第三十八話「リヒャルディーネンフィッシュ」
第三十八話「リヒャルディーネンフィッシュ」
会議の翌日、私はアリーセから研究資金という名のお小遣いを貰い、朝から漁港を訪ねていた。
筆記具を入れた鞄をたすきに掛け、両手には総督府で借りた手桶をぶら下げている。
「失礼しまーす」
「はいよ。……っと、こりゃどうも、女官さま!」
「おはようございます、ウルリッヒさん」
倉庫の隣にある組合の中は、閑散としていた。
もちろん今は漁の時間で、小船はみんな、沖に出ている。
「調子は如何ですか?」
「お陰さまで、もうどこも悪くありゃしません。ついでに腰痛も治ったってことで、久々に俺も漁に出ようかってね!」
ウルリッヒさんは元漁師で、組合の切り盛りをしているお爺ちゃんだ。
ご本人だけでなくお孫さんも治療もしたので、とても感謝されている。
「一応、こっちでも気を付けてやすが、あれから新しい患者が出たって話は、まだありません」
「助かります、ありがとうございます」
「ところで、今日は……」
「はい、この近辺で獲れるお魚について、少し教えていただきたいんですが、大丈夫ですか? あ、もちろん、他のお仕事優先で構いません」
「そりゃあもう、お任せを! 若い衆が漁から戻ってくるまでは、留守番が仕事なもんで! 何からお教えしましょう?」
「じゃあ……」
組合の机を借り、よしっ、と気合を入れて筆記具を広げる。
「えーっと、今の季節によく獲れて、その上で干物などの加工品にしないお魚を教えてください」
「……なんですと!?」
「あと、市場で人気がない種類も知りたいです」
「は……?」
流石にぽかんとされたけど、こちらも今は、実験に手を付ける前の段階だ。
試行錯誤の第一歩だし、私が作りたい品物は、あまり魚の種類を選ばない。
「新しい加工品の原料にしようと思うんですが、出来れば他の加工品は圧迫したくないし、皆さんが食べる分のお魚まで使おうとも思っていないので……」
理由を話すついでに、製法を簡単に伝えると、ウルリッヒさんもすぐに納得してくれた。
教えて貰った幾つかの種類から、よさげなものがすぐに見つかったのは幸いだ。
「そういうことなら、うちの作業場を使ってくだせえ。人手も出しましょう」
「え、いいんですか?」
しかも、協力まで取り付けることが出来た。
「そりゃあ、捨ててた魚が売り物になるかもしれねえなんて話を聞かされりゃ、見てみたくなるってもんで。ただ……」
「はい?」
「今すぐ声が届くわけじゃねえんで、今日のところは大概捨てて帰ってくると思いやす」
「ええ、それは、はい」
組合の裏手、干物を作る加工場は結構な広さで、私が少し間借りする分には大丈夫そうに思えた。
沖に出ている船は、お昼頃には一度帰ってくるそうなので、それまでにお試しで作ってみることにした。
昼になり、ぽつぽつと小船が戻ってくる。
ウルリッヒさんと一緒に、お出迎えだ。
「女官さま、これなら行けると思いやすぜ!」
「あはは、新鮮なお魚が手に入ったからですよ。それに、これは元から美味しい魚を使ったんで、かなり上等に出来てると思います」
漁に出た船が戻ってくるまでどうしようかと思っていたら、ウルリッヒさんが桟橋で適当に魚を釣ってきてくれたお陰で、試作にも手を付ける事が出来ていた。
道具が足りなくて不完全な物になってしまったけれど、漁師さん達にも私が何がしたいかは分かって貰えるはずだ。
「へ? 外道を食うって!?」
「おう! 女官さまのお頼みだ、昼漁の帰りは外道も捨てずに持って帰ってきてくれ」
「や、まあ、大した手間じゃねえが……」
「しかし、美味くなるんですかい?」
「えーっと……美味しい美味しくないのお話も大事なんですが、日持ちさせて売り物に出来るかどうかが問題なんですよ」
別に隠すことでもないし、協力して貰えると助かるので、順序立てて話す。
私が思っていた以上に、皆さん表情が真剣だ。
理由を聞けば、今も作っている干物は生活の柱だけど極端に高値で売れる品じゃないし、少しでも生活が楽になるなら、手間を惜しんでいられないそうで……。
試作の出来云々はともかく、ローレンツ様の仰る国家の破綻とも連動して、ここで暮らす人々にも本当に切実な問題なんだと、小さくため息を飲み込む。
「まずは、これをどうぞ。元になる魚肉の練り蒸しです。売り物にする方は、これを細くして天日で乾かすんですが、こんな感じのものを作るんだなって知って貰えると、嬉しいです」
お皿に盛った蒲鉾――『練り蒸し』を差し出す。
漁師さんはそれぞれ面白そうな顔だったり、おっかなびっくりだったりで、練り蒸しを摘んでいった。
「弾力が面白いな、これ」
「へえ、塩っからいけど悪くねえですよ」
「酒が欲しくなるなあ」
「ああ、酒の肴にも良さそうだ」
そりゃあ、ウルリッヒさんも作っているのを横で見ながら、つみれより手間だなあと零していたぐらいで、元から怪しい物じゃない。
ローレンツ様にもお褒めの言葉を戴いていたし、こっちの人の口にも合うことは知っていたけれど、乗り気になって貰えるのを間近で見ると、私まで嬉しくなる。
「お前ら、これは試作品らしいからな。売りもんにするやつは、こいつを干すそうだ。本格的に動くと忙しくなるってことは、覚悟しとけよ」
「おう!」
「それから、こいつはこの港の独占品じゃねえ。管区全部の港で作る、その先駆けだ。……上手く行くかどうかは、お前らの頑張り次第だってことも肝に銘じておきやがれ」
「合点だ!」
その日の午後は、漁師さんの奥さん方にも手伝って貰いながら、配合を少しづつ変えた試作品を作り、出来上がったそばから薄く割いて干物用の板に干していった。
私が作りたかったもの、それは『干し蒲鉾』だ。
日持ちはもちろん、少しの物珍しさと、この新領土管区で手に入る材料で作れること、私の知っている知識で何とかなりそうなものはと、考えた結果である。
ただ、継続して大量に作るとなると、錬る工程はかなり面倒だし、蒸す為の燃料もかなり必要で、そこは試作品を作りつつ数字を出して、ローレンツ様達に相談する必要があった。
▽▽▽
練り蒸しの試作をはじめて三日後。
私は幾つかの懸念の解決――総督府の厨房にあった裏ごし器を借りてきたり、木工職人さんを紹介して貰って練り作業の手間を減らせるよう専用の木べらを作ったりと、忙しくしていた。
「リディさま、昼の船が戻りはじめましたよ!」
「はーい!」
朝のうちは、前日分を干したりするぐらいで、それほど忙しくない。
でも、昼の漁船が戻ってからは大変だ。
「どうでい! でけえだろ、このサメ!」
「こっちのヒラメは……練り蒸しにするか、今夜の煮物にするか、迷うねえ」
干物に加工する以外のお魚も持ち込まれるので、加工場は初日よりも賑やかになった。
奥さん方が分業で魚を捌き、小骨を抜いていく。
私は全体の監督と同時に、蒸し上がりを冷やす氷水の管理や、魚の種類ごとに変わるレシピの記録に追われていた。
工程の一つ一つはそれほど難しくないけれど、とにかく作業量が多くて大変だ。
「あ、代わります!」
もちろん、練りの作業にも加わる。
作業に使う大きな板の上で錬りやすいように、大きな木ベラを作って貰ったけれど、魚肉も大量で、なかなか骨が折れる。
……その内、魔導具じゃなくていいので、手で回して魚肉を潰して錬る道具でも作れないか、本格的に考えたいところだった。
あとは日持ちの確認に時間が必要だけど、数日で駄目になるわけじゃないのは最初から折り込み済みなので、作りながら様子を見ることになるかな。
皆さんの手を借りて、初日に作った練り蒸しの乾燥がようやく終わったので、ローレンツ様のところに持っていけるようになった。
というわけで、試食タイムだ。
夕食時に、そのままの練り蒸しと干し物、そして干し物を使ったスープを作り、ローレンツ様や総督閣下に味見していただけば……。
「へえ、干したものは、調理せずに食べられるのか……」
「行軍食にも良さそうです」
「ふむ、確かに魚の風味は致しますが、某も味わったことがないものですな。……妙に癖になりそうですが」
「手間がなく、適度に美味く、値段も極端ではないと……。保存が利くという点を除いても、庶民向けの料理屋が欲しがりそうですな。ローレンツ様、売り先を絞るのもよいかと思われます」
味その物は、美味しいけれど庶民の味でもある。皆さんのお顔を見る限り、及第点かな。
ただ、これまで食べていなかった魚が売り物になりそうだと言うことは、しっかりと認めて貰えた。
「では、保存期間の確認は引き続きリディにお願いするとして、『その他』についてはメルヒオルに一任する」
「御意」
……メルヒオル様の任された『その他』に、商人の選定や価格設定だけじゃなく、製法の秘匿や防諜なんて恐い意味が含まれていたとは、その時は全く気付かなかった私である。
「しかし、殿下」
「どうした?」
「魚肉の練り蒸しの日干し、では、売り気に欠けるかと」
「名前か……。では、『リヒャルディーネの作った魚の干物』……ふむ、リフィッシュと名付けるか」
「はっ、魚の形がないにも関わらず魚が原料と分かり、適度に短く覚えやすい良き名だと思います」
それは勘弁して欲しいかなと思いつつも、少しは時間が稼げそうだとローレンツ様以下の皆さんの見せた笑顔に、私は何も言えなくなってしまった。




