第六十話「ノイエフレーリヒの領主」
第六十話「ノイエフレーリヒの領主」
詳しい内容は明日話そうと言われ、私はまた、ノイエフレーリヒへの道をかぽかぽと、ヒンメル号で戻っていた。
「王様がその場にいらっしゃったとはね、流石に肝が冷えたよ。……道理の分かるお方で、本当に良かったさ」
「……はい」
イゾルデさんは張りつめていた気が抜けたようで、私にもたれ掛かっている。
私もまだ、何が何やらで、今ひとつ頭が回ってない。
「……又甥に代官解任を思いとどまらせるだけのつもりが、悪かったね、一大事になってしまって」
「私もまだ、代官を辞めるのは早いなと思ってたので……。それに領主なら、滅多なことで転封はないはずです」
「そう言って貰えると、嬉しいねえ」
私のノイエフレーリヒ領主就任と男爵への叙爵は、もう公表してもいいと言われたので、口を滑らせて怒られる心配はないけれど……。
さて、領主って、何をどうすればいいんだろう?
ぶっちゃけてしまえば、税金を取る代わりに領民を守るってことなんだけど、じゃあ具体的には何なんだって話である。
徴税のやり方……正しくは、徴税後の手続きや徴税証書の書き方も覚えたし、今のところはイゾルデさんに丸投げで何とかなる。
他もまあ、代官の仕事と被ることも多いし、そもそも私は気付かずに領主のやり方をしていた。領地の収入を増やす努力も、これまで通りでいいだろう。
今度こそ、お爺ちゃんの真似でもいいような気もするけど……それもなんか違うって感じがした。
さっきの今で、私は領主だ! って言えるほど、よく分かってない部分もある。
お爺ちゃんやクララ姉さんの頭を悩ませていた諸侯に課せられる役務や貢納金も、明日言い渡されるだろうし……。
「今日のところは、発表するだけにします」
「そんなところだねえ。……ああ、蒸留器だけは、又甥に見せないようにした方がよくないかい?」
明後日か明々後日には、メルヒオル様が村にやってくる。
蒸留酒はまだ、表に出せなかった。
ローレンツ様のご即位の時、お祝いにして驚かせたいし、他領が真似て追いついてこないうちに、原酒を量産しようかなんて話まで出てる。
あの蒸留器は今後、使う余裕があるかどうかも分からないし、それこそ片づけついでにマルセルさんへと預けてもいいかもね。
でも、向こうにも作業場を新しく建てるとなると、また物入りになるし、微妙だなあ……。
今も使う分には問題ないんだし、後回しでいいかな。
「そうだ、メルヒオル様にお願いして、一切を黙ってて貰うというのはどうでしょう?」
「全員に言い聞かせて回るより、よっぼど楽だね。じゃあ、又甥は任せな」
「お願いします」
……作業場貸し出しのお話は、無駄になっちゃうかもしれないけど。
本当に、それどころじゃなくなってしまったからね。
村に戻ると、いきなり大勢の人に取り囲まれてしまった。
「代官様!」
「イゾルデ婆ちゃん! 心配したぞ!」
「もう大丈夫なのかい?」
私がイゾルデさんを乗せて馬で駆けていったので、倒れたのを治療しに行ったんじゃないかと、騒ぎになってしまったらしい。
皆さん、すごく心配そうだったけど、イゾルデさんの顔を見てほっと胸をなで下ろしている。
ファルコさんまで漁を休んでいた。
「おうババア! ぶっ倒れたって聞いたが、もういいのか!?」
「誰だい、そんな嘘流したのは!? あたしゃこの通り、ピンピンしてるよ!」
「お、おう、そうか。……昼になっても帰って来なけりゃ、誰か走らせてたとこだぜ」
そりゃ長年の付き合いで心配なんだろうけど、それだけでもない。イゾルデさんが倒れたら、本気でこの村は立ち往かなくなる。
私が好き勝手出来ていたのだって、イゾルデさんがそれを許してくれてた部分が大きいと、今更ながらに気付いていた。
「さて、『元』代官殿。……みんな集まってるし、丁度いいんじゃないかい?」
「あ、そうですね」
「おい待てババア! 元代官ってどういうこった!?」
「静かにおし、ファルコ! あんたらも、ようく聞きな」
ファルコさんの手を借りて、するっと馬から下りたイゾルデさんに促され、私はヒンメル号に乗ったまま宣誓の挙手をした。
ひひん。
……ちょっと偉そうだけど、私は背がそれほど高くないので、丁度いい台に乗る代わりってことにしておきたい。
深呼吸して、よし、と気合いを入れる。
「えー、皆さん。大事なことを伝えますから、しっかりと聞いて下さい」
代官初日、同じように宣誓したけど、似たような緊張感まで漂ってきた。
「私、リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・フロイデンシュタットは、本日先ほど、ノイエフレーリヒ代官を解任されました。同時にフロイデンシュタット男爵として爵位を賜り、ノイエフレーリヒ領の領主に封じられました」
誰も、一言も発しない。
「……えっと、以上です」
顔を見合わせる人さえもおらず、皆がぽかんと、私を見上げた。
▽▽▽
宣言をしたら私も気抜けしたようで、お腹が空いてきた。『南の風』亭でいつものお昼を食べるべく、イゾルデさんにも声を掛ける。
「こりゃあ、今日は仕事にならないねえ」
「あっはっは……」
もちろん、静まり返っていたのはほんの一瞬で、大騒ぎになった。
「あら代官様、いらっしゃいませ」
「マグダレーナさん、こんにちはー」
「って、こんなに男衆引き連れて、どうしたんです? さっきはみんなで、なんか叫んでたみたいですし……」
「マグダレーナ、大変だ! 代官様が、領主様んなった!」
「……は?」
そのまま『南の風』亭に、大騒ぎが引き継がれる
私のテーブルの周りには、今も大きな人だかりが出来ていた。
「あの、代官所が領主の館になるんですかい?」
「共有地の借地料は、どのぐらいになるんでしょう?」
「詳細は明日、話し合うことになっていますので、まだ何も決まっていないんですよ……」
今後の抱負とか付け加えるべきだと自分でも思うけど、話し合い次第じゃ右にも左にも動いてしまう。
ほんとに何も、言えなくなってしまった。
「はい、お待たせだよ」
「ありがとうございます、いただきます」
「毎度っ!」
イゾルデさんのと合わせて二人分、あと追加で生のリフィッシュ――蒲鉾の小皿で七ペニヒを、マグダレーナさんに渡す。
「しっかし、今日はいつ店じまい出来るか……」
「この分じゃ、夜まで続いても不思議じゃないねえ」
「ほい、追加だよっ!」
私とイゾルデさんの前にも、注文をしていないミレ酒のジョッキが置かれた。
ファルコさんの奢りらしい。
「今日の良き日に!」
「新しい領主様に!」
「はい、ありがとうございます!」
乾杯のたびにちびちびと飲みながら、ミレ酒は薄いけど一応はお酒なので、帰りはヒンメル号で『飲酒運転』だなあなんて、下らないことを思いつく。
現実逃避ってこともないけど、考えなきゃいけないことが多すぎた。
代官所も引き払うのか、それとも領主の館として下げ渡して貰えるのか。
貢納金の金額次第じゃ、北大陸と同じく人頭税以外の税だって取らなくちゃ、お財布が空になると同時に私の首が締まる。
諸侯としての役務だって、有事の軍役はともかく、衛兵や馬、産品の物納なんて形式がこちらじゃまだあった。……オットマーさんから山羊を買って、王政府に納入するのかな?
代官と違って、難問を王政府に丸投げ出来ないのも、地味に辛いかなあ。
それらが全部、私の両肩にのしかかるわけで……。
「笑うのも自分、泣くのも自分。代官じゃなくて領主様なんだから、今まで以上に好き勝手すればいいさね」
「は、はあ……」
イゾルデさんの警句とも励ましともとれる言葉に、お昼の魚介シチューへと小さなため息を落とす。
「わっはっは、それ、もういっちょ乾杯だ!」
「新しい領主様に!」
「くっせえおっさんどもの未来に!」
……もちろんファルコさんを筆頭に、村の男衆は昼間からミレ酒のジョッキを掲げ、乾杯を繰り返している。
イゾルデさんだけじゃなくて、カウンターとテーブルを忙しく往復するマグダレーナさんも呆れてたけど、誰も乾杯を止めたりはしなかった。
私が領主になったその日。
ノイエフレーリヒは、開村以来『初』の、お祭り騒ぎになった。




