第三十七話「破綻への道」
第三十七話「破綻への道」
「現状を伝える。新領土管区を引き継ぐレシュフェルト王国は、成立後、一年を経ずに破綻するだろう」
会議室は、一瞬で緊張に支配された。
予めご存じで、内容を話し合われていただろうローレンツ様とメルヒオル様、そしてリンデルマン総督閣下だけが、動揺せずに場を見据えておられる。
「王国成立までの流れについては、先日の書簡に記したとおりだが、リンデルマン総督、今一度、南大陸新領土管区の現状について頼む」
「はっ、僭越ながら某より説明させて戴きまする。……当管区は入植より四十年、本格的な開発が始まって三十年になり申すが、南大陸を東に拡大し続けていたグロスハイム都市国家同盟への牽制に、当時の国王ルドルフ陛下が建設をお命じになられた入植地ヴィルマースドルフに端を発しております」
意識と情報の共有は、とても大事だ。
私には初耳の話も多い。ご存じの筈の領主様達も、真剣に耳を傾けていらっしゃった。
南大陸新領土管区は四十年ほど前、ヴィルマースドルフ砦と呼ばれた宿舎一つきりのスタートを切った。
当時、駐留する兵士は半個小隊二十余名という最低限で、農地は余暇の趣味程度、漁労も浜で釣り糸を垂れるのがせいぜいだったと記録に残っている。
それもその筈、南大陸新領土管区は特産品や交易の利益を期待して入植が進められた植民地じゃなくて、『ここはシュテルンベルク王国の領地だぞ!』と旗を立て、グロスハイムに渋い顔をさせるのが目的の土地だった。
「お陰で僻地勤務の筆頭格として、軍内では逆に有名になったほどですな」
状況にやや変化が訪れたのは三十年ほど前、数家の貴族が民を引き連れ、本来の意味での入植――開拓にやってきてからだ。
田舎と言うにもほど遠いヴィルマースドルフだけど、確かに土地は余っている。
でも……地代はただ同然、貢納金の免除どころか領地開発の補助金が付いていたとしても、それはむしろ、開拓の苦労を保証する王政府のお墨付きと、人々の目には映ったらしい。
開拓は王国からも奨励されたものの、王都と地続きである北大陸の王国本土にさえ、開拓待ちの無人領は山ほどあった。たとえばうちの実家、オルフ領とかね。
結果、入植した貴族は僅かに数家、うち、現在も家名が続いているのはノイエシュルム領のシュルム家と、オストグロナウ領のグロナウ家のみになってしまったそうだ。
「他の家は、儲からないと分かって王国に土地を返納し、あるいは当主没後に引き継ぐ者が誰もおらずと、立ち消えておりまする」
「それほどか……」
それでも現在、管区全土で四千もの人口を抱えるに至った理由は、平民の移民が募集され続けていたからだ。
事業に失敗した者、圧政に耐えかねた逃亡者、あるいは、総督府が直接集めた年季待ちの軽犯罪奴隷……彼らはその労働力を期待され、多少臑に傷があろうと、迎え入れられた。
「当地で『新たに』罪を犯した者は、法に従って『新たに』裁くのみとの、初代総督の言葉が残されておりまする。……当たり前のことでありますが、その言葉は存外に重いのだと、某は総督就任後に理解いたしました」
本格的な入植より三十年、今は管区内に五つの領地が維持されていた。……無人領はその倍以上あるけれど、それはともかく。
開拓中の看板は外せないものの、苦しいながらも餓死者が出るようなことなく、農地は僅かづつ広がり、小さな漁船も全部合わせれば数十隻にもなった。
今では年に数度、フラウエンロープ号で魚介類の乾物を『輸出』し、麦や生活用品を『輸入』している。
その経済規模は極めて小さいが、人々の暮らしを支えてもいた。
「少なくとも、交易に船を出して損をしない土地に育った、とも言い換えられまする」
「四十年の成果、というわけだな」
「はい、先人の苦労の積み重ねにございます。……しかしながら、四千人が暮らしていくには苦しいこともまた、事実にございまする」
はあ、と大きなため息が、議場に流れた。
ローレンツ様と、総督閣下だ。
「ご苦労だった。さて、当地の概況を聞いて貰ったわけだが……続いてメルヒオル、現状について頼む」
「はっ。南大陸新領土管区に於きましては、本国からの距離や管区の伸長を考慮いたせば、四十年の成果はまことに見事でありますが、残念ながら、当地は未だ独自の経済圏を確立させるに至っておりませぬ」
「ふむ……」
「総督府の維持管理費用から兵士の給与に至るまで、これらは本国にて予算が組まれ、当地に回されております。ですが……」
メルヒオル様は言葉を一度切り、全員の顔を見回された。
「レシュフェルト王国の建国後、総督府は王政府へと改組されますが、当然ながら、その予算もレシュフェルト王国の負担となり……結論から申し上げますと、本国から手当されている総督府の予算が打ち切られると同時に、管区内の経済が破綻致します」
総督府が人を雇えば、そのお給料は新領土管区で使われる。
総督府が物を買えば、その代金は新領土管区に落ちる。
そのお金が巡り巡って、新領土管区の経済を回していたわけだけど……今後はそのお金を、ローレンツ様が用意しなくちゃならない。
メルヒオル様が気付かれたお陰で、ローレンツ様達は万難を排して旅路を急ぎ、来るべき事態に備えるべく早期に領地を掌握しようとされたそうだ。
同時に、そのような土地でなければ兄王子達から『お目こぼし』にされるはずもなく、ローレンツ様としても選択の余地がない建国の裏事情であった。
「この予算でありますが、資料を精査しましたところ、辺境地であるからと不当な扱いはなく、管区の規模に応じた予算が適正に配分されていると確認出来ております。……本来であれば、総督府予算の開陳などあり得ぬ事ですが、先に殿下並びに総督閣下よりご許可を頂戴しております。どうぞ、ご覧下さい」
領主のお二人に、藁紙が一枚づつ渡される。
そのお顔は、すぐ難しい顔になった。
「アリーセ」
「ありがとうございます、お兄様。リディ」
「うん」
二人で一枚だけど、紙は私達にも回された。
「……うわ」
「これは、早急に手を打つべきなのでしょうけど……」
並んでいる数字は端数を切ってあり、内容もシンプルにまとめてあった。
まず、本国より与えられている予算が六千グルデン。
総督府が管理するレシュフェルト領、ファルケンディーク領、リンテレン領の税収に、関税やフラウエンロープ号の運用益を加えて四千グルデン。
合計で、収入は一万グルデンになる。
支出の方は、人件費――官吏や兵士の給金だけでなく、その生活費も含まれるけれど、ファルケンディーク河口の堤防工事や道路の補修も結構大きいかな。
これが合算して、九千五百グルデン。
でも、差し引き五百グルデンの余剰金とはならなくて、注釈が付いていた。
今回の漁師熱への対処のような緊急時の予算に回され、ほぼ残らないそうだ。
「独立と建国によって、官吏や兵士の幾らかは本国へ帰還するでしょう。しかし、出費の圧縮にはほど遠い状態であります」
「テーグリヒスベック書記官、よろしいだろうか?」
「メルヒオルで構いませぬ、グロナウ卿」
もじゃもじゃ髭のグロナウ卿が、大きく手を挙げた。
お年はうちのお父様と同じぐらいで、よく日焼けしている。
「では改めて、メルヒオル殿。私でも気付いたのだから、貴殿もお気づきだと思うが……堤防工事や道路の補修、これを取りやめ、あるいは後年に回すことで当座を乗り切るわけにはいかないのか?」
「検討は致しましたが、二つの理由にて、断念しております」
「ほう……?」
「一つには、工事夫に支払われる手当が、彼らとその周囲の生活を支えており、急には切れぬこと。もう一つは……予算問題ほど切迫してはおりませぬが、堤防の完成により手に入る土地、新王国としてはこれが是非とも欲しいのです」
この土地があれば、工事夫として働いている人々を農民として吸収できる上、余所から足りない麦を買い込まずに済むそうだ。
……あ。
この問題って、うちの実家オルフ領の開拓初期と、似たような事情なのかな?
うちは麦を諦め、代わりに鹿追いで食べていたけれど、それ以前は、お爺ちゃんの傭兵稼業をはじめ、出稼ぎが主な収入源だったと聞いている。
出稼ぎが総督府の予算だとすれば、鹿追いにあたるのは……漁業?
海産加工品は既に作られていて、藁紙にも収入源として記されている。
干物がほとんどだろうけど、油漬けや塩漬け、燻製もあるかな。……たぶん、あるだろうなあ。
でも、もっと目を惹くような物があれば、手っ取り早く現金収入が得られて……。
「リディ?」
「……あ、ごめんなさい」
アリーセから腕をつつかれ、我に返った。
ものすごく、注目を浴びていることに気付く。
「失礼いたしました、申し訳ありません!」
「リディ、何か思いついたのかい?」
「いえ、殿下。残念ながら……」
急に何かを思いつくはずもなく……ローレンツ様の期待の視線が、つらい。
「今日は今後のレシュフェルトの行く末、破綻への道を回避する為に、皆を集めているが……リディもその一人だよ、遠慮はいらない」
「はい、ありがとうございます」
前世で会社の帰り道にあったスーパーの乾物コーナーを思い出して、必死に考える。
日持ちして、単なる干物や油漬け、塩漬け、燻製以外の海産物、ついでに言えば、私が製法を知ってるものがいいんだけど……。
「……あ!!」
「リディ!?」
もしかして、『あれ』なら出来る……かも?
うん、輸出に必要な条件も満たしてるはず。
「差し出がましいとは思いますが、一つ、よろしいでしょうか?」
私はその場の思いつきをごく簡単に説明し、ほぼ全員から『何だそれ!?』という顔をされつつも、試作品を作る許可を頂戴した。
ちなみに、こうも簡単に許可が出てしまったのは、お試しに必要な予算が私のお小遣い程度で済むという、世知辛いながらも切実な理由が根幹にあった。




