第六十四話「祖父と孫娘」
第六十四話「祖父と孫娘」
ヨハン様は、従兄との結婚を嫌って自主的に行方不明中となられた、ゼラフィーネ王女殿下の元専属執事だ。
王弟殿下親子から見れば、さぞや恨み骨髄怒り心頭の相手だろう。
挨拶を交わした後、メルヒオル様はちらりとローレンツ様の表情を確かめ、真っ正面から尋ねられた。
「ヨハン殿がここに居られるということは、ゼラフィーネ殿下もこちらに?」
「いえ、姫様とは同道しておりませぬ。現在は……そうですな、シュテルンベルクのどこかにおいでか、はたまたグロスハイムの港か……」
「なんですと!?」
ヨハン様は、如何にも執事然とした柔和な笑顔を浮かべられた。
「正に、ただ今のメルヒオル殿のご質問こそ、そのお答えでございます。何せわたくしめは、第一王女殿下の専属執事として、姫様の隠れ場所を記した看板をぶら下げておるようなもの。それなりに事情を知る方々ならば、まずは姫様の行方をお伺いになりますでしょうな」
「それは、無論……」
「ですが、わたくしめの知る手掛かりと申しましても、王都の東、ヴォルメルシュでお別れした日時のみ。その後の姫様の行方は存じませぬし、知らねば答えようもなく、取り調べの末に姫様の居場所が知れるということもございません。……新シュテルンベルク両王国のレーブレヒト陛下、マンフレート陛下と『何もしない』という密約を取り付けているからこその、秘策でございます」
ゼラフィーネ殿下は、お兄さん達と交渉して、『何もしない』という最大限の協力引き出したそうだ。
出奔したお姫様の足取りを探すなら、初動の捜索が大事なのに、両王国は『何もしない』。
助力をすると、そこから手繰られる可能性もあるので、『何もしない』。
ついでに、王弟殿下から協力を求められても、絶対に『何もしない』。
もちろん、ゼラフィーネ様の行方を一番知っていそうなヨハン様を捕まえても、知らなければ答えようがないし、情報が途切れれば安全に繋がる。
……お姫様の出奔とか、どう考えても国家の一大事だからね、二重三重に気を遣いすぎるぐらいで丁度いいのかもしれない。
少しだけ、『お爺ちゃんのお爺ちゃん』のお話を思い出しつつ、ヨハン様を見る。
「それは、なんともはや……。ヨハン殿、ご苦労であられました」
「ありがとうございます、メルヒオル殿。こちらにまかり越しましたのは、ヴォルメルシュの宿にて姫様よりお預かりいたしました走り書きを、ローレンツ様にお届けする為でございます。これはわたくしめが姫様より頂戴した最後のお仕事にて、第一王女殿下専属執事のお役目も今日この場限りでございますれば。明日からはシェーンハウゼンの名も捨てます故、以後はただのヨハンとして見知り置きくださいませ。……ローレンツ様、お二人にも先ほどの『孫自慢』をさせていただいて、宜しゅうございますかな?」
「うん、頼む」
この場で、何故に孫自慢……?
本気で意味が分からないけど、ローレンツ様は大きく伸びをして、私とメルヒオル様に笑顔のついた目配せをした。
「実は……王都から孫を連れて参りましたが、名をクリスタと申しまして、これが目に入れても痛くないほどの可愛い孫娘でございましてな」
「孫? しかし、ヨハン殿は確か、独身であられたような……」
「さて、激務続きにてわたくしめは自身が結婚していたかもよく覚えておりませんが、幼い頃より見守ってきた、魔法が得意な自慢の孫娘でございます」
あー、なるほど。
ここまであからさまに惚けられると、流石に分かる。
思わずローレンツ様の方を見れば、くすっと笑って窓の方を向いてしまわれた。
……そのお孫さんはたぶん、うす茶色の髪をお持ちで、鼻の形と口元がローレンツ様にとってもよく似た二十歳頃の娘さんだと思う。
ふーん、独身のヨハン様に孫がいるだなんて、世の中は不思議だなー。
でも本当に、ローレンツ様の心配事が減るのはいいことだ。
それに私も、もう一度、ゼラフィーネ様とはきちんとお話がしたかった。
「とても可愛いお孫さんらしいから、後で会いに行こうと思う。南大陸では不慣れなこともあるだろうし、励ましの言葉ぐらいは掛けておきたい」
「おお、それは孫も大層喜びましょう」
「うむ。それはともかく……ヨハンは今後、どうするのだ?」
「はい、幸いにして、昔馴染みより紹介状を預かっておりますので、当面はそちらを頼らせて戴こうかと考えております」
「ほう、縁者がこちらにいるのか?」
ヨハン様はそう口にして、懐から封書を取り出された。
何故かそれが、私に向けて恭しく差し出される。
「へ!?」
「どうぞ、お改め下さいませ、リヒャルディーネ殿」
いやちょっと待って、なんで私宛!?
「貴女様の祖父、『雷剣』アロイスとは数十年来の付き合いにて、南大陸までの護衛をつけてくれたばかりか、船まで用意してくれたのです」
「は、はあ……」
思わず受け取ったけど、『愛すべき孫リヒャルディーネへ』という表書きは、確かにお爺ちゃんの字だった。
「リディ、大事なことが書かれてあるかもしれない。すぐに読んで」
「は、はいっ!」
ローレンツ様に促されて中を開くと、『ヨハンはリディも良く知る通り、オルフの出身だ。お前も丁度よく成り上がってる頃だろうから、執事としてこき使ってやれ。給金はそちらの相場でいいが、お孫さんと二人で暮らして行けるだけの金額は渡すように』というようなことが書かれてある。
「……」
お爺ちゃん。
こっちの都合も、ちょっとは考えて欲しいです……。
完全に見透かされてるんだろうけど、どちらにしても、八人分の寝床とお仕事を確保しなきゃいけないことには変わりないのか。
一旦は、全員でファルケンディークに行って貰うつもりだったけど、ヨハンさんとクリスタさんだけは、最初からノイエフレーリヒで引き取ったほうがいいよねえ……。
あと、私の助手にグレーテ。彼女がそばにいるだけで、家を回す効率が段違いになるはずだ。
家を用意するのはちょっと大変だけど、後はまあ、ザムエルさん達だし、何とでもなるだろう。……たぶん。
「えーっと……ヨハン様、読んで戴いてもよろしいですか?」
「はい、失礼いたします」
順番に紹介状を回し、ローレンツ様とメルヒオル様にもお見せする。
ただのお爺ちゃんの昔馴染みってだけなら、そのままフロイデンシュタット家で引き取ればいいんだけど、元第一王女専属執事という前職を考えれば、了承だけは得ておく必要があった。
「ヨハン『達』には、ノイエフレーリヒに行って貰うのが無難と言えば無難だが……」
「レシュフェルトでは、どうしても船の出入り、人の出入りが多くございますからな」
「祖父の紹介状にある条件の通りであれば、お引き受けすることは大丈夫です。その、贅沢はとても無理ですが……」
数日では家なんてとても用意できないものの、代官所にベッドを放り込めば、二、三人ぐらいなら何とかなる。
もちろん、ノイエフレーリヒの状況は、三日間を過ごしたメルヒオル様もよくご存じだった。
それに、ゼラ……じゃなくて、クリスタさんの事を考えれば、目立たず過ごして貰う方がいいだろう。
……新しく来た移民が村の中で目立っちゃうのはしょうがないけど、レシュフェルトで暮らすよりは、幾らかましだと思う。
「早い方がいいな。ヨハン、構わないか?」
「もちろんでございます」
「リディ、ヨハン『達』のことをお願いできるかな? もちろん、こちらも補いはつける」
「畏まりました」
「よろしくお願いいたします、リヒャルディーネ殿、いえ……ふむ、失礼いたしました、『お館様』」
「は、はい、こちらこそよろしくお願いします!」
未婚の女性に対して『奥様』とは呼べず、爵位を持つ貴族家当主として『お嬢様』と呼べず、内向きに仕える為に『閣下』とも呼べず……執事として長くその職にありながらも、逡巡してしまいましたと、後から聞かされた。
呼び名の理由は納得できるものだったし、蔑ろにされているわけでもないので適当でいいけれど、お館様なんて呼び名に相応しい立派なお屋敷なんて、いつになるやら。
「私も明日からは、ノイエフレーリヒで寝泊まりします。それから、お二人をお預かり……もとい、雇い入れるにあたって、侍女を一人、確保したいと思います」
「頼む。ああ、しばらくは王政府の荷馬車を貸し出そう」
他にも、ベッドを含めた寝具を三組、宿舎から融通して貰えることになった。
▽▽▽
そのまま全員で、宿舎の食堂に移動する。
「ザムエルさん、お久しぶりです!」
「よう、お嬢! ……っと!」
ローレンツ様達に気付いて、ザムエルさん、オクタヴィア小母さんら全員が立ち上がった。ヨハンさんの目配せを受け、すぐに跪く。
もちろん、クリスタさんも。
「ローレンツだ。事情はヨハンから聞いた。……ザムエル、遠いところ、本当にご苦労だった」
「はっ、もったいないお言葉です!」
「『ヨハン達』も含め、リディ……ああ、フロイデンシュタット男爵と同じ、オルフの出身だと聞いたが?」
「はい、『そんなところ』であります」
「……うむ。フロイデンシュタット家をよく支えてくれると、嬉しい」
食堂じゃ人払いも何もないし、存在を隠したい元お姫様を目立たせるわけにはいかないけれど、ローレンツ様は『クリスタさん』へと静かに目を向けた。
グレーテと似たような服装にも関わらず、ローレンツ様の視線を真っ直ぐに受け止めるクリスタさんの表情は、やはり血筋だなと思わせる。
「貴女がヨハンの孫娘、クリスタだな。先ほども、目に入れても痛くないほど可愛いと、孫自慢を聞かされた」
「あの……」
「私も、そう思う」
「!! ……ありがとう、ございます」
お二人の会話は、たったそれだけだったけれど。
何故か、胸が締め付けられた。




