第四十九話「最初の一手」
第四十九話「最初の一手」
さて、村には大きな余裕なんてないけれど、案外、探せば何か一つぐらいは商売の種が見つかりそうな気もしている私だった。
私は山育ちで、海の際で暮らすってだけでも、わくわくしてしまうところがある。
特に魚料理は、あれこれ試してみたかったり。
リフィッシュだけってこともなく、他にも何かあればいいんだけどね。
でもそれは、もう少し先の話だ。
「さて、と。……話ついでだ、船にも乗るか?」
「今日は書き物がまだまだ残ってますから駄目ですけど、そのうち、本当に乗せてくださいね」
「おう!」
午後の漁に出るというファルコさんについて、港に向かう。
道中、漁港――浜の船だまりや漁のことについて、あれこれと教えてもらった。
「岬一つ分の距離だからな、こことヴィ……じゃねえや、レシュフェルトじゃ、獲れる魚も大して変わらんさ。もちろん、ファルケンディークは別だぜ」
「河口があるから、ですか?」
「正解だ。ついでに洲もでっけえからな、あっちは」
でも肝心の、私が一番知りたい売り上げ高のことになると、ファルコさんはしどろもどろになった。
「覚えてねえ。そのあたりは、全部ババアに任せてる」
「じゃあ、代官所の記録を探しますよ。組合長として、報告してますよね?」
「代官にゃ、報告してねえよ」
「へ?」
「年末に一人頭半グルデン、人数と戸籍簿と現金が合ってりゃ、誰も文句をつけねえからな」
あー……。
もちろんノイエフレーリヒは、そのやり方で誰も困らない村だった。
魚の種類はともかく、季節ごとの水揚げ量は、多いか少ないかしか分からなかったので、村に戻ってイゾルデさんの家に向かい、理由を話して出納簿を出して貰う。
今の段階では、個人の収入を聞いて回る意味はなかった。
まずはこの村に入ってくる現金の総量を増やさないと、どうしようもない。
個別の対応は、もっと後のお話になる。
「まあ、ファルコは腕っ節は強くても数字に強いってわけじゃないから、仕方ないさね。あの馬鹿だけじゃないけれど、覚えようって気概のある若造もいやしない」
「あらら……」
私の幼馴染、クリストフやグレーテも、勉強が好きかというと、決してそんなことはなかった。
必要最低限は無理やり詰め込んだけど、もっと上手く教えてあげられれば好きになっていたかもと、いまさら思い出してしまう。
でも、私のように、幼児の時の暇つぶしが主目的っていうのも、あんまりと言えばあんまりか。
それら思い出はちょっと横に置いて、早速、藁紙に必要な部分を写させて貰う。
「でもイゾルデさん、良かったんですか?」
「何がだい?」
「こんな簡単に、大事な帳簿を見せて貰ってもいいのかな、って」
「あんたを逃がすと、後がないからね」
「……えっと、頑張ります」
ぱらぱらと帳簿をめくれば、中はとても整理されていた。
聞くのは躊躇われるけれど、イゾルデさんは本当にいいところのお嬢さんだったんじゃないのかな……。
取引相手の多くはフラウエンロープ号になっていて、組合を通す……というか、イゾルデさんが窓口になっているようだ。
記録が取られ始めたのはここ二十年ぐらい……先代領主が国に帰ってからのようだけど、メインの干物の他にも、山羊肉やミレ酒、炭がレシュフェルトに『輸出』されていて、村の総収入は年に二千グルデン少々になっている。
ただ……村の規模は大きいけれど、総額となると、実家オルフよりかなり低い。
先が思いやられるけれど、お爺ちゃん達だって最初は出稼ぎ主体で食べてたって言ってたから、スタート地点だと思うことにしよう。
えっと、二千グルデンを二百人で割り算して、一人頭の年収は十グルデンになるから……。
「一グルデンが七百二十ペニヒで……えー、七千二百の、三百六十五……めんどくさいから三百六十で割って……二十!?」
ささっと計算して出てきた日収は、二十ペニヒ。
これは、割と……衝撃かもしれない。
昼食が三ペニヒ、夜は大体その倍としても、小さいジョッキのミレ酒を一杯付ければ、それだけで十ペニヒだ。
当然、残りの十ペニヒから、漁具の手入れ代や洗濯の手間賃まで、暮らす為のお金を出さなきゃならなかった。
そりゃあ、人頭税を本国の半額にした上で他の税も免除してしかるべきと、総督府が判断を下すわけだ。
日割りにすれば税は一日一ペニヒ、現状でも本当にぎりぎりじゃないかな……。
「……さて、こっちは、と」
次に支出だけど、やっぱり食料品が主体で、小麦粉が一番に来て、蕎麦粉が続いていた。
その他、キャベツの酢漬けや根菜類のような日持ちするお野菜が並んでいる。
それから、日用雑貨や衣類が残りの大半を占めていた。
これら、出ていくお金を減らして村の中で回すのも効果的なんだけど、もちろん、一足飛びに減らせるわけがない。
当然、減らすのは村から出ていくお金だけ、供給量は維持しなくちゃいけないわけで、そこがとても難しいのだ。
男物の上着を繕うイゾルデさんの向かいで、私は藁紙にあれこれと書き散らしていった。
およそ一刻、二時間ぐらいは真剣に帳簿と向き合っていたけれど、休憩だよと、イゾルデさんがハーブティーを入れてくれた。
これも村で作られているというか、そのへんに自生しているクナーケという低木の葉を摘み、乾燥させただけのものだ。
味はレモン系の酸っぱさなんだけど、かなり渋みが強かった。美味とは言えないけれど飲めなくもないっていう、ちょっと惜しいところがいかにも南大陸らしい。
「どうだったね?」
「はい、何とか。目指す方向が、少し見えてきたかもしれません」
「……しかし、沢山書いたねえ」
「色々書いてますけど、今出来ることは少ないなって」
とりあえず、いきなり大きな負担を強いると、失敗した場合に取り返しがつかなくなることぐらいは、私でも知っている。
リフィッシュも最初は『お試し』から始めたわけで、今回も初手は同じだ。
「決まりってわけでもないんですが、ミレ酒の仕込みを増やしたいなと、考えています。もちろん、ミレの作付けも。あ、マルセルさんに相談するのが先かな」
「ああ、ミレ酒もマルセルが仕切ってるよ。……でも、どうしてミレ酒を選んだんだい?」
「お酒は腐りにくいのと、仕込みに時間がかかるからですよ。それに、今作られているものを増やすのは、新しい何かに取り組むよりも格段に難易度が下がるので、手を付けやすいはずなんです」
エールやワインが手に入らないこちらじゃ、ミレ酒はほぼ唯一のお酒だ。
正直なところ、上等な味とは言えないし、ミレ独特の癖――穀物のにおいも強いけれど、間違いなくお酒の味がする。
食品の中では日持ちはする方だし、日々のお楽しみにもなっていた。
しかもこのミレ酒、帳簿を見れば『南の風』亭で飲まれるだけでなく、レシュフェルトやファルケンディークの街が買ってくれている。
あちらにも畑はあるけれど、買ってくれるってことは向こうの作り手だけじゃ需要を満たせていないわけで、リフィッシュが外に売られるのに対して、ミレ酒は内需向けってところかな。
ついでに言えば、デニスさんのパン屋にミレが売られる量も徐々に増えていたから、ミレは年々増産されていると分かってこれも都合がいい。
「みんなには、内緒のお話になりますが……」
「……なんだい?」
「リフィッシュは他の村でも作るので、他の村の人も懐が暖かくなります。ちょっと小銭が増える程度ですけど、そうすると……」
「はあ、大概の大人は、『飲む』ってわけだね。……見かけによらず、策士だねえ」
そんな話をすると、イゾルデさんもふんふんと頷いてにやりと笑い、褒めてくれた。……呆れたんじゃなくて、褒めてくれたんだと思う。
でも実は、ミレ酒の仕込みを増やして貰う理由、もう一つあったりして。
ふっふっふ、こっちはまだ、誰にも内緒だけどね。
「一足飛びには無理だろうなと思いますが、マルセルさんも年々畑を広げておられますよね?」
「ええ、そりゃあ……飢えは恐いですからな」
帰り道、レシュフェルトに戻る途中で畑のマルセルさんに声を掛け、早速ミレとミレ酒の増産について相談してみた。
「私は昨日、村内の道路工事をすると宣言しました。えーっと、ぶっちゃけますけど……その工事の最中に、邪魔な大岩を砕いたり、休憩によさげな場所へと木を植えたり、水脈次第ですが井戸を掘ったりも出来るわけです」
「井戸!?」
岬から続くなだらかな斜面の畑は、日当たりと水はけは抜群なんだけど、何が大変かって水やりが一苦労だ。
村の小川から運んでくるのはもちろん人力で、距離もそこそこあった。
「あ、輪作で畑と放牧地を交替する時のことを考えると、道沿いの方がいいのかな」
「そりゃ、その方が助かりますが……」
マルセルさんが帽子を脱いで、頭をがしがしと掻いた。
「ええい、こちらもぶっちゃけますと、水運びが畑の限界なんですよ。運ぶ距離が短くなるなら、増収はいけます!」
「おおー!」
ついでに、羊も増やせるそうだ。
どうしてかと言えば、収穫したミレの茎や葉は、麦藁のような細工物には使えないけれど、そのまま羊に食べさせたり、乾燥させて貯蔵飼料にするらしい。
……よし、ミレの増産は、リフィッシュに加えて最初のスイッチになりそうだ。
「もしも水脈が見つからなかったら……そうですね、少々大がかりになりますけど、小川の上流から分水路を引いてもいいかと思います」
「大工事になりすぎやしませんか?」
「んー、時間は掛かると思いますけど、水路を掘るのは私じゃなくてゴーレムですから、大丈夫ですよ」
私はマルセルさんと、少々長い立ち話をして、明日から道路工事のついでに水脈を探すと約束した。




