第五十二話「視察」
第五十二話「視察」
「邪魔するぜ」
「こんにちは、ファルコさん」
落葉月の下旬から年の瀬までのひと月ほどは、単調ながらもそれなりに充実した日々が続いた。
村内の土木工事は、第一期完成って感じかな。
実際の効果よりも、ノイエフレーリヒに新風が吹きつつあることが見て分かる、ってことが重要だったり。
「へえ、本当に地下室作ってんだな」
「今年中には、地下部分だけでも仕上げたいんで頑張ってます」
漁具か船の部品だろう長い棒を何本も抱えたファルコさんは、珍妙なモノを見るような目で、私と日干し煉瓦の型枠を見比べた。
これらは全部、地下室の壁材だ。
最近は、ほぼこの作業に費やしている。
「ところで、どうかなさったんですか?」
「魔法仕事の予約を頼みたいんだがよ、何時なら空いてる?」
「今週は明後日以外なら大丈夫です。視察に来る騎士様のお相手があるので……」
「ああ、あれか」
先週も騎士エミールと騎士エアハルトがノイエフレーリヒまで視察に来たけれど、字面から想像するほど堅苦しいものじゃない。
私と一緒に出勤して代官のお仕事を学ぶということになってたけれど、視察に名を借りた領地見学と、騎士様達への息抜きも兼ねていた。
メルヒオル様からも『気分転換になればいい』と言われているので、公認の息抜きである。
ただ残念なことに、ノイエフレーリヒの代官所は閑古鳥が鳴いていて、まともな領地仕事があるわけじゃない。
前任者の日誌や帳簿を取り出して基本の書類仕事、たとえば出生届けの受付や税の徴収の手順を説明し、高札に張り出した『本日は総督府から視察団が派遣されてきます』という触書について公布やその取り扱いを報告書まで作るところまで見せ、村のあちこちを連れ回して各産業を見学して貰った。
「お仕事の内容は、なんですか?」
「漁船を一艘、ケヴィンの工房まで運んで貰いてえんだ。いつもだと、漁師総出で半日仕事になりやがる。……ああ、金はババアんところから貰ってくれ」
代官のお仕事とは違い、魔法仕事の依頼はちょくちょく入るようになっていた。
料金の方は、魔法抜きで何人投入して何日掛かる仕事かを計算して、その代金が決められる。仕事の量を現すのに使う、人日というあれだ。
人日計算が現代的ってこともなくて、こちらじゃ金銭による徴税以外にも、収穫を直接納入する物納、そして賦役、つまりは労働力による納税が存在していて、詳細が決められているもの当然なのである。
もちろん、総督府が公認する南大陸の相場ということで、一人一日当たりの労賃が十五ペニヒの規定とされていた。
「フラウエンロープ号ならちょっと準備が必要ですけど、漁船の移動ならいつでもいいですよ」
「待て、ありゃあ外洋船なら小型の部類だが、相応にでけえぞ。動かせんのか!?」
「出来ますよ」
大型のゴーレムを六体ぐらい用意して、少しづつ順番に動かすっていう裏技的なやりかたになるけど、『あのぐらい』なら出来なくはないと思う。……ものすごく、ゆっくりになるけどね。
「はあ、あんたにゃ勝てる気がしねえよ。……船は明日の朝頼む」
「はーい、毎度どうも!」
呆れた様子でため息をついたファルコさんは、肩をすくめて帰っていった。
でも、漁師さん全員の半日仕事っていうと、結構な金額になる。
六十人の半日仕事なら六十人×十五ペニヒの半分で四百五十ペニヒ、本当にいいのかなと思って、イゾルデお婆ちゃんに確かめた。
「あたしの入れ知恵だからね、いいに決まってるよ」
「え?」
「こっちにも考えがあってのことさね」
漁師衆に半日仕事を休ませると、当然その分の漁獲高が減る。
けれど、魔法のお仕事は一人十五ペニヒ計算なのに対して、漁師の収入は今の時期なら一日二十五ペニヒ前後と、私に魔法を頼む方がお得になるそうだ。
漁師さんの収入は年間の平均なら一日二十ペニヒだけど、毎日漁に出られるわけじゃない。悪天候だけでなく、漁具や漁船の整備もあるからね。
「じゃあ、安心してその金額でお引き受けします」
「ああ、頼んだよ」
本当は何某かの理由を付けて値引きしたいけれど、他の魔法使いの手前もある。
規定の金額を規定通りに貰わないと、後で揉める可能性がとても高くなるのだ。
こちらでは、村に限らず魔法を使える人が少ない。
職業人として魔法使いを名乗っているのは、総督府関係者を除けばたったの二人で、それぞれリンテレンでの伐採と、ファルケンディークの土木工事に従事していた。
魔法使いが少ない理由は、とても分かり易い。
わざわざ賃金のお安い辺境の開拓地に引っ越さなくても、魔法使いは食べていけるからだ。
その二人にしても、鉱山送りになる寸前だった元盗賊と、新領土管区に配属されてこちらで結婚後に除隊した元兵士だった。
私やアリーセ達はと言えば、政治的理由で移住しにきたわけで、人材という意味でも、ここは辺境なのである。
移民を募集すれば、必ず誰かがやって来るなんてわけがない。
私は出世したいと思って実家を出たけれど、ローレンツ様のそばに居たいからここに来たのであって、辺境に行きたいからローレンツ様に着いてきたんじゃなかった。
元の生活を捨てて、新天地で一旗揚げようとするのは、とても勇気が必要な決断だ。
ましてや有用な人材なんて、居心地のいい場所は、幾らでも選べる。それこそ政治的理由で立場を追われるとか、戦争の敗者とか、相応の理由がないとこちらには来ないだろう。
その辺りが、メルヒオル様の口にされた北大陸の戦乱と、それが原因で発生する避難民や亡命者に繋がる。期待……って言ってしまうと、私の中の倫理観ではちょっと疑問符がつくけれど、それさえも取り込む努力をしなきゃならないのが、今のレシュフェルトだ。
もちろん、来るかどうか分からない移民者だけに、期待を掛けるわけにもいかなかった。
では、どうするか?
今いる大人達だけで何とかやりくりしつつ、将来の大人である子供達の中から、官僚の卵だけでなく魔法使いの卵を見出し、優遇をしてでも育てるしかない。
だからこそ、アリーセは形も何もない今の内から王立学院長に指名されていたし、子守半分でもアンネマリーさんは私塾を開いている。
じゃあ私はと言えば、今をやりくりする為の即戦力として、ノイエフレーリヒを盛り上げるのが一番良さそうかなと、思っていたりするわけだ。
さて、視察の当日。
私は予定外の同行者に驚き、慌てた。
「今日は一日よろしく頼むよ」
「は、はい、ローレンツ様っ!」
当然、お忍び姿のローレンツ様以外にも護衛の人数が増えて、メルヒオル様まで含めた六名様の大所帯になっている。
露払いの騎士ニコラスを先頭に、かぽかぽと列を作ってノイエフレーリヒに向かった。
珍しく、アンスヘルム様は休暇を頂戴されている。
護衛については、騎士だけでなく私もいるから大丈夫、とのことらしい。こういう機会でもないと、本当にお休みがないからね、アンスヘルム様。いつもご苦労様です。
「前回の訪問はヘロルド代官との対話に終始していたからね、ノイエフレーリヒは大きく変わったと聞くし、もう一度、見てみようと思ったんだ。もちろん、メルヒオルも気にしている」
「言うまでもなく、ノイエフレーリヒの発展は望ましいことだが、他領の参考になれば、尚のこと嬉しい」
「ありがとうございます」
何の準備もしていないけれど、見て貰うだけなら、まあいいかなあ。
……日干し煉瓦の作業で代官所の庭が半分工事中だけど、当日になって決まったことなので、片付けている暇がなかった。
「リディ、これが例の井戸かい?」
「はい。『領内整備』の一環ですが、石積みと汲み場は、農家のまとめ役マルセル氏らの努力によるものです」
村に向かうと、一番最初に行き会う施設は、畑と放牧地と井戸になる。
馬から下りた騎士様達は井戸を覗き込んだりしているけれど、メルヒオル様だけが首を捻っていた。
「聞いていたよりもしっかりしているな。それに、畑は十モルゲンほどだと資料にはあったが……随分と広くないか、リヒャルディーネ嬢?」
「毎年、徐々に広げていると聞いていますが、代官所の記録でも、十モルゲンだったと思います」
「測量……いや、これはまだ時期尚早か。ふむ……」
モルゲンは面積の単位で、目算でだいたい小学校のプール四つ分ぐらい……でいいのかな、大体そのぐらいの広さになる。北大陸じゃ、一モルゲンの麦畑なら百プフント――四十五キログラムの収穫が得られれば、並の畑と見なされた。
「代官様!」
「おはようございます、マルセルさん!」
「……あの、何事か起きたのですか?」
「いえ、この間と同じ、視察です」
胸をなで下ろすマルセルさんに、いつも通りでいいですよとお仕事に戻って貰い、集落へと向かう。
ローレンツ様はお忍び中なので、ご紹介はしなくてよかった。
「道は確かに良くなっているね。……リディが全部一人で?」
「もちろんです。皆さんに約束しましたから。あの洗い場も、頑張りました!」
代官所に到着すると、流石に苦笑されたけどね。
「……リディ、君はお城でも建てる気なのかい?」
「いえ、作業場の他に、貯蔵庫も欲しいなと思いまして……」
地下室の増設は許可も取っていたし、口頭での報告も欠かしていないので、怒られることはなかったけど、夜露を避ける筵を被せた日干し煉瓦の山が謎のオブジェ状態になっていて、皆さんを呆れさせた。
干し終わった分は積めるけど、型枠で作業中の方は積み重ねにも限度があるので仕方がない。
「厩舎は小さいので、綱を持ってきますね。……あ、イゾルデさん、おはようございます!」
「おはようさん。こりゃまた、大人数だね」
「あはは、急に増えちゃいまして……」
騒ぎってほどでもないけど、私も含めて騎馬七騎の集団に、朝から何事かと出てらしたんだと思う。
騎士の一団を見回して、呆れた様子のイゾルデさんだったけど……。
「グレゴール!?」
「へ!?」
メルヒオル様を見たイゾルデさんが、表情が固まるほど驚いていた。
いやまあ、氷の貴公子って感じの美しいお顔立ちではあるけど、メルヒオル様はグレゴールさんじゃない。
でも……すぐに視線を逸らしたイゾルデさんは気付かなかったけど、メルヒオル様まで驚いた顔になっている。
ただ、口にした名前も違ったし、お知り合いにしては態度がおかしいような……。
「って、そんな筈ないさね。失礼したね、騎士様」
「お気になさらず、イゾルデ殿。……いえ、イゾルデ・ヴァルトラウト・フォン・テーグリヒスベック殿」
メルヒオル様はその名を言い切られたけれど、イゾルデさんのお顔には、正解だと書いてある。
もちろん、テーグリヒスベックはメルヒオル様の家の名で、私は思わず、ローレンツ様とお顔を見合わせた。
「!? あんた、どうして……」
「グレゴールは我が父の名、そして貴女が私の顔を見て驚いたように……貴女は我が祖母ルーツィンデに、驚くほどよく似ていらっしゃる」
メルヒオル様はイゾルデさんの手を取って、押し頂いた。
「……よくぞ、生きていらっしゃいました、イゾルデ様」
「……大仰だねえ」
イゾルデさんは、しばらく表情の選択に困っていらしたけれど、やがて、やれやれといった風に私に小さく頷かれた。
メルヒオル様に伸ばされた手が、くしゃりとその銀の髪を撫でる。
視察どころじゃなくなってしまったけど、お二人の表情を見れば、まあいいかって気分ではあった。
でも、ローレンツ様まで少し嬉しそうな表情でメルヒオル様とイゾルデさんを見ていらしたので、後から聞いてみようと思う。




