挿話その二「第一王女の大胆なる賭け(中)」
挿話「第一王女の大胆なる賭け(中)」
王宮の最奥にて久しぶりに見る父は、以前より更に痩せてはいたものの、顔色はそれほど悪くはなかった。
侍医にして薬師でもある司祭達はよくやってくれているが、神の奇跡、癒しの魔法にも限界がある。
それが天の定めた理か、魔法の限度か、あるいは、人の神ならざる由か。
王であれ大司教であれ、あるいは市井の平民であれ、神聖魔法は必ず効力を現すものではないと知られていた。
「お見舞いをお許し下さいまして、ありがとうございます。お加減は如何ですか、お父様?」
「そうだな、しばらく前よりはいいか。こうして体も起こせるし、食も進む」
「……それはようございました」
少しだけ迷ってから、ゼラフィーネは微笑んだ。
父の『嘘』――死期が近いと、分かったからだ。
だが、口にはしないし、態度にも出さない。
感情の赴くままに縋って労りたい気持ちは、無理矢理押し殺す。
父が王たらんと最後の力を振り絞っているのに、娘の自分がそれを遮るなど、あってはならない。
覇気と政略の均衡に優れた、賢王エルンスト。
父は強すぎる光であり、濃すぎる闇であった。
それ故に王弟との不和も深まり長男次男の確執も生まれ……同時に暴発には至らせず、ここまで来てしまったのだが、今は口にすまい。
他国からも恐れられている王はしかし、私人としても同様に振る舞い、ゼラフィーネの生母である王妃の死後、後宮が王妃の後がまを巡って『女の戦場』となった時も、同様に対処してしまった。
……それが為に、ローレンツの生母である側室リースヒェンは命を落としたとも言えるし、リースヒェンの命と数人の側室の逮捕や追放と、その生家の取り潰しのみで混乱が収まり、バウムガルテンの干渉を排除できたとも言える。
リースヒェンの一件は、悔やんでも悔やみきれない
小貴族の娘であったリースヒェンの死一つをきっかけに、諸外国の影響が強すぎる諸侯を排除して王権を盤石に置いた『王』の判断は、たぶん、正しい。
四人の王子王女を守りきった『父』は、結果的に正しいのだ。
その当時の王宮周りは、子供であったゼラフィーネにも分かるほど諸派の暗躍が酷く、執事のヨハンがゼラフィーネ自身にも『暗殺の警戒を』と口にせざるを得なかったほど、荒れていた。
だが、ゼラフィーネには、正しいから良かったとは、決して思えなかった。
以来、政治には口を出さず、可愛がっていた異母弟からも離れ、魔法に傾倒する姿を見せつけることで身を守ってきたが、未だ後悔は、心の内に留まっていた。
しばらくすれば、兄達が来るだろう。
それまでは、静かに過ごそうと決めたゼラフィーネだった。
「……怒っておるのか?」
「フェリクスとの結婚のことでしょうか?」
「うむ。……フェルディナントの馬鹿息子にやるのは勿体ないが、お前を嫁がせれば、しばらくは自領で大人しくしておろう。レーブレヒトとマンフレートの為に、時を稼いでくれぬか?」
……なるほど、若い頃より叔父とは静かに反目し続けてきた父が、この結婚を認めた意味が分かった。
父なりに叔父のことを警戒し、結果として一番角が立たぬゼラフィーネとフェリクスの婚姻という策略で兄二人に時を与え、両王国を盤石に置こうとしたのだろう。
だがそれは、ゼラフィーネだけでなく、父や兄達にとっても無意味だ。
叔父の狙いは、頼もしきゾレンベルクの家臣団が既に見抜いていた。
……正しくは、現在手に入る情報と情勢、過去のフェルディナントの行動を分析し、最も可能性が高い予想と、ゼラフィーネに都合がよい流れを組み合わせた『でっち上げ』である。
もっとも、ゼラフィーネだけでなく、海千山千の経験を持つ知恵者の執事ヨハンにさえ、全くの否定が出来ない代物でもあった。
「その事なのですが、お父様とお兄様方に、揃ってお聞きいただきたい事がございます」
「ほう? ……ふむ、今から婚約を破棄するとなれば、またぞろ騒ぎになろうが、まあよい、聞くだけは聞こうか」
「……ありがとうございます」
父はゼラフィーネの要求を一瞬で見抜いたが、別段怒りもせず、面白そうに娘を見た。
その鋭い洞察力を、何故フェリクスとの婚姻を許可する前に見せて下さらなかったのですか!
……いや、その病は、判断力や覇気も蝕んでしまったのだろう。
父が死を前にした病床であることを思い出したゼラフィーネは、喉元まで出かかった言葉を辛うじて飲み込んだ。
しばらくして兄二人が揃い、三人で父――父王の枕元に頭を寄せる。
兄達を見たのは久しぶりだが、元気そうだからまあいいかと、ゼラフィーネは軽く流しておいた。
言いたいことは色々あるが、余計な反感を買う必要はない。
「わたくしの家臣団が導き出した叔父上の狙い、その答えは、わたくしに流れる血、そのものです」
「なんだと!?」
「……それはどういうことだ?」
「はい。このままわたくしとフェリクスが結婚した場合、わたくし達の次の世代のシュテルンベルク王族で、現国王陛下――お父様の血が最も濃い者は、わたくしの子になってしまいます。そして、お兄様方と娶せられそうな従姉妹は、おりません。……つまり、時間稼ぎのための婚姻のはずが、将来に於いて最強の一手となってしまうのです」
「おのれフェルディナント! 甘言を弄してまんまと一杯食わせおったか!」
「叔父上は、そこまで我らが憎いのか……」
父王はくわっと目を見開き、次兄は嫌そうに顔を歪めた。
長兄だけは冷静そうだが、難しい表情で黙り込んでいる。
「どうかなさいましたか、レーブレヒトお兄様?」
「……腹心が昨日、似たような話を注進してきた。万が一の場合、対応をどうするかと考えていたところなのだ」
導き出した答えがゾレンベルクの家臣達の贔屓目だけではなかったと、思わぬかたちで確認できてしまい、ゼラフィーネは別の意味でため息をついた。
「しかし、今から婚姻の破棄となれば、並大抵の贖いでは納得させられんだろうな。……ふむ、それも狙いの一つか?」
「父上、兄上。これまでの経緯も含め、罪人として処断してしまうわけには行かないのですか? 将来の禍根を断つ為にも、何卒、討伐の理由をお与えいただきたいところです」
「だがな、マンフレート……」
「あの、お父様、お兄さま方。ご提案がございます」
ゼラフィーネは何でもないことのように――その実、最大限の緊張を隠して口を開いた。
「フリードリヒ・カール・フォン・コーレンベルクというお方は、ご存じですよね?」
その名はシュテルンベルク、あるいはバウムガルテンの王室関係者にとり、ほぼ禁句となっている。
ここが一世一代の賭けどころとばかりに、ゼラフィーネはにっこりと微笑んだ。




