第五話「いざ、アールベルクへ」
引継や挨拶で忙しく過ごしつつ、準備を進めていた四日後。
街から戻ってきた父さんは、嬉しい知らせを持ち帰ってくれた。
「リディ、代官殿は快くご許可を下さったぞ! 庁舎の下働きだが、僅かながら給金も出して貰えるそうだ」
「ありがと、父さん!」
アールベルクを治める代官は男爵閣下で、お爺ちゃんの友達だと聞いたことがあった。私はもちろん会ったことがないのでどんな人か知らないけれど、お爺ちゃんの話では豪快な軍人肌の人物だという。
「それでな……」
「何かあったの?」
「明日送って行くから、今夜中に用意しなさい。庁舎の倉庫が新築中で、人手が足りないそうだ」
「……へ!?」
そんな急に……と思ったけれど、父さんも困り顔だった。
こちらが娘を出仕させてくれと頼んだ手前、時期までは言い出しにくいよね。
「いい機会じゃないか、リディ」
「お爺ちゃん?」
「荷運びの魔法なら得意だろう、そっちも上手いと売り込んでおいで」
「あ!」
「ふふ、まだまだ父上には敵いませんね」
にやりと笑ったお爺ちゃん、流石はしたたかだ。
傭兵仕事で領地をぶん取ってきちゃうぐらいだもんね、そういうところは見習いたい。
「リディ、今日は家事しなくていいから、用意に行っといで」
「もう殆ど調ってるだろうけど、忘れ物ないようにね」
「そうなのか?」
「リディったら、父さんが出掛けた日にはもう旅行李の用意してたものね」
「ああ父上、形だけですが推薦状の用意を願います。私が書いたものより『威力』があるでしょうから」
「うむ、すぐに書こう」
私は家族からそれぞれに声を掛けられ、自分の部屋へと追い出された。
翌日、私は家族だけでなく村人総出で見送られ、照れくさいながらも嬉しい気分で、父さんの乗る馬の前に跨った。
「お嬢、頑張って下さい!」
「いってらっしゃい!」
「リディお姉ちゃん!」
あんまり上手くないけど、実は私も馬には乗れる。
だけど、うちの家には私専用の馬なんかいないので、私を送った後は誰かが乗って帰らなきゃいけなかった。仕方がないけど、三日で一往復半の父さんにはちょっと申し訳ない。
「気を付けてな」
「無茶はしないでね」
「どちらにしても、一度は戻っておいで」
「うん、ありがと。……いってきます!」
朝早く集まってくれたみんなに帽子を振ると、父さんが馬を出した。
かっぽかっぽと進むその背の上で、もう一度振り返る。
思い出もいっぱいあるけれど、約束に向かって頑張らなきゃ。
クリストフとグレーテが、小走りに追いかけてきている。……って、グレーテが躓いた。
「グレーテ!?」
すぐに振り向いたクリストフがグレーテを助け起こし、なんでもないと首を振ったところで、二人の姿は見えなくなった。
「リディ、飛ばすぞ」
「……うん」
アールベルクの街までは、荷馬車で片道一日半かかる。騎乗とはいうものの、その道のりを今日中に走りきらなきゃならないから、少し急ぐのが通例だった。
お昼には少々早いけど、途中の村で水を貰って母さん達が用意してくれた薄パンの挟み物を食べ、麦畑と牧草地で覆われた平野と丘の続く道に入った頃には、馬の足取りも軽くなった。
「父さん」
「うん?」
「うちも麦畑、欲しいよね」
「まあ、そうだな。しかし、代わりに山野草が豊富だ。今は野菜畑もあるし、麦畑も……なくて困ることはないが、無理して損するよりはましだろうさ」
「うん……」
うちの村はそこそこ標高が高く、寒すぎて麦が育たないので、鹿革を『輸出』して小麦粉やそば粉を『輸入』している。
これを何とかしたいなあなんて、昔から思っていたけれど、魔法で少量の水を生み出すことは出来ても、流石に穀物を育てられるように気候や天気を変えるなんてことは無理だった。産品を作って麦を買えるように流れをつけたお爺ちゃん達の努力は本物で、一足飛びには上手く行かなかっただろうなと私も思う。
……なんて、領地を得たつもりで考えてみたりはするけれど、取らぬ狸の皮算用ここに極まれりだ。
それでも、夢は大きく持たなきゃね。
「それよりもだ、リディ」
「父さん?」
「アールベルクの庁舎でどんな仕事が待っているか、気にならないのかい?」
「んー、下働きだって聞いてるから、言われたことを真面目にやるだけ、じゃないのかな。工房のお仕事よりは大変だと思うけど、私だけが大変ってことにはならないと思うよ。これでも一応、地方領主のお嬢様だもん」
「ふむ……。体にだけは気をつけるんだぞ」
「うん。ありがと、父さん」
間違っても下働きの子供に責任ある仕事なんて任せないだろうし、少々忙しくても走り回っていれば終わる仕事だろうね。……と、私は高を括っている。
但し、これはとても大事なことだった。
信用を積み重ねていく最初の一歩から、躓いてはいられない。
だからとにかく食らいついていこうと、その時は思っていた。
夕方前、日が傾き始めた頃になって、ようやくアールベルクの街が見えてきた。
この街は商店だけでなく常設の市場もあれば、人口も千五百人とこのあたりじゃ一番大きな街で、代官も格上の男爵様なら王国から派遣された衛兵隊の駐屯地まであるという地方の中心地だった。
街の真ん中にある大通りにはレンガ造りの二階建て三階建ての建物が並び、まばらながらも人々が行きかう。……夕方でも人が途切れないことが、そもそもすごいんだけどね。流石は地方の『大都会』だ。
「やっぱり、大きいね」
「そうだな。だが父上にいわく、これでも王都の街区一つ分より小さいらしいぞ」
「へえ……」
私も父さんやお爺ちゃんに連れられ、三度ぐらいは来たことがある。……そもそも長距離の移動なんて、商人や御者、傭兵のような職業にでもついていなければ、必要がないのだ。
平民じゃ『遊びに行く』のは遠くても徒歩か荷馬車で一日二日の親戚の家が関の山、『旅行』なんて、それこそ貴族の特権かもしれない。
うちの父さんは時々家を空けるけど、地方を治めるお代官様への挨拶伺いや領政の報告は義務なので、領主仕事の一つになる。
ありものを食べ、流行ものは旅商人の言うがまま、日々のお楽しみは代わり映えのない安酒と夕食の残りをアレンジした肴で、お祭りや誰かの結婚式でもないと、特別な贅沢は誰も考えなかった。
だから私も贅沢はしない……ってわけじゃなくて、そもそも子供の身じゃ出来ないし、今の暮らしじゃ何が贅沢かといえば、旱魃でも飢えずにやり過ごせたり、寒い冬でも毛布が一枚余計に使えたりって、そんなことだと気づいたせいでもある。
大人の食事とは別に、小さい子の為に重湯の離乳食を用意することはあっても、その日の気分で夕食のメニューが選べるなんてありえない。
出来合いの服が何百何十も用意された店なんて、地方一の都会にさえなかった。
そもそも私は領主一家の三女で、今の暮らしは庶民から羨まれるほどだった。
……成り上がり宣言をしてからこちら、そんな私が更に成り上がってもいいのかって、合間に少し考えたりもする。
もちろん、必ず成り上がれると決まってるはずないし、今より酷い事になったりする可能性もゼロじゃない。
前向きな夢でもあるし、悪事を働くつもりは全くないけれど、少しだけ、後ろめたい気分も抱えている。
現代知識って、実はちょっとどころでなく、ずるい。
グレーテには誤魔化したけれど、何かにつけ、とても大事なことのその先を努力なしに知っていること、洗練された考え方と発想を教育されていることの強みは、とんでもないと思う。
これが逆に、私の現代知識がぜんぜん役に立たないほどの未来……たとえば車の代わりに自家用の宇宙船が普通の未来社会に生まれ変わっていたとしたら、どうなってたかな。
あるいは、現代そのまんまの世界だったら……。
ほんと、どうなってただろう。
その恵まれた状況の中、この世界の魔法も人並み以上に使えてしまう私だった。
……結局、開き直りなのかな。
お爺ちゃんから言われたご先祖様の家訓を守って、悪いことさえしなければ、何やってもいいって思っている自分もいた。
ずるさで言うなら今の時点でもう十分ずるいんだし、悩んだって『私は私』、何かが変わるわけじゃない。
だったら明るく行こうじゃないのさ、がんばれ私。
その日は父さんと食事付きの安宿で一泊し、翌朝、どこぞのお嬢様……ってほど上等じゃないけどそこそこのお出かけ着に着替えて、庁舎を訪問した。
外から見たことはあるけれど、代官屋敷、王軍の衛兵駐屯地と並んでアールベルクじゃ一番大きな建物の一つだ。
……うちの屋敷なら、十個は余裕で入りそうなほど大きい。
「どうぞ、こちらであります」
「ありがとう、クロイツ。……一昨日に続き、すまないね」
「いえ、ありがとうございます、ランドルフ様」
父さんと顔見知りらしい衛兵さんに連れられ、立派な廊下を奥へ奥へと歩いていく。
ブレザーっぽい外掛けにスカーフっぽい広がったネクタイと少し膨らんだズボン姿の文官さんや、かわいいお仕着せのメイドさんが立ち働く姿には、ちょっと驚いた。
田舎にはふさわしくない……って言うと失礼だけど、とても『都会的』な感じがする。
「誰か!」
「庁舎門衛、伍勤衛兵クロイツであります! オルフ領主ランドルフ殿、および、ご息女をご案内いたしました!」
「よろしい! 領主殿、ご訪問の連絡は受けております。……おい!」
「はっ! 失礼いたします、閣下! オルフの領主殿が参られました!」
『うむ』
うわ、『閣下』とか初めて聞いたよ。
それに、なんだか物々しい雰囲気だ。父さんはいつも通りだけど。
……後で聞いたら、田舎のアールベルクじゃ訪問客への対応も訓練のうちで、新兵さんが転属先でも困らないようにここでしっかり覚えさせるって理由から、余所よりも礼儀作法に厳しいそうだ。
ぎいと両開きの扉が開かれ、父さんに続いて中に入る。
って、でかっ!?
執務机の向こうに座ってらっしゃるから間違いないと思うけど、男爵閣下、めちゃくちゃ大きい。
白髪頭なのでそれなりのお年なんだろうけど、横幅もすごいし身長は二メートルぐらいありそうで、それに合わせてあるのか、机も大きいし部屋も広かった。
「おお、ランドルフ。待ちかねたぞ。そちらが話にあった娘さんかい?」
「はい、閣下。……リディ」
「はい、『お父様』」
おっと、じっと見てる場合じゃない。
……流石に無礼は出来ないので、にわか仕込みの礼をとる。
「お初にお目にかかります、男爵閣下。ランドルフ・バルド・フォン・オルフが三女、リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・オルフにございます」
「うむ。アールベルク代官、バシリウス・フォン・ベーレンブルッフだ。知恵者のリディのことは、アロイスの手紙によく書いてあったから、会えるのを楽しみにしていた」
「……へ? って、ごめんなさい、失礼しましたっ!」
ひとしきり豪快に笑った男爵閣下が呼び鈴を振ると、すぐに奥の間からメイドさんが出てきた。
「彼女が例の『雷剣』アロイス殿の孫娘だ。丁重にな」
「はい、畏まりました。……どうぞこちらへ、リヒャルディーネ様」
お爺ちゃんの二つ名って、初めて聞いたよ。この近所じゃ有名なんだぞなんて笑ってたのに、教えてくれなかったんだから仕方ない。
「はい、ありがとうございます。男爵閣下、お父様、失礼いたします。……お願いします」
父さんとの挨拶は、もう済ませている。
出来る女って感じのメイドさんに連れられて、私は執務室を後にした。