセルが、他所から恨まれちまうよ。真面目にやってんのに、そりゃ可哀想ってもんだろう?』
『まあ、皆が飲む蒸留酒が安くなるのはいいことなんでしょうが、気も引けてしまいますな。私は同じ飲むなら、美味い酒を飲みたいんです』
貸し出す金額は、いつだったかメルヒオル様と話し合った金額の倍になっていたけれど、これは交渉に当たったヨハンさんが私の意を受けて、なるべく下げようとした結果である。
『わたくしめも調べましたが、借り賃の相場としては、南大陸では他にない設備を評価して一日二十から三十ペニヒ、というあたりでしょうな』
『ええ。レシュフェルトかファルケンディークに蒸留器付きの作業場があれば、そのぐらいか、もう少し高い程度かと思います。その金額なら、無理をせず回せて助かります』
『ですな。しかしながらマルセル殿、村の発展を加速したいというお館様のご意向もございます。……ふむ、ここは一つ、知恵を絞らせていただきましょう』
幸い、ヨハンさんの機転で領主のお墨付きとして『初代フロイデンシュタット領主リヒャルディーネ・ケートヒェンの恩寵によるノイエフレーリヒに於けるミレ蒸留酒に関する製造並びに販売許可の証』という長い名前の許可状を発行して特権を盛り込み、値段を下げていた。
ついでに、ミレ蒸留酒の専売に関する法律という領内法の施行準備も進めている。
それに絡んで、他にもちょっとした問題が起きていた。
「おう、領主様、クリスタ嬢ちゃん!」
「おはようさん」
続けて領主の館にやってきたのは、ファルコさんとイゾルデさんである。
今日はその『問題』とやらの話し合いをするのだ。




