第六十一話「権利と義務」
第六十一話「権利と義務」
領主就任を宣言した次の日、私は国王陛下の執務室で、幾つかの資料を見比べながらローレンツ様とお話ししていた。
「リディがノイエフレーリヒに戻った後、こちらも大慌てで領境の資料を探したりしてね。……思いつきで口にするものじゃないなあ」
ローレンツ様は苦笑いされているけれど、私も思いつきで領主を任命するのは、ちょっとどうかなと思う。
ただ、将来の展望として予定されていたことも、間違いないようだ。前倒しこそ突然だったけど、新王国の根幹がひっくり返るほどの悪影響はないらしい。
こんな感じなんだと見せられた古い地図には、ノイエフレーリヒの西、ノイエシュルム領までの間に無人領が四つほどあり、南も同じように無人領が並んでいた。東はもちろん、レシュフェルト領である。
「最初に謝っておくけれど、リディにはとても大きな苦労を掛けてしまうはずだ。オストグロナウ、ノイエシュルム両領主への牽制や、未来の領主層となる騎士達の先駆けとして、有形無形に関わらず、負担も大きくなるかな」
「……えっと、はい」
「こちらの事情を押しつけてしまうことになって、本当に申し訳ない。王政府の予算に余剰はなく、また、牽制を含ませる意味でも、条件を弛めるわけにはいかなくてね……」
はあ、と大きなため息が、ローレンツ様の口からこぼれた。
酷い前置きだけど、前置きがあるだけましなのかもね。王政府の懐事情は、先日の会議で私も知っていた。
「まず、領主の権利と義務は、ほぼ旧王国の貴族法を踏襲している」
「はい」
「ノイエフレーリヒ領……ああ、『フロイデンシュタット男爵家の有する領地』に課す貢納金は、領地収入の二割とさせて貰った」
領主の持つ権利と義務は、一見とても複雑なようでありながら、割とシンプルだった。
突き詰めれば、王国が親会社で領主が店主、コンビニのフランチャイズと似たような関係なのである。所属する王国という『看板』のお陰で、外国からだけでなく、近隣の諸領からも手を出されにくくなるのだ。……逆もまたしかり、だけどね。
領主権には、王国の支配権――国権とか王権と重なる部分もあるけれど、領内の裁判権や徴税権などの司法・立法・行政全ての権限に加え、果ては自前の軍隊を用意してもいい軍権なんてものまで含まれる。
義務の方は、領地に対する管理責任と、貢納金や軍役など、王国から課せられる役務があった。
役務のうちでも、特に重要な扱いを受けるのが王国に納める貢納金、要するに、国に払う税金のようなものだ。
うちの実家オルフ家も、基本の貢納金は税収の二割だった。今なら人頭税が百グルデンちょいなので、フロイデンシュタット家が支払うのは二十グルデンほどになる。
もちろん、それだけで済むはずがない。
残りの八割がそのまま手元に残るなら、誰だって領主になりたがるだろう。
でも実際は、残される八割のみで日々暮らしつつ、開発、飢饉、戦争、天災……あらゆる事態に対処しなければならなかった。
下手に領主になるぐらいなら、領地を持たない代わりに、経営の手間なく貴族年金が貰える官位貴族の方が、よっぽど気楽で貴族らしい生活が出来るなんて、笑えない話もある。
それはともかく。
領主に課せられる役務は、貢納金だけじゃなかった。
「王国の国防に対する役務負担として年に百グルデン、これも同時に課すことになる」
「それは覚悟してました」
土地持ちの貴族は即ち諸侯であり、王国の藩屏として軍役の義務があった。
このお金は軍役負担金とも呼ばれるけれど、領民を徴兵して王国の軍隊へと差し出す代わりに、軍事費の一部を負担するわけだ。
王国としても、あっちに十人、そっちに五人と兵隊さんが散らばってるよりは、手元に戦力を置ける方がいいし、下手に領主へと軍事力を持たせると、ものすごく面倒くさい。
その代わり、諸外国との戦争だけじゃなくて、その他の場合……例えば、山賊や海賊がやってきた時に助けて欲しいと訴え出れば、王国から軍隊がやってきた。
そこそこに大きな領地だと、自前の衛兵隊ぐらいは持ってるけれど、どちらにしても大きな負担となる。
うちの実家も払ってたけど、領内に村一つだけのオルフ領でさえ、軍役負担金は百グルデンも納めていた。
同じ金額だけど、本国の基準なら人口百人に対して百グルデンが相場、南大陸の端っこにある新王国の諸事情を鑑みて、その半分になってるそうだ。
でもオルフ家は、アールベルクの市場の維持管理費や、管区を通る街道の整備費まで求められていたから、合算すれば実家よりは楽……楽なのかな? 微妙だ。
……とまあ、領主にとっては、頭の痛いお金なのだ。
ちなみに、貢納金に対してちぐはぐな程に軍役負担金が大きな金額となっている理由は、ノイエフレーリヒの基本税収が少なすぎるからだった。
将来を見越している部分もあるけれど、百グルデンと言えば大金だ。
でも、兵隊さんを雇うなら三、四人、あるいは軍馬込みの伝令一人が、どうにか一年間維持できる費用にしかならなかった。
北大陸の平均的な領地であれば、領民は収入の二割から五割を税として領主や代官に納める。
職種によって税率も違うし現地の状況でも変わるから、五割の税が絶対に悪いこととは言い切れないけれど、同情が集まる程度にはお高いかな。
ところが、人頭税を半額に割り引いても暮らしがぎりぎりのレシュフェルト王国だと、税率は概算で五分――五パーセント。
それ以上は、取れない。
現状を考えれば負担は大きすぎるけれど、そこは私への信頼と期待の裏返しでもある。
じゃなきゃ、わざわざローレンツ様が時間をとって、説明してくれるはずもない。
……普通は一方的に命令書が届いておしまいだし、それが出来るからこそ、王様は王様だった。
「それから、これは領地に関することとは少し外れるが、今後リディは常勤の女官ではなくなるから、俸給は規定で半額支給になる」
「ええ、それは、はい」
リフィッシュ関連のお仕事は、今も任されていた。宿舎に帰ると、余所の領地から回されてきた質問状が届いていることもある。
立ち上げたばかりで私を切るに切れないし、同時に私への恩情にもなっていた。
三十グルデンを収入に上乗せできるのは、かなり大きい。
「但し……うん、『但し』、だ。現地の状況を改めて考えるまでもなく、これではフロイデンシュタット家への負担が大きすぎる。よって、貢納金の総額の半分までは、領主の判断で王政府に対する債務として申請できる特例を認める。……本当に、ごめん」
「いえ、ローレンツ様。それならたぶん、大丈夫だと思います」
……えー、分かりやすくまとめると。
今の状況がそのままなら、私の――フロイデンシュタット家の収入は、百グルデンの税収と、俸給が半減して年に三十グルデンで、合計百三十グルデンになる。
支出の方は、貢納金が百グルデンの二割で二十グルデン、加えて軍役負担金が百グルデン、合計百二十グルデンだ。
差し引き十グルデンなら、漁師さんの年収とほぼ同じで、ぎりぎり暮らしていけるかな。……魔法仕事の依頼もあるだろうし。
でもこれじゃあ、余裕がなさ過ぎて、本当に『何も出来ない』。
図らずも私には、宣言通りにノイエフレーリヒの人頭税を倍にしても大丈夫なよう、領地の発展を目指す必要が出来てしまった。
ただ、いきなり首が締まるほどでもない。
ローレンツ様が『但し』と言われたように、貢納金の半額までは借金として翌年回し、あるいは……余裕が出来るまで、債務を貯め込んでもいいわけだ。
この特例を利用すれば、さっきの計算なら六十グルデンを後回しに出来るから、来年は七十グルデンが手元に残る。……今年の徴税はつい最近、終わっていた。
でも、ノイエフレーリヒの事は一旦横に置いて、気になることもある。
「あの、ローレンツ様。さきほど、両領主への牽制と仰られましたが、あのお二方に何か問題があるのですか?」
「ああ、彼らに問題があるわけじゃないんだ。仕掛けるのは、僕と王政府の側だね。具体的には……リディには重ねて申し訳ないけれど、現在彼らの領地には、役務を課していないだけでなく、貢納金の負担も一切ない」
「えーっと……?」
もちろん、これだと意味が分からないし、私も怒っていいと思う。
追加の説明によると、オストグロナウ、ノイエシュルムの両男爵領は現在、旧王国の貴族法による保護を受けていた。
開拓領主とその領地には、入植開始後二十年間――ほぼ一世代分は貢納金を免除するという規定だ。
そのぐらい優遇しなきゃ、開拓出来ないってことの裏返しでもあるけどね。……うちの実家だって、領地拝領の当初は出稼ぎで食べてたそうだし。
当然、状況に応じてその期限は延ばされた。
保護期間を悪用するのは以ての外だけど、巡察官を派遣すれば一発でばれるし、育ちつつある領地を途中で諦めると王国側も損をすると認識されている。
真面目にやってても、不作不漁や天災に見舞われれば、開拓中の土地なんてあっと言う間に荒廃した。開拓開始から間もない領地の一番の弱点は、その余裕のなさだった。
そこに丁度、貢納金の免除期限が来たなら、せっかく育ちつつあった領地が放棄されても不思議じゃない。……領地を守るべき領主にも、余裕がないからね。
オストグロナウ、ノイエシュルムは、ともに入植三十年目だけど、現在も免除の延長を認められる。
旧南大陸新領土管区の経済状況は厳しく、発展の足枷となっており、旧王国も理解を示していた。
「でも、このまま貢納金の免除を続けるのも、問題なんだ。開拓の時代が終わりを告げ、発展の時代が来たのだと、彼らに自覚を促したい」
そっちのお二人からもいずれ貢納金を取るので、その呼び水になるのが私のお役目、というわけである。
話を聞けば、納得できなくもない。
私はノイエフレーリヒの開拓費用なんて一ペニヒも出していないし、人集めもしていなかった。
開拓の苦労を考えると、お金だけで済む話なら、むしろ楽をさせて貰ってるとも言い換えられる。
そう思えるのは、私のお爺ちゃんが正にその開拓領主で、苦労話もよく知っているからだった。
「主な内容は、こんなところだね」
ローレンツ様が呼び鈴を振ると、ギルベルタさんがやってきて、茶杯を入れ換えてくれた。
重要な説明は、大体終わりかな。
今のところ、フロイデンシュタット家には、貢納金と軍役負担金以外の役務は課されないようだった。
レシュフェルトの港の使用料ぐらいは覚悟してたんだけど、いい方に外れたようだ。
私個人に関しても、月に一度、王政府への出仕があり、リフィッシュ関連のお仕事も継続するけれど、基本的には領地に専念してくれと言われている。
加えて、王政府の管轄だった代官所の敷地と建物が無償で譲渡される他、伝令馬一頭の支給、王政府宿舎の今の部屋は支度部屋としてそのまま使ってもいいことなどが伝えられた。
もちろん、その他の全て――領内の土地、道路などの施設、漁労権や狩猟権などの権利権益は、私個人のものである。
「負担ばかりでは申し訳ないからね、その他は出来る限り優遇させて貰うよ」
「よろしくお願いします。それから、ノイエフレーリヒのこと、本当にありがとうございます!」
「お礼を言わなきゃいけないのは、僕の方なんだけど……。リディのお陰で、色々と早回しができそうだ」
言われたことを並べてみれば、割と負担ばっかりのような気もするけれど、実はそうじゃないと、私はとっくに気付いていた。
ついでに王政府も、今後は税収百グルデンの土地から百二十グルデンが得られるようになり、私に支払う俸給が半額浮いたことで、合計五十グルデンの増収になってるけれど……。
視点を少し変えてみれば、そんなのは些細なことで、どうぞどうぞと笑顔で流してしまえるほど、私の方が『貰いすぎ』なのだ。
うちのお爺ちゃんは傭兵として戦場を巡り、幾つもの戦功を重ねて、領地を得た。
その苦労は想像するしかないけれど、クララ姉さんが、領地を買うなら税収評価の三十倍から百倍が相場と言ってたのは覚えてる。
つまり、どれほど安く見積もっても、ノイエフレーリヒには『三千グルデン』の価値があった。……南大陸割引で考えても、千五百グルデンにはなる。
ローンを組んだら何年払いになるかはともかく、私はちょっとした偶然と思いつきだけで、欲しいからって貰えるはずもない男爵の位と一緒に、無人だったオルフ領よりも状態の良い領地を無償で下賜されたわけだ。
少しぐらいの負担は笑い飛ばして感謝しないと、絶対にばちが当たると思う。
もちろん、せっかく貰ったノイエフレーリヒ領を、三千グルデンのままにしておくのはもったいなかった。
二倍三倍の価値がある土地に育てたっていい。
領主には、それが許されている。
『あのね、私……お爺ちゃんみたいに、なる!』
そんな宣言して実家を出たのが、半年前。
私は一世一代のはずの目標に、たった半年でたどり着いてしまったのだ。




