第三十二話「船出」
第三十二話「船出」
騎士様達が合流した日。
その夕方、私達はまた、王都からの新しい噂に追いつかれていた。
『ゼラフィーネ殿下、王位継承権を返上』
婚姻に伴う継承権の放棄と理由がついていたけれど、せめてもの抵抗をなさっているのだと思いたい。
王弟フェルディナント殿下の継承順位は第三位に、フェリクス殿下はローレンツ様が抜けたことも加えて第四位へと上がってしまうけれど、シュテルンベルクという国は消えるから意味がないのかというと、そうでもないらしい。
生まれてくるお子さまは、ゼラフィーネ様の順位がそのままだった場合の旧王国『第三位継承者の子』に対して、同『第三位継承者の孫』、あるいは『第四位継承者の子』となり、影響力が一段落ちる。
正に、未来への小さな布石だった。
「騎士エアハルト、騎士エミール。王都の方はどんな様子でしたか?」
「まあ、普通ですね」
交替で夕食を取りつつ、騎士様達と情報を交換する。
……こっちがお教えするようなことは、ほとんどなかったけどね。
「王宮内はちょい騒がしかったかな、ってあたりです。まあ、国が二つに割れるって噂はそれなりに流れてましたよ」
「正直なところ、俺達としてはあんまり首突っ込みたくねえってか、武断派とも距離を置いてましたけどね」
「武断派?」
「第二王子のところです」
「ちなみに第一王子の派閥は、文治派と呼ばれてます」
ああ、あの兄王子様達か。……って、会ったこともないけど。
でもこの騎士様の一団、主流の二派じゃないってだけでローレンツ様の元に集うのも、少し思い切りが良すぎる気がした。
これからは長いおつき合いになりそうだし、遠慮も今更なので聞いてみる。
「あの、皆さんはどうして、ローレンツ様の元に来られたんですか? 勇気ある決断だと思いますが……」
「どっちかと言えば、残る方が勇気ある決断だよな、エミール?」
「……ああ、そうなるか」
「え?」
「武断派から切り離されると文治派に行くしかないわけですが、そうなると、針の筵です。文治派は武官や軍人が少ないから、騎士は歓迎される……なんてことには、ならないでしょうね」
「あー、俺達みんな、地方騎士からの選抜組なんですよ」
「実力はともかく、後ろ盾なんてそれこそ団長ぐらいです!」
「だよな!」
はっはっはと笑うお二人だけど、まあ、気持ちは分かる。
私だって、今の拠り所はローレンツ様だけだ。
「俺達はヴォルフェンビュッテル隊長の下にいましたから、ローレンツ殿下のお人柄も知らなくはないし……」
「盗賊退治とか、奴隷商人のガサ入れとか、結構忙しかったよな」
「ああ。だが王都の下水道だけは、もう二度と入りたくないぜ」
「殿下も一緒だったけど、ありゃあないわ」
「秘密の抜け道を作るにしても、もうちょっと考えろってんだあの強欲伯爵め!」
「ま、そんな感じで、下手に政争に巻き込まれるよりは、田舎暮らしの方がよっぽどいいだろうってことになったんです」
アンスヘルム様からの信頼もあったのかな、別れ際に『行き先』――落ち合う場所として、ミールケの宿屋を教えられていたそうだ。
まさか、元部下全員が一人も欠けずに来るとは思わなかったって、アンスヘルム様は苦笑しておられたけどね。
「田舎暮らしは今更ってか、性に合ってるもんな、俺達は」
「それに、隊長があの調子ですからね。馬車馬のように働かされることはあっても、理不尽な扱いにはならないだろうって――」
「聞こえてるぞ、お前達」
二人の後ろには、そのアンスヘルム様がいつの間にか立っていた。
「うっす!」
「お疲れさまです!」
お二人とも、仏頂面のアンスヘルム様にぺしんと頭をはたかれてたけど、その顔はとても楽しそうだった。
翌日、増援を得た私達は、二手に分かれることになった。
「アマルベルガ、こちらは頼む」
「はい、ローレンツ様もお気をつけて」
ローレンツ様を含む先行組は、足りない馬を騎士の皆さんから借りている。
同行するのはメルヒオル様、アンスヘルム様、アリーセ、騎士エアハルトと騎士エミール、そして私。
たった七人だけど、とにかくレシュフェルトへの早期到着が、今後の鍵になるからね。
ギルベルタさん親子とイルミンさん、そして他の騎士様は、もう数日ミールケに滞在し、後続組と合流してからレシュフェルト領に向かう予定だった。
「では、出発!」
「はっ!」
騎士エミールが軽快に先陣を切り、皆でそれに続く。
見送り組に軽く手を振ったり小さく会釈した後は、誰一人、後ろを振り返ったりしなかった。
ミールケの街を出てからは、本当に強行軍だった。
それまでの数日で馬に慣れていなければ、私は本当に置いていかれたかもしれない。
私達が早馬の運ぶ噂よりもなお早く、南部シュテルンベルク最大の港町ムッシェルハーフェンに到着したのは、王都を出て十四日目のことだった。
馬車の旅なら同じ旅程が二十日少々と見積もられていたから、どれだけ急いだか分かろうというものだ。
前世以来の海だけど、もちろん、港を散策する余裕はない。
ついでに、旅の途中で私の誕生日も過ぎて十四になってしまった。まあ、うん、来年に期待しよう。
「さてアンスヘルム、頼めるか?」
「はっ、伺って参ります」
早速宿を取ったけれど、実は、すぐ船に乗れるかどうかは分からなかった。
レシュフェルト領行きも含めて、南大陸領土への定期航路はないと聞いている。
その手前、グロスハイム都市国家同盟の都市へは月に一便か二便あるらしいけれど、天候の影響もあって、到着後に二、三日休むと出ていくという大雑把な船便らしい。
だから船をチャーターすることになるんだけど、グロスハイムで借りるよりは、こちらで仕立てた方がよかった。
信用って言うよりも融通の問題で、アンスヘルム様のお知り合いがいると伺ったけれど、国内の方がまだ話は通しやすいってこともある。
ただ、船乗りは船に乗るのがお仕事だから、小船の漁師さんでもない限り、母港にいる確率は非常に低い。
騎士様のお二人は、アンスヘルム様のお知り合いがムッシェルハーフェンに居なかった場合に備え、借りられそうな船を探しに港へと向かった。
ローレンツ様とメルヒオル様は、シュテルンベルクで出す最後の手紙を書かれていた。
思い切りの良すぎる騎士様達はともかく、新しく国を作るから来ないかと言われて、すぐに動く人はかなり少ない。
でも、現地の情報を流すぐらいはお安い御用と引き受けてくれる人なら、割といるんだそうだ。
便乗して私とアリーセも、それぞれ実家への手紙をしたためる。
……向こうに着いてから書こうと思ってたけど、海を渡ると、配達料金もお高くなってしまうからね。
「アリーセ、行こう」
「そうね。出来ることをみつけて、一つづつこなしていきましょ」
私はと言えば、この先の予定がどうなるか分からないので動けず、アリーセと一緒に馬のお世話をしていた。
アリーセは旅の途中から縦ロールをやめ、ポニーテイルに髪型を変えている。
「アリーセ、リヒャルディーネ嬢」
六頭のお世話が大体終わったあたりで、アンスヘルム様がいらっしゃった。
「あら、お兄様?」
「出航が明日になった」
「無事に連絡が取れたのですか?」
「うむ。但し、馬は乗せられないのでな、エアハルトとエミールはここで後続を待つ」
後続組の為に、紋章付きの箱馬車まで乗せられる大型船も都合はついたそうで、胸をなで下ろす。
荷馬車は売ってしまってもいいけれど、ローレンツ様の箱馬車は王室御用達の工房で製作されたという超高級品であり、下手に買い直せないほどの価値がある。
流石に置いていくのは躊躇われた。
「お兄様、買い物はどうしましょう?」
「船の方でも食料や水は用意してくれるが、おそらく、嗜好品までは手が回らない。そのあたりを中心に頼んでもよいか?」
「もちろんですわ。リディ、行くわよ!」
「……あ、ちょっと待って! アリーセ、気を付けして!」
「はーい」
私は杖を抜いた。
もちろん、アリーセも何をされるか分かってる。
「む?」
驚くアンスヘルム様をよそに、アリーセのスカートの裾に桶の水を纏わせ洗濯、再び水を操ってすすぎ、最後に乾燥と、三つでひと組の魔法を掛けていく。いくら忙しくても、馬糞がついたままお買い物に行くのは私も嫌だ。
アリーセは普段のスカートだったけど、もちろん透けたりするほど生地は薄くないし、おみ足が見えるほどまくれ上がったりはしない。
「はい、出来上がり!」
「ありがとう、リディ」
「どういたしまして、っと。じゃあ行って来ます、アンスヘルム様」
「う、うむ……」
ついでに、海際まで足を伸ばすのは無理でも、少しぐらいは港町の雰囲気を味わえそうだと、私は気分も軽く宿を出た。
▽▽▽
「御座船にしちゃあ小さいですが、そのあたりはご勘弁下さい」
「艦隊司令部並びに、『プリンツェス・ルイーゼ』号とオストホフ艦長の助力を、心より感謝する」
私達を乗せていく船は、なんと、王国海軍の軍艦だった。
馬が乗せられない代わりに、この港にいる軍艦で一番足が速いそうだ。
それでも長さは四十メートルぐらいあって、立派な帆柱が二本立っている。私から見れば十分大きい船だ。
「まあ、こっちも『寄り道』は堂々とさせて貰いますが、そのあたりはお含みを」
「無論だ」
オストホフ艦長がにやりと笑い、ローレンツ様もうむと頷かれた。
出航の理由は周辺海域の哨戒任務で、港に置かれた艦隊司令部にも了承されている。
その『途中』に、南大陸の端っこまで行ってしまうって言うんだから、もう滅茶苦茶だよ……。
よくそんな条件を呑んで船を出してくれたなあと思っていたら、他にもついでがあるらしい。
「全艦出航配置完了、準備宜し!」
「副長、出航を告げよ!」
「はっ! 出航下令! もやい解け!」
アンスヘルム様のお知り合いは、元軍人で今は商人だった。
生憎、船は航海中とのことで手元になかったけれど、とにかく船がいるんだろうとばかりに、艦隊司令部に行って参謀を捕まえ、理由をぶっちゃけた。
ローレンツ様の送迎という名目があれば、グロスハイム都市国家同盟の領海内に『堂々と侵入出来る』ことに気付いた参謀は、そのまま艦隊司令官の部屋に走った。
あとは話を聞かされた司令官殿が満面の笑みで頷いて、話は決まりである。オストホフ艦長には、すぐに便乗者付きの哨戒任務が命じられた。
ちなみに任務が哨戒行動になっている理由は、予算の出所の都合だった。
これならローレンツ様の懐からお金を出さなくて済むし、艦隊司令部もローレンツ様の立場について付随するあれこれ――ぶっちゃけると、中央の顔色を伺わなくていい。……うん、方便はとても大事だね!
「『アルブレヒト・デア・グローセ』より信号! 『貴艦ノ健闘ト航海ノ無事ヲ祈ル』!」
「追伸あり! 『かーどノ負ケヲ早ク払エ』、以上!」
「信号手、信号用意! 『シルカ、ボケ』、復唱!」
「はっ! 復唱、『シルカ、ボケ』!」
……なんかものすごく余計なことまで聞こえてきたけど、まあいいか。
水兵さんがするすると帆柱を登り、艦長さんが信号手さんに怒鳴り返しているのを聞きつつ、テーマパークのアトラクションみたいだなあと甲板や帆を眺めていると、ローレンツ様が声を掛けて下さった。
「リディ、中に入ろう。潮風に当たり続けると、風邪を引くよ」
「ありがとうございます、ローレンツ様」
……ここのところはずっと気を張っておられたローレンツ様から、少しだけ緊張が抜けている。
伸ばされた手を握って、私はそれに気が付いた。
レシュフェルト領への航海は、商船よりはずっと早いけど、『寄り道』もあるから順調に行っても半月ほどになる。
せめて向こうに着くまでは、ローレンツ様も楽なお気持ちでいられますようにと、祈らずにはいられなかった。




