第四十二話「去る人々、残る人々」
第四十二話「去る人々、残る人々」
ムッシェルハーフェンの艦隊が来た翌日は、総督府宿舎のお引っ越しと大掃除で一日が潰れてしまった。
今日は私もリフィッシュ作業から外して貰い、お引っ越しのお手伝いである。
「旅行李は、必ず名札を確認せよ!」
「不要な私物は食堂だ! ゴミは宿舎入り口に立て札がある!」
ギルベルタさんや騎士さん達がやって来たのと引き替えに、兵隊さんや役人さんの大半は本国に帰ってしまう。
仕方がないけれど、せっかく仲良くなれたのに、少し寂しい。
「女官殿、お願いします!」
「はい、いきます! ……【浮遊】【魔手】」
昨日とは逆に、陸側から運び出される荷物を、小型船でプリンツ・アーダルベルト号に送り出す。
やっぱり、大型船の入れる大きな港の一つぐらいは欲しいなあなんて、考えがよぎる。
桟橋と渡り板で荷役が済ませられる利便性は分かっていても、その大きな港を作り上げて維持出来る国力がないと、夢物語にしかならない。
「よし、次の一便を送り出したら休憩にするぞ!」
「うっす!」
荷造りはしばらく前から進められていたけれど、引っ越す人数が多いだけあって、荷物の量も多い。
夕方、炊き出しの準備をする頃には、へとへとになっていた。
「リディ、手伝いに来たわよ!」
「アリーセ!」
「宿舎の方は何とかなったわ!」
兵士の皆さんは示し合わせて、今夜はプリンツ・アーダルベルト号のハンモックで寝てくれるそうだ。
お陰で、家族連れの皆さんも余裕を持って入居することが出来たらしい。
落ち着いてから貸家に移ることになるけれど、家族とともに本国に戻る人もいる。住む家が見つからないってことだけは、避けられそうだ。
「引っ越し、大変だったんじゃない?」
「元々騎士は、手が掛からないわよ。軍人は、命令一つで何処にでも向かうのがお仕事だもの」
田舎に引っ越すことは最初から分かっていたし、まともな寝床と食事さえあれば、文句はないそうだ。
ありがたいけど、あんまりストレスになるようなら……って、それは私やアリーセも一緒か。
「そうだ、リディ」
「ローレンツ様の即位戴冠式、少し遅らせることになったんですって」
「あらら」
「レガリアは届いたけれど、それ以外の準備が間に合わないの。御衣装とか、玉座とか……」
「……」
レガリア――王冠と王錫と宝珠は、王権の象徴だ。
でも、王様になったと宣言する為の式典は、こちらで用意しなくちゃいけない。
もちろん、旧シュテルンベルク王国に比肩するような即位戴冠式が用意できるはずもなく、式典は身の丈にあった極小規模に切りつめ、代わりにレシュフェルト国内全ての街や村を行幸する予定だと聞いていた。……国が小さいので、全部回っても数日で済むのだ。
「形だけでも整える必要があるのよ。メルヒオル様も『国というものは、見栄っ張りなぐらいで丁度いいのだ』と仰っていたけれど、見栄のお陰で余計な面倒事も減るから仕方がないのですって」
「これからが、大変そうだね……」
「一番の効用は戦争の回避だから、疎かに出来ないそうよ」
忙しくなるわねと、アリーセは肩をすくめた。
……うん、難しいことは美人上司に任せよう。
私は現場で頑張る方が、精神的にも良さそうだった。
さて、二日続けて荷役を頑張ったその翌日、プリンツ・アーダルベルト号と小艦隊の出航日。
桟橋には多くの人が詰めかけて、それぞれに別れを惜しんでいた。
「隊長、お世話になりました!」
「うむ、国許に帰っても達者で暮らせよ」
衛兵隊長のお爺ちゃんこと、ルイトポルトさんはこちらに残る。
今更故郷に戻っても居場所がないと、笑い飛ばされていた。
「手紙の件、頼んだぞ」
「はい、お任せ下さい」
ゲーアマン主任政務官も居残り組だ。
こっちで結婚されたそうで、美人の奥さんとかわいい娘さんを置いては行けない。
同じ様な理由で、衛兵隊のインゴマルさんとテオフィルスさんも、残留組だった。
「ふむ、やはり大きな軍船はいいものだな」
「柵以外は、でしょうに」
総督閣下夫妻も、帰国を拒否されている。
ここは派閥争いもなく、気楽で居心地がいいのだと、ご夫婦揃って微笑まれていた。
でも、衛兵隊の二十二名を筆頭に、総督府に勤めていたお役人九名と四人の代官、それからそのご家族の皆さんは、帰国してしまう。
足りなくなった衛兵隊は騎士の皆さんに穴埋めして貰えそうだけど、政務に携わっていた人々の代わりが、どう頑張っても埋めきれない。
私もたぶん、リフィッシュの製造現場から外れて、政務の方に回されそうだ。
騎士様達も、書類仕事に慣れた幾人かは、引き抜かれるだろう。
読み書き算盤、もとい、読み書き算術の三点セットは、それだけで就職できる特技に数えられた。
識字率なんて、現代日本で生活していた頃はほぼ意識しなかったけれど、こちらにはそもそも義務教育すら存在しない。
まだ社会の段階が、そこまで育っていないのだ。
子供は親の手伝いを通して家業を学びつつ社会に慣れるのが普通で、世の中もそれで回っている。
……それこそ、ゼラフィーネ様の家臣団が待ち遠しいぐらいだった。
船を見送り、人々も散って閑散とした港は、とても寂しくなった。
しかしながら、感傷に浸る暇は、今の私達にはない。
「エアハルト、ニコラス、馬を出せ!」
「了解!」
馬に乗った騎士達は、建国の正式な発表と同時に、当面は旧王国の法を適用し皆の生活は今まで通り守られると、布告を出しに行く。
他には、『建国王』であるローレンツ様の紹介や、今後、このヴィルマースドルフの街の名が正式にレシュフェルトと変更されることも記されていた。
これまでも、それとなく建国独立の情報は流されていたけれど、公式発表というものは重要だ。上の人が認めたってことを下々が知ることで、世の中が回りだす。
「こちらはお任せしますね」
「ええ、いってらっしゃいませ」
私はと言えば、今日は会議に呼ばれている。
リフィッシュや荷役や引っ越しに駆けずり回っていた間にも、総督府内では建国の下準備が着々と進んでいた。
朝夕にアリーセから聞かされていたけれど、ほんと、これからが大変だ。
集合時間の少し前、お茶の準備をしておこうと大きい方の会議室に向かえば、もう誰かが居る気配がする。
「あら、リヒャルディーネ様」
「アマルベルガさん!? あ、お手伝いしますね」
「ありがとうございます」
アマルベルガさんは現在、待命中だった。
一昨日やってきた皆さんは、自分の慣れた仕事をそれぞれに見つけるという感じで、正式な配置が決まってるわけじゃない。
レシュフェルトに残る人も確定したのはつい最近だし、役職や配属先も今日の会議で改めて話し合われることになっていた。
しばらくして、書類束を持ったメルヒオル様やアリーセが現れ、総督閣下もいらっしゃった。
「諸君、ご苦労」
最後に、アンスヘルム様とギルベルタさんを従えたローレンツ様がお出ましになって、開式が告げられた。




