第五十四話「リフィッシュ事始め」
第五十四話「リフィッシュ事始め」
ちまちまと作っていた代官所作業場の地下部分と階段がようやく完成して、一息ついた十二月、年暮れ月の終わる頃。
あんまり年末って感じがしないのは、長袖の薄着で過ごせる気候のせいかなあ。
実家オルフだと、もう雪かきが一日のはじまりになる季節だったもんね。
夕方になってかぽかぽと帰れば、最寄りの都市であり、グロスハイム都市国家同盟最東端の都市フレールスハイム……の、一つ向こうにある港町ミューリッツに出向いていたフラウエンロープ号が、無事に戻ってきていた。
レシュフェルトを出航して往復に約一ヶ月、私達を乗せてきたプリンツェス・ルイーゼ号には遠く及ばないけど、小型の商船ならまずまずの速度らしい。
暴風のハンスことリンデルマン閣下が魔法で風を操りながら指揮すると、その半分以下の日程で往復できるんだって、みんなが自慢してたけどね。
「ついに、王国が二つに分かれたんだってよ!」
「そうか……。聞いてはいたが、寂しいものだな」
「まあ、縁遠い場所だったけどな」
港に顔を出せば、荷役はもう終わっていたけれど、噂話ぐらいは聞けた。
トビアス船長がローレンツ様達への報告に走って行ったらしいので、詳細は後で教えて貰えるかな。
「女官様、裏ごし器も無事、手に入りましたよ!」
「ありがとうございます!」
よし、これでようやく、リフィッシュの指導が開始出来る。
ちょっと心配なのは、ホヴァルツ号で送り出した最初のリフィッシュが、きちんと売れてくれてるかってことだ。
ホヴァルツ号の母港はミューリッツよりもずっと西、北大陸のクルーゼンという大きな港町にある。
戻りは早くても、来月一月、年明け月の終わり頃になった。
「いやあ、出る前にモノを見せて貰ってなきゃ、迷っちまうところでしたぜ!」
「あんなに種類があるんすね、裏ごし器って……」
大きさ、形、網の目の細かさ。
料理に詳しくない人じゃ、『普通のものでいい』と指示してもたぶん伝わらない。
百聞は一見にしかず、船員さんには現物を見せた上で、お店の人に見せるメモも渡していた。間違いは少ない方がいいもんね。
「そう言えば、どうして近い方のフレールスハイムと交易しないんですか? 漁師熱の騒動の時も、お薬の値段をふっかけられたって……」
「フレールスハイムは、はあ……」
船員さん達が、呆れた様子で顔を見合わせた。
私の質問がおかしかったってことじゃなくて、フレールスハイムに問題があるらしい。
「ちょっと仲が悪いといいますか、あっちの総督はグロスハイムの元海軍提督で、暴風のハンスが嫌いなんですよ」
「うちの親玉の名声は、そりゃもう各国の海軍にまで轟いてますが、あの提督は醜聞で有名っすからねえ……」
「海軍が海賊から逃げてどうすんだ、ってね!」
……戦力的に見てどう考えても無理だったとか、風の具合が悪かったとか、色々あるんだろうけど、まあ、運がない人は何処にでもいる。
でも、それで意地悪しちゃ、もっと運に見放されるような気もするけどね。
荷ほどきは明日ですと教えられ、お礼を言って総督府に戻ると、当然のように食事をしながらの会議となった。
「リヒャルディーネ嬢、リフィッシュの件だが、準備と連絡と集合に一日、指導は三日を見ている。直接の指導はレシュフェルトの加工場に任せていいと思うが、明々後日だけは常駐してくれ」
「畏まりました、メルヒオル様」
ノイエフレーリヒの人も呼ぶけど、代官の不在で滞る用事はほぼない。
地下室付き作業場の建設は、もちろん急ぐものじゃなかった。
一階部分の床板は船大工のケヴィンさんに注文したけど、出来上がりにはもう数日掛かる予定だ。船の修理の合間でいいですよと、念も押してある。
でも、ついに母国シュテルンベルク王国が正式に二分したという話題については、幹部の皆さんは淡泊な反応だった。
「兄上らの新王国については、建国の宣言は同時に行われたと聞いたが、国を越えた港町の噂話では、そのあたりが限度だろう」
「むしろ、バウムガルテンの事が気になりますな」
「遠すぎて噂も影響も少ないが、無視するわけにもいかない。……困ったものだな」
「は……」
建国の宣言だけでも前倒しするかどうか、少しだけ話し合われたけど、結局予定通りでいいだろうという結論になった。
「明後日は代官所がお休みになりますので、よろしくお願いしますね、ファルコさん」
「おう! ヘロルドとホレスは明日っからでいいんだよな?」
「はい、三日の予定です」
リフィッシュのことは、私が来る前からノイエフレーリヒの人が知っていたように、フラウエンロープ号が戻り次第すぐに技術指導が行われるという噂が予め流されていた。
出所は当然、メルヒオル様だけどね。
「だが、いよいよか……」
「でも、きちんと普段の干物も作って下さいよ。リフィッシュの最大の長所は、これまで捨てていたお魚が加工品として売れるようになる、ってことですから」
「おう、あいつらにもよく言っておく」
指導後しばらくは、各村の干物の加工場の隅っこで細々と作りつつ、作業の手順に慣れて貰う予定にしていた。
ファルコさんにも言ったけど、元からある干物の生産を圧迫するほど作るのは、とても危険だ。
期待の新商品だけど、まだ売れ行きに明確な答えが出たわけじゃない。
ついでに、メルヒオル様の入れ知恵で、もしも大規模な増産の為に新たな作業場を建てるなら、ホヴァルツ号のヘニング船長にお願いすることになっているからね。
最初は当然、人口の多いファルケンディークの予定だ。
いっそ、堤防工事の人員の幾らかを先に吸収できないかって、メルヒオル様が真剣な顔で悩んでいらしゃった。
堤防工事の人件費はとても大きく、総督府予算の約四割を占める。
ただ……以前にも聞いたけど、堤防工事に従事して生活してる人が大勢居て、いきなり工事を打ち切ったり延期したりすると、確実に暴動か叛乱か、その両方が起きると聞いていた。
この辺境で命を繋ぐための仕事をいきなり奪われたら、その後どうやって生きていくのかって話になるから、私もそりゃそうだろうと思う。
もちろん、総督閣下を含めたローレンツ様達もそのようにお考えで、国の予算が足りないと分かっていても、打ち切りは最初から考えておられない。
堤防工事が完成後に得られる土地への入植も、畑を作ったからってすぐに収入が得られるわけじゃないし、安定した職として人々を吸収しつつ、人件費の圧縮も同時に狙えるリフィッシュの加工場は、かなり期待されていた。
さてそのリフィッシュ指導の日、久しぶりにレシュフェルトの加工場に顔を出せば、かなり様変わりしていた。
「リディ様、お待ちしてましたよ!」
「ご無沙汰でした、カティアさん。なんか、すごく大がかりになってますね……」
「ええ、そうでしょうとも!」
私が知らない間に、ファルケンディークから出稼ぎの人を受け入れてたらしい。
そのお陰で、各領や村から製法を習いに来た人まで含めて、五十人近くの人々で大混雑している。
「製法はお外に出すなって話も、ちゃんと聞いてますよ」
「流すとリフィッシュの値が下がっちまうから、余所者には気を付けろってね」
産業スパイについては、メルヒオル様の方の領分だ。
総督府令として出された布告は、怪しい人が作業場に近づいたら通報すること、そして中身を聞かれても答えないってことぐらいだけど、理由が『リフィッシュの値が下がる』になってるから、皆さんも真面目に受け止めてる。……ほんとに生活が掛かってるもんね。
「さあ、今日も一日頑張るかね」
「あいよ!」
私は発案者兼責任者って立場で呼ばれただけで、教えるのはレシュフェルトの奥さん方が中心だ。各地の主担当者と顔を合わせ、新たな裏ごし器と配布する製法のレシピ本を確認すると、大きなお仕事は終わってしまった。
というわけで、私も作業に加わりつつ、大人数の間を行き来する。
「お魚の種類で、塩の量は変わります。自信がなければ、混ぜる前にレシピで確認して下さいね。読めなければ、代官か誰かをつかまえて聞いて下さい」
レシピの冊子は、もちろん手書きだった。
版木を作ったりするほど数はいらないし、書類仕事の練習を兼ねて騎士様達が作成したと、後からアリーセに教えて貰ったよ。
書式に合わせて書いてあるか、字体が統一されているか、厳しくチェックしたらしい。
おまけに識字率の問題もあるので、それを補うための魚や道具の絵など、苦労も多かったそうだ。
「小骨は面倒でも、丁寧に取るんだよ。後で削る時に引っかかっちゃう」
「食べてもゴリってなるし、評判に関わるからね。……それが値段に響くんだから、ほんとに気を付けるんだよ」
皆さん、生活の向上がかかってるせいもあって、目が真剣だ。
カティアさんも、みんな覚えがいいと頷いている。
「代官様、こんな感じでいいんですよね?」
「はい、大丈夫ですよ、ヘロルドさん。きちんと決まった型に合わせておくと、干す前の削りの作業が楽になるんです」
いつものようにお魚を捌いてから、ちょっと面倒な『調理』の工程が重なるだけで、それほど難しいことを覚えて貰ってるわけじゃない。
大雑把にくくると似たようなお料理になるお魚のつみれ団子なら、こちらでも元々食べられているし、家庭料理よりも多少複雑で量が多いってだけで、蒸し料理や干物なら皆さん馴染みがある。
元よりここは海際の土地で、リフィッシュそのものに忌避感を抱く人はいなかった。
でも、本気度が違うと分かって、私の方が気後れしてしまうぐらいだったよ……。




