第二十八話「壮大すぎてついていけない密談」
第二十八話「壮大すぎてついていけない密談」
もう一度、侍女さん達がやってきて茶杯を入れ換えると、ゼラフィーネ殿下は表情を引き締められた。
扉を見据えてからその口元に指が立てられ、杖が振るわれる。
「……【静寂】」
殿下の魔法で室内の物音が完全に消され、藁紙とペンが私の前にも置かれた。
『ここからは筆談。時間も限られているから、手短にね』
『分かりました』
まずいなあ。
本当に何かの陰謀だったらどうしよう……。
もちろんここは王宮の奥の奥、どう頑張っても逃げようがない。人間、諦めが肝心だ。
『うちの兄様達の仲が悪いことは、聞いていて?』
『はい』
そんな返事のしにくい質問を真っ正面からなんて、ご勘弁くださいませ。
……この状況で嘘はつけないので、正直に書くけど。
『ローレンツは今日、お父様とその話をしているの。当のお兄様達も交えてね』
うわ。
これはもう、アルカイックスマイルで内心を誤魔化せる範囲を超えてるわ……。
『一年前……いえ、半年前なら、お父様の采配で何とか収まったかもしれない。けれど……お父様にはもう、あまり時間が残されていないの』
私は思わず顔を上げて、ゼラフィーネ殿下を見つめてしまった。
音のない密談は、緊張の連続だった。
『結論から言えば、お父様はシュテルンベルクを二つ……いえ、三つに割る決断を下されたわ』
『……え!?』
口が先に動いたと思うけど、自分の声さえ聞こえない。
『大きな二つは兄様達、小さな一つはローレンツね』
国を割るって……それも国王陛下がその決断をされるなんて、普通はあり得ないと思う。
けれど、目の前のゼラフィーネ殿下もやはりお姫様なわけで、本当のことなんだろう。
私を田舎娘と見て、気まぐれにからかわれたんだとしたら、どんなに良かったか……。
『あの、政治の事なんてほとんど分かりませんが、それってバウムガルテンやグロスハイムが大喜びして、シュテルンベルクが損をするだけなんじゃ……』
『あら! すぐにそれが分かるなんて素敵な子ね、リヒャルディーネは! ローレンツの女官じゃなかったら、いますぐ引き抜いているところよ』
ゼラフィーネ殿下はにこりと微笑んで、続きを書かれた。
『もちろん、対策は既に打ってあるの。……もしも、バウムガルテンも四分割されるなら、どうかしら?』
『!?』
『現王家を疎ましく思っているバウムガルテン貴族は、国の成り立ちもあって我が国のそれよりも随分と多いのよ。ふふ、グロスハイムもバウムガルテンの分裂についてはお手伝いしてくれるんですって。……兄様達の対立も、お手伝いしてくれたようだけどね』
シュテルンベルクは皇帝を倒した宰相が建てた国、バウムガルテンはその宰相に協力して帝国西方の諸侯をまとめ上げたバウムガルテン家が作った国だった。
ちなみにグロスハイムは、そんな両者に反発した商人や諸侯がまとまった連合国家である。
え、えーっと……。
とにかくだ、我がシュテルンベルクは大二つと小一つに分割、小はローレンツ様の国? になる。
仮想敵国のバウムガルテンは、四分割。
そのお陰で、シュテルンベルクには手を出しづらくなるけれど……でもそれじゃあ、グロスハイムの一人勝ちになってしまう。
隙を見て、攻め込んできたりするんじゃないかなあ……。
『グロスハイムは一人の国王が導く王国ではなく、複数の代表議員が舵を取る都市国家同盟。議会の意見を割るのは、国を割るよりも簡単なんですって』
あー、そっちも既に手を打たれてると。
すごいなあ、三大国家の全部が絡む謀略だ。
……もう気力が奪われ過ぎて、ここから逃げ出す元気さえなくなってきたよ。
『ここまでは前置きね。リヒャルディーネにお願いしたいのは、このお手紙をローレンツに渡して欲しいのと、その後のことなの』
まずは読んでと、封のされていない手紙を渡される。
中身は……今し方説明された謀略のついていけなさに比べれば、まだ普通だった。
侵略や内戦など、万が一の場合にはゼラフィーネ様の家臣団――王室公爵領からの亡命者を、レシュフェルトで受け入れて欲しいというご要望である。
『お父様が亡くなられたら、わたくしは後ろ盾がなくなるわ。それまでに嫁げるなら、家臣団を庇護したまま維持できる可能性が高いけれど……この状況では、難しいの』
ご自身が持つゾレンベルク王室公爵領も、強制的な返上を求められるかもしれないそうだ。
もちろん、代わりが用意される保証はない。
『わたくしはレーブレヒト兄様とマンフレート兄様、どちらと手を携えるのか、決断を迫られたの。……二人は覇気に満ち、能力もそれに相応しいわ。どちらがシュテルンベルクの王位を継いでも、他国から愚王と嘲られることはない……なかった、でしょうね』
聞こえるはずのないため息が、聞こえた気がした。
『でも、王としては正しいのでしょうけれど……野心が強すぎて、眩しいのよ。わたくしの大事な家臣達が使い潰されるって、すぐに思い至ったわ』
えーっと、領地は強制返上、家臣団は解散……。
もしかしてゼラフィーネ様は、小さいとは言え国が与えられるローレンツ様以上に、切羽詰まっていらっしゃるのかな?
『でもローレンツなら、その心配だけはないの』
『……そう、なのですか?』
『与えられる新領地は内海を挟んだ向こう側、東の果てと聞いたわ。……国をまともに動かそうとするなら、中央で教育を受けた官吏を派閥の都合で使い潰しに出来ないほどの辺境ね』
セラフィーネ様の手で、紙に大雑把な世界地図が書き入れられる。
ローレンツ様の領地……国は、比べてみるまでもなく、ほんとに小さかった。
海の向こうとは聞いていたけど、こんなに端っこなんだ、レシュフェルト……。
ゼラフィーネ様のお言葉に嘘がないとすれば、御者のイルミンさんまで入れても七人で国を動かさなきゃいけなくなる。
アールベルクの地方庁舎でさえあれだけの人数がいたわけで、現地の人を雇うにしても、小さな田舎町と国じゃ……あ!
そんな状況のレシュフェルト『王国』に、人口数万の王室公爵領を問題なく統治していたゼラフィーネ様の家臣団が来たら、逆転されてしまう!?
『……もしかして、ローレンツ様の国を乗っ取られるおつもりですか?』
『……それは考えていなかったわね』
政ならあなたの方が一枚上手だわと、微笑まれる。
かなり失礼な質問だったことに気付き小さく謝罪すると、気にしなくていいと首が横に振られた。
『同じ事をローレンツが口にしたら、リースヒェン様に誓ってそんなことはしないって、伝えて下さる? それで分かると思うから』
リースヒェン様って、どこのどなただろう?
この場で聞くのも憚られる雰囲気だったので、別のことを聞いてみる。
『お手紙のことは分かりました。ですが、もう一つというのは……』
『叔父上に注意なさいと伝えて頂戴。矛先が誰に向けられるかは分からないけれど、普通じゃないことを考えてそうな顔だったわ』
普通じゃないことって……。
ローレンツ様の兄姉以外にもうお一人いらっしゃる王位継承者、フェルディナント王弟殿下。
もちろん、どんなお人なのかは全く知らない。
ああもう、とにかくお伝えして、それから考えよう。
ローレンツ様の両側には、メルヒオル様とアンスヘルム様もいらっしゃる。
私には分からなくても、みんなで考えればなんとかなるはずだ。
重要なお話はこれで終わりのご様子だったので、最後にもう一つ、気になることを聞いてみた。
『あなたを密談相手に指名した理由? ローレンツがいつもの子達以外の誰かを連れ歩いてるなんて聞いたの、十年ぶりぐらいだったもの』
殿下の魔法杖が振るわれ、ヘッドフォンを外した時のように、ざわっと音が戻ってくる。
「だから、会ってみたかったのよ」
「……えっと、ありがとうございます」
もう一度魔法の言葉があって、密談に使われた紙が全て灰になり、風に乗って暖炉の中に消えた。
これでお預かりしたお手紙以外の証拠は消えたけど、心にはとても重いものが残っている。
「あの子のこと、お願いね。……わたくしは、姉として振る舞うことすら許されなかったから」
「え!? は、はいっ!」
意味深な、お言葉。
寂しげな笑顔浮かべられたゼラフィーネ様は、もう一度、お願いねと繰り返された。




