第二十九話「確証」
第二十九話「確証」
機会があればまたお会いしたいわねとのお言葉を頂戴して、再びヨハン様に主城の入り口まで送っていただいたけれど、ローレンツ様はまだお戻りではなかった。
「この場合は、どうしたらいいんでしょうか?」
「……そうですな」
少しだけ思案したヨハン様は、わざとらしく咳払いをして声を潜められた。
「控えの場たるサロンはございますが、お勧めできません。化粧直しの名目で、一室ご用意いたします」
「よろしくお願いいたします」
後で聞いたら、控えの間として開放されているはずの大サロンは、第一王子派と第二王子派の間で嫌みの応酬や当てこすりなどをするための『戦場』になっているそうで、とても近寄りたいような場所じゃなかった。
ヨハン様によれば両派から均等な距離を保っている第一王女派としては、本来の控え室である大サロンの使用を諦める代わりに、上客には『使えない』小さな部屋の占有を認めさせたらしい。
そんな一室で、待つことしばし。
夕食の時間になっても、ローレンツ様はお戻りにならなかった。
「……」
ヨハン様が気を利かせて下さったのか、軽食が運ばれてくる。
上等のローストビーフに手の込んだスープだというのに、あまり美味しく感じなかったのは、重苦しい気分のせいだとしか言えない。
ようやく、ローレンツ様がお戻りになられたのは、もうお外が暗くなってからだった。
「待たせたね、リディ」
「いえ、私は大丈夫です。それよりもローレンツ様が……!」
ようやく会えたローレンツ様は、昨日にもまして、お顔の色がよろしくなかった。すぐそばに控えたギルベルタさんが、支えるようにしている。
……お父上のお身体が良くない上に国が割れそうなのだから、お元気でも反応に困るけど、今の状態も見ていてつらい。
「あの、差し出がましいようですが、お飲物をご用意しましょうか?」
「お願いします!」
部屋付きの侍女さんが気を利かせてくれたので、飲み物はお任せし、ローレンツ様を座らせる。
「リディ」
「はい」
「月光宮に戻ったら、大事な話がある」
「はい。私もお伝えしたいことがございます」
壁越しに誰が居るかわかったもんじゃないここじゃ、中身までは口に出来ない。
でも、必死で、大事なことを聞きましたと目で訴える。
ローレンツ様は、すぐに気付いて下さった。
「……まさか、姉上が伝えたのか!?」
「げ、月光宮に戻ってからにいたしましょう! 今は少しでも気分をお楽にして下さい!」
「あ、ああ、うん……。その通りだ」
運ばれてきたハーブティーを飲むのに、ローレンツ様はかなりの時間を掛けられた。
私もギルベルタさんも、黙ったまま、ただ静かに待っていた。
しばらく、というには長かったけれど。
大きく息を吐いたローレンツ様は、帰ろう、と口にされた。
▽▽▽
月光宮に戻ると、夕食もそこそこに、屋敷の全員が食堂に集められた。
戻りが遅いのを心配して、メルヒオル様にアンスヘルム様、アリーセも月光宮で待機していたから、話は早い。
ローレンツ様を上座に、全員が着席している。
また、非常に重要な案件だからと、アマルベルガさんや御者のイルミンさん、新しく雇われたメイドのマルレーネさんも、この場に呼ばれていた。
「最初に謝っておく。すまないな、皆に心配を掛けた」
まずローレンツ様は、小さく頭を下げられた。
「この三日、父上や兄上達と、シュテルンベルクの行く末について話し合っていたが、一番大事な部分について、結論が出た」
それから順番にみんなの顔を見回し、私のところで僅かに止まってから、大きくため息をつかれる。
でも、今はもう、その瞳に迷いはない。
完璧な王子様モードになっていらっしゃった。
「リディには姉上が話をしたようだが……レシュフェルト王室公爵家は、父上の逝去後、レシュフェルト王家となる」
ローレンツ様のこの一言で、私の僅かな期待は塵と消え、ゼラフィーネ様との密談に確証が得られたことになった。
もちろん嬉しくともなんともないし、ほんと、担がれただけならどれほど良かったか……。
「……は?」
「なんですと!?」
「まあ!」
「父上はもう、長くないのだ。……ご自身も理解しておられる」
驚く皆さんに対し、ローレンツ様は片手を挙げて場を収めると、手元の書類鞄から幾枚かの羊皮紙を取り出された。
「当面はレシュフェルト王室公爵として自領のみを預かるが、レシュフェルト王国は現シュテルンベルク王国の南大陸領土、その全てを引き継ぐことになる」
レシュフェルト王の王権を認めた国王陛下と二人の兄上の覚書、南大陸新領土管区に関する領土の割譲と国権の譲渡を認めた勅書、シュテルンベルク王国の継承権を放棄した宣誓書の写しなどが披露される。
「ああ、こちらは遠隔地につき国葬の参加を免除するという許可状だな。ご本人の署名のみならず、御璽も押印してある」
ローレンツ様は書面を見比べながら、淡々と語られていった。
お父上とのお別れは済んでいるのかもしれないけれど、なんとも、やりきれない。
それとも、確執が酷すぎて、感慨もなにもないのか……分からないけど、聞くわけにもいかないよね。
続けて、二人の王子様によるシュテルンベルク分割の話があり、流石にみんな、息を呑んだ。
「バウムガルテンへの対処は仕込み済み、グロスハイムとも密約を結んでいるそうだ」
「ですが……!」
「兄上達の話では、上手く行くらしいぞ。……飽くまでも『兄上達の話』、ではあるがな」
……私にもようやく、この状況の重さ、その実感が湧いてきたかもしれない。
一緒に驚いてくれる人がいなくて、心が固まったままになってしまったんだろう。
「他言無用に願いたいが、既に事態は公然の秘密となりつつある。故に、身構えるほど防諜に気を遣うこともない。急ぎの案件は、月光宮を引き払うことぐらいか。アマルベルガ、出立の用意もあって忙しいと思うが……」
「はい、心得ました」
「マルレーネ、君はどうする?」
「ひゃ!? え、えっと……」
マルレーネさんには一日の暇が与えられ、親に聞いてから返事をすることになった。
雰囲気からして、こちらの事情に巻き込むべきじゃないって判断なのかな?
新しく来たばかりの彼女に信用がおけないという可能性もあるけれど……新参の度合いなら、私も大して変わらないか。
マルレーネさんの実家は、貴族街の端にある月光宮からだと街区で四つほどしか離れていないので、イルミンさんが手を挙げ馬車で送っていった。
空気を入れ換えるようにして、アマルベルガさんが各人の茶を淹れなおす。
「それから、リディ。話があると言っていたが……」
「はい。まずこちら、ゼラフィーネ様よりお手紙をお預かりしております」
「……姉上から手紙を貰うのは、初めてだな」
「失礼いたします」
「うん」
上座まで歩き、封のされていないお手紙を両手で捧げ持ってお渡しする。
中は見せて貰っているけれど、僅か数行なので、ローレンツ様もすぐに読み終えられた。
「……メルヒオル」
「はっ」
手紙はそのままメルヒオル様、アンスヘルム様、アリーセにも回された。
「家臣については理解したが、姉上ご本人はどうされるのかな? 嫁ぎ先の話など、今日も話題にはなかったが……」
「本日のお話がなければ、候補は二つ三つに絞れましたでしょうが……流石に情報が足りませぬ」
「そうだな。……リディ、もう一つは?」
「はい、フェルディナント王弟殿下についてです。『叔父上に注意なさいと伝えて頂戴』とのお言葉を、お預かりました」
「ほう……?」
「……普通じゃないことを考えてそうな顔、だったそうです」
僅かに思案されたローレンツ様は、憂鬱そうな顔で、うん、と頷かれた。
「直接手出しされることは、恐らくない。代わりに、後に尾を引くようないやらしい罠なら幾らでも仕掛けてきそうだが……今更か。父上と叔父上の関係は、丁度、今の兄上達と同じなのだと思ってくれ」
ああ、それは憂鬱にもなられると思う。
この混乱は、王弟殿下にとって歓迎すべき事態なのね……。
「リディ、ご苦労様。対処についてはこちらで考えよう。それから……」
「あの!」
もう一つ、差し出がましいかもしれないけれど、お伝えしておいた方がいいだろうことがある。
「お伝えするように言われたわけではないのですが、気になることがありまして!」
「うん?」
「ゼラフィーネ様は第一王子殿下、第二王子殿下、どちらにも組みされないご様子でした。それから……密談の締めくくりに、『わたくしは、姉として振る舞うことすら許されなかった』、と」
「……え?」
大きく驚いたご様子のローレンツ様は、長く息を吐いてから目を閉じ、片手で顔を覆われた。
……一瞬、伝えちゃいけないことだったのかと、不安になる。
でも……。
「そうか、そういうことか……!」
「殿下?」
目を閉じたまま小さく手を挙げ、場を静められる。
何かを思い返していらっしゃるようだった。
「うん、すまない。姉上には……子供の頃は何かにつけ構われたのだが、母上と王宮を出た前後だったか、ある時以来ぴたりと止んで、公務ぐらいでしか話をしなくなった。私も自分の置かれた状況が分かってきた頃で、距離を置かれたのだろうと思っていたが……邪険にされるようなことも、実害のある要求を突きつけられることもなく、姉上は兄上達に比べ随分お優しいのだなと、考えていた」
「……我らが殿下の元に参じた前後でありましょうか?」
「お前達と初めて会ったのは、この月光宮だったな。その前に半年ほど、春陽宮にいた。その頃の事だ」
ゼラフィーネ様と殿下の母上はとても仲が良く、殿下の母上が亡くなられるまでは、お茶会や食事などでよく顔を合わせていたそうだ。
でも、殿下の母上が病を得られた前後から、急に足が遠のいたという。
「いつだったか、姉上が見舞いに来た時、私が部屋のそばにいるとは気付かなかったんだろうな、『貴女まで病むから、もう来てはいけません』『いえ、わたくしが、リースヒェン様を治療できるよう頑張ります』と聞こえてきた。私に気付いて、すぐに別の話題となったが……」
リースヒェン様!
ゼラフィーネ様から聞いたお名前は、ローレンツ様のお母上だったんだ……。
「あの時の言葉、姉上が治療薬を作るという意味では正しくとも、あれは……」
「まさか、殿下!?」
「……間違いないだろうな。伝染する病ならば、明らかに私や側仕えの誰かが先に倒れていたはずだし、姉上は魔法薬学には詳しくても、医者ではない」
リースヒェン様に近づくと、ゼラフィーネ様まで病む。
魔法薬学。
医者じゃない。
近くにいても、ローレンツ様は病にならない。
「今になって、確証が得られるか……。いや、母上と姉上に守られていたからこそ、今まで危うきに近寄ることなく、謎も解けなかったのかもしれぬな」
……毒、だね。
重苦しい沈黙が、食堂を支配した。




