第七話「初仕事」
アールブルク到着の初日は案内と買い物で仕事にならなかったけど、翌日からは空っぽの資料室を使えるようにするべく、私は本気で働き始めた。
「【浮遊】。【浮遊】。【浮遊】。【浮遊】……」
まずは別の用途に使うはずの資料庫から全ての本を運び出し、資料室に積み上げる。
何回往復したかは忘れたし、これだけで丸一日を潰してしまったけど、ここからが本番だ。
単に種類別の年代順で本棚に並べ、はいおしまい、というわけには行かない。
そもそも使われていなかった資料が大半だし、近年の資料は必要な部署が各々握っているからそれでもいいんだろうけど、ここはきっちりと、後々の高評価に繋がるよう点数を稼いでおきたい私だった。
「うむ、よく工夫されておるし、この程度なら構わない。リディの好きにしなさい」
「ありがとうございます、男爵閣下」
藁紙に今後の仕事内容と大まかな手順、ついでに欲しい物を書いて仮の上司である男爵閣下に提出すると、それはあっさりと認められた。
「よし!」
私が一番最初に手を着けたのが、本の『お掃除』だ。
「失礼いたします、資料室のオルフです。支給品の申請や貸し出しはこちらだとお聞きしたんですが……」
早速、事務方の担当者をつかまえて、羽根箒、汚してもいい敷物、雑巾と手桶、はさみ、藁紙や糸、糊などの用具や消耗品をひと揃い手に入れ、私は資料室の机に陣取って手ぬぐいのほっかむりとマスクを付けて腕まくりをした。
敷物を机に広げ、本棚に横置きしている未整理の本の山から一冊、取り出す。
「えーっと、『アールブルク管区に於ける裁判記録・王国歴四六年より四九年』っと」
表紙は厚紙の上に藁紙を貼って重ねてある一番安い作りで、若干開きにくかった。なんか中身とくっついてるし。
とりあえず箒でそっと埃を払い、手桶に集める。
幸い、古いには古いけど高価な古書ってわけじゃないし、私は考古学の資料のように状態を『復元』してるんじゃなかった。
だから、中身を確かめて破けていれば裏から紙を当てて糊で貼るし、綴じ糸が千切れていれば新しい物に変える。……もちろん、男爵閣下に提出した手順にも記して、先に許可は貰っていた。
「【乾燥】……。ん、いいかな」
最後に、糊付けした本は魔法で乾かし、題名を記録してから本棚に収納する。本当は乾燥させ過ぎてもいけないらしいけど、天日に当てたり【温風】の魔法を使うよりは多少でもましだろうと思うことにする。
とにかく、千切れて冊子の体裁を為さなくなっていたり中身が破けていたりと、酷い状態のものが多すぎて、気分も萎える。
羊皮紙に書かれた王都からの命令書を革ひもでまとめた冊子は比較的無事でも、藁紙の端を糸で縫っただけの報告書なんかは丸めてほぐして焚き付けに使った方がいいかなと思うほどで、そのままじゃ読むだけでも大変そうだった。
「あれ?」
中には、乱暴に扱われたのか、明らかにページが破り取られているものなんかもあったりして、ちょっと対処に困る。
とりあえず、書名だけは別に記録しておこうか。後から報告はするにしても、どう対処するかは全部の本が書棚に収まってから考えよう。
これを種別で一度分けておく。配置も私の裁量で、年度順やアルファベット順に並び替えるのは、全部の本を綺麗にしてからってことになるかな。
とにかく、手仕事ついでに中身をちらちらと読みつつ、私は与えられた資料室で仕事をこなしていった。
本の修理と掃除ばかりをして過ごすこと一週間、変化のない仕事には飽きてきたけど、自分で決めたことから逃げ出すわけにも行かず、私は頭の中だけで愚痴をこぼしながら黙々と仕事を続けていた。
せめて上司か同僚でもいればいいんだけど、とにかく昼間はしゃべり相手が居ないので、どうにも寂しい。
「……」
下宿先である男爵閣下のお屋敷の別棟だと、食事時には賑やかにお話が出来るから、まだましかな。
ギルベルタさんの他にも、行儀見習いに来てメイドをしている領主家のお嬢様方とも仲良くなれたし、大勢居る平民の娘さんだって、最初は戸惑っていた……じゃなくて、警戒していたけれど、良くも悪くも『私は私』、こんな性格と態度なので、今では普通に言葉を返してくれるようになった。
「……あーあ」
でもねえ。
庁舎で働きたいと言い出す貴族の娘さんは、かなり珍しいようだと、私にも分かってきた。……ううん、実感してきたって言うべきかな。
大概のお嬢様が家の外に出される場合、王都や大きな都市なら学院のような施設もあるけれど、田舎じゃどこかのお屋敷でメイドとして働きながら行儀作法を身につけ社交の裏側を学ぶことが殆どだ。
運が良ければ、同じように従者や執事の見習いとして働いている良家のご子息と、縁を結んでめでたくゴールインってことも出来なくはない。……最終的には親同士の判断になるけど、自力で確率アップが出来るもんね。
ところが、私は最初から庁舎でのお仕事を希望した。
幾ら親しい友人の孫娘でも、親が優秀な子と自慢したところで……十三歳で実務経験のない子供と聞いて、男爵閣下がどう思われたか考えてみれば、答えは出てくる。
私なら、とりあえず試してみようと思うかな。
有名大学の学生が、アルバイトの面接に来た時のことを思い出せばいい。
学歴がある程度の保証にはなっても、実際に仕事を任せてみなければ、分からないことの方がずっとずっと多かった。
面接の時は普通でも接客に難のある子もいれば、人柄は悪くないのに、計算と理解力が早すぎて客層と合わないことだってある。
その点から見ると、この新しい資料室という仕事場は、とても良く出来ていた。
これまで殆ど誰も読まなかった古い資料の整理なんて、少々仕事が滞ったところで庁舎の本業務には全くと言っていいほど影響がなく、その上、仕事の進み具合は棚を見れば一目瞭然で、私をお試しするのには丁度いい。
……もちろんこれは私の想像で、そうと決まったわけはないけれど、だれてきた気分を引き締めるのにはいい理由だった。
また一冊、お掃除の終わった本をチェックして棚に送る。
元々が数百冊あって、今でようやく半分ってっところかなあ。書類束を製本した物が殆どだから、一冊一冊が大きいので見た目よりは数が少ない。……代わりに一冊チェックするのに結構な時間が掛かるけどね。
これまで蔵書録もなく、まともに管理されていなかった理由は、すぐに判明している。
……責任者さえ置かれていなかったのに、余計な仕事を自分から進んで引き受けて苦労する人なんて、いるはずがない。
「ふう……」
コンコン、コンコンと、ドアがノックされる。
来客は珍しい……っていうか、初日と二日目に様子を見に来てくれたギルベルタさん以来かもと思いながら、私は扉を開けた。
「お待たせいたしました、資料室で……」
「調子はどうだね、リディ?」
「男爵閣下!? 失礼いたしましたっ!」
扉からはみ出しそうな影。
慌てて一歩下がり、ほっかむりとマスク代わりの手ぬぐいを外して礼をとる。
「ああ、構わん。……ほう、随分と進んでいるな」
「はい、ありがとうございます」
ふむふむと頷いていた男爵閣下は、ちらりと机の方を見てから、首を傾げた。
「これは蔵書録か? それにしては二つあるようだが……」
「は、はい。一つは作ると先に申し上げていた蔵書の目録ですが、もう一つは、扱いについて後からご相談申し上げるべきかと、破損の酷いものを記録したものです」
「……ほう?」
一瞬だけ、男爵閣下は鋭い目つきになって、私の作った汚損本リストをぱらぱらとめくりだした。
結構真面目に読まれている様子で、若干緊張する。
間違ったことをしたつもりはない。
けれど、余計なことをしたのかもしれなかった。
「……」
「……リディ、出来上がってからでよいから、この二点は私の元に」
「はい閣下、畏まりました」
退出をお見送りしてから、小さくため息。
怒られなかったし、そのまま続けていていいみたいだけど……なんだろう、ちょっと気に掛かる。
少しもやっとした気分を感じながらも、私はまた作業を再開した。