挿話その三「第一王女の大胆なる賭け(下)」
挿話その三「第一王女の大胆なる賭け(下)」
「フリードリヒ・カール・フォン・コーレンベルクというお方は、ご存じですよね?」
父王が息を呑み、次兄は誰だそれはという顔をしている。長兄は、困惑した表情をゼラフィーネに向けた。
ゼラフィーネが口にしたフリードリヒ・カール・フォン・コーレンベルクは、旧帝国崩壊の折に逃げおおせた第四皇子の名である。
三大国の全てから追われていたが、シュテルンベルクとバウムガルテンの捜索は特に厳しく、国内の成年男子全ての顔が確かめられたと、当時の様子が伝わっていた。
それでも彼の皇子は逃げ続け――あるいは、逃亡中に不慮の死を遂げたのかさえ分からぬまま、帝国崩壊より七十年の後、流石に老いて死んだだろうと捕縛命令が撤回されるまで、居場所はおろか足取りさえもよく分からなかった。
何故にそこまで追われたかと言えば、その存在が旧帝国再興の旗印――新王国への不満を糾合する存在になり得るからだ。
百数十年を経た現在ではともかく、当時、成立したばかりで不安定だった三大国家には恐るべき毒と映ったし、それは正に事実だった。
「わたくしは、シュテルンベルクにとってのフリードリヒ皇子たらんと、決意いたしました。……叔父上と従兄殿限定ですが」
「だが、お前はそれでいいのか? 身分も何もかもを喪うことになるが……」
「はい。命が助かる上、お兄様方への援護にもなります。それ以上を望むのは、贅沢でしょう」
ゼラフィーネが決意を口にすると、三者三様の表情を向けられる。
「ゼラフィーネ」
「はい、レーブレヒトお兄様?」
「お前の本当の目的は、何だ」
「……お見通しでいらっしゃいましたか」
流石に長兄は鋭かったが、父や兄にばれて困る目的でもないので、素直に話す。
「この策を受け入れていただけた場合、フェリクスと結婚せずに済みます。でも、流石に結婚がいやというだけでは納得して貰えまいと、家臣総動員で知恵を絞りましたのよ」
「それだけなのか?」
「男性では、従兄殿がどれほど嫌悪感をもたらす相手か、想像がつきにくいかもしれませんが……本気で、いやなのです」
「まあ、あまり褒められた奴ではないが……」
好色なだけなら、許せる相手もいた。
猥談を上手く、そして綺麗に語る老紳士――先代ローテンブルク侯爵など、好色と世間に知られてなお、老若男女問わず人気がある。
だが好色に、権力と暴力と加虐嗜好が揃った怪物の妻になるなど……それは王女の義務をこえているだろう。
世の中には、物好きが居るかもしれない。
しかし、少なくともそれは、ゼラフィーネではなかった。
「……ふむ、所在の分からぬ余の血縁者など、厄介にも程があるか」
「判断に困るところですが……本当によろしいのですか、父上?」
「そ、そうですとも! 我らの方が困るのでは!?」
「お前達二人は、ゼラフィーネよりも継承順位が高い。フェルディナントやフェリクスとは、その点が決定的に異なる」
表情を見れば、賛成が一に対して、保留が一、反対が一。
だがこの国は、議会の多数派が支配するグロスハイムではない。父王が頷けば済むことだ。
ゼラフィーネの出奔は、この瞬間、認められることとなった。
賭けに勝ったのだと、少しだけ肩から力を抜く。
「もう一つ二つ、厚かましいお願いを致したく思いますが、宜しゅうございますか?」
「この際だ、遠慮はいらぬ」
「こちらに新形式の魔法製鉄技術をお持ちしたのですが……」
「なに!?」
「完成したのか!?」
「はい。ですが、国が分かたれるまで、表には出さないでいただきたいのです」
「フェルディナントには渡さぬ、ということか?」
「出来ますれば、バウムガルテンにも、グロスハイムにも。もちろん『二つ』、ご用意して参りました」
ついでに、返上されるゾレンベルク領の扱いや、自身の身の振り方についても願い出ておいたが、叔父への嫌がらせが相当入っていた為、父王は気鬱の晴れた顔で笑い飛ばし、兄達も基本的には了承をした。
「しかし……ゼラフィーネ」
「なんでしょうか、お父様?」
「ローレンツのことはよいのか? お前は幼い頃、随分と気に掛けていたが……」
「気にならないと言えば嘘になりますが、今更ですわ。それに……」
「うむ?」
「わたくしが身を寄せれば、あの子に不利な選択を強いてしまいます。……頼ったとて、あの子もいやとは言わないでしょうが、叔父上に格好の餌場を用意することになりますもの」
「……そうであったな」
お兄様方もお気をつけ下さいましねと、ゼラフィーネはため息をついた。
▽▽▽
そんなやり取りをした翌日、ゼラフィーネは王城の車寄せで、『第一王女殿下の乗った馬車』をお見送りしていた。
護衛は国王陛下直属の近衛騎士、向かう先は内にも外にも厳格なことで有名な修道院であった。
王女殿下は結婚に伴う潔斎のため、短い修行をされるそうだ。
「護衛その他、配置完了であります!」
「よろしい、出立せよ!」
……その実、身代わりやお付きの侍女さえも乗っていない馬車に、第一王女付きだった近衛騎士に女官、侍従侍女一同で、丁寧に頭を下げる。
数人は、してやったりと笑みを隠しきれていなかったが、メイドのお仕着せを身につけたゼラフィーネもその一人であるから、文句は言えない。
「『お爺様』、参りましょう」
「……『クリスタ』、職務中はヨハンと呼びなさい」
「失礼いたしました、ヨハン様」
シュテルンベルク王国第一王女ゼラフィーネ・クリスティン・フォン・ゾレンベルクはもう、自分の名ではない。
今は第一王女専任執事ヨハン・フォン・シェーンハウゼンの孫、クリスタ・フォン・シェーンハウゼンとして、身代も整えられていた。
「さあ、あなた達、ここからが勝負よ! 王宮勤めの名に恥じぬよう、完璧にお輿入れの準備を仕上げなさい!」
「はい、マルガレーテ様!」
侍女頭マルガレーテの鼓舞に、ゼラフィーネも大きく返事をした。
それとなく周囲を警戒する『同僚』達に囲まれつつ、王女殿下の元居室へと戻る。
先ほど、叔父の馬車を見かけたが、今頃は父王が適当に話を合わせている頃合いだろうか?
当面は修道院で修行中、その後は王家の父祖への墓参りなどで、出奔が誤魔化されることになっていた。
ちなみに、花嫁が逃げたと知った叔父親子が詰め寄ってきた場合、父王が最初に掛ける言葉は教えられている。
『財産を吸い上げられた上に自裁まで強要されたくないと、逃げ出しおったわ。余も調べさせたが、フェリクスは随分と乱行が過ぎるそうだな?』
知っていれば婚約などさせなかったと、反対に相手の不義を詰る予定らしい。
嫌みの一つも言いたいし、違約金の割引ぐらいにはなるだろうと、父王は笑顔だった。
「さあ、頑張りましょう!」
「はい!」
勝手知ったる元自室だが、王城を下がる家臣達に下げ渡す退職金代わりの奢侈品の選別や、売ってしまいたい魔導具の整理、自身の旅の準備など、ここからは本気で忙しい。
今日の内に、実家や次の就職先などへと散る『同僚』達に紛れ、消えてしまわなくてはならなかった。
その為の協力も、家臣達全員から得ている。
一旦は東の山あいの田舎、ヨハンの故郷へと向かうが、その足取りさえも、途中で消えるよう工夫されていた。
この企みはすぐに露見するだろうが、それでいい。ほんの一日誤魔化せるなら、あとはどうにでもなる。
王女としての力はなくとも、ゼラフィーネには並の魔術師では及びもつかぬ魔法があるのだ。
もっとも、長く仕える極一部の家臣達はゼラフィーネの本当の行き先に気付いていたし、ゼラフィーネの方でも、それを隠そうとはしていなかった。
具体的な指示も何もない、秘密の契約である。
ただ、家臣団に潜り込んでいる他派閥の回し者に知られるわけには行かなかったので、『行動』については慎重に時期を見定めるよう、ヨハンから密かな指示が出されていた。




