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第四話「旅立ちの前に」

 アールベルクに出掛ける父さんを見送ると、私は鹿絡みの道具だけを持って工房の事務所に戻った。……昨日届いた本は、また今夜のお楽しみだ。


 指でさして確認しながら、倉庫の棚にならぶ品物を確かめる。朝一番の日課だ。


「在庫よし、薬品よしっと」


 雪はそれほどではなくとも寒すぎて麦畑がつくれず、数十人しか暮らしていない山村であるオルフの村が貧乏暮らしをしていない大きな理由が、大山鹿の放牧とその加工品の販売だ。


 国から軍功を賞してお爺ちゃんが与えられた領地は、広さこそまあまあでも山がちな土地で、そのまま暮らすには不向きな環境だった。


 領地拝領当時は流浪時代同様、傭兵仕事や出稼ぎで生計を立てざるを得なかったので、何のための領地かわからないほどだったが、そこはそれ、目立たず住むには丁度良いと笑い飛ばし、皆で知恵を寄せ合った結果、捕らえた大山鹿を飼い慣らして育てるという迂遠ながらも堅実な方法を思いついたのだという。


 それでも最初の十年はやはり出稼ぎで支えていたけれど、鹿の頭数が増えるに連れ、徐々に暮らしぶりも上を向いてきたそうだ。今では普通の村と同じか少し上ぐらいには、誰も困らず誰も飢えていないし、誰もがたまには銘の入った上等のワインが飲めるようになったと、お爺ちゃんは自慢していた。


「おはようございます、リディお嬢」

「はい、おはようございます、フークバルトさん」


 事務所の掃除をしていると、職人頭のフークバルトさんがやってきた。

 フークバルトさんはお孫さんまでいる最年長の職人さんで、私が片付け物や帳簿付けの合間に新商品の開発なんてのんびりやってられるのは、この人のお陰だ。お爺ちゃんの飲み友達でもある。


 昨日、フークバルトさんはフリードリヒ皇子に従っていた政務官の子孫と聞いたけど、言葉にはしない。みんな、心の奥に大切にしまってるんだって、お爺ちゃんは言っていた。


「お嬢、巾着はどうでした?」

「許可は貰えたんですが、沢山作るなら水の方が問題だって」

「ああ、確かに……」


 色革の巾着袋はちょっとしたお小遣い稼ぎになりそうで、職人さん達も少し乗り気になってたからね。


 専業の職人さんはフークバルトさんを含めて三人で、忙しい時は鹿追いから人をまわして貰ったりするけれど、お小遣い稼ぎのために人を呼んだりは出来ない。


 まあ、今の革なめしの工房にあるお風呂のように大きな薬液槽を作って色付けまでとなれば、確実に人手は増やさなきゃならないもんね。


 手順書と薬液の配合表だけきっちりと用意して、私がお試しで色づけした時と同じく、手桶を使って作るぐらいなら大丈夫かな。


「だから、本業の片手間『まで』ならやってもいいかな、とは思ってます」

「ですなあ」

「ただ……」

「はい?」


 私はしばらく後、この村を離れてアールベルクに出仕することを切り出した。


「……一大事じゃねえですか!!」


 フークバルトさんは目をぱちくりして、天を仰いだ。


 そうだ、仕事の引継とかどうしよう……。旅立ちの準備もあるし、早めに済ませておく方がいいよね。


「いや、あの……ほんと、急でごめんなさい」

「こりゃあ、大旦那様にきっちり確認しねえと! 今リディお嬢に抜けられたら、うちの工房はちょいとどころでなく困りますぜ!」

「ちょ、フークバルトさん!?」


 その大旦那様こと、お爺ちゃんが提案したんですよ……と付け足す暇もくれず、フークバルトさんは困ったぞ困ったぞと口にしながらお屋敷へと走っていった。




 ところが、しばらくして戻ってきたフークバルトさんは上機嫌だった。


「お嬢、頑張って下せえよ! そいでもって、王国からでっけえ川のある領地をぶん取ったら、革なめし工房の隣に色付け専業の工房を建てましょうや!!」

「あの、まだ出仕する先も決まってないし、期間も短い予定だし……」

「大丈夫大丈夫! 知恵者のリディお嬢なら、すぐにどっかの領主になれますって! そうだ、みんなにも教えてやらねえと!」

「あ……」


 笑顔のまま工房の作業場へと向かったフークバルトさんを見送り、小さくため息をつく。


 お爺ちゃん、一体全体どんな話し方をしたのよ……。

 まあね、短くても旅立ちには変わりないし、成り上がると宣言したのは間違いなく私だから仕方ないかな。


 うん、変に隠すより、どどーんと公表して自分の追い風にしてしまおう。

 もちろん、家族と村の人にだけ、ね。

 



 ▽▽▽




 その日一日は、仕事の引継が楽になるよう資料を整理して書き置きをまとめている間に、村の人が入れ替わり立ち替わり私の顔を見に来てくれた。


 お祝いの言葉にありがとうと返すぐらいしかできなかったけれど、ほろりときたよ。


 当然、素直に喜んでくれない相手も、いるにはいた。


 鹿追いの見習いで、カール小父さんの息子クリストフだ。


「リディ姉ちゃん、俺もアールベルクに行く! 一人じゃ心配だよ!」

「あんたまだ十二歳でしょうが。私は仕事を用意して貰えるけど、街に行って何するのよ」


 年下の幼なじみで二つ下、初恋がまだ途切れてない……ってところかな。

 相手が私で申し訳ないけれど。


「な、なんでもするよ!」

「そりゃ、仕事ぐらいは探せば見つかると思うけどさ……」


 クリストフの遠いご先祖様が近衛騎士だというのは昨日聞いたけど、私はああうんなるほどと納得してしまった。もう少し小さい頃は、『ぼくはお姉ちゃんを守る騎士になる!』なんて、ごっこ遊びの最中に言ってたもんね。


 ただまあ、小さい頃からずっと一緒で、それこそ遊びから文字の読み書きから、何でも世話焼いてきた弟分で……私としては恋愛対象外だった。


「第一、鹿追いの仕事はどうするの? まだ今年許されたばかりでしょうに。またカール小父さんの雷が落ちるよ」

「親父にはきちんと言うよ!」


 懸命なクリストフには悪いけれど、どう首を捻っても、でっかい弟にしか思えなかった。……別に、去年身長を抜かれたからって根に持ってるわけじゃないよ。


 けれど村の若者や少年の中じゃ、困ったことに一押しはクリストフになってしまう。


 本人は気付いてないけれど、物覚えもよければ運動神経もびっくりするほどで、見た目は黒髪の美少年としか言いようがないし、その歳にしては根性も座ってる方だ。


 ……ほんのちょっと、距離が近すぎた。それだけの話なので、もう少し大人になってくれたなら、『リディ姉ちゃん』も考え直さざるを得ないかもね。


「……ついてくるなとは言わないけどさ、クリストフ」

「いいの!?」

「きっちりカール小父さんとうちのお爺ちゃんの許可貰って、一人立ちしてからにしなさい。私もわがままは言ったけどさ、きちんと道理は通したよ」

「……うん」


 しょんぼりとしたクリストフの黒髪に手を伸ばし、ぐりぐりとやる。


「もしも私がほんとに成り上がったなら、騎士見習いの推薦状ぐらいは用意できるかもしれないしさ、鹿追いの仕事をしながら身体鍛えててよ」

「リディ姉ちゃん、俺、頑張るよ!」

「ほんと、頼りにしてるからね」

「うん、任せて!」


 出来れば、クリストフとの約束は破りたくない。

 お姉ちゃんは、いつだってお姉ちゃんでいたいのだ。


 機嫌の直ったクリストフを送り出し、事務所の窓を開け放つ。


「……こっちに入っておいで、グレーテ」

「ばれてました?」

「うん、最初から」


 座り込んで隠れてたつもりなんだろうけど、ほっかむりにしてるスカーフがちらちら見えてたからね。


 グレーテはうちの執事夫婦の娘にして、私の大事な妹分だ。クリストフがでっかい弟なら、彼女は良くできた妹兼親友で、三つ下とは思えないぐらいしっかりしてる。

 今はうちの三姉妹付きの見習いメイドとして、あれこれ学びつつ働いていた。


「クリストフのこと、頼んだからね」

「……もちろんです。もちろんですけど……いいんですか、お嬢様は?」

「グレーテの他に、誰がいるって? 去年の村祭り。踊りの前。工房の裏手……」

「み、見てたんですか!?」

「配膳の手が欲しくて呼ぼうとしたら、あんた、ものすごく気合いの入った顔でさ、クリストフの手を引いてずんずん歩いてったから、何だろうって後を着けたら……」

「わああああ!! 全部言わなくていいです!」


 去年の村祭りの日、真っ赤な顔のグレーテが、刺繍入りのハンカチをクリストフに贈っていたのを見てたのは、実は私だけじゃない。……ってことは、言わないでおいてあげようか。


 頭を撫でる代わりに、ぎゅっと彼女を抱きしめる。


「私も応援してるから、いい女になってクリストフを振り向かせるのよ」

「はい。でも……」

「ん?」

「……それってお嬢様、自分で自分のこといい女って言ってるのと同じじゃないですか?」

「ばれたか」


 今、クリストフは私の方を向いている。


 私にそのつもりはなくても、グレーテにとっては強力すぎる恋敵で、それでもこれだけ慕ってくれる彼女には……。


「もしもほんとに成り上がったら……っていうか、そのつもりはしてるけどさ、クリストフを呼ぶなら必ず一緒にグレーテも呼びたい。それでもいい?」

「お嬢様とクリストフを二人きりにはさせません。……っていうか、『そのつもり』って、いつも気になってましたけど、どこからその自信が出てくるんです? 色付きの革だって最初から上手くいく予定でお小遣いを出してらしたし、昔作った東の小川の魚罠もそうです。料理の味付けだって、作ってるところは変なのに食べると美味しいし……」

「んー……」


 鋭いな、流石は親友。


「じゃあ、ちょっとだけ秘密を教えてあげるから、誰にも言わないこと」

「はい。……聖なる主神に誓って」


 生まれ変わったことは口に出来ないけれど、それ以外なら明かして困る秘密じゃない。

 懐の隠しから、じゃらりと鍵束を取り出す。


「これ、見て」

「お屋敷の鍵束、ですね。……わたしの知らない鍵が幾つかあります」

「うん、正解。で、このうちの一つが書庫の鍵なんだけど……字を覚えた頃、お爺ちゃんにお願いして出入り自由にして貰ったの。全部読み切るのに二年かかったわ」

「全部って……」


 五、六歳の頃は、暇で暇で仕方なかったのよ。……あんた達、まだ小さかったし。


 姉さん達は母さんとお婆ちゃんから針仕事を習っていたけれど、当時の私は幼すぎて針を持たせられなかった。


 父さんは外で鹿を追うのが仕事だし、執事夫婦のクルトさん達はグレーテの世話とお屋敷の仕事でいつも大忙しだ。


 結局、執務室で書類仕事をするお爺ちゃんが子守を引き受けてくれたんだけど、執務机の隣に椅子を持ってきて、書庫にある本を順繰りに読んでいた。たまに私の前世の常識に当てはまらない意味不明のことが書いてあったりすると、すぐお爺ちゃんに聞けたから、情報に飢えていた私としてもよい数年だった。


 ……もちろんその後は、私がクリストフやグレーテの子守を押しつけられた。楽しかったけどね!


「でも、読むだけじゃ駄目。じっくり読んでじっくり考えて、実際にやってみないと身に着かないかな」

「は、はあ……」

「もしもその気があるなら、仕事を減らしてでも読書の時間が貰えるように、私からも頼んでみるけど……」

「いいです、いいです!」

「あら残念」


 成り上がる前に私は騎士と侍女を揃えることが出来た……ってほど、気楽に言えたものじゃないけれど。


 もう一つ、成り上がらなきゃいけない理由が出来たような気もした私だった。

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